ほんの少しの不器用
ともあれ、内定を勝ち取り、それからはあっという間に短大生活が過ぎる。
あの店に就職できるかどうか、じりじりと日が経つのを待っていた日が嘘のようだ。
卒業式の後は、高校時代からのいつものメンバーが卒業祝いと就職祝いをしてくれた。私を入れて六人グループだけれど、短大は私だけで、いずれも大学に進学している。梅原ともう二人は地元の大学だけれど、二人は県外なので、こういったタイミングでないとなかなか集まれなくなってきた。SNSなどで近況は知れているけれど、やはり実際会うと高校時代に戻ったかのようで、話が弾む。
しかし……二十歳を過ぎ、何度かお酒を飲む機会があったけれど、いずれもいつの間にか自宅で目が覚めるという不思議体験をしてしまうのだ。
「お前さ……酒飲まない方がいいよ……」
と、どうやら自宅まで送ってくれたらしい梅原から、疲れたような顔で忠告されたけれど、むしろこれが普通だと思っている。お酒を飲む=楽しい=帰宅、みたいな。むしろ飲んでいる間の記憶ってあるものなの? 現にちゃんと家に帰り、歯を磨き風呂に入って、ドライヤーをしてパジャマも着てベッドに入っている。それの何がおかしいのだろう。楽しかった間の記憶はないけれど、楽しかったというのは分かっているから問題ないと思うんだけどな。
それを言うと、梅原が大げさなぐらいの溜息を吐く。そして「俺が傍にいる時じゃないとお酒飲んじゃ駄目!」とキツく釘を刺され、周りからも梅原がいる時じゃないと一緒に飲み会行けないと言われてしまい、残念な事このうえない。まあ逆をいえば梅原がいる時ならいいってことだよね? 飲むといっても、このメンバーくらいしか一緒に行かないし、だったら安心して飲めるというものだ。
試用期間は三ヶ月。定休日は水曜日で、あと平日にどこか一日休みを取ることになっている。接客業だし、年中無休のファミリーレストランでアルバイトしていたから、その辺は織り込み済みだ。営業時間は午前十時から午後十七時まで……夜の営業はないようだ。基本的に飲み物とデザート、昼には二種類のランチセットを出すのみで、一人で切り盛りするに無理のない設定となっている。
朝九時に出勤、開店準備をし、休憩は一時間でまかない付き。……これが何よりも楽しみで仕方がない。私の熱い要望で、エプロン外せばいつもの席で食事を取ってもいいことになった。
制服は特にないとのことだけど、どれなら大丈夫かといくつか画像をプリントアウトして持って行ったら全力で駄目出しされた。
「えー、可愛いのに」
「奇抜すぎる。もっと大人しいのはないのか」
「じゃあこれ」
「却下」
結局、店長と同じ黒いエプロンに、グレーのシャツ、動きやすいように黒のハーフパンツにした。……まあ、ゴスロリ見せたのは失敗だったかなと思うけれどね。ほんのちょっぴり憧れがあったんだよ! もうちょっとムネがボーンと出ていたら似合ったかもしれないけれど、ささやかなBカップの私にはちょっとだけ足りない。そう、ちょっとだけ……
そうやって何度か細かく擦り合わせるのは、OCEAN BERRYの店長として人を雇うのは初めてで、これといった規定がないからだ。ファミレスなど大きい会社では、新人教育のマニュアルがある。しかし、ここはたった一人で店を切り盛りしてきた喫茶店なので、どうやら行き当たりばったりで決めていくようだ。
オーナーはというと、「おらっちは畑をちーっとばかやってるもんだで、店んこたぁ雅に聞いとくりょ」と、店長にすべてお任せで、畑仕事の休憩で朝十時キッカリにコーヒーを飲みに来るだけだ。
……ま、私も好きに決めることができるのは、ちょっと嬉しかったりもするし。
そんな感じで試用期間が始まった。
想像通りというか、お客さんは開店時間を過ぎてもやってこない。四月のイチゴ狩りシーズンだというのに……だ。土日祝日ならまだポツポツ来店があるものの、平日となったら閑古鳥すら寄り付かない状態だ。それなら、掃除を徹底的にやろうと思ったんだけど、いざ手を出そうと見たら――隅々まで行き届いていた。細かなところも、きちんと拭き上げられ、カウンターテーブルに置かれた一輪挿しには、いつも生花が飾られている。筋肉ダルマな店長だけに、そのあたり手が行き届いていないと思い込んでいた私は、少し恥ずかしくなった。……自分の部屋も掃除しなきゃな、と二十歳の乙女として反省をしなければいけない。
カウンターテーブルには椅子が五脚、二人掛けのテーブルと椅子は二セット、四人掛けのテーブルと椅子は四セットが、飲食スペースのお客様が座るすべてだ。カウンターテーブルの向こう側には、コーヒーなど飲み物を淹れるための道具やカップ、グラスなど、主に飲み物を用意するための設備が。そして奥に続く出入り口の先には、厨房がある。テレビドラマとか、そういったのによく出てくるような感じなので特に意外性はないけれど、ここもピカピカに磨かれていて、とても清浄な空気で満たされていた。この清潔さを保つ店長の几帳面さは、くもりのないステンレスの調理台からよくわかる。
そしてその厨房に続く小上がりのような和室があった。ここで主に帳簿付けなど事務処理をしているらしい。勤め始めて、真っ先にこの役を仰せつかった。
どうやら、店長は数字が苦手らしい。
らしいってのは私が勝手にそう思っただけ。今までの帳簿を見る限り、問題なくこなせていたようだから、単に好き嫌いの問題のようだ。
しかし、何より驚いたのは……
「店長、この箱全部ラッピングですか?」
「あ、ちょっと待て。半分は内容が違うから、リボンの色を変えてくれ」
なんと、通信販売も全て店長が手作業でやっておりました!
……なるほど、だから人手が欲しかったんですねー。ほおおー。
Web上にネットショップを開いていて、そこで注文を受け付けている。焼菓子が主だけれど、口コミで広まっているらしく、それが縁でたまに喫茶店の方にも客がやってくるらしい。その割には常連客が少ないけれどね。
立地もよく、すばらしい景色が見渡せる店内の居心地の良さと、味の良さ。三拍子揃った最高の店だと思うのだけれど……一週間ここで働き始めて分かったことがある。いや、改めて思った――店長の接客が、駄目すぎる、と。
接客業なのにぶっきらぼう……って、なにその無駄に韻を踏んだ感じは。
あの巨体で、あの強面で、あの低音響かせた声……怖すぎる……一体何の罰ゲームよ!
私でさえようやく慣れたところなのに。
喫茶店とかカフェとか、オシャレ女子が大好きそうなジャンルって、もう少しシュッとした細身のイケメンが似合うよね? でも、こんな怖いおっさんが「ご注文は」と来られたら……そりゃ二度と来ないよな。
私はこの景色と料理に惚れこんで、とうとう押しかけ従業員となった。自分が特殊な人間だという自覚はあるけれど、店長という壁を乗り越えてまでここに来たかったんだから、逆に褒めてもらいたい。
ともあれ、客が来なければどうしようもないのだ。来店者のいない営業時間中、私の仕事は出来上がった焼菓子を、箱詰めしてラッピングして発送をすること。もちろん、顧客情報を纏めたり、サイトの管理もしたり……
「店長、私結構細々と大変じゃないですか? っていうかこんなヒヨッ子に任せちゃっていいんですか?」
「頑張れ」
「……あったかい声援ありがとうございまーす」
私のぼやきなんぞ聞いちゃいないって感じで、桜の葉入りフィナンシュをごっつい手でちまちまと一個ずつパックしていく。あんな太い指なのに、まあ器用なことで……。感心しながら、私は〝春爛漫セット〟を箱詰めしていった。
私も手伝う事ができればいいけど……その……超絶料理オンチなんだよね……私。
塩と砂糖を間違えるなんて序の口で、レシピ通り作ろうとするものの、前後に書いてある分量と見間違えて大失敗。そもそも、盛り付けのセンスすらない。ファミレスでアルバイトをしていた頃、デザート作りをしてみないかと教えてもらったことがある。――が、とてもお客様に出せるレベルではなく、バイト仲間に「接客に専念しようね!」と励ましのような、ダメ押しのようなという言葉を、匙と共に投げられたことがある。
お母さんは、私の駄目さに「このままじゃ嫁に行けない!」と危機感を持っていたらしく、いっとき家庭内料理教室を行ったことがある。
その結果――お父さんは日帰り入院をした。
……ということで、自宅の台所は立ち入り禁止となってしまい、お父さんの許可と、お母さんのやる気次第で解除となる。そうしたら、料理の勉強を再開しようと話がついた。もちろん、時期は未定だ。
料理以外は割と器用なので、店長が結ぶリボンよりもう少し凝った結びで着々と数をこなしていく。店長がちょっぴり悔しそうな顔を見せたけど、私の取柄はこのくらいだから勘弁してほしい。