あの人との関係は
オーナーが帰り、店内は日常を取り戻した……かに思えたけれど、またピリピリした空気が再発した。
もちろんその発生源は店長で、嫌がらせのようにあちこちに置かれている三堂さんの名刺を見つけるたびに、イラっとしているのがよくわかる。
ビリビリに破くような真似はしないけれど、そろそろ三十枚に届きそうな枚数に、私まで呆れてしまう。
熱心なのはわかるけれど、逆効果でしょ、これ。
今日の客足は、出だしは遅かったものの、ランチタイムに差し掛かるとあっという間に満席となった。慌ただしく店長と私で店内をまわし、一息つく頃には太陽が大崩海岸の向こうへ赤みを帯びながら隠れる頃だった。
「ありがとうございました! またお越しください」
最後の客を見送り、店外に置いてある看板をくるりとひっくり返し、〝close〟にする。
今日もとっても忙しかったけれど、私が大好きなここの景色と店長の味を、わざわざ求めてやってきてくれると思うと、疲労に代わり充実感で満たされていく。
さあ、今日一日の仕上げをするぞ!
閉店作業は、レジの清算処理をしたり、レジ前に並べた焼き菓子の数や賞味期限のチェックをしたり、ごみの始末、掃除、戸締りなどで、明日に備えて店の状態を整えていく。
接客担当なので、客席も私の担当となる。店長は店長で、キッチンの片付けをやっているのだ。他の店員がいないので、自分のペースでできるのはありがたい。
手慣れた作業だけど、丁寧にやれば明日も気持ちよく仕事に取り掛かれるので、心を込めて作業に当たる。
自分の担当箇所が終わったのは、退勤時刻の十八時だった。少し前までは、作業に手間取り伸びてしまうこともあったけれど、これも一応成長の証かな。
ちなみに、タイムカードはない。自己申告制だけど、店長がその点はしっかり見ていてくれて、キチンと給料に反映されている。時間オーバーの分は自分が至らないせいだし、むしろタダでもいいから仕事をしたいといったら怒られた。そのあたりの線引きは、きちんとされているので、私……というより、両親からのウケはとてもよい。
――しかし、どうしてくれようかね。
厨房では、調理台の前で腕を組んでしかめ面をするゴリラ……じゃなくて、店長がいた。朝の不機嫌モードが復活している……?
原因を探ろうとするまでもなく、店長が睨むその先には、調理台の上に置かれたカードサイズの白い紙があった。
あー、またリスが餌を隠すように店内中に仕込まれた三堂さんの名刺を見つけたのね。
苛々の原因を作った三堂さんは、店の…雰囲気…というか、店長の機嫌を悪くさせる一方で、悪影響しかない。
私までイライラしてきたけど、その理由を話さない店長にもイライラしてきた。だから、あえて原因を知らないふりして話してみる。
「店長、なにかあったんですか」
明らかに目の前の名刺のせいだろ、と分かる状況なのに、わざわざ訊ねた私は意地悪かな。
「何もない」
こちらをチラとも見もせず、調理台の前から離れて、洗い終えた大きな鉄板を片付け始めた。
通常時ならちゃんと目を合わせて答えるのに、こんな態度を見せるということは、明らかに触れて欲しくない話題があるんだなと、逆にわかりやすくもある。
「うっそだぁ。店長、ずっと機嫌悪いじゃないですか。私のせいですか? 私が悪いのなら改めますから、ぜひおっしゃってください」
客席から厨房に入り、あからさまに忙しそうにする店長の背中に怒りを込めて言葉をぶつけた。一瞬、店長の肩が揺れた気がしたけれど、何事もなかったように焼き菓子の型が入ったケースを棚に片付ける。
「だから何もないと言っているだろう」
「ムキになるところが怪しい」
「もう帰れ」
追撃を試みたけれど、拒絶という大きな壁が立ちはだかった。これ以上立ち入るな、というサインに違いないが、二人きりで働いている以上そうもいかない。
「嫌です。聞くまで帰りません」
「強情だな」
「どっちが」
「お前がだ」
「うっわ酷い。可愛い乙女に向かって酷い!」
「自分で可愛いとかいうやつなんて信用置けるか」
「あのひと元カノなんですか」
「……っ」
つい考えもせず口走ったけれど、どうやら図星だったようだ。
いつもの軽いやり取りのなか突然切り込んだので、油断した店長の息を呑む音が聞こえた。動揺が顔に現れ、それを私は肯定と捉える。
下手を打ったと、苛立ちのままに店長の口はへの字に曲げられた。
三堂さんについて、それだけ隠したいことだったのかと思うと、なんだか胸の奥がきゅうっと締め付けられるように切なくなる。
「だからよくご存じだったんですね」
「たまたまだ」
認めた……
店長と三堂さん……二人の並んでいる光景が目に焼き付いて離れない。
店長は筋肉ガッシリの強面美男子で、三堂さんは雑誌のモデルと遜色ないナイスバディ美女で、二人が一緒にいる姿は、非常にお似合いだったのだ。
「雑誌の取材に来たのが、たまたま元カノだった……ということですか?」
「……」
ムスッとしながらも否定をしないので、そういうことなのだろう。
「店長の仕事とかよく知ってそうでしたもんね。あ、でも三堂さん突然来たんでしたっけ? いままで連絡取りあってなかったんですか?」
「そもそも何年も会ってないし、連絡先も知らん」
……ということは、別れて何年も経っている……ということなんだ。こういうところに気付いてしまう自分が嫌だな。
つまり三堂さん自身は店長に未練があって、偶然再会したことで、取材にかこつけてヨリを戻そうとしている……かもしれない……?
これは私の個人的な想像だけど、それが一番しっくりくる。
「まあそっちの話は二人で勝手に決着付けてください。私には関係ないので」
「聞いておいて投げるんだなお前は」
「じゃあ答えてくれるんですか?」
私の質問に呆れた様子の店長は、「お前には関係ないんだろう?」と小さく息を吐くと、台拭きで調理台の上を丁寧に拭く。
私には関係ない、と先に言ったのは自分だけど、店長から言われたら急に疎外感を味わってしまう。関係ないとしたのは、二人が恋人同士だった話を聞きたくないからだけど、でもでも、知りたくもあったりして複雑な胸中を抱えてしまう。
「あいつは俺が菓子作りをすることを知っている。だが、この店は俺が前面に出ていない。だから、困る」
ああ……そのことを気にしていたのか。
この店に勤めだした当初、お店の閑古鳥に驚いていたけれど、それは店長の見た目がガチムチ筋肉強面長身という迫力ある図体をしていたからだ。若いお姉さんなんか絶対来ない。奥様方だって、子連れ客だって、絶対に初見では無理だ。
耐えられるとしたら、スポーツジムのバーベルとか置いてある、ガチムチゾーンにいるような筋肉リスペクトの方々限定だろう。しかしそのような人たちは、この店の料理を食べに来ないと思う。多分。
巨体のゴツイ男が作っているのはちょっと……というビジュアル的な問題で、私が客席を担当、店長が厨房を担当と分業するようになった。そして通販の方も、私が作っている――かのように見えなくもないホームページの宣材になっている。そんな理由で、わざわざ隠れた店長を表に出すわけにはいかない。
ていうか、私自身は店長の味がもっと有名になって欲しいと思うけれど、雑誌で来るお客様というのは一過性の事が多い。大勢押し寄せて店が回らなくなり、それによって新規はもちろん常連のお客様へのサービスが行き届かなくなる方が困るのだ。
もしかして店長は、あまりに熱心に通う三堂さんに対して少しだけ協力してもいいと思っているのかな……
私の胸の中の、ゴチャゴチャと絡みつく一つの気持ちを、見つからないようにそっと奥へとしまい込む。
「店長~、雑誌に出たいですか~?」
わざと間延びするような声を出して、質問をしてみる。
「嫌だ」
「わかりました。じゃ、やめましょ」
「うん?」
「店長が嫌なことは、私も嫌です。だから、この話はきっぱりお断りしましょう?」
「……いいのか?」
「いいもなにも、この店の店長は店長です。決定には従いますとも」
私がきっぱりと言うと、店長は「……そうか」と一つ頷く。顔を上げた店長の顔からは、眉間の皴が消えていた。
「じゃあこの話はおしまい! さ、帰りましょ!」
パンパンと手を叩いて店長の横を通り、靴を脱いで小上がりで帰り支度を整える。エプロンを畳み、ちゃぶ台の上に広げていた帳簿を棚に片付け、明日発送する通販の品数を確認した。
すると、お店のカウンターのところに置いてある、固定電話のプッシュ音が聞こえてきた。ひょいと小上がりから顔を出すと、店長が受話器を持っている姿が見える。死角になっているのか、店長は私に気付かず、電話に出たらしい相手と、ボソボソと何か話していた。
携帯電話を持っているのに、わざわざ店の固定電話から?
この店の店長として、公的な用事で相手に掛けているというポーズ?
店長は携帯番号を相手に知られたくない?
その相手は、三堂さん?
店長の慎重な姿に、なぜか私は頬が緩む。でも、盗み聞きみたいなのも嫌なので、電話が終わるのを待たず帰ることにする。
靴を履き、わざとらしく「お先にしつれいしまーす」と店長に声をかけ、返事を待たずにお店の扉を閉めた。




