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大変、申しわけ、ございません!



「えっ! あっ、あれっ!?」


 ハッと目を開くと、見慣れない天井が目に入った。自分の部屋の白い壁紙ではなく、木目がよく見えるし、なぜか体が真っ直ぐだし、体がホコホコと暖かい。ゆっくりと首をめぐらせてみると、どうしたことか世界は九十度曲がって見え……

 ――いや、違う。

 今の状況を察するに、どうやら私は布団に寝ているようだ。調理場に面した小上がりの和室で、敷いた覚えのない布団に、しっかりと首まで掛布団に包まっていた。

 けだるい体をゆっくりと起こし、なんとか状況を把握しようと周囲の様子を伺ってみる。すると信じられないことに、いつもだったら窓から差し込む太陽の光が調理場を明るくしているのに……なぜか……赤みがかっているのである。

 まさかとは思いたいけれど――そのまさかなのか。

 恐る恐る壁に掛けられている時計を見ると、短針と長針が、二本仲良く真下を向いていた。


「嘘、でしょ……」


 つまり、時刻は間違いなく夕方の六時半ということで……

 もう一度見て確かめ、今度は目を擦ってもう一度、目を閉じて深呼吸を三回繰り返してもう一度。しかし何度見たところで夕方である事実は変わらず、私は頭を抱えた。

 何ということをしてしまったのだろう。寝不足なのは完全に自己責任であり、店長の優しさに甘え過ぎてしまった。ただでさえ、ここの所のデザート作りによる特訓でも迷惑をかけていたのに、今日は仕事をしない上に食事までもらい、あまつさえ寝てしまうとか――ありえない! ありえない! ありえないでしょ、自分!


「起きたか」


 そこへのっそりと店内から厨房へ入ってきた店長。私は慌てて掛布団をはぎ取り、その場に正座した。


「た、た、たいへんっ、申し訳な――」


 頭を床に……というか、敷布団の上にくっつける勢いで下げると、クックックッと忍び笑う声が、赤光色に染まる調理場に響いた。

 笑い声、だよね? 

 聞き慣れない店長の笑い声に驚いて顔を上げると、すでにいつもの無愛想で強面の顔がそこにあるだけだった。


「いい、気にするな」


 店長は小上がりに腰を掛けると、半身をこちらに向ける。大きな体躯をしているので、座っていても存在感が強い。特に背中は、この上でボードゲームでもできそうなほど広くて厚くて頼もしい。

 サンドイッチの“試食”を食べ、睡眠不足もあって寝入ってしまった私を、店長は押入れから布団を敷いて寝かしてくれたようだ。気付かないほど丁寧に運んでくれたのか、私が鈍いだけなのか――おそらく後者だろうが、手間どころじゃない面倒をかけさせてしまい、ひたすら恐縮する。


「そんな訳には……」


 私がなおも甘すぎる言葉に抗議しようとするけれど、「ここの所、早出や残業が続いていたからな。だからその分の代休と思えばいい」といって取り合ってくれなかった。

 使い物にならなかった私に対し、店長としての裁量を含めた優しい言葉をくれる。


「明日も休みだからな。しっかり体を休めてこい」

「店長……」

「その代わり、火曜日からはスパルタで行くからな」

「……店長」


 飴と鞭が大きな振り幅を持ってやってきた。店長は体育会系な体をしているだけあって、かなり厳しいシゴキがあることが予想される。もちろん文句を言える立場でもないので、ハハハと。

 とはいえ、厳しいにしても結局自分の身につくことだから、一方的な鞭ではない。つまり、照れ隠しの言葉だ。

 ……店長は分かりにくい優しさを混ぜてくる。


「本当に今日はすみませんでした」


 再び頭を下げて礼を言うと、フン、とそっけなく立ち上がる店長。柄にもないことを言った、とその顔に書いてあるのが見て取れる。

 だからなのか……つい、深く考える前に口からするりと零れてしまった。


「あの……店長」

「なんだ」

「ちょっとだけでいいから、抱きしめてもらってもいいですか」


 立ち上がって振り返った店長は、呆けた顔になったかと思うと、ぐらりと体が傾ぎ、調理台に手を突いた拍子に、すぐそばに置いていた一抱えもあるボウルを床に落としてしまった。


「ちょ、店長!! 危ないじゃないですか!!」


 ボウルは鼓膜がビリビリと震えるほど派手な音を立てて、コンクリートで直張り施工された床に転がる。幸い中身の入っていないものだから良かったけれど、もし液体系が入っていたら、その後の惨状に目も当てられない。

 店長はゲーッホゲッホと激しく咳込みながら、そのボウルをもう一度洗浄するためシンクに置いた。


「お、お前が変なこと言うから手元が狂っただろう!」

「冗談に決まってるでしょ! もー知らない! それじゃ帰ります!」


 店長に向かって、怒ったように言いながら布団をサッと畳み、店長の顔も見ずにバッグを抱えて足早に店を出る。向かったのは、店の裏手の駐車場の一番隅。お年玉貯金とバイト代、そしてここでの給料を貯めて自分で買った、中古の軽自動車に乗り込む。シートに座り、シートベルトをして、ハンドルを手に持ったところで――そろそろと息を吐き出し、ようやく気を抜くことができた。

 ――何であんなこと言ったんだろ、私。

 明日は梅原に告白の返事をしなければならない。

 そもそも、それが寝不足の原因なのだけれど、それがどうして店長に抱きしめて欲しいなんて言うことになったのか、全く理由になっていない。

 ああ、誰にも見られないでよかった。私はハンドルの一番上に、おでこをコツンと乗せる。

 ――いま、すごく顔が赤い。

 すぐに発車させたいけれど、ドキドキと乱れる心臓と顔の赤みが落ち着くまで――


「いーち、にー、さーん……」


 と、数字をゆっくりと数えながら待った。




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