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海を挟んだ記憶




 空いた器にスプーンを置いて、私は「ごちそうさまでした」と手を合わせ、オーナーと、それから心の中で奥様に礼をいった。


「実加ちゃんが来てから、おらっちとこがえんらい活気がでてなあ……客いねぇ店でもええっちゃええけんど、賑やかい方がうちんのは好きだったかんなぁ」


 私が初めてこの店に来た時、客の姿を見ることはごくごくまれだった。通販部門で経営が成り立っているというのを知らなかったからだけど、正直いつ潰れてもおかしくない程だ。

 強面の店長が愛想の一つもなく出迎える店は、繁盛とは程遠く、しんと静まり返って居心地の大変悪い空間だった。

 私は食事と景色に惚れたクチなので、その雰囲気に流されず通ったけれど、入った瞬間回れ右をする人も多かったに違いない。

 店長にお店を任せているオーナーは、毎日コーヒーを飲むだけで経営に特に口を出すことはなかったらしいけれど、いまの賑わいは嬉しいようだ。


「奥様もここの席が好きだったんですか?」


 命日に、ここで二人分のコーヒーとプリンを――というのが、オーナーの決まり事らしい。この席から見る窓の向こうの素晴らしい景色。太陽は南にだいぶ動いたので、東に向いている窓から直射日光は入らないけれど、その向こうの波打つ海面と、遠くにシルエットが浮かぶ伊豆半島の稜線がとても美しい。オーナーと二人、窓に映る絵画のような景色をしばしの間黙って眺めた。


「店開けるちぃーっと前に、うちんのと二人でこうやって景色見ちゃあ、ああでもねえこうでもねえって店の事や客の事、メニューや明日の天気や近所の畑や……はぁ、えんらくおしゃんべりだったなあ」

「奥様もお喋りな方だったんですね」


 コーヒーを飲みながら、オーナーは思い出話をし、微笑みで皺を深くした。

 亡くなった奥様を、今でも深く愛しておられるんだな……と、思うと、胸の奥がじんわりと温かくなる。うちの両親も幸せそうだけど、こんな夫婦関係、いいなあ。

 ……いつか、私もこのように対の相手が現れるのだろうか。


 相変わらず梅原と仲良しこよしの友達関係は続いている。梅原から本気の告白されたのにもかかわらず、私の方には恋愛感情が湧いてこなかった。たまに「気は変わらない? お試しでもいいんだけど」と聞かれることはあるけれど、気は変わることなかったし、お試しで付き合えるほど私は器用じゃない。

 オーナーのように、ずっと相手を想いあえるような関係ができる……人。

 そこで、ふっと浮かんだ顔があった。ち、ち、違う! 違うよ絶対違う!!

 全力で首を振り、頭を抱えてうぁぁ……と唸りながらその相手を無理矢理追い出していると、オーナーから心配されてしまった。


「実加ちゃん、どうした」

「なななななんでもないです! ほんっと、なんでも!」


 なんでもない、なんでもないと心の中で呪文のように繰り返し、ようやく平静に戻れたので、改めて椅子に座り直し――――たところ……


「おい」

「へ……はっ、わわわっ! ぎゃあっ!」


 突然後ろから声を掛けられた私は、動揺したばかりで堪らず叫び、仰け反った体は椅子ごと後ろに倒れ込んだ。

 落ちる、と思った次の瞬間には、もう止まって……がっしりと丸太のような腕に私の体は支えられていた。

 これは、もしかして、もしかしなくても――?

 おそるおそる視線を上にあげると、そこには呆れたように私を見下ろす店長がいた。


「相変わらずそそっかしいな」

「ひぃっ! ご、ご、ごめんなさいっ!!」


 全身が燃え上がるかと思うほど熱くなってしまう。倒れて怪我をするのを助けてくれただけなのに、つい謝ってしまうのは日ごろの行いだ。

 私の動揺など気付いていないのか、店長は私の体勢を戻した後、テーブルにトンとよく冷えた店長手製のジンジャーエールを置いた。


「これ飲み終わったら仕事に戻れよ」


 そして、大きな体をくるりと翻して、再び調理場へ戻っていった。

 オーナーは、カカカと笑いながら「ゆっくりしてええってこんだら。……雅はそらつかってるけぇが、実加ちゃんがぶそくっててもえんらい――まあええ。実加ちゃんはそのまんまいてくれりゃええでな」


 にこにことオーナーは言うけど、方言が多々含まれていてイマイチ分からない。けれど、どうやらコーヒーが飲めない私用に、飲み物を差し入れてくれたということと、店長がなにか私のことについて思っているらしいことを、途中まで言ったようだ。

 そこ、すごく、知りたいんですけど!

 店長が私の事について? ……何と思っているのかな。

 雇ってくれって無理矢理押しかけたから、マイナススタートだということは十分理解している。事務処理や店内サービスを引き受けて、店長は料理に専念できるようになったのは……プラスかな。うん、プラスであってほしい。

 去年、初めて友達がこの店に来るとなって、できもしないデザートを作ると見栄を張った結果、店長の好意によりみっちりと特訓を受けられた。その効果あって、当日はアクシデントに見舞われながらも、高評価を得て面目躍如となった。

 けれど――

 その後から、どうも店長から少し距離を置かれている気がする。

 特訓の最中は、店長の懐に少し入れた気がしたけれど、今は見えない壁が存在しているかのように、一歩こちらが踏み出せば、一歩あちらが引き下がる。

 もしかしたら私の事を嫌いで、しかし仕事の面ではそれなりに役立っているから、あまり接しないようにしているのか……

 そう理解しようとしているのに、こうやって助けてくれたりするし、私がコーヒー苦手だからとわざわざ飲み物を持ってきてくれるという無言の優しさを見せる。

 ――混乱しちゃうよね。

 店長が私の事をどう思ってもいい。でも、せめてマイナスじゃなくて……ゼロで……一ミリでも、プラスの方向であって欲しい。

 急に押し黙った私に、オーナーは奥様用に淹れてあったコーヒーに口を付ける。


「あの日もこんくらい穏やかな波だっけなぁ。向きは違うけぇが、挟んだ同じ海だで、景色ん同じなんはええこっちゃ」

「……えっと、向きは違うって? もうちょっと窓が南向きだったとか?」

「ほぉか、実加ちゃんには言ってなかったか。実はな、おらっち前ん店は、ほれ、向こうさ見えるずら? 松崎が」

「えっ!」


 松崎――松崎といったら、駿河湾を挟んだ対岸の、伊豆半島にある町。

 昔からここ久能に店を構えているのかと思ったら、もともとは伊豆の松崎町にあったというのか。そんな意外な話に茫然となりながら、続くオーナーの話に耳を傾ける。


「うちんのと海が見えるとこらへんで喫茶店やりてゃあって言っとって、せーだったらここいらがええっちゅうて……松崎のあの場所でな。だけん、土地は借りもんだで、契約期間過ぎたら返さにゃならんでの。あん店もえぇけぇが、やっぱ在所のある久能に帰ってきたくなってな……」


 懐かしそうに目を細めながら、オーナーは昔の話を教えてくれた。

 当時の店は国道一三六号沿いの、海が見える小高い丘のような場所だったらしい。そこでオーナーは畑仕事、奥様は早朝畑の仕事を手伝いつつ昼間に喫茶店を開いていた。場所柄的に、周囲にあるのは鬱蒼とした山ばかりで民家がなく、そもそもコンビニなんてない時代だから、旅の途中に立ち寄る旅行客がメインだったらしい。日中だけの喫茶店だけど、次第に常連客も増え、ここへ立ち寄った県外の客からも絵ハガキが届いたりと、奥様の人柄に惹かれる人が多かったようだ。

 オーナーは、“OCEAN BERRY”と同じく、朝十時のコーヒータイム以外はあまり店に行かなかったようだけど、お店は世間と繋がる場所なので、奥様が生き生きと今日あった出来事を夕食の席で話すのが楽しみだった――と、再び駿河湾を挟んだ対岸の伊豆半島に視線を戻す。


「ええ思い出ばかり貰ったなぁ」


 しみじみと語るオーナーは、本当に奥様を心から深く愛し、その奥様の思いを残していきたいと思われていることが伝わってくる。


「今日ばっかりは悪ぃっけやぁ、実加ちゃん」

「いいえ。もっと聞かせて欲しいですよ! 奥様にお会いしてみたかったし……なにより、この美味しい奥様レシピのプリン! 他のお料理も食べてみたかったです」

「ほぉか、ほぉか」


 オーナーはニコニコと私の言葉を聞いて、何度も頷いた。


「うちんのも、実加ちゃんのような子とおしゃんべりしたかったらなぁ……ありがとよ」


 一口分残っていたコーヒーを飲んだオーナーは、「せーじゃぁ、ちょっくら畑行ってくらぁ」と奥にいる店長に声をかけて帰っていった。




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