綺麗な空
少年は小さなお墓の前で泣いていた。
「何で…何でボクを置いてどっか行っちゃうんだよぉ。お父さん、お母さん…お兄ちゃん」
少年とその家族は、外食をして車に乗って帰っているところだった。居眠り運転をしていたトラックが突っ込んで来て、事故が起きた。そして、奇跡的に擦り傷だけの怪我で済んだ少年を遺して皆死んでしまった。皮肉にも、その日は少年の誕生日だった。
葬式に来ていた人が、「可哀相に」や「元気出して」等を口々に言っていた。だが、それらは少年の心に届かなかった。
『カワイソウって、なに?ボクはその、カワイソウなの?』 『ゲンキってなに?あなたは、ボクにどうしてほしいの?』
少年は、1人になってしまった。
「お父さん、お母さん。ボク、寂しいよぉ……お兄ちゃん…」
もう家には自分しかいない。昼間はおじさんやおばさんがいたけど、夜はずっと独りぼっちだった。
怖くなって、何度も目が覚める。誰もいない、とても寂しい暗闇。怖くて、怖くて、とても怖くて、少年は眠ることができなかった。
部屋の電気を点ける。そうしたことで暗闇の寂しさから少しだけ逃れられた少年は、そのまま浅い眠りについた。
あれから更に数日が過ぎた。外には梅雨の雨が降り続いている。
まるで、少年の心の中のように。
今日は、遠くに住んでいる母方の祖父母が来ていた。
祖父はは少年に言う。「1人では何もできんだろうから、この店を売って、家に来なさい。皆待ってるから」と。
少年は、いつも優しい祖父が魔物のように怖く見えた。
全てが無くなってしまいそうだったから。
だから、兄と頑張って練習をして乗れるようになった、父と母が買ってくれたカッコいいマウンテンバイクに乗って、家から飛び出した。
皆で住んでいたあの家を、そこにある思い出を、壊されたくなかった。
―――嫌だ!いやだ!イヤだ!イヤダ!イヤダ!!
雨に打たれ、濡れた地面に転び、全てを失う恐怖心に煽られながら、それでも少年は逃げるために自転車に乗る。
町の外れにある、あまり人が来ない丘で、とうとう力尽き、少年は動けなくなってしまった。
徐々に激しくなっていく雨に打たれ、朦朧とする意識の中で、なんとなくだが自分という存在が消えていくような気がした。
「おい。坊主、起きろ」
声をかけられた。まだ眠く、重たい瞼を渋々開ける。そこには、1人の青年が立っていた。
「お兄ちゃん、だぁれ?」
「特に決まった名前はないが……志苑。空井志苑だ」
「じゃぁ、シオン兄ちゃんだね」
「むぅ。シオン兄ちゃん…なかなかいいかもしれんな」
……弟属性が追加されそうだ。
「坊主、お前の名前は何だ?」
「ボク?…前野雄助ってゆーんだよ」
少年――雄助は、自分の自転車がないことに気付いた。でも、今はそんなことどうでもよかった。
「シオン兄ちゃんはどうしてここにいるの?」
「俺か?俺は…何でだろうな」
志苑は苦笑いをしながら言う。
「強いて言うなら、きっとお前のためだよ」
「ボクのため?」
「そうだ」
本当なら、《今は》と言う言葉を付けなくてはならないのだが、雄助にとってはまったく関係のない話だから、止めた。
「合わせたい人たちがいるんだ」
そう言って、後ろに下がる志苑。いつの間にか、雨が止んでいた。
そして、志苑とは別の方向から声が聞こえてきた。
「雄助。元気に遊んでるか?」
そこにあったのは、雄助の父の姿だった。
「お父…さん。おとうさぁん!!」
泣きながら父に抱き付く。
「男の子が泣くなんてカッコ悪いぞ、雄助」
「ねぇ、お父さん。お母さんとお兄ちゃんはどこにいるの?」
「あら、私達の心配もしてくれてるのね。何だか嬉しいわ」
「親父、一人占めはずるいぞ」
いつの間にか、母と、大好きな兄の姿がそこにあった。
きっと、今までのは夢だったんだ。悪い夢を見ていたんだ。
雄助はそう思って、とびきりの笑顔をむけた。
晴れ渡っている丘で兄や父、母とたくさん遊び、楽しく話し合った。
「それでねぇ、お母さん。ボクね、とっても怖い夢を見たの。お父さんとお母さんとお兄ちゃんがみんないなくなっちゃう夢だったんだよ!」
心なしか、3人の顔に悲しみの感情がうつった。だが、すぐに消える。
「でも、よかったぁ。だって、とっても怖くてて寂しい夢だったんだったんだもん」
雄助は気付かなかった。雄助以外の4人が、どこか悲しそうに見えたことに。
「すいませんが、あまり時間が……」
「…分かっています。空井さん、ご協力いただいてありがとうございます。もう、充分です」
紫苑と母が何か話している。
「では、お父さんから」
やがて、晴れていた空は再び曇り、雨が降り始める。
「雄助、自分のやりたいことは最後までやり通せよ」
「お父さん?」
何を言っているのか分からなかった。
「でも、無理しすぎちゃダメよ」
「これからつらいことがあるだろうけど…負けるなよ」
母や兄が、何を言っているのか理解できなかった。したくなかった。
だが、目の前にある権実は、嫌でも見えてしまう。目を閉じたかった。でも、閉じれなかった。
「元気でな、雄助」
「無理し過ぎないでね」
「負けるなよ」
バイバイ、雄助
そう最後に言い残して、3人は消えてしまった。
―――何でみんなボクの前から消えちゃうの!?待って、イカナイデ……
「そっか…これも、夢なんだ。だからみんな消えちゃうんだ」
雨はさらに強く降る。もう、ほかに何も見えないほどの、激しい雨。
この夢が覚めれば、全部元に戻る。雄助はそう思っていた。
朝起きれば、ご飯を作っているお母さんがいて、新聞を読んでいるお父さんがいて、遅刻しそうでドタバタしているお兄ちゃんがいる………そんないつもの光景を
「逃げるな。お前は、全てを無駄に終わらせる気か?」
空井志苑に、否定された。
「お前の両親と兄がどんな思いでここに来たかわかるか?」
志苑はそのまま言葉を続ける。
「お前が落ち込んでいるのを見ていられなくて、無理をしてまでお前を励まそうと会いに来たんだ」
「だから、これも夢なんでしょ!?だから消えちゃったんだ!!」
「いいかげんにしろ!!」
志苑は、いつまでも前を見ようとしない雄助に怒鳴った。
「いいか、お前はまだ子どもだ。だから、大切なものを失う哀しみは特に大きいのかもしれない。誰だってそうだ」
志苑の声の他には雨音しか聞こえない。とても静かだった。
「だがな、それではお前の大切なものは絶対に守れない……少し難しかったか?」
もう声からは厳しさが無くなっていた。あるのは、優しさだけ。
涙を拭きながら、大きく2回頷いた。
「…大事なものを守るには、とても頑張らなくちゃいけないってことだ」
もう、泣いていない。それを示すように、涙目で志苑を見つめてから大きく頷いた。これは理解できたらしい。
「守りたいものは自分の全てを賭けてでも守れ。…これが俺の言えることか。そうだ、これをやろう」
自分の指にしていた指輪を外し、雄助に渡す。
指にしてみたが、まだ指が小さかったらしく、ぶかぶかだった。
「おっと。この指輪はまだお前には大きかったな」
志苑はどこからか取り出したチェーンに指輪を通し、雄助の首にかけた。
「俺の大切な指輪だ。きっとお前を守ってくれる」
雨は止み、再び太陽が顔を出す。そこには、澄み渡っている空があった。
「いいの?」
「ああ。オレが持っているよりお前が持っていたほうがよさそうだしな」
優しい、そしてどこか哀しそうな目をして言う志苑。
「どうしたの、シオン兄ちゃん?」
「いや、何でもないよ。さあ、もう時間だ。どうしても助けが必要なときに、その指輪に強く念じてごらん。きっと、助けになるから」
何が?と聞こうとしたところで、周りに霧がかかったかのように白く霞んできた。
「じゃあな、雄助。縁があれば、また会おう」
志苑の最後の一言を聞いたあと、意識がゆっくりと浮上していった。
「あれ?シオン兄ちゃん?」
雄助は、いつも通りに布団の中に眠っていた。
やはり、あれは夢だったのかと思い、少しだけがっかりした。
ふと、首に少しだけ違和感があるのに気付いた。そこには、志苑から貰った指輪が、夢の中の状態で首にかかっていた。
「シオン兄ちゃん!?」
家の中を探してみる。鍵は全部しまっていた。あれだけ雨に濡れたはずなのに、どこも濡れてなかった。カレンダーの日付は…志苑と話した日になっている
――ピーンポーン
インターホンがなった。誰だろうと思いながらドアを開ける。
そこにはあの時と同じように祖父母が立っていた。
「雄助、遊びにきたぞ」
あのときと同じ言葉を言われるかもしれないという恐怖が少しだけあった。
「ゆうちゃん、ご飯にしましょ。お腹すいたでしょう」
祖母は台所に行って調理を始める。野菜を切るリズミカルな音が聞こえてきた。
「雄助はわしと待ってようか」
2人は食卓のあるところまで行き、料理ができるまでの間、たくさん話をした。
少しして、祖母が料理を運んできた。ちなみに、白米と目玉焼き、それとキャベツの千切りに和風ドレッシングをかけた簡単なものだった。
「雄助、話があるんじゃが」
祖父が真剣な表情で話しかけてきた。
「お前はまだ小さい。1人で生活するにはまだ無理があるじゃろう。じゃから、わしらと一緒に暮らさんか?」
あの時と似たようなことを言った。
もし、志苑に会わなければ、また逃げ出していたかもしれない。だけど、雄助は変わった。変わることができた。
父や母、兄、そして…志苑と約束をしたときから。
あの指輪をにぎりしめながら、祖父に返事をする。
「おじいちゃん。ボク、ここてがんばるよ。一人じゃ難しいから、助けてもらいながら少しずつ覚えてく」
2人とも驚いていた。そして、喜びも含まれている。
「とっても大変じゃが、大丈夫か?」
「うん!」
そうかそうか、と祖父母は満足そうに頷く。
「ごちそうさま!ボク、ちょっと遊んでくるね」
急いで残っていたキャベツを食べ、外に出た。
一つだけ探していない場所があったのを思い出したのだ。
「いってきま〜す!」
勢いよく自転車をこぎだす。目指すは、あの丘。
時間が少しかかったが、迷わず着くことができた。
丘には、温かい風が耐えず吹いている。
「志苑兄ちゃん……」
やはり、誰もいなかった。だが、ここであったことは1つ1つ鮮明に覚えている。
彼ら交わした言葉や、動作。夢か現実かわからないできごとだったが、この指輪があるから、忘れることはない。
「ボクは、1人でも…」
一呼吸おき、大きく息を吸う。
「がんばるね!」
最後に、自分との約束を大声で宣言する。
そのまま見上げるのは、あの時と同じ、青い空。
今日も明日も、望むかぎりずっと。澄んでいる、この綺麗な空は、どこかで広がっている……
このたびは短編「綺麗な空」を読んでいただきありがとうございます。
少年の生きる希望と決意をそれとなく書いてみました。
本編も少しずつ書いておりますので、もうしばらくお待ちください。
では、失礼します。