魚上氷その四 与太郎吟味
「では、これよりお福への夜這いの件に関する吟味を始める」
座敷の上座には扇子を持った恵姫。その横に磯島。下座にはお福と、少し間を置いて夜這いの少年が座っています。その夜這い少年が手を上げました。
「あ、あの、ちょっといいですか」
「なんじゃ、申してみよ」
「寒いので、火鉢に当たらせて欲しいんですけど」
「何を贅沢なことを言っておる。駄目に決まっておろう。そもそもそんな薄着で忍び込む方が悪いのじゃ。なんじゃ、そのペラペラの単衣は」
「これはパジャマですよ。寝るときは薄着の方が楽に眠れるでしょう。はくしゅん、うう、風邪をひきそうだ」
少年は肩を抱いてぶるぶる震えています。鬼奉行に成り切っている恵姫も少し気の毒に感じました。
「仕方ないのう、おい、磯島、女中のお古でも貸してやれ」
「かしこまりました」
磯島は立ち上がって座敷を出て行くと、ところどころ破れてほつれてボロボロになった綿入れ半纏を持って戻ってきました。少年は「あ、ありがとうございます」と言ってそれを羽織り、ようやく吟味は再開です。恵姫は恭しく問いただしました。
「その者、名を何という、国はどこじゃ、何をしている者じゃ。正直に申せよ」
扇子で少年を指し示しながら声高に問い詰める恵姫。かなり成り切っています。
「え、えっと、名前は雄太、いや、雄太郎にてございます」
「ヨータロー? ふむ、与太郎か。腑抜けた名じゃな。して国は?」
「いや、ヨタローじゃなくてユウタロ……まあ、ヨタローでもいいや。えっと国は三重県……」
「みえ、けん?」
「あっ、違うか。えっと、伊勢志摩になるのかな」
「伊瀬の国か、志麻の国か、はっきり致せ」
「それじゃ、志摩の国でいいです」
「なんじゃ、我が領国の者ではないか。して、何をしておる、町人か、百姓か、まさか武家の者ではあるまいな」
「ん~、高校生なんだけど、江戸時代だと何になるんだろう。あ、寺子屋か。寺子屋に通っています」
「ぷっ、ははは」
突然、恵姫が笑い出しました。笑っているのは恵姫だけではありません。磯島もお福までも笑っています。
「な、何が可笑しいんですか」
「ははは、寺子屋じゃと。おい与太郎、そち、年はいくつじゃ」
「今年、十八才ですけど」
「なんじゃ、わらわより年上ではないか。十八にもなってまだ読み書き算盤を学んでおるとは、物覚えが悪いのにも程があるぞ。ははは」
与太郎は失敗したと思いました。寺子屋は間違いだと言おうとしましたが、では本当は何をしているのだと聞かれても答えられません。結局、そのままにしておくことにしました。
「まあ、よい。そのざんばら髪では武家の者ではなかろうし、日に焼けておらぬ生白い顔は、米作りも魚捕りもやってはおらぬ証拠。大方どこぞの町人の倅であろう」
「これはこれは、さすが姫様。明敏な推察であられますな」
滅多にない磯島の褒め言葉に、恵姫は嬉しくなって扇子をパチパチ鳴らしました。
「これ、磯島、おだてるでない。わらわが本気を出せば、これくらい当たり前じゃ。しかし、与太郎、そこまで頭が悪いと、そちの親も大変じゃな。ははは」
「は、はあ……」
与太郎は言い返せませんでした。確かに高校の成績は後ろから数えた方が早く、卒業後の進路について、両親はとっくに諦めきっていたからです。
「では、本題に入るか。何故お福に夜這いを掛けた。どうやってこの城に、この屋敷に忍び込んだ。正直に申せよ」
与太郎は横に離れて座っているお福をチラリと見ると、少し恥ずかしそうに言いました。
「えっと、その、この城にカワイイお姫様が居ると聞いて、それで会いたくなって、それで忍び込みました」
「ほう、可愛い姫、とな」
恵姫の顔が一気に緩みました、それもそのはずです。親類縁者と家臣以外の男性から、可愛いなどと言われたのは生まれて初めてだったのですから。
「ふむ、つまり、わらわに会いに来たものの、暗闇でよく分からず、間違って控えの間のお福の夜具に迷い込んでしまった、こう言いたいのじゃな」
恵姫はすっかりご満悦です。
『やはり、わらわもまだまだ捨てたものではないのう。城下の者が可愛い姫などと呼んでおるとは』
などと甘い空想に耽っている恵姫なのですが、次の与太郎の一言で、一気に現実に引き戻されてしまいました。
「えっ、ここのお姫様って、このお福って子じゃないんですか」
恵姫の額に激怒の十文字が浮かび上がりました。
「この痴れ者めが。何を勘違いしておる、この城の姫はわらわじゃ。お福は女中じゃ。仮にも一国の姫ともあろう者が、あんな粗末なお召し物で下座に座っているはずがなかろう」
「はあ、そうなんですか。じゃあ訂正します。カワイイ女中さんが居ると聞いて、それで会いたくなって忍び込んだんです」
「女中に会いたいのなら、女中部屋に行くのが筋じゃ。座敷に来るのはおかしいであろう」
「ま、まあ、そう言われれば、おかしい、かも」
「嘘をつくではない。そちが会いたかったのは女中などではなく姫じゃ、可愛い姫じゃ。わらわじゃ。断固として可愛いわらわに会いたかったのじゃ。そうじゃな、そうじゃと言え」
与太郎は何だか面倒になってきました。どのみち全て口からでまかせだし、演技だし、さっさとこの茶番を終わらせたかったので、後は適当にやることにしました。
「あ、はい、そうです。ごめんなさい、嘘をついてしまいました」
「うむ、それでよいのじゃ、与太郎、お福可愛さに嘘をつくとは、お主も相当な悪よのう」
完全に恵姫の独断です。たまらず磯島が口を挟みました。
「姫様、これでは正しい吟味とは言えぬと思うのですが」
「横から出しゃばるでない。磯島は黙って座っておればいいのじゃ」
扇子をパチリパチリと鳴らして威張り散らす恵姫は、まるで越後屋から袖の下を受け取っているお奉行様のような顔になっています。さっき褒めて損をした、と磯島は後悔しました。
「さて、一番肝心なことじゃ。どうやって城内に入った。廃城跡に建てられたと言ってもこの間渡矢城、守りは鉄壁。南と西は海に面する断崖。東は浜に通じておるが、舟がなければ浜には行けぬ。北は堅固な城門と門番。塀の内側は寝ずの番方が見回り、屋敷の周りは砂利敷、廊下は鴬張り、曲者が歩けば音ですぐに気付く。それらをどのように突破して、控えの間に入り込んだのじゃ。そち一人の仕業か。他に協力者がいるのか、詳らかに申せ」
「え、えっと、それは……自分もわからないと言うか」
「分からぬじゃと。己がどうやってここに来たか分からぬと申すか。そんな理屈が通用すると思うてか」
「えっと、えっと……」
与太郎は困りました。いい回答が思いつきません。そもそも、どうして自分がここに居るのか、一番知りたいのは与太郎自身でした。昨晩、今年のバレンタインも一つのチョコも貰えないまま終わるのかと思いながら、いつものようにベッドに入ったのです。そして、スイーツ食べ放題の店でチョコケーキを食べる夢を見ていたら、ここに居たのでした。
寝ている間に何者かの手によって運ばれてきたのは間違いありません。それだけでも犯罪的行為なのに、その目的も手段も知らされないまま、こうして茶番に付き合わされている、与太郎は次第に腹が立ってきました。
「こりゃ、何を黙りこくっておる、とっとと白状せぬか」
おまけに先程から偉そうな口を利くこの小娘。さすがの与太郎も我慢の限界に達してしまいました。
「あの、いい加減にしてくれませんか。さっきからそちらに合わせて演技をしていましたけど、これって失礼過ぎると思うんですよね。何の説明もなくこんな番組制作に付き合わされて、凄く迷惑なんですよ。プロデューサーか局の責任者を呼んでくれませんか」
「な、なんじゃ!」
与太郎の態度が急変したので、恵姫も磯島も驚いて顔を見合わせました。




