紅花栄その五 飛入助
毘沙姫の予想通り、次郎吉と雀の意志疎通に成功した黒姫。さっそく恵姫が問いただします。
「それで、この阿呆雀は何と言っておるのじゃ」
「えっとね、『おいらは阿呆雀じゃありません。母ちゃんに付けてもらったピイスケという名があるんです』って言っているよ」
「な、なんじゃと、名があるじゃと!」
これは意外な事実でした。まさか鳥に名があり、しかも母鳥が名付けたなど信じられるものではありません。
「嘘を言うでない、この馬鹿雀が」
「めぐちゃん、これは嘘じゃないよ。鼠の次郎吉って名もあたしが付けたんじゃなくて、最初から『拙者次郎吉と申し候』って言っていたんだから。あたしたちが知らないだけで、みんな名を持っているんだよ」
これまた意外な事実でした。しかし黒姫が言うのですから本当なのでしょう。恵姫は考えを改めました。
「そうか、分かった。ならばこれからは『飛び入り助』と書いて飛入助と呼ぶことにしようぞ」
「飛入助か。心得た」
「飛入助ね。良い名じゃないですかあ~」
「……!」
お福も飛入助の名を聞いて喜んでいるようです。
「では飛入助よ、ひとつ言いたい事がある。お主の乱暴狼藉、許しがたいものがあるぞ。手の平に糞を垂れる、頭を踏みつける、耳を突く、首筋でごそごそする。育ての親であるわらわに対してこの振る舞いは何事ぞ。恩を仇で返すつもりか」
恵姫の言葉を次郎吉に伝える黒姫。獣に意志を伝える事は黒姫にしかできません。そして次郎吉はその言葉を飛入助に伝え、飛入助から返事を受け取り、また黒姫に伝えます。
「うん、分かったよ。えっとね『恵姫様はおいらを時々いじめるからです。翼を無理やり広げられて痛かったです。もうあんな事はしないと約束してくれればおいらもしません。それからおいらは興奮すると糞をしてしまうので、それはどうしようもありません』って言っているよ。めぐちゃん、飛入助をいじめちゃ駄目だよ、めっ!」
予想だにしなかった飛入助からの逆襲を受け、面食らう恵姫です。
「ち、違うのじゃ。あれはいじめたのではなく、子の悪戯に対する母としての当然のお仕置き……」
ここで恵姫は刺すような視線を感じました。お福です。咎めるような目付きでこちらをじっと凝視しているのです。
『いかん、ここでお福を怒らせると何かと面倒じゃ』
恵姫は大きく咳ばらいをすると黒姫に向かって言いました。
「おっほん。なるほど飛入助の言い分にも一理ある。ならばこれからはお仕置きをする時は黒と次郎吉を介しての説教という形にしようぞ。これならば良いであろう」
「『それならいいよ』だって」
黒姫の通訳もだんだん手抜きになってきているようです。一段落したところで恵姫は本日最大の案件を黒姫に提示しました。
「さて、ここからが本題じゃ。飛入助よ、お主はいつまでわらわたちに餌をねだるのじゃ。それだけ大きくなればもはや子雀ではなく立派な大人雀。巣立ちの後は己の食べる飯は己の力だけで獲得するのが当たり前じゃ。にもかかわらずヒナの時と同様に餌を求めるお主の怠慢、これは到底許せるものではないぞ。今日からその態度を即刻改め、己の力で餌を取るようにせよ」
黒姫から受け取った言葉を飛入助に伝える次郎吉。向かい合ったままの一羽と一匹。動きはありません。今回はかなり長い時間が掛かっています。痺れを切らした恵姫がもう一言何か言おうとした時、黒姫が答えました。
「はい、受け取ったよ。えっとね『母ちゃんが触れていない物は、食べられるかどうか分からないから口にするなって言われました。だから、誰かの手が触れていない物は、どんなに美味しそうでも食べられません。もし食べてしまったら母ちゃんの言い付けに背くことになるからです』だって」
これもまた予想していなかった、そして極めて筋の通った返答でした。餌を取らないのではなく、餌を取りたくても取れなかったのです。それもこれも母雀の教えを守り続けるためでした。そしてその気持ちは恵姫には痛いほどによく分かりました。恵姫自身もまた亡き母の言い付けを守り続けているからです。
「どうする、めぐちゃん」
黒姫に尋ねられても恵姫にはいい解決策が思い浮かびませんでした。飛入助の母である雀を連れてきて、言い付けを撤回させるのが唯一の解決策でしょう。しかし母雀がどこに居るのか見当も付きません。あるいは飛入助の兄弟と同じように蛇に食べられたか、鷹や梟に襲われたかして、既にこの世に居ないのかもしれないのです。
「飛入助よ、そなたの気持ちはよく分かった。じゃがな、その教えはお主がヒナの時だけに当てはまる教えじゃ。そこまで大きくなればお主の母も以前の教えとは違う教えをお主に与えるはず。つまり、己の餌は己の力で探せと教えるはずじゃ。それで納得できぬか?」
「『母ちゃんから直接聞かなくちゃ、納得できません』だって」
すっかり困ってしまった恵姫。黒姫も毘沙姫も打つ手がないという感じです。と、
「ん、何、お福ちゃん、叩いて欲しいの?」
小槌を持った黒姫の右手をお福が引っ張っています。頭を叩いて欲しいようです。黒姫は理由がわからないままにお福の頭を叩きました。
「コツン!」
お福は飛入助を乗せた左手を顔の前に持って来ました。じっと見詰め合う飛入助とお福。飛入助は時々羽ばたいたり、ピーピー鳴いたりしています。そんな二人の様子を黒姫は信じられないという顔をして見ていました。
「まさか、お福ちゃん、飛入助と話を……でも、そんな事……」
いきなりお福が中指で飛入助の小さな額を弾きました。そして右手を空に差し上げると高い声を出します。
「チッ、チッ」
一羽の雀が飛んで来てお福の右手に乗りました。親雀ではなく巣立ったばかりの子雀のようです。両手を近付け二羽を向き合わせるお福。飛入助と飛んできた子雀は囀りながら何やら言葉を交わしているように見えます。が、幾ばくも経たぬうちに二羽は空へ向けて飛び立ちました。鳴き合いながら空を舞い、やがて遠くへと飛んでいきました。
二羽を見送っていたお福はその姿が見えなくなると、恵姫と黒姫に向かって深く頭を下げました。
「これは……お福、万事うまく行ったのか」
恵姫の問いに頷くお福。どうやら仲間の雀を呼ぶことで飛入助を納得させられたようです。
「なるほどのう。一人ではなく友が居れば、飛入助も敢えて人と関わろうとはせぬであろうしな。うむ、お福、よくやったぞ」
恵姫に褒められて嬉しそうに微笑むお福。そのお福を見て微笑む恵姫。これでようやくピーピー声から解放されるのです。二人とも仮親の役目を終えることができてほっと一息といった気分でした。一方、黒姫はお福の隠された力を見せつけられて少し興奮しています。
「でも凄いよ、お福ちゃん。あの雀と直接話せるなんて。どうしてそんな事ができるの。いつからできるようになったの」
お福は首を傾げています。自分でも分からないのかもしれません。
「布の言った通りだ」
それまで黙って見ていた毘沙姫が重々しい声で言いました。
「あいつ、伊瀬でお福を初めて見たと言っていたが、一目でこの姫の本質を見抜いたのか。恵、黒、お福についてこれ以上知る必要はない。知る時が来ない方がいいのだ。お福はこのままのお福で居るのが一番だ」
「毘沙よ、それはどういう意味じゃ」
恵姫の問い掛けに毘沙姫は答えようとはしませんでした。ただ黙って、開いたばかりの紅花が風に揺れるのを眺めているばかりでした。




