鉄の意思
家に帰ってから両親にさんざん怒られたけれど、私は意思を曲げなかった。
そんな私に、だったら結果を見せてみろと、なかば呆れるように進路を認めてくれた。
高校三年生のいまと合わせて約三年、というのはとても長いけれど、とにかく目標に向かって実績を積み上げるのみだ。担任へ短大に進むと報告し、一発合格できるよう勉強にも力を入れる。
これまで、テストはクラスの平均値辺りをウロウロしていたけれど、一念発起して上位を目指す。だから、放課後に仲間たちと遊ぶ回数を減らそうとしたら、逆に怒られた。
「夢中になって後先考えずに突っ走ってると、肝心な時動けねぇぞ。たまには休憩しなきゃだめだ」
梅原は、サッカーに例えてもっと色々言ってくれたけど、ごめん私ルール分からない……とにかく根を詰め過ぎるのもよくないということは分かった。
でも五回の誘いのうち四回断り、図書館や自宅で必死に問題を解いていく。息が詰まるときもあるけれど、そういう時は図書館で借りたスイーツのレシピ本を見て、あの店だったら……あの店のデザートだったらどんな味かな……など、想像を膨らませてる。
梅原なんかは「そんな頑張ってんのに短大かよ。俺と一緒の大学行こうぜ」と誘ってくれたけれど、そんな二年も更に先じゃ駄目。だって、ますますお店が潰れている可能性が上がるじゃないの! だいたい私は、その二年すら惜しいんだから。
部活もせず勉強それなりのお気楽学生していた私が、突然ガツガツ勉強し始め、周りの友達たちは最初、〝一時の事〟とぬるく見ていた。けれど、ちょっと自分の偏差値がわずかに足りない大学を目指したい友達から、合格圏内だけど確実にしたいなど、少しずつ勉強仲間が増えた。気付いたら徐々に仲間が増え、そのメンバーで勉強会を始め、その結果テストの点が飛躍的に上がり、なぜかその親からも感謝される――という後日談がある。
とにかく、私は短大合格がゴールではなく、〝あの店で働くこと〟を目標に、突き進んでいった。
無事高校を卒業し――
――そして二年後。
長かった髪はショートカットに。見苦しくない程度の薄化粧をし、シンプルなスーツを身に纏ってとうとうやってきた――OCEAN BERRY。今日はいよいよ面接なのだ。
最低でも短大は卒業すること。他のお店で接客のバイトを二年続けること。それまで、この店に来ないことという条件を出されてから、本当に久しぶりにこの店に来た。短大の卒業前だけれど、他の仕事を就活担当から斡旋されそうなので、この店に決まった、との確かな証拠を提出しなければならないのだ。
相変わらず、パッと見て寂れて見える感じの、ある意味風景に溶け込んだ店構え。ここに店がある、と分かっていなければ通り過ぎてしまいそうだ。
駐車場に車は止まっていないようだけど、今日水曜日が定休日なので、普段の客入りは分からない。
この店に来ないこと――と言われた次の日から、私はここの店の前を意地でも通らなかったけれど、二年前とそう変わっていないように見えた。
とにかく潰れてなくてよかった……などと失礼なことを思ったけれど、この二年の間そればかりが気がかりだったから仕方がない。面接の予約を取る電話だって、祈るような気持ちだったのだ。
店の入り口のアプローチは、季節の花がさりげなく咲き、緑の葉も煩くない程度に茂っている。ま、植物の名前なんてたいして知らないけど、そのあたりは追々教えてもらおう。
重厚な店の扉の前。イチゴのステンドグラスは、変わらず私を迎えてくれた。
すーはー、すーはー……よしっ!
両手の拳をぎゅっと握り、気合いを入れた私は、真鍮のドアノブを持ち、ぐっと押す。
チリン、とドアベルが澄んだ音を立てた。
う……わぁ……
すっと広がる景色。目の前には視界いっぱいの海。まるごと独り占めしたような、贅沢な空間。二年前と何一つ変わっていない様子にホッと胸をなでおろす。
「やあ、いらっしゃい」
「あっ! す、すみませんでしたっ!」
景色に見とれ、自分がここに何しに来たのかを一瞬忘れてしまった。パッと振り返れば、飴色のカウンターテーブルの椅子に、二年前と変わらない姿のオーナーが座っていた。
「真っ先に窓見るんは前っから変わらんのう」
気分を害した様子もなく、ニコニコと私に話しかける。私は我を忘れて見入ってしまったことを慌てて詫びると、「ええよええよ」と椅子から立ち上がり、奥の厨房に声をかけた。
「おーい。お嬢ちゃん来たでな。せーじゃぁ、ちぃっとそこいら辺のテーブルに座ってくりょ」
オーナーが四人掛けテーブルに座ったので、私も急いでその正面に座る。するとようやく店の奥から、あの大男がのっそりと出てきた。
相変わらず……筋肉すぎる……
いっそ暑苦しい、とまで思うけれど、全く変わりのない姿に少しだけ安心した。もしげっそりとやつれていたら、ここで働くとかそういう話どころではなくなってしまいそうだから。
「お久し振りです!」
そのいかにも頑固な口の結びと目力に、半分泣きそうになりながらも立ち上がり、勇気を振り絞って正面から挨拶をした。その大男は私の声に、ふと顔を上げ――私と視線が合った。
驚いたように目を丸くし、固く結ばれた口が、二、三パクパクと何かを言いたげに開いたけれど、音となって伝わることはなく、再び閉じられた。そんな表情をする男を見るのは初めてだったので、怖さを忘れて思わずじっと見つめてしまう。
私の視線に気づいたのか、数回咳払いをして「二年振りだな」とゴニョゴニョといい、テーブルにのしのしと近付く。そして大男は、オーナーの隣の椅子を斜め後ろに引いて座った。体が大きいので、四人掛けテーブルがまるで二人掛けに見えるほどだ。
オーナーは、ようやく席に着いた男を見て、それから私を見て、一つ頷いた。
「よう二年も頑張ったな。卒業まであとちーっとだら?」
「あ、はい! とにかくここに来るために頑張りました!」
「せーだったら、明日から来てもらってもええけぇが」
背中をぴんと伸ばして、オーナーに応えたら、まさかの即採用!? とびっくりして、飛びつくように「はいっ!」と返事をしたら、大男が盛大な咳払いをした。
「オーナー……。まだ学生です」
あっ! と、早とちりな私は、思わず身を縮めた。そうだった……いまは内定をもらうために来ているのだ。まだ学生の身分だし、卒業したらという条件が果たせない。
「私は卒業したらここで働きたいのです。ぜひ、お願いします!」
椅子から立ち上がり、オーナーと大男に深々と頭を下げる。オーナーは最初から賛成してくれていたけれど、大男の方はそれでも首を縦に振らなかった。
「ここよりもっといい仕事あると思うが――」
「嫌です! 私はここに来るために……ここに就職するためだけに、少し不器用ではありますが、今まで頑張ってきました!」
椅子の横に入れておいたバッグから履歴書を取り出し、大男に見えるようテーブルの上にバッと広げた。そこには、ファミリーレストランの接客で約二年働いていることや、簿記など後方支援が出来る資格も取ったことを書き記してある。このOCEAN BERRYで即働けるよう、足手まといにならない自信をつけて、今日この日に臨んだのだ。
「雅、もうええら?」
オーナーは、約束を守った私を援護してくれるらしく、大男に降参するよう言った。そんなオーナーに逆らえないのか、わざとらしくため息を吐いて、丸太のような腕を組む。
「確かに、人手は足りない」
「えっ! ――あ、いえ、なんでも……」
思わず声を上げてしまったのは、二年前の記憶があるから。店内に客はおらず、閑古鳥が鳴いているようにみえた。私が通っていた当時、あの時間帯にいた客は片手で足りるほど……。だから、そんなに儲かっているように見えないし、だから潰さないでよ、と啖呵を切ったのだ。
もしかして実はいま、繁盛……してるの?
店休日だから普段の様子が掴めない。私の困惑が伝わったのか、大男が再び咳払いをする。
「通販もやっていてな、そちらの応対に追われている」
ネット通販で焼菓子などを売っているらしい。二年この店に来ないという約束に、意地を張ってインターネットで店の名前を検索すらしなかった。もしそれを見ていたら、寂れてるとか潰れそうとか言わずに済んだかも、と自分の無知さにちょっと恥ずかしくなってしまった。そういえば、お母さんに食べられてしまったけれど、レジの所に置かれた焼菓子もその商品の一つだったのかな。
「三ヶ月、だ」
「え?」
「三ヶ月、試用期間とする」
つまり、三ヶ月様子を見て……ということなのか!? とりあえず、卒業したらここで働けるってことでいいの!?
「はいっ! いいです、もちろんです! よろしくお願いします!!」
きゃあっと手を叩いて飛び上がると、オーナーが目を丸くして私を見る。あっ、いま、面接中……だった!
「きゃー! ごめんなさいっ! つい嬉しくて!!」
「おだっくいなぐれぇが雅に丁度ええら。雅はいつもぶそくってるでな」
おだっくい? ぶそくって……?
今度は私がきょとんとする番で、一体何と言われたのか困っていると、雅と呼ばれた大男が教えてくれた。
おだっくいとは、『お調子者』で、ぶそくってるとは、『むくれた表情』のことだ。
静岡には高校入学と同時に越してきたし、お母さんくらいの年齢だとあまり訛りはきつくなく、せいぜい「~だら?」とか、イントネーションがわずかに違う程度なので、お年寄りの静岡弁はちっともわからなかった。ファミレスとは違い、もっとお客様に密着した接客になるだろうから、だんだん覚えていかないとな、と心に決める。
「寺田実加です。四月からよろしくおねがいします!」
張り切って挨拶をすると、大男は、まるでうっかりアルミホイルを噛んでしまったかのように顔をしかめた。
「店長の長谷川雅人だ。――とにかくお前の声はうるさい。もう少し声を抑えろ」