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シフォンケーキ、らしきもの


「なんだこれは……」

「えっと……」


 店の閉店後、店長が「何か作ってみろ」と無茶振りをおっしゃるので、この三ヶ月の成長ぶりをみてもらおうと頑張って作った。しかし、できたものはシフォンケーキの……残骸でした。

 泡立てるの得意だし、混ぜるのも得意。それならこれでしょ! と作り始めた――のはいいけれど。

 材料を量るまでは何とかなった。しかし、入れる順番を間違うわ泡立てが足りないわで混乱し、技術がないくせに欲張ってマーブル模様にしようとするから、折角の泡が潰れてしまい……

 焼きあがったら、シフォンケーキというか、高さが全く足りない不細工な焼菓子が出来上がった。その上、表面焦げてるし、真ん中生だし……


「オリジナルデザー……ト、かなぁ……?」

「なわけないだろう! ……もしかしたら、と思った俺も悪かった」


 私と、そしてなぜか店長まで、調理台の上に置かれた残骸の前で落ち込む。


「シフォンケーキと……イチゴのアイスを作ろうと思ったんですけどね……」


 アイスを作る時間がないから、シフォンケーキだけにしたのだけれど、この分の材料を無駄にしてしまった。この三ヶ月で、随分レベルアップしたと思っていたけれど、大きな勘違いだ。目の前の残骸を見つめながら、情けなさがこみ上げてくる。


「店長……ごめんなさい。美味しくなるはずだった一回分、無駄にしてごめんなさい」


 ぽろん、と一粒涙が頬を伝う。

 本当に情けない。

 せっかく頼み込んでこの店に置いてもらったのに、こんな……

 一度零れだした涙は、その道に沿って後から後から流れ落ちていく。

 嫌だ。泣くの、本当は嫌なんだ。だって、泣けばそれでよしってしまいそうだし、泣くことで庇われる――そんな安い使い方は嫌だった。でも、止まらない涙はどうやったら引っ込むんだろう。

 俯いたままの私の視線の先で、床に落ちた涙は不規則な水玉模様を描いていた。

 すると――

 ゴホン、と咳払いの音がした。


「想定内だ」

「……っ、どういう……」

「練習しないのか?」


 店長は私に慰めの言葉をくれない。けれど、前に進む言葉をくれるのが、嬉しい。


「します……!」


 泣いている場合じゃないの! バッと顔を上げると、手を引っ込めた店長と目が合った。強面の顔が驚いたように目を見開き、体が一歩後ろに傾いて、足元にあったバケツを蹴飛ばした。

 ガコンッ! ガラガラガラッ! と大きな音を立ててバケツが転がる。


「店長―!」

「うおっ、誰だこんな所にバケツ置いたのは!」

「店長ですっ!」

「そ、そうか」

 

 落ち込んでいる場合じゃないのだ。だってもう時間がない。教えてくれるらしい店長の気が変わらないうちに、きちんと学ばねば間に合わない!


「よーし店長! やりますよ! 私……やりますっ!」

「……立ち直り早いな……お前……」


 若干遠い目をする店長をそのままに、私は材料を揃えるためテキパキと調理場を動き回った。



「お母さん! しばらく私、修行するから!」

「あらそう。お母さん、実加がせめて人が食べられるものが作れるよう祈っているわ」

「……うぅ……がんばり……ます」

 

 母親とは実に容赦のないものである。しかし、私がまともな料理を作る特訓をするといったら、手放しで喜んでくれた。ちょっと複雑な気分だけれど、とにかく応援してくれるようでよかった。

 とにかく土曜日の昼が期限。ランチタイムに来る友達たちに出すメイン料理は店長に丸投げするとして、私はデザートだけを作ることに。まあ……店長が作る、心が震えるほど美味しい料理を、私が皆に食べてもらいたいってのもあるんだけどね。

 朝は早めに出勤して特訓、店じまいしてからも特訓。シフォンケーキとイチゴのアイスを、とにかく作り続けた。もちろん上手にいくわけもなく、何度も何度も失敗を繰り返しては泣いた。だからせめて材料費は払うと店長に申し出たものの、「経費だ」と受け取って貰えない。

 そのあたりが、なんだか余計に悔しくて、もっともっと上手くなって見返してやる! と、ファイトが湧いてきた。くそぉ、絶対店長に美味しいって言わせるんだから!


 水曜日は定休日だけど、特別にといって、店長は店の厨房でみっちり教えてくれた。いつも使っている道具でやった方がいいだろうからって……

 つまり、店長も休みなのに、私の為に来てくれるってことなのかな。本当にいいのかな……なんだか申し訳ない。


「俺は店長だからな」


 ふん、と仏頂面で明後日の方を見ながら腕を組む店長。分かってる……その態度が照れ隠しだって。

 私が見栄のために受けたデザート作りを、店長だからといってここまで親身になって教えてくれるのは、ひとえに店長としての責任感なのだろう。無愛想で人を寄せ付けない雰囲気をもつ店長は、その壁を越えたら実はとても情が深い。いまだってただの従業員に対する以上の手をかけてくれているのだ。申し訳なく思いつつ、本当にこの店に勤めることができて良かったな、としみじみ幸せを噛みしめた。

 もちろん私につきっきりで指導するのではなく、店長は店長の仕事をしている。

 私が泡立てや材料を量っている傍で、大きな手を使い、小さな菓子を次々に作っていく。通販用のものだと思うけれど、確かまだ納期に間があったような……?


「おい、それじゃ泡が潰れる。もっとサックリ手早く混ぜろ」

「はははははいっ!」


 店長は、自分の仕事をしながらもキッチリと私の手元を見ていたようだ。

 こうして超がつくほど不器用な私は、店長の指導の下、なんとか形にできるまでになった。



「どう……ですか?」


 私の目の前には、チョコや紅茶を入れない、シンプルなシフォンケーキが置かれている。これだけでも美味しいという技術を食べてもらいたかったから、あえてプレーンを選んだ。

 卵の重さをキッチリと量り、白身をうんと冷やして、きめ細かく泡立てて……。店長に教わったコツ通りに、一つ一つ確認しながら作った。

 初めてちゃんと膨らんだ時は、飛び上がって喜んだものだ。しかしその後モタモタしてひっくり返すのが遅くなり、せっかくの膨らみがへたった時は悲しかったな……。勿論その失敗は、次に作ったときに生かした。

 ほんの少し前にはできなかったことが、練習したことにより、いま目の前で成果となって現れるのが何よりもうれしい。

 慎重に切り分けて、皿に乗せて店長に差し出す。緊張のあまり手が震え、皿に乗せたフォークを落としてしまいそうだ。それに、どくどくと血が流れる自分の心臓の音がやたらうるさい。祈るような気持ちで、じっと店長の手元を見つめていると、それに気付いた店長が顔をしかめた。


「睨むな」

「にっ……! 睨んでませんよ!」


 店長は手に持った皿から、手掴みでシフォンケーキを持ち、大きな口を開けてバクリと食べた。一口だけでほぼ半分が消え、もう一口ですべてが無くなってしまう。


「あああ……私のシフォンケーキちゃんが……」


 苦労して作ったのに二口って! せめてもうちょっと味わうというか、せめてこう、確かめるようなさあ……っていうか、フォークの立場ないよ!

 瞬く間に食べられてしまったのに気を取られ、さっきまでの緊張感がどこかへ飛んでしまった。


「あーもう店長ってさ、デリカシーないよね。なんか乙女っぽくドキドキしてたのに台無しだよ!」

「何のことかよくわからん。しかし――」


 使われることのなかったフォークが乗った皿を、調理台の上に置き、店長は私の頭をガシガシと撫でた。


「よくここまでできた。美味しかったぞ」


 息が止まるかと思った。

 褒められたの? もしかして私、褒められてる?

 店長の大きな手が、私のショートカットの髪をぐちゃぐちゃにしながら、荒々しく撫でる。私は「首の骨折れちゃう!」と文句言いつつ、心の中では舞い上がっていた。

 店長に褒められた! 店長に褒められた!

 胸の中がじわんと熱くなり、うっかりすると泣いてしまいそう――


「店長ぉ……ありがとうございますっ!」


 髪を手櫛で整えながら、感謝の言葉を伝える。明日友達が来るというギリギリさだけれど、なんとか形にすることができたのは、まさに奇跡だ。


「実加が努力したからだろ。結果は付いてきたに過ぎん」


 店長は、ハッと何か気付いたように私を撫でた手を少しだけ見て、くるりと背を向け作業に戻った。店長、私ちゃんと毎日髪を洗ってますってば!

 ともあれ、合格をもらったので、明日のデザートには自信をもって望める。一晩寝かせたくらいが生地も落ち着くし、アイスもキッチリ凍らせておきたいので、それも今日中にやってしまおう。

 只今、最高に気分よく卵と生クリームをミキサーで撹拌! 自然と鼻歌まで出ちゃうよね。


「ふーん、ふふーん、ふーん。ふっふーん」

「その歌知っているのか」

「あ、はい。お母さんがよく聞いています」

「……そうか」


 私は懐メロだと思っていたけれど、どうやら違ったらしい。こんなところに一回りの年齢差が現れるんだよね。店長は年上の三十二歳。二十歳の私から見ると、充分におっさんだ。そういえば店長ってなんでこの店にいるんだろう。オーナーとの関係とか、料理を始めるきっかけとか……知らないことだらけだ。


「ねえ、店長って結婚してます?」

「急になんだ」

「そういえばどうだったかなって思ったんです。……もののついでというか」

「ついでというのが意味わからん。……俺は独身だが、それがなにか」


 小麦粉をふるいにかけ、それをメレンゲの中でサックリと混ぜていく。店長は私の手元を確かめながら、自分の作業を進めていた。


「だからこの店に出ずっぱりなんですね。出会い無くて枯れませんか?」


 三十二歳で独身となると、身を固めた方がいい頃だ。それなのに喫茶店の店長として、少し前までは客の来ない店で一日中厨房に篭っていたり、通販に精を出し過ぎて休日返上で梱包作業していたりと、そもそも女性と出会う時間なんてこの店にいる限り皆無だろう。

 店長、早く身を固めてくれたら、もうちょっと人当たり良くなるんじゃないかな。っていうか、店長の恋愛……れんあい? うっわ怖いわこんな巨漢が頬染めるとか逆にホラーだよ。

 などと店長の私生活に失礼な事を思いながら、生クリームと潰したイチゴなどを混ぜたものを冷凍庫に入れる。どうかどうか、美味しいアイスができますように!

 明日はいよいよ友達が来る。必死に覚えてきたシフォンケーキとアイスを出して、ちゃんとできるってところをみせるんだから!

 いつも以上に念入りに客席を掃除して、もう一度冷蔵庫を確認し、美味しくなりますようにと祈りながら自宅に帰った。




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