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もっと、認めてもらいたい



「お、お、おはようございまひゅっ」

「噛むな。落ち着け」

 顔文字を寄越した店長が可愛らしくて悶えていたら、遅刻ギリギリの時間になってしまい、慌てて家を飛び出した。

 店に入ると、いつものように店長がスポンジケーキを焼いていた。その姿を見たら、何故か胸がぎゅっと締め付けられるように痛い。

 生ハムの枝肉みたいな腕はたやすく重い鉄板を持ち上げ、それでいて指先は繊細な砂糖菓子を作り上げるのを見ると、まるで魔法使いのように思えてくる。

「見ていないで早くしろ」

「わっ! すぐ支度します!」

 遅く来たくせに、つい店長に目を奪われてしまった私は、奥の小上がりで急いでエプロンを巻き、バッグを押し入れに押し込んだ。

 そして、胸に手を当てながら、ゆっくりと深呼吸をする。

 顔を見ただけでも胸が苦しくなるのに、私……大丈夫だろうか。

 辞めるという選択肢はない。だって私の一番は、この店で働くことだから。自分の気持ちを強く持って、ぶれないようにしなきゃ。

 店長とは一回りも年が離れているし、叶うわけない恋だけど、ひそかに想うだけなら……いいよね?

 好きで、憧れて、尊敬できる店長と一緒に働けるって、ご褒美じゃないか!

 幻滅されないように一生懸命働いて役立てば、店長も店も私も、みんな嬉しいことになる。

 ぴょんと小上がりから下りて、満ち溢れる気持ちを仕事の意欲へと変えた。

「よーし今日も頑張るぞ! おー!」

 私の鬨の声に、店長がぎょっとして立ち止まる。

「驚かせるんじゃない!」

「気合を入れていたんです! っていうか店長あのメールの返信、どういう意味ですか?」

 メール? と首を捻った店長は、それがあの顔文字だったことを思いだしたようだ。

「あれは……予測変換で出てきただけだ。元気なら、よかった」

 まさかそのことを聞かれるとは思っていなかったようで、恥ずかしかったのか店長は私の顔を見ないようにパントリーの方へ足を向けた。しかしそれを見逃さず、私はその進路へ回り込んで追撃した。

「私はね、もしかしたら深い意味でもあるのかとものすごく悩みましたよ! 今度から、せめて日本語も追加してくださいね」

「あ、ああ」

 正面に立って抗議をした私だけど、店長からそっと視線を落とす。

「あの……今度からって、つい言いましたけど……私、またメールしてもいいですか?」

 どさくさに紛れて口から出た言葉は、おねだりだった。ハッと気づいたけれど、出てしまったものは戻せない。せめて自己フォローに走らねば!

「あー、あっ、あの、しょうもないことじゃなくて、仕事の連絡について、です、ハイ!」

 業務連絡のメールなら、やましい気持ちじゃないと言い張れる。実際、店長がたまに役所など出掛ける用事があるときに、電話よりメールの方が連絡が取りやすいだろう。大事な話をしている最中に着信音流してしまったら申し訳ないもの。

 でも図々しいお願いだったよね……。この店に勤めだして、初めて手に入れた店長の個人情報に舞い上がったが、いくらなんでも踏み込みすぎたかもしれない。

 そんな心配をよそに、店長は私の頭をポンと軽くたたいた。

「構わん。好きに送ってこい」

 好きに――

 その単語で頭が大爆発を起こすかと思った、危ない。

「じゃあ私も顔文字送っちゃおっと」

「やめんか」

「あと店長を盗撮して送ろうかな」

「本人に送ってどうする」

「じゃあ顔文字にします」

「じゃあとはなんだ。仕方ないみたいに言わんでいい」 

 いつものやりとりに、内心ほっとする。なんだ私ってば、やればできる子じゃないか。

 私は軽口を叩きながら、いつものように開店準備に入った。



「おはよう! 考え変わった?」

 また来た!

 あからさまに嫌な顔をしてしまった私に対して、三堂さんは美しい唇を笑みの形に変えた。

「あらやだ、お客様商売でしょ? ちゃんと笑顔で出迎えて欲しいわ」

 お客様……ってことは、宣言通りに客として来店したのか。

 となれば、無下にもできず、私はいつも通りに席へ案内し、お冷とおしぼりを提供した。

 注文が決まるまで私はカウンターのあたりで

 女性は諦めないようだ。しかし店長はもう相手をするのが嫌なようで、キッチンに引っ込んだままだ。

 代わりに私が絡まれる……

「ねえ、説得してくれた?」

「店長はその気がないので無理です」

「もうひと押しかなぁ」

「どうしてそう思うんですか?」

「……私、彼と付き合ってたことあるのよね」

 ぐ、と喉の奥で息が詰まる。

「その様子じゃ彼から聞いた? あんまりいうタイプじゃないのに珍しいわね。……ま、対象外だからでしょうけど」

 大人の余裕が羨ましい。私の淡い想いなんぞお見通しとでもいうのか。

「私ね、ヨリを戻したいの。だから邪魔しないでね?」

「邪魔なんてしません。でもそれは店長次第じゃないですか?」

「ま、言うわね」

 クスクスと笑うその姿。ほんと私なんて眼中にないのだろう。

 オーナーがやってきた。

「あっ、オーナー! お邪魔しております。こちらのお店が大変話題になっておりまして、ぜひ取材の方をさせていただきたいと思いまして――」

 オーナーが入店すると、パッと顔を輝かせてオーナーがいつも座る席の隣に移った。

 ヨリを戻すため……

 敵いっこないよね。

 しょんぼりとなりながらも、でも負けたくない気持ちが湧き上がってくる。

 そのためには、もっと仕事が上手になって、〝私〟を見てもらえるようにならなきゃ。


 何日か、黙々とクリームを絞る練習をしたり、自宅でもパンを焼いたりと自主練をするようになった。

 母親からは熱でもあるんじゃとかいわれたけれど、やる気のあるいまの私を止めるなぁ!

 そして、寝る前には……メールを打つ。

 ――ちゃんと膨らむシュークリームできました!

 ――頑張ったな(^^)

 他にも、ただお疲れ様でした。おやすみなさい。だけの日もあったけれど、ちゃんと毎回返事をくれた。

 それが、私だけに向けられた店長の言葉で、大事すぎて毎回保存した。


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