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嵐の中の衝撃




 轟々という音がますます大きくなった気がする。

 頑丈に打ち付けた板のお陰で大きな窓は何ら被害はないけれど、時折建物を揺らすような風の暴力で、そのたびに私の小さな心臓を締め上げるのだ。なにより、不規則なタイミングなのがよくない。心の準備というものがあるのに、はじめは穏やかかな~? と思わせといて、全力でぶつかってくるあの強弱は、どうにも苦手だ。

 自然の脅威が、えもいわれぬ恐ろしさで徐々にこちらに迫ってくるとあれば、普段強気で事に当たる私だけど、早々に白旗を上げたくなる。

 逃げ出さないのは、仕事に集中していたことと、今日はここにお泊りできるということと、なにより店長がいるという心強さがあるからだ。

 店長さえいれば、雑巾を固く絞ったような姿の私の心だって、マイクロファイバー繊維のタオルのようにふんわりやさしくなれる気がする。

 こんな時だけ筋肉が頼もしくてしかたがない。

 相変わらず、目の前の海からテトラポットに打ち付ける波の、ドーン、ドーンという音が聞こえるけれど、帰宅しなくてもいい安心感からそれほど気にならなくなってきた。

 お菓子の詰め合わせは、五種類ずつパッケージに入れるところまでできて、あとはリボンをかけて完成だ。三百セットという数だけど、ここまで来ればそれほど手間にはならない。

「店長、リボンの色これでしたっけ?」

「ああそうだ。ピンクと白――」

 ふっ……と、急に暗くなった。

「停電か?」

「……みたいです……ね……」

 墨の中へ潜ったように、自分の手のひらさえ視覚に入らない。家具などの配置を思い浮かべながら、手探りでスマートフォンを探す……けれど、あれ?

 そういえばさっき、エプロンに入れていたスマートフォンを、トイレに行くからと小上がりの出入り口付近に置いたような気がする。

 ええと、ええと、と赤子のようにハイハイで探している間に、夜目が利くらしい店長は、何の迷いもなく小上がりから厨房に下りていく。

 ガチャッと扉の開く音がしたと思うと、ぶわっと一気に風が飛び込んできた。

「ぎょわっ! ……て、てんちょう!?」

 生温かな風が肌にべたつき、壁に張った注文書がバサバサと舞い、厨房にぶら下がっている調理器具がガシャガシャと賑やかに暴れた。

 すぐに扉は閉められて、騒然とした厨房は、ゆっくりと落ち着きを取り戻す。

 どうやら店長はバックヤードから近所の家を見たらしいけれど、街路灯も周囲の家も真っ暗だったようだ。

「この辺り一帯駄目そうだな」

 こちらに戻りながら懐中電灯を手に取り、小上がりにある引き出しから蝋燭をいくつか取り出し、マッチで火をつける。

 ほわん、と温かなオレンジ色が灯り、ようやく辺りの様子を伺い知ることができた。

 誕生日用ではなく、結婚式で使うキャンドルリレー用のがあったらしく、店長はそれを三つ小上がりへ、二つを厨房へ置く。確か燃焼時間は四時間ほどあった気がするので、しばらくはこれで我慢するしかない。

 外は嵐、中は暗闇というのに、蝋燭の明かりでやたらと幻想的になってしまった。

 ドーン、ドーン……

 ガタガタ……ガタンッ!

 ますます酷くなる風雨と、大きな波がテトラポットにぶつかって砕ける音が、より一層激しさを増す。どこからか飛んで転がってきた空き缶らしき音や、板なのか棒なのかよく分からないものも風が吹くたび建物に当たる。

「怖いぃぃ」

 小さく頼りない蝋燭の傍で、私は膝を抱えて丸くなった。

 私は暗闇が苦手だ。トラウマとか特にないけれど、ただひたすら理由もなく怖い。寝る時だって常夜灯つけないと嫌なタイプだ。台風が近づいてそこらじゅうガタガタうるさいし、停電だし、もう嫌だ!!

「店長……怖い」

「分かったから」

「暗いの怖い……やだぁ……」

「……参ったな」

 どうやら傍にいてくれるらしい。それだけでほっとできる自分は現金なものだ。

 今が一番酷いのかな……これ以上もっと酷くなるのかな……

 刻々と状況が変わり、ピュウピュウと風を切る音と怒りのままに荒れ狂う波の音が、より一層不安を掻き立てる。

 いつ収まるんだろう……店長が帰っちゃったら、私一人でここにいるのよね……?

 うっ……それってすごく怖くない?

 無理矢理車で帰るか、停電の店で一人で朝を迎えるか――究極の二択だ。

 いやいや、でもでも、と脳内で二択に揺れ動いていたら、遠くの方でガシャンと何かが壊れるような小さな音を耳が拾った。

「あっ!」

 どこで鳴ったのか、その方角に置いてあるものを思い浮かべると、たった一つ思い当たる節があった。

 もしかして……もしかして、大事に育てていたイチゴの鉢が倒れたのかも?

「実加?」

「ちょ……これ貸してください!」

 怖がっていたくせに、居てもたってもいられず、店長から懐中電灯をひったくり、玄関から飛び出す。

 ぶおっ! と一気に生温かな風が私を襲い、足をしっかり踏ん張らないと、飛ばされてしまいそうになる。バチバチと体中に石でも投げられたかのような痛みは、雨粒だ。目を守るように腕を上げ、前に進む。

 あっという間に全身びしょ濡れになってしまうけれど、それに構っている場合ではない。

 目的の場所に近づくと、予想した通りにイチゴの鉢は段差から落ちて割れていた。

 私のイチゴ……

 大丈夫だと思い込んで、鉢を置いたままにしてしまったのだ。オーナーから折角もらったイチゴの苗は、鉢が割れて土が零れ、無残な姿をさらしていた。

 その場にしゃがみ込み、手で苗ごと土を掬っていたら、店長の声が聞こえた。

「実加! 何やっているんだ! 早く戻れ!」

 振り向けば、店長が玄関のところで私に向かって大声で呼んでいた。

「イチゴの……割れちゃったんです!」 

「馬鹿か! あとで植え直せばいいだろう。早く戻れ!」

 言いながら、店長が私のところまで駆け寄り、引きずるように店に戻す。店長の巨体は、この嵐でもなんら影響を受けないんだな、と変なところで感心してしまった。

「ちょっとそこで待ってろ」

 そう言い残して、店長は店の奥に行った。その間に、私は大事に手のひらで掬ってきたイチゴの苗を、玄関付近に置いていたバケツに入れた。

 特に傷ついていないようだし、ちゃんと植え替えればまた元気に育ってくれるかな。

 手に付いた土を払い、お客様用のトイレの手前にある洗面台で手を洗っていたら、店長が戻ってきた。

「このままじゃ風邪をひくぞ」

 店の入り口に立たせ、奥からバスタオルを持ってきた店長は、私の頭をガシガシと拭いた。

「わああっ! ちょっと、店長、痛いです!」

「我慢しろ」

 なんだか子供みたいな扱いが嫌で、本当は痛くないけど抗議の声を上げる。

「後先考えずに動くな! 危ないだろ!」

 あっ、と気付いた。私、店長に心配をかけてしまったのだ。そりゃそうだよね、何も言わず懐中電灯奪って外に飛び出すだなんて、ありえない行動だよね。

 やらかしてしまったことに気付き、しょんぼりと肩を落とす。

 店長としての責任とか、私の親に対しての責任とか、あるもんね。でも私は、この店が大好きになったきっかけの、大事なイチゴの苗が駄目になってしまうのが、どうしても嫌だったんだ。

 言い訳の言葉は、喉に張り付いて出てこない。反省してるなんてそんな陳腐な言葉じゃ、絶対に許されないと思ったから。

 自分勝手な行動に、自己嫌悪が止まらない。目頭にじわりと涙が溜まる。

 でも、心配をかけてしまったのだから、きちんと理由やお礼、そして反省を伝えなくてはいけない。

「ごめんなさい……でも、」

 見上げる私と、バスタオルで私の髪を両手で拭いていた店長の視線が、真っすぐにぶつかった。私の後ろにある蝋燭の光が揺らめき、それが店長の瞳に映る。その炎のなかで、私もこちらを見ていた。

 綺麗……ずっと見ていたいな……

 見つめ合っていたのは、一瞬の間だったのかもしれない。

 気付いたら唇を塞がれていた。

 最初に感じたのはほんのりとした温かさで、次いで柔らかい唇の感触。そして、ゼロ距離であるという事実。

 店長と――キス。

 キスをしている?

 え、私いま店長とキスしてるの?? 

 その事実がハッキリするのに、だいぶ時間がかかってしまった。

 驚いて固まってしまった私から、店長はゆっくりと体を放す。

 ――ねえ、店長いまどんな顔しているの?

 そう確かめたくても、いつもの不愛想なお面を被ったような、感情が読めない表情をしていた。

「てん……」

「すまん」

 そう言って、私からの追撃から逃れるように、店長は厨房の奥へ行ってしまった。

 その場に残された私は、被せられたままだったバスタオルを肩にずらし、厨房の方をじっと見る。そして、ゆっくり右を見て、左を見て、天井を見あげた。

 ……キス、された……よ?

 店長からのまさかのキスに、私はただ驚くばかりで、謝られた意味を測り兼ねていた。


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