デート、だけど。
朝はいつもより少しだけ寝坊した。ベッドに横になったものの、寝つきが悪くてあまり休んだ気がしない。壁に掛かった時計を見て、それでもなんとか起きなきゃと、欠伸をしつつ体を起こして目を擦る。
「あー……デート、かぁ……」
梅原とは静岡駅の南口にある東照宮碑で待ち合わせている。それまでまだ一時間ほどあるので、サッと支度をすれば十分間に合いそうだ。
デート……とはいうものの、幼稚園からの腐れ縁のアイツだから、いつもと同じ服装でいいだろう。むしろデートという言葉に浮かれたと思われるのも癪だ。ジャガイモと呼んでいた男子相手にわざわざお洒落をするのは、どうにも気恥ずかしい。社会人になって背伸びしたと思われるのも嫌なので、いつものメンバーと会う時のような、Tシャツにデニムのスカートを合わせて良しとする。バッグは、お母さんからプレゼントされたかごバッグにしよう。もう大人なんだから、とシンプルだけどとても丁寧な造りのバッグを去年の誕生日にもらったのだ。
「行ってきまーす」
階段を下りて、リビングにいるお母さんに声をかけると、夕飯の有無を聞かれた。予定がどこまでなのか未定なので、要らないと伝え、収納棚からスニーカーを出して玄関を出る。空を見上げると一面真っ青で、降り注ぐ光が肌をジリッと刺した。夏の澄んだ日差しは、私の浮かない心と正反対に輝いている。
「お待たせ――って、えっ!?」
バスに揺られて静岡駅の南口ロータリーに到着したのは待ち合わせの五分前。余裕をもって出てきたから丁度いいと思っていたのに、梅原は私よりも随分前に来ていたようだ。それよりも……
「やっば……」
梅原も同じような格好と踏んでいたのに、まさか〝ちゃんとした格好〟だとは!
「お前、やっぱ普段着で来たな! だろうと思ってたけどさ」
ゲラゲラと腹を抱えて梅原が笑う。上質そうな生地の襟付きシャツに編み込んだベルト、細いストライプが入ったスラックスにベルトと同色の革靴の梅原は、学生というよりずいぶん大人びて見える。髪だってジャガイモだった頃の面影など何一つなく、サラサラしていてすっきりとカットされている。
先日店に来た時はもっとカジュアルだったから、同じ感じでいいと思っていたのに!
「……ウルサイな。ちゃんとした格好ならそうだと先に言ってよ!」
カジュアルすぎて近所の散歩程度の私と並ぶと、どう頑張っても違和感がある。
「もー! ちょっと十五分……ううん、十分だけ待っててくれる?」
梅原にそういい、返事を聞く前に私は駆け出した。静岡の駅ビルに、ここ何年も通っているお店があるので、迷わずそこへ飛び込んだ。ザッと周りを見回すと、マネキンがノースリーブのレース素材ブラウスと、シンプルなアンクル丈のスリムなパンツ、それらに合わせたパンプスがコーディネートされていた。店員をすぐに呼び、「このフルセット、今着たいのですが……お願いできますか?」と頼み、会計を済ましてからタグを切ってもらい、試着室で着替える。ああ、今サマーセールで助かった……と、ちょっぴりお財布の心配もしたけれど、背に腹は代えられない。
鏡で最終チェック。トータルでコーディネートされているので、おかしなところはない……と思いたい。少し汗ばんで額に張り付いた前髪をちょいちょいと直し、ほんのり桜色を乗せていただけの口紅に、薄くグロスを足しておく。正面、横、後ろを向いて肩越しに自分の姿を鏡越しに確認してから、ようやくカーテンを開けた。そして着ていた服は袋に入れてもらい、店を飛び出した後は駅のコインロッカーに預け、再び待ち合わせの場所へ走り出す。
「お待たせ!」
「早かったな……え?」
待ち合わせの場所へ再び戻った私を、梅原はぽかんと見つめた。ハアハアと呼吸を整えている私の前で、「見違えた……」と呟く声が聞こえた。え、と顔を上げると、片手で口を隠して頬を染める幼馴染がそこにいた。
「お前のそういうとこ……いいよな」
「なによ」
「行動力っていうかさ。それできるの、すごいと思う」
「そりゃどうも」
一応褒められたらしい。カジュアルだけれど大人びた感じなので、これなら梅原の横にいても違和感はないだろう。
腐れ縁なだけに、お互いの好みは熟知していた。
映画も、食事も、歩く速度も。
ランチは、自分たちの年齢から少しだけ背伸びした感じのお店を予約してあり、改めて服を変えて良かったと胸を撫で下ろす。
気付けばあっという間に日は暮れ、ぽつぽつと街灯が点きだした。明日は日曜日で梅原は休みだけれど私は仕事の為、ここで別れることに。この流れで飲みに行ってもいいけれど、無理を言って休みをもらった手前、ヘロヘロで出勤する訳にはいかないのだ。
静岡駅北口の地下広場は、駅、呉服町通り、御幸通り、駅駐車場へ向かう道が、広場を中心に交差していて、ここは常に人であふれかえっている場所。イベントなどができるスペースが広くとられ、地上と繋がるエスカレーターや、街をPRする為の巨大液晶画面、待ち合わせなどに使われる憩いの噴水などが配置されている。天井は大きく切り取られて自然の風や光が入り込む仕組みになっており、その上にガラス屋根がぽっかりと浮かべられているように設置されていた。
私と梅原は連れ立って歩きながら、自然と噴水の傍へ流れ着いた。そして水のせせらぎの音を背に立ち止まる。その間も、あのランチは値段以上の美味しさだったとか、映画の予告編の話とか、学生の頃のように話は尽きない。
「さーてと」
そろそろかな、と時計を確認した私は、楽しい時間から切り替えるべく、わざと明るい声を出した。
梅原はエスカレーターで地上に出て、バスターミナルへ、私はここと反対の駅南からバスに乗るから、ここでさようならとなる。
「今日は楽しかった。……初めはちょっと緊張しちゃったけどね」
〝デート〟という単語の破壊力を振り返り、恥ずかしさを紛らわせようと改めて口に出す。すると、それまで友達の顔をしていた梅原が、急に知らない男の顔をした。
「実加」
「な、なに」
「実加、聞いて」
ざああ、という上から流れ落ちる水の音が、止んだ。
「お前やっぱいいよな。一緒にいてすごく居心地いい」
「まあ、長い付き合いだしね。あ、じゃあ時間だし、そろそろ――」
逃げたい。なぜか急にそう思った。友人という関係に、亀裂が入った気がする。
「待てよ」
「バスの時間が」
「わかった、手短に言う。――俺と、付き合ってくれ」
苛烈な視線が、私を撃ち抜く。それでも、必死に私は亀裂の修復を試みた。
「あっ、あの店に? ロードバイク乗るならやっぱり――」
「逃げんな。意味わかるだろ? 俺が、実加に付き合ってくれって言ってんの」
「え、え、え……ええ?」
「……好きだ」
ばくん、と心臓が大きく鳴る。
「実加の事、ずっと前から好きだった。今日こそ告白しようと思ってたからデートに誘ったんだ」
「す……き? 前から、って……」
思いもかけない告白を受け、私は喉の渇きを覚えた。ずっと前からって、ずっと前からって……いつよ。幼稚園から高校までずっと同じ学校で、バカバカしいことで二時間は余裕で笑っていられる友達だと思っていた。けれど、いつの頃からか梅原は私の事を友達ではなく……ということなの?
カラカラになった喉から絞り出す声は、まるで私の声じゃないくらいに弱弱しかった。
「そう。お前って結構危なっかしいしさ、だから俺の傍に置いておきたい、目の届くところにいてもらいたいんだ」
私の目の前にいる梅原は、いつもの梅原じゃなくて、男の顔をしていた。そんな梅原の本気さを感じ取り、頭が真っ白になった私は、言葉の一つも出そうとするのに、「あの……あの……」と馬鹿みたいに繰り返すばかりだ。
梅原は私の許容量を超えた姿を見ると、ぶはっと吹き出して真剣な表情を崩し、「いいって。お前、昔から恋愛とかそっち方面疎かったもんな」と苦笑しながら、返事は今すぐじゃなくていいと付け足した。
「でも、期限決めさせて? 待たされるのって、こっちの胃が持たないからさ」
「……わかった」
「考えている間、お前の頭の中が俺でいっぱいになるって、なんかいいな」
「……ばっかじゃないの」
私の休みの日に、梅原と会うことになった。メールも電話も嫌だといい、直接会って返事を聞きたいそうだ。
次の休みは月曜日。……明後日までに、気持ちを決めなければいけない私は、いつになく重い足取りで帰宅の途に就いた。




