梅子黄その一 磯島復活!
今日も朝からお稽古事に励む恵姫。自信満々で花入れを磯島の前に突き出します。
「見よ、近来稀に見る会心の作であるぞ。惚れ惚れするような出来栄えじゃわい」
突き出された花入れを見て眉間の恵皺が深くなる磯島。いつもの風景です。
本日のお稽古は生花。実は数あるお稽古事の中で、生花の回数が一番多いのです。理由は簡単、材料となる花は中庭から適当に切って来るので材料代が要らないから。そして奥御殿と表御殿に飾られている花が枯れたり萎れたりして見苦しくなるたびに、お稽古事と称して恵姫に生けさせているからです。
もっとも恵姫に生けさせても碌な生花にならないので、結局全て磯島が手直しします。そして完成した生花は元通りに各御殿の各場所に飾られる事になります。このように実益も兼ねているので、生花のお稽古事の回数が一番多くなるのでした。
「……」
恵姫の生けた花入れを前にしても磯島は何も言いません。ため息すらつきません。ただ眺めているだけです。自信満々の恵姫は当然の如く自画自賛を始めます。
「うむ、美しい物を前にすると人は言葉を失うと言うが、この金言、誠であったと今ようやく得心したぞ。磯島よ、何も言うでない。そなたの気持ちはよく分かっておるぞ。見事な桜鯛を前にすれば、わらわとて口が利けなくなるからのう」
「桜鯛を見て口が利けなくなるのは、迂闊に口を開けるとよだれが滝のように流れ落ちるからでございましょう。一緒にしないでいただきとうございます」
ようやく口を開いた磯島。かなり機嫌が悪いようです。この言葉を聞いて恵姫の機嫌も悪くなりました。
「なんじゃ、言葉を失ったのではなかったのか。では、どうして黙っておったのじゃ」
「余りにも酷い出来栄えだからでございます」
そうして磯島は淡々と小言を始めました。
「何ですか、このお花の生け方は。野に咲いているかのように生けよと何度も申しておりましょう。このような死に花を拵えて、どこに飾れと言うのでございます」
今日の磯島の小言はかなり気合が入っています。剣幕に押されて恵姫も気後れしています。
「ん、そうじゃな、死に花ならば棺桶に入れるとか……」
「どこの世に棺桶に入れる花を生けるおなごが居ると言うのです! ああ、もう、これまで何度同じ嘆きを繰り返してきた事でしょう。この磯島がこれ程手を尽くし、言葉を尽くし、知恵を絞り、親身に教えを授けているのに、花のひとつも満足に生けられないとは。余りの情けなさにこの磯島、熱を出して寝込んでしまいそうです」
『実際、寝込んでおったではないか。気の毒に思って毘沙と厳左に怪我まで負わせて助けてやったと言うのに、元気になった途端この喧しさじゃ。こんな事なら助けてやらず、ずっと寝かせたままの方がよかったのう』
磯島の小言を馬耳東風に聞き流しながら、恵姫は小刀を成敗した夜を思い出していました。
あの後、厳左と雁四郎は城に戻ることなく屋敷に帰りました。厳左の怪我を早く手当したかったからです。城に戻った恵姫たちは磯島を寝かせると、お福の用意した握り飯を食べ、毘沙姫の怪我を手当てして、やはり寝てしまったのです。
翌朝、目が覚めた磯島は昨晩のことを全く覚えていませんでした。しかも昨晩の事だけでなく、毎夜自分が虫籠を持って城の外へ出ていたことすら覚えていなかったのです。
「何やら、ここ数日の間、蛍と戯れる夢を見続けていたような気も致しますが、夢はあくまで夢、現実ではございませぬ」
などと言って、恵姫たちの話には一向に耳を貸そうとしないのです。当然、厳左や毘沙姫の怪我についても知らぬ存ぜぬ、自分は全く関係ないという立場。感謝の言葉どころか、無茶は控えなさいませと忠告を与える始末。
「い、一体、誰の為にわらわたちが骨を折ってやったと思っておるのじゃ!」
と恵姫が怒っても、本人が覚えていないのですからどうしようもありません。
「厳左、磯島に何か言ってやれ。足の傷もまだ痛むのであろう」
と厳左をそそのかしても、
「主を守るのが家臣の務め。磯島殿が御無事ならば礼の言葉など不要。足の怪我もかすった程度で大した事はない」
と言って取り合わず、それならば毘沙姫に、
「おい、毘沙。そなたは文句のひとつも言いたかろう。磯島を傷つけぬよう力を抑えて戦ったのじゃからな。下手をすれば命を落としておったかもしれぬのじゃぞ」
と焚きつけても、
「いや、むしろこちらから礼を言いたいくらいだ。あれだけの手練れと手合わせさせてくれたのだからな。この毘沙に手傷を負わせる相手になど、そうそう巡り合えるものではない。良い経験をさせてもらった」
と、こちらも磯島には少しの不満も抱いてはいない様子。右手の怪我も厳左同様かすり傷だったようで、翌々日からは黒姫と共に田で働き始めました。
「厳左も毘沙も人が良過ぎるのではないか、まったく!」
更に恵姫を怒らせたのは、命の恩人とも言える厳左や毘沙姫には何の礼もしなかったくせに、磯島が寝込んでいた間、自分の代わりに恵姫の世話をした小柄女中、看病してくれたお福、その他、迷惑を掛けた女中たちには大いに感謝し、恵姫が浜に遊びに行っている間に豪勢なお茶会を開いて持て成していたことです。
「磯島よ、わらわとてそなたを心配し、時々枕元に見舞っていたであろう。なのにわらわ一人を除け者にして他の女中たちと飲み食いするとは、余りにもつれない仕打ちではないか。もう少しわらわにも感謝の情を示してくれてもよいのではないか」
お茶会に出された茶請けは黒姫手製の鯛焼きを真似て、間渡矢城奥御殿の厨房女中一同が持てる力を全て注ぎ込んで製作した菓子だったと聞き、尚の事悔しさが募る恵姫だったのです。しかし、磯島はあくまでも冷淡でした。
「恵姫様がお茶会の席に居ては女中どもが遠慮をして、誰も茶菓子を食べようと致しません。よしんば食べたとしても味わう事ができません。姫様に気を遣い楽しむ事もできません。それでは女中たちを労えませぬゆえ、姫様には席を外していただいたのです」
「そ、それではわらわへの感謝は無しなのか」
「私が寝込んでいる間、お稽古事は全てお休み、三度のお食事の時も私が居ない事で、食事作法を気にする事なく取っていらしたのでしょう。更には朝から座敷でゴロゴロして朝寝昼寝夕涼みを決め込み、自堕落な毎日を送っていらっしゃったはず。良い骨休みになったのではありませぬか。それで恵姫様への慰労は十分であると思っております」
「ぐぬぬ……」
全くその通りなので口応えもできません。こうして恵姫の不満だけを残して、磯島蛍憑きの一件は落着してしまったのでした。
「……かように花というものは心と暮らしを華やかせてくれるのでございます。お分かりですか……姫様……恵姫様! 何をぼんやりしておられるのです!」
磯島の小言はまだ続いていたようです。思い出に耽っていた恵姫は夢から覚めたように返事をしました。
「ああ、磯島、わらわも間渡矢特製鯛焼きを食いたかったぞ」
「何を訳の分からぬ寝言を仰っておられるのです! 終わってしまった話をいつまでもグダグダと未練たらしい。それよりも次のお花を生けてくださいませ。まだ表御殿に飾る花しか生け終わってはいないのですからね」
磯島が空になった花入れを恵姫の前に突き出しました。うんざり顔の恵姫。
『今度磯島が寝込むのはいつの事じゃろうなあ。待ち遠しいわい』
そんな事を考えながら花入れ目掛けて適当に花を突っ込む恵姫ではありました。




