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元禄・マジカル・プリンセス  作者: 沢田和早
第三話 うお こおりをいずる
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魚上氷その二 お福の湯呑

「なんじゃ、お福か」


 縁側に座っている人物の正体が分かって、恵姫は胸を撫で下ろしました。そして、今夜、控えの間に詰める女中はお福であるという、磯島の言葉を思い出したのでした。


『座敷にわらわが居らぬので、心配になって縁側に出たのだな。うむ、お福ならば何とでも言い訳できる』


 恵姫は襷掛けを解き、足袋と草鞋を履くと縁側に戻りました。そして殊更平静を装ってお福に話し掛けました。


「もしかして、そなた、どうしてこんな時間に池の端で、わらわが袖をまくり裸足になっていたのか、不思議に思っているのではあるまいな」


 お福はきょとんとした顔をしたまま座っています。恵姫は続けました。


「べ、別に池の魚に悪さしようとか、捕って食ってやろうとか、そんな事を考えていたのではないぞ。ほれ、今日は雨で一日屋敷の中に居ったであろう。体がにぶってな。雨も止んだので外に出たところ、転んでしまって、手と足袋が泥に汚れて、それで池で洗っておったのじゃ。ああ、心配せずともよい。大した汚れではないし怪我もなかったからな。さあ、暗くなってきたし、座敷に戻ろうではないか」


 語るに落ちるとはまさにこの事。常人ならば恵姫の計画は簡単に看破してしまうのでしょうが、疑う事を知らぬお福は素直に恵姫の言葉を信じたようでした。さっさと座敷に上がる恵姫の後に付いて、中に入ってきました。大きく安堵の息を吐く恵姫。


『やれやれ、なんとか誤魔化せたようじゃな。今夜の控え女中がお福で助かったわい。それにしても腹が減ったのう。すっかり魚を食う気分になっておったのに、ご破算にされるとは……まるで目の前から餌を取り上げられた野良猫のような心持ちじゃ』


 このまま眠ることなど到底出来そうにありません。恵姫は火鉢のそばに寄ると、空きっ腹を撫でながら、さてどうしたものかと考えるのでした。


「ん、どうした、お福」


 お福が何かを差し出しています。手に乗せた和紙の上には、行燈の灯りに照らされた黄色く丸いもの。


「ほう、うぐいす餅か」


 お福はこくりと頷きました。ひもじそうに腹を撫でる恵姫を哀れに思ったのでしょう。


「じゃが、これはそなたの夜食であろう」


 またもお福は頷きました。控えの女中は恵姫より遅く寝て、恵姫より早く起きねばなりません。また、夜中に恵姫に起こされ、様々な雑用をこなす時もあります。そのため、控えの女中には夜食が支給されているのでした。お福はそれを差し出したのです。


「そなたの夜食ならばそなたが食べよ。わらわに気を遣う必要はない」


 さすがの恵姫も女中の夜食を取り上げるような真似は出来ません。けれどもお福は首を横に振って、引っ込めようとはしませんでした。いじらしい程の奉仕の心です。こうまでされてそれを受けぬのは、かえって失礼に当たるというものです。


「分かった、では半分こにしようぞ」


 恵姫はうぐいす餅を手に取ると、それを半分に千切って、和紙の上に置きました。


「餅を食うとなると、茶も欲しいな。いや、茶では目が覚めてしまうな。白湯で我慢するとしよう」


 恵姫は座敷の物入れの中をガサコソと探し始めました。


「え~っと、土瓶と、わらわの湯呑と。お福の湯呑は、おお、これがいい」


 水差しの水を土瓶に入れて火鉢の五徳に掛ける恵姫。お福は手伝おうとしますが、テキパキと作業をこなす恵姫を前にして、ただおたおたするだけです。やがて土瓶から湯気が立ちのぼってきました。


「ふむ、では、いただこうかのう」


 そう言うや、半分に千切ったうぐいす餅を一口で食べてしまう恵姫。


「もっと味わって食べられませ」


 もし口が利けたなら、お福はきっとこう言ったことでしょう。クチャクチャと口を動かす恵姫を楽しそうに眺めながら、お福は小さな口で少しずつうぐいす餅を食べました。


「ほれ、お福、白湯じゃ」


 恵姫はお福に湯呑を差し出しました。白地の陶器におかめの絵柄が描かれています。受け取ったお福の顔が綻びました。


「どうじゃ、目出度かろう。お福はおかめのようにいつも笑っておろう。この湯呑がお誂え向きだと思うてな」


 そう言う恵姫の湯呑は、海女小屋に置いてあるのと同じく赤鯛の絵柄です。これは単純に、恵姫の大好物が鯛の刺身であるという理由からでした。


「これからお福が控えに詰める時は、ここに来て一緒に茶を飲んだり、菓子を食ったりしようぞ。その時、この湯呑を使うがよい」


 お福は目を丸くしました。思いも掛けない言葉だったのでしょう。それから湯呑を置いて深々と頭を下げました。よろしくお願いします、そう言っているようでした。


 それから二人は白湯を飲みながらお喋りに興じました。お喋りと言ってもお福は口が利けないので、ただひたすら恵姫が喋るだけです。もっぱらの話題は昨日、春の野で行われた七草摘みに関するものです。


「まったくのう、わらわも毎年、野に出て七草を摘んでおるのじゃが、この年になってもさっぱり草の区別がつかぬのじゃ。昨日もな、『おお、磯島、来てみよ。こんな所にセリが沢山生えておるぞ』と言ったら、『それはドクゼリでございます。食べれば死にますよ。もっとも姫様なら腹痛だけで済むかもしれませんが』と言われてな。それでも頑張って探していたら今度はホトケノザが見つかった。せっせと摘んでおったら、『それは紫蘇の仲間のホトケノザです。不味くて構わないのであれば姫様の粥にだけ入れて差し上げますよ』と言われる始末。そこで、今度は慎重に一本一本じっくり吟味。『むっ、これはハコベにしては葉が大きい。よし、捨てよう』と摘んだ草を捨てたら、『それはウシハコベです。食べられますから捨てないでください』と言われ、もうな、何が良くて何が悪いのか、次第に分からなくなってしまったわい。それに比べてお福はきちんと摘んでおったようじゃな。磯島が褒めておったぞ」


 一方的に話す恵姫に、無言で頷くだけのお福。話をしていてこんなに楽しい相手は他にはいないだろうと恵姫は思いました。返事も相槌もないのですが、真剣に聞いていてくれる、ただそれだけで嬉しいのです。恵姫は湯呑の白湯を飲み干すと、ほっと息を吐きました。


「お福は良きおなごじゃのう。器量も良いし心根も優しい。わらわと違って誰にでも好かれる良き嫁になれるじゃろう」


 お福は慌てて首を横に振りました。滅相もない、そう言っているようです。


「お世辞ではないぞ。本心からそう言っておるのじゃ。もし、わしがおのこなら、間違いなくお福を嫁に貰っておる」


 その時、ジジジと音を立てて、行燈の灯が暗くなりました。


「油が尽きたか。菜種油も高価じゃからな、わざと小さい火皿を使うておる。油が尽きたら寝よというわけじゃ。お福、今夜は遅くまで付き合わせてしまったな。昼の仕事で疲れておるじゃろう。これでお喋りは仕舞いじゃ。控えの間に戻るがよいぞ。もっともわらわと寝所を共にしたいのなら、相手にしてやらぬこともないが」


 お福は頭を下げると、そそくさと控えの間に戻って行きました。


「相変わらず初心な娘じゃのう、ふあ~」


 大きな欠伸をする恵姫。火鉢の炭を灰に埋め、湯呑と土瓶を片付けると、恵姫は夜具を体に掛けました。お福のおかげで、ようやく心地よい眠りに就けそうです。



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