涼風至その三 扇風機
伊瀬参りの街道の中で、奈良から伊瀬に向かう伊瀬本街道は、西国からやって来る人々で賑わう街道のひとつです。その参拝者たちが途中で食したのが三輪の素麺。余りの美味しさにわざわざ素麺作りを学び、自分の地元でも作り始める人も出始め、小豆島、播州、島原などへ素麺の産地が広がって行ったのでした。
それでも恵姫の時代には素麺と言えばやはり三輪、そしてその中でもこれだけ極細の素麺は、有力大名といえど滅多に口にできる代物ではありませんでした。磯島や恵姫が驚いたのも当然だったのです。
「このような逸品を奥の者だけで食すのは勿体のうございます。二箱ありますれば、一箱を本日の七夕の馳走と致し、もう一箱は厳左殿、庄屋殿に差し上げたいと思います。如何ですか、姫様」
「うむ、それでよいぞ。厳左にも庄屋にも日頃世話を掛けておるからのう。たまには恩返しをせねばな。おお、そうじゃ。本日の夕食には黒や毘沙も呼ぼうぞ。大勢で食った方が美味いからのう」
「あ、じゃあ、僕が素麺を届けるついでに伝えておくよ。ここに居ても特にする事もないし」
「それではお願い致します。それにしても与太郎殿、よくもこれだけの品を用意できましたね。費やした銭は鯛焼きの比ではなかったのではないですか」
「えへへ、いや、まあ、それほどでもないよ、えへへへ」
磯島にも恵姫にも褒められて嬉しさ満点の与太郎。しかも今回の素麺を準備するに当たって自分の懐は全く痛まなかったのですから、余計に気分が良いのです。
実はこの素麺はお中元の貰い物なのでした。与太郎の両親が共働きという関係もあってか、中元、歳暮は毎年沢山届けられているのです。そしてお中元の定番である素麺は毎年数個は届くので、すっかり食べ飽きていたのです。
今日ここに持って来たのはその余り物。しかも一箱は去年のお中元の残り物です。一応、賞味期限は三年となっており、袋に包んで冷蔵庫に保管してあったので大丈夫だろうと判断し、今年の素麺と一緒に持って来たのでした。
『これだけ喜んでくれているんだから、本当の事は言わなくてもいいよね。文字や絵も全部消えているから、製造年月日なんて分からないだろうし』
与太郎にしてはなかなかずる賢い遣り口です。ずる賢さの権化である恵姫とこれだけ長く付き合っていれば、このような考え方が身に付くのも当然と言えましょう。
「じゃあ、僕、城下に行ってくるよ。黒様と毘沙様には夕方来るように伝えればいいんだね」
「城から出られるならば装束を替えて行かれませ。本日はどちらで行かれるのですか。与太郎殿か、あるいはお与太様か」
磯島にそう訊かれて与太郎は即座に答えました。
「お与太でお願いします! 着替えの手伝いはお福さんでお願いします!」
「お与太様ですね、分かりました。されど、お福は少し体調を崩しておりますので、着替えは別の女中に手伝わせます」
「えっ、そうなの。分かったよ。ああ、磯島さんは来なくていいよ。小座敷の場所なら知っているから。着替えたらそのまま出掛けるからね。行ってきま~す」
素麺の木箱を一箱だけ布袋に入れると、元気良く座敷を出て行く与太郎。自分の持って来た素麺の評判が予想外に良かったので、すっかり舞い上がっているようです。一方、恵姫は心配顔をしています。
「お福の体調が悪いとは聞いておらんぞ。いつからじゃ」
「目立ち始めたのは浜へ遊びに行ってからでございます。元々暑さに弱い性質のようで、暑気中りしたのかと思っておりましたが、どうやら夏風邪のようでございます。お役目も朝夕だけの涼しい時だけに致しまして、暑い日中は養生させております」
「夏風邪か。あれは長引くからのう。良くならぬようならお役目を全て無しにしてやれ。早く良くなってもらわねばのう」
「かしこまりました。では私もこれで」
磯島は会釈をすると、与太郎の置いて行った素麺の木箱を持って座敷を出て行きました。お福について少々心配ではありますが、寝込むほど重いわけでもなさそうなので、恵姫の頭の中はすぐに素麺の事で一杯になりました。
「う~む、これは夜が待ち遠しいのう。これほどまでにワクワクする七夕は初めてじゃわい」
* * *
昼が近付くにつれ暑さも厳しくなってきました。座敷で寝そべっている恵姫。少し離れた場所では素麺を届けて帰ってきた与太郎が同じように寝そべっています。二人とも団扇で風を起こしながら干物のように天井を眺めています。
「これ、お与太。わらわは暑いぞ。何とかせよ」
「夏は暑いのが当たり前ですわ。何ともしようがありません」
「馬鹿者。既に立秋は過ぎ暦の上では秋なのじゃ。秋ならば涼しくあらねばならぬ。涼しくせよ」
「残暑という言葉がありますわ。今がその残暑なのですよ、おほほ」
女中の装束を着てお与太になれば、与太郎の口調も女言葉になるのです。ここは男子禁制の奥御殿、身も心も女にならねば追い出されてしまうからです。
『どうも与太郎のおなご言葉は気持ちが悪いのう。背中がゾクゾクして来るわい』
口調は女ですが声色は男なのです。わざとらしく高い声を出しているので、なにやら化け物が喋っているような気もします。
「おい、お与太。その喋り方は止めよ。おなごになるのは装束だけでよい。気持ち悪くて敵わぬ」
「えっ、いいの。よかった。実は僕もこの喋り方が癖になりそうでマズイなあって思っていたんだ。そっちの趣味の人と思われたら困るからね」
気を抜いた途端に胸元をはだけて、団扇で風を送っています。節度ある女性ならば決して人前では見せない端ない仕草です。
「これ、言葉はおなごでなくてもよいが、身なりはきちっとしていなくては困るぞ。それよりもお与太よ、涼しくなる工夫はないのか。先日、雷神の力を使ったえあこんなる道具の話をしておったであろう。後の世の鯛焼きをここで作ったように、えあこんなる道具もここで作ってみよ」
「エアコンの手作りは無理だなあ。僕一人だけで日本刀を作ってみろって言われるのと同じくらい無理だよ。あ~、でも、手回し式の扇風機なら、この時代の材料だけで作れるかも」
「せんぷうき、それは如何なるものじゃ」
「風車は知っているでしょ。風が吹くとクルクル回るおもちゃ。風が吹くと回るって事は、もし風車を逆に回せば風が生まれるって事になるじゃない。そんな感じの道具」
「ふっ、それなら団扇や扇子と大差なかろう。わざわざ作るほどの物でもあるまい」
「それがそうでもないんだなあ。扇風機には団扇のような羽根が三つか四つ付いているから、たった一つの団扇を扇ぐよりも涼しいんだ。一人で三つも四つも団扇を扇ぐのは大変でしょ。扇風機ならそれが簡単にできるんだよ」
「ほう」
寝そべっていた恵姫がむくりと起き上がりました。そのまま座敷の隅の納戸へ行き、しばらくガソコソと探した後、硯箱と和紙を持って戻って来ました。
「そのせんぷうきなるもの、ここで作ればどのようになるか、絵に描いてみせよ」
どうやら恵姫は扇風機に興味が湧いてきたようです。与太郎は言われるままに硯で墨をすり、筆で和紙に絵を描き始めました。与太郎の時代の扇風機ではなく、この時代で作れそうな扇風機です。時々天井を見上げたり、団扇を眺めたり、目を閉じたりしながら少しずつ描いて行く与太郎。最後に「扇風機 by お与太」と署名して出来上がりです。
「よし描けた。めぐ様、どうかな」
「ほほう、扇風機か。これはまた珍妙な」
それは二本の軸受けに支えられた木の棒です。棒の片側には手回しの取っ手が、もう片側には団扇が斜めに三本取り付けられています。一目見ただけで、取っ手を回して団扇を回転させる道具なのだと理解できます。
「うむ、気に入ったぞ。この扇風機なる道具、直ちに作るがよい」
「ええっ、ここで作れって言うの!」
相も変らぬ恵姫の無茶な注文に、どっと汗が吹き出す与太郎ではありました。




