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浮かない心



 翌日の日曜日。今日は仕事だ。抜けるように真っ青で美しい空とは対照的に、私の気持ちは重く淀んだままだった。返事をするのは明日の夕方で、まだ時間がある。とにかく昨日無理に休みをもらった分、真面目に仕事をしなければ。梅原のことについて、結論は一旦棚上げすることにしよう。

 ……と、思ったんだけどね。

 気付けば「フゥ……」とか「ハァ……」とか、ため息ばかりで、どうしてもぐるぐると考えが回ってどうしようもない。昨日だって、帰宅してからずっと頭の中をそのことで占められ、ぐっすりと寝られるわけもなく、何度も寝返りを打っては「どうしようどうしよう」と呪文のように呟いた。

 ほんのりと淡い初恋くらいしか経験値がない私にとって、身近な友達から告白されるという一大事件が起こったのだ。

 いい奴だけれど、そんな対象としてみたことのない「男」友達。

 そもそも、お付き合いってなんだろう。

 好きになる? 恋人関係? 

 ……ということは、手を繋いで、キスをして――それ以上も、あったり。……あったり?


「想像できない……」


 店のバックヤードでテーブルクロスなどの洗濯物を干しながら、うわああっと全て放り投げて逃げ出したくなった。

 普段の私は、思いつくままパッと決めてしまったりするのに、こんなにも思い悩むなどありえない。使わない思考回路がオーバーヒートしそうだ。

 梅原からの純粋な好意は、梅原という人間を良く知っているだけによくわかるし、嬉しい。

 それなら試しに付き合ってみてもいいんじゃないか? 昨日みたいに楽しく過ごせる相手だし、付き合っていくうちにそういう感情が芽生えてくるかもしれないし……

 だけど、それでは梅原に対して失礼だ。好意に好意を返せない私が、〝試しに〟だなんて上から目線過ぎるし、純粋な好意を弄ぶようなもの。

 真剣に向き合いたい。

 真摯に、受け止めたい。

 けれど、ぐるぐる、ぐるぐる、考えが纏まらずに答えが行方不明だ。


「おい、いつまで洗濯を――実加?」

「へ? あっ、すみません! 今すぐ戻ります!」


 籠に残った洗濯物の布巾をサッと干し、店内に戻るため店長の脇をすり抜けようとしたら、私の腕を掴まれた。


「酷い顔してる。鏡は見たのか」


 思わず、私は店長から顔を逸らした。

 だって……恥ずかしかったから。

 朝、顔を洗う時に鏡へ映った自分の顔に絶望した。ベッドに入ったのはいいけれどまったく寝付けず、目の下の隈は濃く浮き出ているうえに、知らず涙を零したようで、白目は充血している。寝返りを繰り返した髪はぼさぼさだし、一応化粧はしたものの、私の化粧技術ではとてもそれらを隠しきれなかった。


「酷い顔はもともとです」

「目が赤い」

「カラーコンタクトです」

「白目が?」

「斬新でしょ」


 つっけんどんな物言いの私に、はぁ、と店長は大きなため息を吐いた。早く店の準備をしなくちゃならないのに、なかなか手を離してくれない店長へ、ため息を吐きたいのはこっちの方だと言ってやりたい。

 かといって、今さらながら顔を上げられず、じっと足元に視線を落とす。私の足より倍も大きく見える店長の靴が、一歩私に近付いた。


「実加。今日はもういい。帰って休め」

「ヤですよ」

「そんな顔して客前に出せるか」

「店長だってそんな顔してるくせに」

「……生まれつきだ」

「……ごめんなさい」


 店長の気遣いが、まるで子ども扱いされているかのように思えてしまい、口答えをしたものの不発に終わる。いつもだったら調子よく返すのに、気持ちがそこまで上がっていないから。

 店長の手が、ふっと上がって途中で止まり、再び下がった。元の位置に戻ったその手が、なぜか固く握られていたのに気を取られていると、店の奥からチリン、とドアが開いたベルの音が聞こえた。


「おっと、客だ。――いいか、どうしても働くというのなら、せめて午前中は休め。これは店長としての命令だからな」


 そういうと、さっさと店内に踵を返して行ってしまった。

 また、迷惑をかけてしまった私は、自己嫌悪に陥る。確かに私が入ったことにより客数は増えたけれど、それ以上に店長の手を煩わせていると思う。もともと通販で売り上げが良かったから、営業利益も十分出ていて店舗に力を入れなくてもよかったわけだし、足を引っ張ってばかりで管理のなってない私は、押しかけ従業員の癖に邪魔になっているんじゃないか……

 申し訳なさ過ぎて店長に顔向けができない。意気込んだところで、たった今人前に出ていい状態ではなく、そして料理を手伝うだけのスキルもない私は、結局何もすることができない。

 私がいない日でも店長は一人で切り盛りしてきたため、特に困ることはなさそうだ。

 とにかく早く仕事に戻ろうと、タオルを氷水で冷やし、目元に当てる。調理場にある小上がりに腰掛けて、ふう、と息を吐いた。

 ドアベルがチリン、チリン、と客が来るたび鳴り、店長の耳触りのいい低い声の「いらっしゃいませ」が良く聞こえる。そういえば、閑古鳥すら泣いていない頃と比べ、店長は愛想よくなったなあとぼんやりと思い返す。今まで常連客が出来なかったのは、店長の見た目の恐ろしさからくるもので、しかし二度三度と来るうち、見慣れれば些細な問題に過ぎなかったからだ。

 ここのメニューはランチ用の定食二種類とデザート、ドリンクのみなので、ランチタイムだからといってそれほど混み合う店ではない。むしろ長居する客の方が多いくらいだ。それは私と同じく、景色と料理に魅了された人たちばかりで、ゆったりと静かに目と舌を楽しむ。

 ドアベルの音が、入退店を知らせてくれるので、私も大体の店の様子が分かる。床板にコツコツと音を立てて歩く音、落ち着いた声は、常連のあの人かな……そして、ふわっと広がるコーヒーの香り……

 コーヒーの味は苦手な私だけど、香りは好きなのよね。

 小刻みに入店が続いていて、そろそろ私も、と腰を上げかけたら、いつの間にか店長が目の前に来て、私に皿を差し出した。

 その皿の上には、表面がカリッと焼かれたトーストに挟まれたミートローフ。そしてグリーンサラダと、ココットにラタトゥイユが入っていた。小さなピクルスはピックに刺さっていたけれど、なぜかそのピックはお子様ランチにあるような旗がついている。


「食べろ」

「え……でも私まだ働いていないし……」


 まかないをもらうほど働いていないし、タダで食べるには申し訳なさすぎる。しかし、自分のお腹は素直なもので、ぐぅ、と小さくない音を上げた。


「ううっ、すみません! でも食べたいです! ちゃんとこの分支払いますから食べてもいいですか!!」


 店長の手に持つ皿から目を離さずに一気に言うと、空気が震えるような気配がした。

 ――えっ、店長、笑っ……


「試食だ。金なんて取るか」


 私に皿を手渡すと、店長は冷蔵庫から冷やしておいたクッキー生地を取り出し、作業を始めた。

 店長が仕事しているのに食べていいものか一瞬迷ったけれど、目の前から胃袋を直撃するおいしそうな香りに負けた。さっそくお皿を膝に乗せ、サンドイッチを手に取った。クルミのパンに挟まれたミートローフは、ジュワッと美味しい肉汁が溢れ、口いっぱいに広がって……ああ、幸せだ……

 中に挟まれていたのは、ミートローフとトマトとレタス。野菜の味も濃く、レタスはシャクッと歯触りがいい。ナスやズッキーニや玉ねぎなどゴロゴロと野菜が入ったラタトゥイユは、今まで食べたものはなんだったのかと思うくらい味が深い。ココットじゃ足りない、丼で寄越せと思うほどの美味しさで、思わず「ううううう~!」と口をもぐもぐさせながら歓喜の声を上げた。


「その野菜はな、爺さんが作ったものだ。朝採れたてを店に届けに来て――」


 じいさん? 店長、前はオーナーって呼んでいたのに。しかし店長はそのことに気付かず、珍しく一方的に喋る。キュウリを日に何本収穫して、など特に関係の内容な事まで、淡々と。

 その間も、店長は所狭しと動き回っていた。ふわんと鼻をくすぐるコーヒーの香り、オーブンから取り出した天板の固い音、大きな体なのに効率よく調理場を行き来する姿を、見るともなしに眺める。店長の手にかかれば、グラスなんておもちゃのように小さく見えるし、一つ一つの素材がまるで魔法をかけたかのように、美味しそうな料理へ変化する。

 それを横目に、私は夢中でお皿の上の宝物を平らげ、バスの利いた低い声で朴訥と喋る店長の声を聴き――



 


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