得意不得意あるけれど
「おかしい……どうしてこうなった……」
「だから言ったじゃないですか!」
次の日から、特訓と称した菓子作りが始まった。サイトの方は、あっという間にリニューアルされ、私が焼菓子など持って見せる姿などが貼られている。確かにこれならおっさん臭さが消えて、女子向けの敷居が低い感じに見えていいかもしれない。
自分のぎこちない笑顔がなんとなく気恥ずかしく、それでもブックマークをしてしまうくらいには気に入ったので、店長には文句を言わない代わりに、褒めもしないことにした。
さて、実際どの程度の技術があるかと、厨房で材料の計量から始め……まあ自分でもわかっているけれど滅茶苦茶で――
「卵を粉砕するとは……」
「私、卵を割れませんがなにか問題でも?」
「いやかなり問題だぞ」
卵すら割れず、しょっぱなから躓いた形だ。
「実加、いくらなんでも不器用すぎないか……」
十歳ほど老け込んだような店長の低音ボイスが、私の頭上から聞こえる。
私の名前を呼ぶにも、つっかえずに言えるようになったのはいい進歩だ。普段からペラペラ喋り、話し相手に無理矢理している店長へ、返事があるまで話しかけたりしている成果がようやく見えた。
「器用さを母の胎内に置いてきたみたいです」
「今すぐ取りに行って来い!」
「んな無茶な!」
店長は、私が〝不器用だ〟と自己紹介したのを、過小評価していたらしい。調理台の上で盛大に割れて飛び散った卵を目の前に、天を仰いでいた。
「……はぁ」
「教えるのに手がかかりそうだ、と?」
「お前が言うな」
「いや自覚あるので」
それでも、泡立てには自信がある。ボウルに生クリームを入れて、泡立て器で最初は叩くように、そして今度は空気を含ませるように。カシュカシュと手首のスナップを生かして泡立てていると、あっという間に角が立つ。
お母さんは、「デ○デリキッチンか!」と私の泡立て技術に突っ込みを入れてきたけれど、何のことかわからなかった。後で分かったけど、お母さん、それ結構前の番組だし、だいたい私その時間は学校だよ……
ともあれ、一応得意なものがあるので、店長のお手伝いは出来る。泡立てなら任せておけというのだ!
一向に私の腕が上達しない中、このお店にもポツポツとお客様が増えてきた。私が接客をするようになってから、初来店の方は「また来るね」と言ってくれたり、店長が接客してから二度目以降に来店する方は、明らかにホッとした様子でテーブルに着く。
立地も料理も雰囲気も、この私が惚れ込んで押しかけ店員になるくらいなので、むしろ閑古鳥が鳴いていた今までがおかしかっただけなのだ。
こうなると私は給仕に忙しくなり、いつもだったら営業中でも客がいない時間に、道具の使い方を一から教えてもらっていたりしたのだけれど、とてもそんな余裕がない。客席を私一人で回すため、とても奥に引っ込んで……ということができなかった。
しかし――
「すみませーん! この○○って、○○ですかー?」
「○○はどうやって作っているんですか?」
などとお客様に聞かれることも多く、その度に内心〝ギャーッ〟となって、ヘルプの視線を店長に向けるけど、その店長はカウンターでコーヒー落としながら〝無理無理〟と、接客に出ることを拒否されてしまうのだ。仕方なく私が厨房へ店長を引っ張り込んで質問の答えを聞き、またそれをお客様に返す、ということが度々起こる。いくら私がホールにいるからといって、丸投げって酷いよね!?
だけど、負けてやるもんか!
技術はともかく、知識は詰め込め! とばかりに、専門書を見たり、インターネットで検索したりと、とにかく必死にレシピや専門用語を頭に叩き込んだ。
店長の料理はとても美味しい。繊細で、小さなことにも手を抜かない仕事が、客の胃袋を掴む。だから、強面ビジュアルの店長が奥から出てこないことによって、客数が増えるのも納得だし、料理に興味を持つお客が多々いるというのもわかる。
……つまり、私が未熟なだけなんだよね。
もっと、店長に近付けば、見える景色が変わるのだろうか。
毎日毎日、店長の動きを目で追い、後をつけ、いちいち確認する。店内ストーカーと言われようが、なりふり構っていられないのだ。
おかげで、卵だって割れるようになったし、泡立てなど、混ぜる系は私に任せてくれるようになった。それを言うとお母さんは「実加、イケイケだね! 頑張って!」と、いまどき使わない死語で私を疲れさせる。褒めてくれるのは嬉しいけれど、時折お母さんの破壊力ってのはすごいと思う。
店の週二回休みを返上してでも頑張りたかったけれど、そこは頑として聞き入れてもらえなかった。休みは休み、とキッチリ休養をとるように命令されては、頷かないわけにはいかない。
そのくせ店長は、休みでもここにきているようだけどね。
……店長ってどこに住んでいるのかな。車で来ているようだけど、私はいつも店長より後に出勤で、店長より先に退勤するからよくわからないのだ。
まあいいけどね。この店にいれば店長はいつだって会えるんだから。
「今日で三ヶ月だけぇが」
「――はい」
閉店後、厨房の先にある畳の部屋で、オーナーと店長と私が、ちゃぶ台を囲んだ。そう、今日で丸々三ヶ月の試用期間が終わるのだ。正方形のちゃぶ台に、私とオーナーが向かい合い、横に店長が腕組をして座っている。
うう……緊張するよ……
「雅、実加ちゃんはどうだったかやぁ」
オーナーが、店長にこの三ヶ月の私について水を向けると、店長はチラッと私を横目で見てから、オーナーに話す。
「……よくやってくれたと思います。通販の方でも大変スムーズに発送ができるようになり、事務仕事も完璧です。そして店舗は、お陰様で客数が増えまして、これはひとえに実加が来た効果でしょう」
――認めてくれた!
私は、パッと胸の中が熱くなった。がむしゃらにここまでやってきたけれど、私の事をきちんと見ていてくれたことが、なにより嬉しくて仕方がない。最初あんなにも渋っていたのに、店長は辞めさせる理由を探すのではなく、私の仕事を感情論でなく評価したのだ。
「店長! じゃあ私、このままここにいていいんですね!?」
思わず立ち上がって万歳をすると、苦虫を噛み潰したような顔で店長が、手で座れという仕草をし、ゴホンと咳払いをする。
「助かっているのは事実だ。給料分、キッチリ働け」
「はいっ!!」
「声がでかいんだよお前は!」
「はーーいっ!!」
「だからっ! ……声もでかいうえにお喋りときたらもう……」
巨体をぐったりと丸めた店長が唸るように愚痴をこぼすと、カラカラと快闊にオーナーが笑う。
「ほぅか実加ちゃん、おしゃんべりか! こん店の名前通りだけん、丁度ええら」
「え? オーナー、おしゃんべりってどういう意味ですか? 店の名前って……」
おそらく方言だと思うんだけど……。意味が解らず尋ねると、店長が助け舟を出してくれた。
「おしゃんべりってのはな、静岡の方言で〝お喋りな人〟のことをいうんだ。そして、駿河湾の先の太平洋と、ここ久能のイチゴをかけて――」
「あーーっ! だから、OCEAN BERRY!」
「声がでかいって言っているだろう!」
ガミガミと叱る店長に、オーナーはニコニコと楽しそうに私たちの様子を見ている。そしてこれはいつもの風景となっていった。
とにかく私は、三ヶ月の試用期間はクリアし、正式にここで働けることになったのだ。
……店長の弱みっていうか、私が来てから順調に売り上げが伸びているし、今さら私を切るとか言っていられないのが現状だけどね!