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希望のイチゴ

 五月の末ともなれば、ここ久能街道でのいちご狩りシーズンは終わりが見える。イチゴ狩りができる農園が徐々に減り、通り沿いにある店の看板やのぼりも数が少なくなった。

 初夏を思わせる陽気がとても眩しく、車の右側に広がる海面がダイヤモンドのようにキラキラと輝いている。


「あっ、お母さん! 過ぎちゃったよ!」

「ええ? あそこだっけ!?」


 相変わらず目立たない外観なため、またもやうっかり通り過ぎてしまったお母さん。ちょっと先の所で引き返し、ようやく駐車場に車を止めることができた。スムーズな移動ができたのは、交通量の多いトップシーズンじゃないからだろう。

 バタンと車のドアを閉め、すっかり慣れ親しんだOCEAN BERRYの店のドアに手をかける。チリンと鳴る真鍮のベルの音も、最初に目に飛び込んでくる青い壁のような窓も、なにもかもが私にとってドンピシャで、好きで好きでたまらない。

 それにしても相変わらず客が一人もいないな……と思ったら、珍しくカウンターテーブルに一人、おじいさんが座っていた。

 おじいさんも、ゆったりとコーヒーカップを持ちながら、海が見える窓を眺めている。私と同じように、この景色に惚れこむ人も中にはいるのかも。


「実加! ちょっとほら早く中に入ってよ」

「あ、ごめん」


 後ろからせっつかれて、慌てていつもの席へと移動する。もうメニューは見なくてもすべて分かっているし、今日食べるものは昨日の夜から決めてある。お母さんは迷ったけれど、結局前回と同じチーズケーキにした。


「いらっしゃいませ」


 お。今日は珍しく呼ばないでも来たじゃない。

 なんて上から目線で店員の大男をこっそり褒める。初めてこの店に来た時から、声を掛けない限り厨房からこちらの店内に来ることなど無かったのに。珍しいなあと思いながらも、とにかく早く食べたくて仕方がない。


「ご注文はお決まりですか」

「はい。えっと、チーズケーキとコーヒー。それと、イチゴパフェと紅茶」


 「以上で」といった私に、「すみません……」と、バスの利いた声で断りが入った。


「本日、生のイチゴが入荷できず、申し訳ございませんが……」

「えー! うっそぉ!」


 思いのほか大きな声が出てしまい、慌てて口を塞いで体をすくめた。しばらく食べられないからと、一番大好きなイチゴパフェを選んでいたのに!

 あまりのショックに相当悲壮な表情をしていたのだろうか、お母さんがペラペラとしゃべりだした。


「あらまあ、残念ね。そういえば表の看板の所にも書いてあったような気がするわ。ねえ、イチゴはまだ採れると思うんだけど、どうして入荷しなかったの?」


「契約農家さんの都合で……」

「ああそういうこともあるわね。聞こえた? 実加、諦めなさいな」

「うー……」


 仕方がない。無いものは無いから、仕方がない――と分かっているのに、でもやっぱり諦めきれない。胃の中は完全に生のイチゴがたくさん乗った、あのイチゴパフェだったのだ。


「ごめんなさいね。――ほら、もう来られないからってわがまま言うんじゃないの!」


 お母さんが私を叱りつけ、渋々メニュー表を手に取ったとき、頭上から驚いたような声が上がった。


「ここのところ毎日来店されていましたが、もう来られないのですか?」


 毎日通っていて、出てくるものに変化が少しずつ付けられていたのは、私が毎日来ていると分かった上で工夫してくれていたのかな、と、ここでようやく気付いた。

 お母さんは、そうなのよーと、いつものお喋りが始まった。これに捕まると長いこと解放されないから困るんだけど、大男は意外にも嫌そうな顔一つ見せず、たまに口を挟み、相槌を打っている。いつも怖くてあまり見ないのだけれど、お母さんのお喋り攻撃であっちに気が反れている隙に、そっと視線を上げてみる。

 いつも、大男が怖くてテーブルの上に置いたメニュー表を見ながら注文していたのだ。今日は一人じゃないし、自分に注目されていないからチャンス!

 遠目では何度か見ているので、心の準備は万端。下から舐めるように視線を持っていく。

 靴はスニーカー。腰から膝下までの黒いカフェエプロン、そして黒いシャツ。袖は腕まくりしてあって丸太のような前腕部がスジスジっとしている。ただでさえ巨体なのに、やっぱり体は筋肉でできているのか。厚い胸板の上には太い首が当然のようにあり、その上にはいかにも〝(おとこ)〟といった繊細さの欠片もない顔がある。粗削りなだけでパーツごと見れば整っていないこともないのだけれど、とにかく威圧感がすごくて、イケメンとか言えるレベルじゃないのだ。見慣れればいいかもしれないけれど、幼児などには泣かれるタイプ。髪も爪も短く整えられていて、食品を扱うお店としては清潔感があってそこはよしとする。


「――だから、この子は暫く来られないの。また来た時にはよろしくね」

「ちょ……! おかーさんってば!!」


 気付けば、お母さんが私のことを洗いざらい喋っていた。この店が好きだからとかお小遣いとか色々使ってスッカラカンとか……そんな事まで言うと思っていなかったので、真っ赤になって止めるけど、時すでに遅しだ。


「それは……残念です」


 おや? この大男は残念です、と言った?

 意外な思いで大男を見ると、何時にも増してムスッとした表情で、「メニューから生イチゴ以外ですがお選びください」と淡々と説明を始めた。

 なんだよ、折角ちょっぴり好感度上がったのに。


「でもイチゴが食べたかったなぁ……」


 まだあきらめきれない私に、お母さんが「帰りにスーパーで買ってもいいのよ」というけれど、ここで食べることに意味があったから断る。

 その時、カウンターテーブルに座っていたおじいちゃんが、私に向かって声をかけてきた。


「お嬢ちゃん、えんらいイチゴが気に入ってるようだで、せーだったら、おらっちんとこイチゴでこさえてやらざぁ」


 ん? ちょっと何言っているかよくわからない。……方言、だよね?

 お父さんの転勤で静岡にきて、そのまま住み着いた口だから、訛りが分からない時があるのだ。お母さんと顔を見合わせていると、大男が「よろしいのですか?」とおじいちゃんに聞いた。


「ええよ。ちーっとばかじゃしょんないら? たーんともってくるけぇの」


 ニコニコと笑顔を見せながら、おじいちゃんは店を出ていってしまった。……一体何と言われたのかだけでも知りたいんだけど……


「ねえ、あちらのおじいさん、どなたなんですか?」

「あの方は、ここのオーナーです」

「あらやだそうなの? 失礼なことしちゃったわ。私はこの土地の者でないので……ごめんなさい、何と言っていたのかよくわからなくて返事が出来なかったんです」


 お母さんが大男に尋ねると、面倒がるそぶりを見せず、誠実に答える。特に会話が苦手というわけではないようで……

 あれ? もしかして……愛想が悪いだけで、実はいい人なのかも。


「オーナーは、自分の畑を持っていまして、そこからイチゴを持ってくるそうです。自家用なので売るほどはないのですが、こちらのお嬢様が気に入られているようなので」

「まー! 悪いわ~。ほんっとこの子がわがまま言って……」

「もー、お母さんやめて! ほんっとにやめて!」

 

 大丈夫だと認めた相手なら、ペラペラといくらでも喋るお母さんを止めている間に、大男は一礼してキッチンに戻っていく。


「何よいいじゃない。実加は生のイチゴが食べたかったんでしょ? 折角そういってくれるんだから」

「だからって、なんか……悪いなって思っちゃったの」

「我儘を叶えてあげる喜びってのもあるのよ? あんたも年とりゃ分かるわ」

「なにそれ」


 八月一日が誕生日の十七歳には、その喜びがよくわからない。なんで我儘言う相手の要望をわざわざ叶えてやって、しかもそれが嬉しいだなんて絶対おかしいと思う。私が逆の立場だったら、無いものは無い、とバッサリ切り捨てる。

 それからしばらくの間、お母さんのお喋りに文句を言ったり、景色が大変素晴らしいと褒め合ったり、母娘で話題があっちへこっちへと飛びながら待つ。

 やがてキッチンの方から話し声やコーヒーの香りが漂い、ようやくこちらのテーブルに運ばれてきた。



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