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元禄・マジカル・プリンセス  作者: 沢田和早
第二十六話 くされたるくさ ほたるとなる
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腐草為蛍その一 磯島の業

 西の空の残照はとっくの昔に消えていました。真上に浮かんでいるはずの上弦の月も厚い雲に隠され、その光はほとんど地上には届いていません。間渡矢城も城下町も五月の宵の底にひっそりと沈んでいます。

 そんな夕闇の中を恵姫は歩いていました。共に行くのはお福、雁四郎、そして磯島です。


「磯島様のお供は滅多にない事なれば、いささか緊張致します。失礼なきよう務めさせていただきます」

「筍狩りの折には共に参りましたでしょう。あの時と同じです。今宵は雁四郎殿も楽しみなさいませ」


 提灯を持って先頭を行く磯島が雁四郎に優しい声を掛けました。いつでもどこでも沈着冷静、花見でも筍狩りでも嬉しそうな顔ひとつせず、自分の役目を淡々とこなすだけの磯島。それが今宵に限っては妙に華やいだ表情をしています。


「磯島様はよほどこの遊びが気に入っておられるのですな」

「そうですとも。これまで一度たりとも欠かした年はございませぬ」


 遊び……磯島には最も似つかわしくない言葉です。それを否定することなく肯定するのですから、雁四郎の言葉通り磯島の数少ない娯楽のひとつなのです。


「時に恵姫様、今年も黒姫様は来られないのですか」


 遊びと言えば楽しい事大好き黒姫です。しかし黒姫の姿は見えません。


「仕方なかろう。間もなく田植えじゃからな。代掻きだの草取りだので夜明けから日暮れまで働いておる。今年は毘沙が居るゆえ多少は楽かもしれぬが、それでも体はクタクタになる。今頃は飯を食って眠っておろう」


 幼い時から黒姫はこの遊びに一度も加われませんでした。恵姫にとってもそれは残念な事なのです。さりとて日取りを決めるのはこの遊びを主導する磯島であり、そしてそれは毎年田植えの前後に執り行われていました。幼い頃から田や畑で土と草を遊び相手にしてきた黒姫には、加わる機会がなかったのです。


「まあよい。別の日に磯島抜きで黒と一緒に遊びに来れば良いのじゃからな。磯島のわざが見られぬのは残念ではあるが」

「黒姫様の業に比べれば、私の業など幼子の戯れのようなもの。わざわざお見せするようなものでもございません」


 自嘲気味な磯島の言葉。しかしその裏に潜む誇りのようなものを雁四郎は感じ取っていました。実際、雁四郎自身もこの遊びで磯島の見せる業には毎年感心させられていたのです。

 やがて微かにせせらぎの音が聞こえてきました。四人が向かっているのは川辺なのです。


「川の近くとなれば瀬津姫に用心せねばなりませぬな」

「大丈夫じゃ。人が多ければ瀬津とて無茶はするまい。見よ、大勢集まっておるではないか」

「こーい、こいこい」

「ほう、ほう、ほーい」


 夕闇の奥から聞こえてくる子供たちの掛け声。そしてその声から逃げるように青白い光たちが闇の中を舞っています。


「まあ、何度見ても美しい光でございますこと。ただ、今年も数が減っている様ですね。それだけが残念でございます。」


 磯島は手に持った提灯に覆いを掛けました。闇が濃くなって飛び交う光がより鮮明になります。皆、はぐれないように互いの帯を持ち合いました。


「不思議な虫でございますなあ。明滅し乱舞する光そのものが生きているように思われまする」

「大昔はこの光を不吉なものとして恐れていたようじゃ。確かに人魂の如き不気味さがあるからのう。愛で始めたのは平安の貴族たちじゃな。毎日美味い物を食ってお気楽な日々を過ごしておれば、人魂すらもみやびの対象になるようじゃのう」


 恵姫も平安の貴族とほとんど同じお気楽な日々であるのに、雅からほど遠い感性をしているのは如何なることであろう、と雁四郎思いました。思っただけで口には出しませんでした。いつもの事です。


「あ、磯島様だ」

「本当だ、みんな、磯島様が来たよ」

「磯島様、業を見せてください」


 数人の子らが集まって来ました。皆、先端だけ笹の葉が残っている竹を持っています。これに光を止まらせて捕らえるのです。


「分かっておりますよ。さあさあ、わらべたち、離れて離れて」


 磯島は覆いをした提灯を雁四郎に預けると扇子を手にしました。それまで賑やかだった子らは口を閉じ、闇の中に仄かに見える磯島の白い扇子を見詰めています。

 静まり返った草地には川のせせらぎだけが聞こえてきます。流れ行く川の水のように磯島は言葉を響かせました。


「蒸し暑き夜に虫集めよ、甘い水見て海女を見ず」


 それは何かの命令のように聞こえました。と、それまで乱れた軌跡を描いていた光が俄かに集まり始めました。


「虫集まれよ蒸し暑き夜、海女を見ずして甘い水」


 光は磯島の扇子目掛けて飛んでくるのです。やがて貼られた和紙が透けて見えるほどに光は扇子に集まりました。


「さあさあ、童たち。好きなだけお取りなさい」

「わあい!」


 子らは扇子に留まっている光をそっと掬い、腰に下げた籠へと入れていきます。その度に朧に浮かび上がる子らの手、顔、籠。それは五月の川辺で繰り返される遠い昔から続く懐かしい風景でありました。


「何度見ても不思議な気が致します、このような力を使われる磯島様を見るのは」

「そうじゃな。これも姫の力の現れ方のひとつなのじゃろう」

「姫の力のひとつ、でございますか。それは初めて聞きましたぞ」

「わらわも最近になって知ったのじゃ。おのこもおなごも生まれ落ちた時には誰でも力を持っておるらしい。その力ゆえに赤子は言葉を覚え、喋り、立ち、歩き、走ることができるようになる。だが、ほとんどの者は時と共にその力を失っていく」


 思いも寄らぬ恵姫の話に雁四郎は少々驚いてしまいました。興味があるのは魚の事ばかりだと思っていたのに、姫やその力についても一応学んではいるようです。


「ならば拙者もかつては力を持っておったのでしょうか」

「そうなるのう。ただしおのこの場合は例外なくその力を失うそうじゃ。おなごにしても力が残り続ける者は少ない。年と共にその力が増して行く者はもっと少ない。磯島は失いもせず、かと言ってわらわたち姫のように増すこともなく、恐らく生まれ落ちた時のままの力を今でも保っておるのじゃろうな。知っておろう、磯島の五器齧ごきかじり。隠してはいるが密かに手懐けておるのじゃ。これまで何度五器齧に泣かされた事か。あのような真似、姫の力がなくては到底不可能じゃ。おまけに磯島は忍びの如き振る舞いもする。虫の触角の如き敏感さでわらわの声や行動を察知しておるに違いない。それを考えれば今宵見せておる業など、お福が鳥を呼ぶ程度のものに過ぎぬわ」


 磯島はまたも扇子を高く掲げ飛び回る光を集めています。物心付いた時からこれまで毎年繰り返してきた磯島の遊び、そして唯一の慰め。


「さあさあ、恵姫様たちもお取りください。童たちに全て取られてしまいますよ」


 恵姫たち三人は虫籠の扉を開けると、その中に扇子の光を入れ始めました。光が無ければ何の変哲もないただの薄汚れた虫、なのに光を発すればその美しさに魅了され、誰もがそれを手に入れたくなる魔性のような虫……蛍。その一匹が不意に扇子を離れると、川辺の草むらへ飛んでいきます。


「……妙ですこと」


 業によって扇子に引き寄せられた蛍は二度と離れる事はないはずなのです。磯島はその蛍の後を追いました。


「磯島様、どこへ行かれるのです」


 雁四郎が声を掛けても磯島は返事をしません。そうして青白い光を追い、その光に追いついたと思ったら、光はかき消すように消え、そこには小刀が――ひどく古く、刃も欠け、赤錆に覆われた小刀が、誰かに見つけてもらうのを待ち続けてでもいたかのように、ひっそりと横たわっていたのでした。


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