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元禄・マジカル・プリンセス  作者: 沢田和早
第二十五話 かまきり しょうず
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螳螂生その五 もうひとつの意味

 地に伏した与太郎目掛けて、毘沙姫の左手に握られた菖蒲が振り下ろされようとした、まさにその時、


「ピイー!」


 甲高い鳴き声が聞こえたかと思うと、毘沙姫に向かって一羽の鳥が急降下してきました。


「むっ、何だ」


 驚いて鳥を振り払おうとする毘沙姫。しかしその鳥は執拗にまとわりついて離れようとしません。


「あれは……飛入助ぴいすけではないか」


 見れば二人から少し離れた中庭の隅に、お福が真っ青な顔をして立っていました。厳左同様、騒がしいのが気になって戻って来たのでしょう。


『そうか、与太郎の惨状を見るに見かねたお福が飛入助を呼んだのじゃな』


「こら、貴様、飛入助か。離れろ、くそ」


 さすがの毘沙姫も罪もない雀を邪険に扱うことはできないようです。仕留めようとはせず手で追い払うだけでした。地に伏している与太郎は、そんな光景をぼんやりと眺めていました。


「あれは……あの時のヒナだ」


 半月前、恵姫の命令で雨の中へ餌を探しに行った、あの時のヒナがもうこんなに大きくなり、飛入助という名まで貰っていたのでした。


「ピイピイ」


 それでも弱々しい雀には変わりありません。人とは比べようもないほどの小さな体で、何度手で払われようとも怯むことなく立ち向かっていく飛入助。その姿を見ている内に、与太郎は逃げてばかりの自分が恥ずかしくなってきました。


『この雀、ピイスケは僕を守ってくれているんだ。あの雨の日、餌を探してあげた事に恩義を感じて……』


「ええい、いい加減にせぬと怒るぞ」

「ピイイーー!」


 毘沙姫の振るった右手の風圧が飛入助を襲いました。飛行体勢を崩され回転しながら地面に落ちる飛入助。目でも回したのか翼をばたつかせて地の上でもがいています。


「雀といえど勝負の邪魔をする奴は許さぬ」


 菖蒲を持った毘沙姫の左手が上がりました。瞬間、与太郎の体は無意識の内に動いていました。


「やめろ! ピイスケに触るな!」


 無我夢中でした。自分が何をしたのか、腕は何をしたのか、足はどう動いたのか、手は何を掴んだのか、与太郎には一切分かりません。ただ飛入助を救いたい、その一心だけが与太郎の体を動かしたのです。


 静寂が与太郎を包みました。しばらくして笑い声が聞こえてきました。


「ははははは」


 毘沙姫が笑っています。与太郎は感じました。自分の体は何かの上に覆い被さっています。


『この柔らかさ、地面ではなく体、毘沙姫の体だ』


 目を開けた与太郎は心臓が止まりそうになりました。自分の顔が毘沙姫の胸の谷間に挟まれていたからです。


「与太郎、乳が好きだと聞いていたが本当だな。早くどけ」

「わわっ、ご、ごめんなさい」


 与太郎は慌てて身を起こすと毘沙姫の体から飛びのきました。遠くから雁四郎の声が聞こえてきます。


「与太郎殿、やりましたな、勝負に勝ちましたぞ」

「勝った、僕が?」


 与太郎に続いて身を起こした毘沙姫は左手の菖蒲を掲げました。真ん中から半分に折れています。


「おまえに押し倒された拍子に折れたようだ。初めてだ、菖蒲切りで負かされたのは」

「じゃあ、菖蒲切りは終わったんだ……」

「ああ、おまえの勝ちだ」


 与太郎の顔にようやく平穏が戻って来ました。思い掛けない終わり方でしたが、終わったことに変わりはありません。それもこれも小さい体で物怖じせず、毘沙姫に立ち向かった雀の飛入助のおかげです。


「そうだ、ピイスケは」


 傍らを見るとお福が立っていました。飛入助はその手に乗ってミミズを食べさせてもらっています。お福の表情を見る限りでは大丈夫のようです。


「ありがとう、ピイスケ、君のおかげで助かったよ」


 与太郎は命の恩人の飛入助に手を伸ばしました。頭を撫でようとしたのです。が、


「ピピッ!」

「いてて」


 飛入助は怒ったように与太郎の手を突くと、空へ舞い上がり飛んで行ってしまいました。与太郎の手に糞を残して。


「おかしいなあ、お礼を言おうとしただけなのに」

「怒っているのだ。お福に頼まれて助けたくもないおまえを仕方なく助けたのだからな。礼はお福に言っておけ」


 毘沙姫は立ち上がると与太郎の頭を叩いて歩いて行きます。先ほどまでの殺気はもうすっかり消え去っていました。


「与太郎の奴、お福ばかりか毘沙の乳まで狙っておったのか。油断も隙もあったものではないな」


 恵姫はすっかりおかんむりです。毘沙姫が笑いながら言いました。


「私の乳なら恵も思う存分触っただろう。母が恋しい時はいつも抱き付いていたではないか」

「こ、こりゃ、毘沙。そんな昔の話をするでない!」

「はははは」


 笑いながら玄関に向かう毘沙姫の背中に厳左が声を掛けました。


「ひとつ伺いたい毘沙姫様。お福が雀を呼ぶことを見越して与太郎殿と対していたのか」


 鋭い目付きで問う厳左に毘沙姫は何も答えませんでした。ただ口の端に笑みを浮かべただけで屋敷の玄関へ消えて行きました。

 代わって縁側には黒姫が顔を出しました。手には布で作った吹き流しを持っています。


「めぐちゃ~ん、鯛のぼりできたよ~、って、ちょっと、与太ちゃん、どうしたの、その格好。ボロ雑巾みたいになっているよ」


 毘沙姫にさんざん切りつけられた与太郎の姿はひどいものでした。ポロシャツもズボンも、もはや服とは言えないような有様です。与太郎は首をすくめて苦笑いをしました。



 こうして菖蒲切りは与太郎の勝利という形で一応の決着を見ました。幸いなことに与太郎の右手の傷は針で突いたような些細なもので、特別の手当ても必要ありませんでした。

 そしてその頃にはもう昼になっていたので、皆、座敷に戻り端午の節供の御馳走を楽しみました。つましい暮らしを送る厳左の持て成しは、お世辞にも豪勢とは言えないものですが、それでも集まった七人は大いに食べ、愉快に飲み、陽気にお喋りを楽しみました。


「さあ、鯛のぼりを掲げようぞ!」


 腹が膨れた恵姫はさっそく中庭に出ました。手に持っているのは黒姫お手製の鯛のぼり。これに恵姫が墨と朱墨で鯛の絵を描いたものです。


「雁四郎、よろしく頼むぞ」

 鯛のぼりを手渡された雁四郎は屋敷で一番長い竿に括り付け、武者絵の幟の横に立てました。

「おお、見事じゃ!」


 鯛のぼりが風にはためいています。庭に出て来た七人は恵姫同様満足顔でした。ただ与太郎だけはやや複雑な面持ちで眺めています。自分の時代の鯉のぼりとは少し趣が違うのでしょう。


「与太郎殿、これを見るがいい」


 厳左が声を掛けてきました。差し出された手の平には小さい子蟷螂が乗っています。


「これはカマキリですね。小さいや。生まれたばかりなのかな」

「蟷螂の斧という諺をご存知か」

「はい。身の程をわきまえず力の強い者に立ち向かう事……さっきの僕がそうだったと言いたいのでしょう」


「うむ。だがもうひとつの意味もある。勝ち目のない車に向かって鎌を振り上げた蟷螂を見て、その車に乗る将はこう言ったのだ。『これが人ならば天下を取るであろう』と。そして将は蟷螂を避けて車を走らせた。これを聞いた武人たちはそのような将ならば死力を尽くしても良いと悟ったのだ。与太郎殿、そなたが毘沙姫様に菖蒲切りを挑んだ時、その心にあったのは傲慢と驕りであった。それでは決して勝つことはできなかったであろう。しかし飛入助を助けるために挑んだ時、そなたの心には何があった。己が弱いと知りつつも立ち向かった時、ほんの僅かだが勝機が芽生えたのだ。だから勝てた。そうではないか。驕りだけで立ち向かう蟷螂と己の弱さを知りつつ立ち向かう蟷螂、見た目には同じだがその心は全く相容れぬ別物だ。与太郎殿、今日、毘沙姫様から学んだ教え、忘れぬようにな」


「は、はい、厳左さん」


「見よ、見よ、鯛のぼりが気持ちよさそうに空を泳いでおるではないか。墨で描いたのは黒鯛、朱で描いたのは赤鯛じゃ。来年はもっと大きな鯛のぼりを揚げようぞ。再来年もその後も、志麻の国の空を鯛のぼりで埋め尽くすのじゃ!」


 空を泳ぐ鯛のぼりに狂喜乱舞する恵姫。一緒に喜ぶ黒姫。少々呆れ顔の雁四郎。にこにこ顔のお福、縁側に戻って酒を飲む毘沙姫、そして腕組みをして五月の空を見上げる厳左。端午の節供の今日、ここに来られて本当に良かったとしみじみ思う与太郎ではありました。


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