大雨時行その五 夏越祓
昨日の海での出来事を思い出しながら乾神社へと向かう五人。六月晦日は夏越しの祓。一年の半分を無事に乗り切ったことに感謝し、残りの半年を無事に乗り切れるように祈願する日なのです。
やがて神社の鳥居が見えてきました。それをくぐって樹木に囲まれた境内に入ると、汗がすっと引いていく爽やかさを感じます。
「おお、今年も立派な茅の輪であるのう」
拝殿の前には茅萱を編んで作った巨大な輪が、二本の竹柱に支えられてぶら下がっています。その輪の周りには大勢の子らが集まっています。
「祓い給へ、清め給へ、守り給へ、幸え給へ」
神拝詞を口にしながらひとりずつ順番に輪をくぐっていきます。八の字を書くように三度くぐり四度目は真っ直ぐ拝殿へ向かってお詣りをするのです。
「こうして大勢の子らが集まっている光景を見ますと、左義長での出来事を思い出しますな」
雁四郎が懐かしそうに目を細めました。お福と恵姫の三人で大八車を押して乾神社にやって来たのが一月十五日。あれからもう半年近く経ったのです。雁四郎の言葉を聞いたお福と恵姫もまたその時の光景を思い浮かべ、過ぎた半年の長さと短さを振り返るのでした。
「さあさあ、あたしたちも輪をくぐろうよ~」
黒姫に促されて手水舎で手と口を清めた恵姫たちは、子らの後に続いて輪をくぐりました。こうして半年間の穢れを払い、残り半年間の無病息災を祈願するのです。
「おや……、雨」
五人がくぐり終わったところで誰かがそうつぶやきました。一斉に空を見上げる子ら。いつの間にか厚い雲に覆われ、ポツポツと雨粒が落ち始めた、と思う間もなく音を立てて大粒の雨が降ってきました。
「皆、手水舎の中へお入りなさい」
宮司にそう言われて、子らも恵姫たちも一斉に手水舎に駆け出しました。軒の深い乾神社の手水舎、それでもこれだけの人数を雨から守るには少し小さすぎたようで、屋根の下はぎゅうぎゅう詰めです。
「降れば大雨とはよく言ったものじゃ。まあ、通り雨であろう」
土砂降りの雨は屋根を叩き、地面を叩き、心を乱す騒がしい音で恵姫たちを包みます。こんな大降りでは何もできません。皆、大人しく屋根の下に立って小降りになるのを待ちます。
そこへ傘を差した宮司が鳥居をくぐってやって来ました。知らぬ間にどこかへ行っていたようで、手には大きな土瓶をぶら下げています。
「さて、それでは皆に甘酒を進ぜよう」
子らが歓声を上げました。わざわざこの日ここに集まった目的は、ひとえにこの甘酒を飲むためだったのです。子らは皆、竹湯呑や木の椀を家から持って来ているのでした。
「熱いからゆっくりお飲みなさい」
「ありがとう宮司様」
一人ずつ甘酒を注いでもらい嬉しそうに飲む子ら。恵姫たちも宮司が用意した湯呑で甘酒を賞味します。
「うむ、暑気払いには甘酒が一番じゃのう。これで残り半年も無事乗り切れそうじゃ」
「振り返れば早いものです。この半年は色々な事がありましたな」
宮司が感慨深げに言いました。確かにいつになく出来事が多い年でした。与太郎の出現、伊瀬への旅、島羽での一件、瀬津姫の襲撃、毘沙姫との大食い比べ、飛入助の成長、蛍騒動、蔵整理、そしてお福。
「お福が城に来てまだ半年しか経っておらぬとはのう。ずっと昔からの友のような気がしておったが……」
恵姫は少し離れた場所に立っているお福を見ました。お福と黒姫は子らの人気を集めて、お喋りしたり、頭を撫でたりしています。雁四郎も一緒になって小さい子を抱き上げたりしています。
「お福……やはり姫の力を持っていると見て間違いないな」
毘沙姫もまた鋭い目付きでお福を見ていました。昨日、浜辺で見せた髪の発光、発現した姫の力の大きさ。それを見ていた三人の姫たちは自分たちと同じ何かをお福に感じたのでした。
「髷を解いたからじゃな。お福はいつも髷を結っておった。姫の力は髪の自由を奪われると満足に発揮できぬ。わらわとて髪を束ねられれば力はほとんど使えなくなる。にもかかわらず、普段のお福は髷を結った状態で、鴎を呼び、雀を呼び、飛入助を呼んでいたのじゃ。その力の大きさに昨日まで気が付かなんだとはのう。情けない話じゃ」
「昨日、髪が自由になった事でこれまで以上の力が発現したのだ。だが目隠しをしていたお福は気付いていない。飛入助が何をしたか知らないのだ。海水が引いたのも恵が勝ちを譲ってくれたから、そう思っている。あの後、恵に向かって頭を下げたのが何よりの証拠だ」
そして恵姫たちはその誤解を解こうとはしませんでした。その理由ははっきりとは分かりません。お福はこの事実を知らない方がいい、そんな漠然とした考えが三人の姫たちの心の中にあったのです。
「しかし妙だな。何故斎主宮はお福を姫として認めていないのだ。あれ程の力を持っているのなら神器を持つに相応しい姫のはずだ」
お福は伊瀬への旅で斎主宮に入り斎主とも面会しているのです。お福の力に気付いていないはずがありません。それなのにお福に対して何の行動も起こそうとはしないのです。それは恵姫も少し気に掛かる点ではありました。
「何か訳があるのかも知れぬのう。何れにしても斎主宮はお福を姫と認めておらぬ。となれば、わらわたちがお福を姫として扱う訳にもいかぬ。お福には何も知らせず、今まで通り女中としてのお役目に励んでもらうとしようぞ」
自分を見詰める二人の視線に気付いたのか、お福は恵姫たちの方に向かってにっこりと笑みを投げ掛けました。それは姫とは無縁の平凡な娘の笑顔です。
「そう言えば、毘沙はお福について、布から何か聞いていたのじゃろう。布は何と言っていたのじゃ」
「今の力は小さい。しかし斎主様を凌ぐ力を持っている。使えないだけ、布はそう言っていた」
分かるようで分からない言葉です。どうやら布姫が来るまではお福の事も寛右の事も、手の打ちようがない事だけは確かなようです。
「なあ、毘沙よ。姫はその者に見合った自然に愛されておるのじゃろう。お福はどのような自然に愛されているのじゃろうな」
恵姫に尋ねられて考え込む毘沙姫。考えて分かるはずがありません。二人とも言うべき言葉が見つからないまま見詰め合っていると、
「それが分かればお福様の謎も少しは解き明かされるのでございましょうな」
宮司でした。二人の会話が耳に入っていたようです。
「何だ、聞いておったのか。そなたはお福をどう思っておるのじゃ」
「姫様たちに解けぬ謎を、宮司如きが解けようはずもありますまい」
宮司の答えに苦笑いをする恵姫と毘沙姫。雨は相変わらず降り続いていますが少し小降りになってきたようです。蒸し暑さは遠のき、湿った涼しさが感じられます。
「明日から七月。五日後には立秋。夏も終わりますな」
「うむ。しかし立秋を過ぎても暑さは続くからのう。まだまだ夏を越えた気にはなれぬわ」
「七日後には笹の節供か。そう言えば与太郎は節供の日は必ずこちらにやって来るのだったな。七夕の日に来るのなら美味い物でも持って来て欲しいものだ」
食い意地では恵姫に負けない毘沙姫の言葉に宮司も苦笑いしています。
「宮司殿はまだ与太郎に会ってはおらぬのじゃったな。彼奴の言葉によると、宮司殿は与太郎の先祖らしいのじゃ。一度己の子孫と会ってみたらどうじゃ。余りにも腑抜けなおのこゆえ、落胆するかもしれぬがな」
「機会があれば会ってみたいものですな」
その時に宮司の顔に浮かんだ笑みは苦笑いや愛想笑いではなく、御馳走を目の前に並べられた幼子のような、無邪気な喜びに満ちたものでした。
雨はいよいよ小降りになり間もなく上がりそうです。続いている不作、不漁、姫の力の減衰、ほうき星、寛右の動き、記伊の姫衆と伊賀の忍衆……今年になって持ち上がった問題はまだ何一つ解決していません。それでも一度降り出した雨はいつか必ず止むのです。明日からやって来る残り半分の年が楽しく愉快に過ごせるようにと、心の中で密かに願う恵姫ではありました。




