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元禄・マジカル・プリンセス  作者: 沢田和早
第一話 はるかぜ こおりをとく
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東風解凍その一 穴の亀

 

 昼間と言っても師走の海辺はひどく寒々としておりました。


 海辺に広がる砂浜はとても狭くて、岩場と切り立った崖に囲まれています。その猫の額のような砂浜に穴が開いていました。不思議なことに穴の中からは、規則正しく砂が吹き上がっています。まるで何かが穴の中にいて、砂をかき上げているみたいです。


 その何かは、亀でした。


 穴の中では大きなウミガメが一匹、前足を懸命に動かして穴からの脱出を試みているのです。しかし、穴は結構深く、ウミガメの体は結構重く、穴の砂は結構崩れやすく、この三つの悪条件が重なったことにより、ウミガメの脱出行動はまったくの徒労になっていました。

 傍から見れば滑稽にも思われるジタバタ足掻き、けれども当のウミガメにとってみれば、このまま穴の中でじっとしていては干からびて死ぬ危険さえあるのですから、徒労と分かっていてもジタバタしないわけにはいかないのです。それはもう動物の本能とでも言うべきものでしょう。

 こんな状態ですから、砂浜に開いた穴からは、絶えることなく砂がザッザッと吹き上がり続けているのでした。


「なんともトボケた亀よのう」


 砂が吹き上がり続けている穴のそばに、いつの間に来たのでしょうか、一人の少女が立っていました。立派な身なりです。綿入りの小袖を三枚も重ね着しています。その小袖も胴を締める帯も、明らかに一般庶民とは違う上質なもの。これで友禅染の色打掛でも羽織れば、立派なお姫様の出来上がりといった風情です。


「何が楽しくて師走の砂浜なんぞに這い上がって来たのかのう。産卵にはまだまだ早すぎるであろうに。しかもこんな穴に落ち込むとは、そそっかしいにも程があるぞ。ホレ、なんとか言ってみよ」


 何とか言ってみよと言われても無理です。亀には発声器官などないのですし、あったとしても人間の言葉なんぞ喋れないのですから。


「おや、まるで自分は悪くないとでも言いたいばかりの面構えじゃな。もしや最初は穴なんぞ開いてはおらず、お主がここに来たら突然穴が開いて落ちてしまったとでも言うのか。ならば落とし穴を作った犯人を捜さねばならんのう。どちらにしてもこのままでは埒が明かぬな」


 ウミガメの返答なんぞ最初から期待していないとばかりに、少女は一方的に言いたてると、穴のそばにしゃがみこみました。背中でひとつに束ねた長く艶のある黒髪は、今にも砂に届きそうです。そうしてウミガメの近くに寄ると、ふっくらとした両手を穴の中へと差し伸べました。まるでウミガメを助けてあげようとしているみたいに。


「ホレホレ頑張れ、頑張れ。このままでは干からびて死んでしまうぞ。ホレホレ」


 そう言いながら差し伸べた両手をパンパンと打ち始めました。どうやら助けるのではなく声援を送るだけのようです。優しそうに見えて、意外と放任主義なのかもしれません。

 少女の声援を受けてもウミガメはまったく変化なしです。人間の言葉が分からないのですから無理もありません。これまでと同じようにジタバタするばかりです。

 ウミガメに頑張ろうという様子が見られないので、少女はすぐに手を叩くのをやめてしまいました。それでもしばらくは穴のそばにしゃがんだまま、足掻き続けるウミガメを眺めていましたが、


「ふあ~」


 と大きな欠伸をすると、のっそりと立ち上がりました。


「仕方ないのう。わらわが助けてやるとするか」


 言うが早いか懐から白い紐を取り出し、袖を襷がけにして再び穴のそばにしゃがみこみました。そして両手でウミガメの甲羅を掴むと、


「ふん!」


 と、力を込めて抱え上げようとしたのです。


「ふん、ふん!」


 少女は頑張りました。白い頬を紅潮させ、指が震えるぐらいに手を強張らせ、両足を砂浜にめり込ませて、ウミガメを持ち上げようとしました。しかし、ウミガメはびくともしません。それもそのはずです。ウミガメは相当大きく、恐らくは少女と同程度の体重、もしかしたらそれ以上の重さがありそうな巨大さだったからです。


「なんと重い亀じゃ。何を食ってこれほどに成長したのじゃ、まったく」


 少女はウミガメを放しました。自分の腕力で穴から引っ張り出すのは到底不可能だと悟ったのです。さりとて簡単に引き下がるような性格でもありません。


「こうなれば……」


 少女は襷がけの紐を解くと、今度は海を眺めました。


「今日の海は、淑やかじゃのう」


 顔を海に向けたまま、少女は後ずさりを始めました。海からもウミガメの落ちた穴からも遠ざかっていきます。そして砂浜が終わり崖へと続く岩場の上に立つと、目を閉じ、両手を静かに掲げ始めました。手の甲を上にして、水平にして、海を支配しようとするかのように、ゆっくりと、厳かに。

 同時に背中に束ねた黒髪一本一本の先端が青く発光し始めました。黒髪は扇形に広がり、その先端は空を目指して上昇していきます。少女は大きく深く息を吸いました。止めて、吐いて、また吸って……

 不意に閉じていた両目と口が開かれました。


「満ちよ!」


 少女の口から発せられたのは言葉でも声でもなく、何かの音、この世ならざる場所から響いてくる自然のどよめきにも思われました。いや、確かにどよめいていました。静かだった海面が急に盛り上がり、海辺へと押し寄せて来たのです。

 見る見るうちに砂浜は波に覆われ、穴に落ち込んでいたウミガメの姿も見えなくなりました。が、ウミガメはすぐに海面に浮かび上がり、ジタバタするだけだった前足は、ようやく海水を掻くという、本来の動作ができるようになったのです。


「ふっ……」


 少女は小さく息を漏らしました。同時に砂浜を覆っていた海水は、どこかに開いた穴にでも吸い込まれるようにその水位を下げていき、やがて辺りは先程とすっかり同じ、いつもの穏やかな砂浜に戻りました。


「やはり、力が落ちておるのう」


 少女は自分の両手を眺めながら、力のない声でそう言いました。眉間にも若干の皺が浮かび上がっています。

 けれどもそんな元気のない様子もほんの一瞬でしかありませんでした。無事に穴から浮かび上がり体の向きも一八〇度反転して、今では海に向かって地道に進み始めているウミガメの姿を観た途端、少女は岩から飛び降りて、波打ち際に向かって駆け出しました。


「どうじゃ、助けてやったぞ」


 海に向かって前進するウミガメの甲羅をポンポン叩きながら、少女は得意げに話し掛けました。


「コレコレ、命の恩人に対して、何の礼もせずに海に戻ろうとしておるのか。無礼であるぞ。礼を目当てに助けたわけでもないが、感謝の言葉もなく立ち去ろうとは、無作法に過ぎるのではないか。まあ、そなたは亀じゃから、礼の言葉など喋れるはずもないし、さりとて金品を用意するのはもっと無理じゃろう。と、なれば、そうじゃな、竜宮城へ連れて行ってくれぬか。一度、乙姫殿に会ってみたいと思っておったのじゃ。ああ、土産の玉手箱は必要ない。御馳走を食わせてくれるだけで十分じゃ。どうじゃ、それぐらいのことはしてくれても罰は当たらんじゃろう」


 思い通りに事が進んで上機嫌の少女は、先程とは打って変わって饒舌になっています。一方、ウミガメはと言うと、少女の言葉など聞く耳持たぬとばかりに、一直線に海に向かって進んでいきます。

 やがてその体は海に浸かり、波に乗り、沖へと流されていきました。


「ヤレヤレ、昔話の浦島殿のようにはいかぬものじゃな」


 砂浜に一人取り残された少女は、僅かな寂しさを感じていました。それでもその顔には満足そうな表情が浮かんでいたのです。時折、沖から吹いてくる東風に前髪をなびかせながら、少女はウミガメの消えていった師走の海をしばらく眺めていました。




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