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認めて、スッキリ!



 ――と思ったのに、「実加、五番テーブルに運んでくれ」「実加、ちょっとバックヤード行ってくる」「実加」「実加」……

 呼ばれるたびに心臓が跳ね、顔を合わせるたびに心臓が躍り、私の心拍数はデットラインを超えそうだ。

 ピークが終わり、ようやく緩やかなアイドルタイムへと移り変わる。新規のお客さんはおらず、あとはランチ後にゆっくりとデザートやコーヒーを楽しむお客様ばかりだ。

 いつもより三倍疲れた気がする……

 気にしないようにと気を使った結果、より気になってしまうという悪循環により、精神的疲労がのしかかる。単純な思考回路の私には、上手にやり過ごすことはできないことがハッキリした。

「すみません、体調がすぐれないので今日は先に上がらせてください」

 頭の中がクラクラしているので、原因を目の前にしても今なら大丈夫という本末転倒さが残念過ぎる。

「そうか。明日も休むか?」

 店長は、私がいつもの調子ではないことを察して、休めと言ってくれる。三頭ほど熊狩りでもしたような見た目の店長だけど、見慣れて幾層にも重ねたフィルター越しとなった私の目には、優しさが溢れていた。

 うっ、駄目だ、じっくり見ては駄目だ!

「いえ、大丈夫……だと思います」

 ぐらぐらする気持ちの柱を、気力で支える。

「そうか。朝でもいいから、体調悪いんだったら連絡寄越せ」

 本気で心配している店長は、負担をかけさせないよう、あっさりと会話を切り上げる。そして、ポケットに入っているメモ帳を取り出し、サラサラと何かを書いて一枚破り、無言で私に差し出した。

「早く寝るんだぞ」

「はい……失礼します」

 何かわからないけれど、とにかく受け取り、自分の荷物をもって店を出る。

 その支度するまでの間、あ、ちょっと通販のメールチェックをしておこうかな、あ、ちょっと裏に干していた布巾を取り込もうかな、とすれば、店長が「あとはやるから帰れ」と追い立てられるように外に出されてしまった。

 つい体が勝手に動いてしまうのは、店になじんだ証拠でもある。

 今日は上の空過ぎて、仕事の充実感が少ない。店長みたいに、いかなることにも動じない精神を持つべく、もっともっと鍛えないとなあ。

 いつもの帰宅時間と違い、お日様はまだ頭の上にあり、イチゴ街道も車通りが激しい。朝晩は通勤車で上下線とも混みあうけれど、この時間は大型トラックが割合を占めている。

 免許を取ってすぐのころは、駐車場から車道へ合流するのが怖かったけれど、毎日通勤で運転しているので、いつの間にか慣れた。今は爽やかな風を感じたり、音楽を聴く余裕もある。

 この店に就職しなかったら、車の運転だってしなかったかもな、と今の自分の成長が嬉しくなった。

 ハイトワゴンタイプの軽自動車は中古で買ったけど、前のオーナーが綺麗に使っていたらしく、特に不具合も見当たらない。なにより、荷物がたっぷり乗せられるので、お店の買い出しなどにとても便利なのだ。

 私はすっかり相棒となった車へ乗り込み、エンジンをかけた。


 帰宅ラッシュのない道路は非常に快適だった。ほんと渋滞って時間の無駄よねと思いつつ、家の近くまで来たところで、飲み物とボールペンを買おうとコンビニに車を止めた。そして助手席に置いたバッグを手にしたとき、そういえば店長のメモがあったことを思い出す。

 バッグの中から渡された、店長らしい武骨な字で書かれたメモは――


 『000-0000-0000

  ×××@×××.×× 長谷川』


 携帯……番号? メールアドレス?

 あっさり手渡されたのは、店長個人の携帯電話の番号とメルアドらしきものだった。三堂さんには断っていた携帯番号は、いま私の手の中にある。

 体調が悪かった場合の連絡をここにしろ、というだけの、特に意味を持たないはずの携帯番号だ。

 ――これは、仕事上、必要な時だけ、連絡できる、番号。

 メモ用紙を見ながら、一言ずつ、確認を込めて心に刻み込む。

 この携帯番号には、それ以上の意味を持たない。それを複雑に思うくせに、嬉しさも隠せない自分はもう重症だ。

 こんな気持ちの揺れ幅、今まで経験したことがない。

 寝ても覚めてもずっとずっと店長のことを考えている。気持ちを忘れよう、蓋しよう、無かったことにしよう、なんて絶対無理だ。

 恋……うん、これは恋なんだろうな。この気持ちを言葉にするなら、恋をしているというので間違いない。

 好き。

 言葉にすると、ものすごい破壊力を持って脳髄を刺激される。恋煩いとはよく言ったものだ。

 ただ、この気持ちを伝えるなんて、そんな想像は全くできず、思いを伝えたその先は、光で塗りつぶされたように真っ白で何も思い浮かばない。

 好きからの、告白で、お付き合いする……という、告白からお付き合いするまでの工程が全く分からない……

 みんな、この気持ちをどう昇華しているんだろうか。

 恋人同士になれるとかそんな想像はできないし、そんな欲もない。ただ、ひそかに想いを抱くくらいは……いいよね?

 あやふやな気持ちよりも、認めて隠す方が、よっぽど心構えが違うと思う。

 私がただ好きなだけ。それだけでいい。

 よし、と心を決めた私は、車から降りる。むっとする湿気は感じられるものの、夜の気配を含んだ風が心地よい。

 そういえば、日が落ちるのが少し早くなった気がする。真夏の西日は容赦なく照り付けるけれど、だんだんと弱まっていて、秋はいつの間にか近づいているんだな、と季節を感じた。

 車をロックし、コンビニの入り口に向かう足取りは軽い。ここのところ、凝りとなっていた心の中は、気持ちを認めることによってすっきりした。

 上手くやろうとして、より複雑に考えすぎてしまったのかもしれない。本来の自分は、もっと単純に、シンプルに、明解に、というものだ。

 自宅に戻ったのは、結局いつもの帰宅時間と変わらなかったので、親に怪しまれることなくいつも通りに過ごした。

 夕食をモリモリ食べ、お風呂にゆっくり浸かり、早々に床に就く。

 ここ最近寝つきが悪かったのに、スコンと眠りに落ちて、気付いたら朝だった。

 我ながら分かりやすい性格してるわぁ……

 よっぽど質のいい睡眠だったらしく、目覚まし時計が鳴る前に目が覚めてしまった私は、しばらくベッドの上でゴロゴロしながらスマートフォンを弄る。

 天気予報は……うん、しばらくよさそう。でも南の海上で台風が発生したって書いてあるなあ。

 店の前の幹線道路は、天候によって左右される。普段は通勤車やトラックなどが多く行き交うが、雨……特に台風となると、激しい雨と風、なにより駿河湾から押し寄せる高波が基準値を超えると、道路が封鎖されてしまうのだ。

 となると一般の客すら訪れることもなく、ひたすら通販の在庫を作るだけの日となる。

 帰宅するには、裏の旧道を使えばいいだけだが、私の運転技術では少々不安になる狭さだ。できるだけ避けたい……

 そろそろ店長起きたころかな。

 スマートフォンの時計表示は、六時を指していた。

 店長は七時までに店に着き、そこから久能山東照宮の階段を往復する。これはずっと続けている運動で、ひと汗かいたら店の風呂で汗を流し、仕込みに入るのだ。

 他にも筋トレに格闘技にと、なにやらやっているらしいけれど、筋肉について興味はない。

 ベッドの上で伸びをしてみたり、腰を捻ってみたり、ストレッチをしながら体中の不具合を探してみたけれど、特に異常は見当たらずむしろ元気が有り余っている。

 やる気を取り戻した私は、寝転がったままスマートフォンのメールアプリを起動させた。

 ――すっかり元気になりました。今日仕事行きます!

 たった一行だけの文を打つのに、ああでもない、こうでもない、と打っては消しての五分間。悩みに悩んだ結果の一行だけど、これなら普通の文章に見えるだろう。

 しかしまた送信するのに勇気がいる。本当にメールしちゃっていいのかな、体調が悪かったら連絡寄越せって言われていたのに、送って迷惑じゃないかな……

 こんなに弱気になる自分って、自分じゃないみたい。乙女すぎて怖い!

 深く深呼吸を三回繰り返し、えいやっ! と、登録したての店長のメールアドレスに送信した。

 ああ、送っちゃったぁ……

 仰向けになったまま、天井に向かって手を伸ばし、スマートフォンの送信済みフォルダを眺める。

 すると、突然ピヨピヨ! と着信音が鳴り、「ひあゃっ!」と驚いた拍子にスマートフォンから手を滑らせ、おでこに直撃して再び「ぎゃっ!」と悲鳴を上げた。

「実加~? どうしたの~?」

 声を聞きつけたお母さんが、階段下から心配そうに尋ねてくるので、「なっ、なんでもない!」と返して誤魔化した。

 ちょ、ちょっとまって、え? 返信??

 思った以上に早く来た返信に、私は心臓がバクバクと激しく高鳴り、なぜかベッドの上で正座になってしまう。

 落ち着いて。実加、落ち着くのよ……

 自分に言い聞かせるように、動悸を落ち着かせてから受信メールを確認する。


 〝(^^)〟


 え。顔文字!? 

 意外過ぎて息が止まり、一瞬後にお腹を抱えて笑い出した。

 ちょ、店長! 面白すぎでしょ!

 そんなキャラじゃないのに顔文字だけって! 

 そして、ちゃんとメールを返してくれたのが嬉しすぎてどうかなりそうだった。胸の高鳴りが収まらず、スマホを持ってニヤニヤと画面を見ては、胸に抱えてベッドをゴロゴロする。

 そんなことを暫くしていたら、階下から再び声が掛けられた。

「ちょっと実加、遅刻するわよ!」

「わああっ!」




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