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「大丈夫かい?」

 柔らかい声が響く。

「怪我はないようですが」

 冷たい口調で、誰かが応じた。

 その合間に、ぴょん、ぺた、と足音が響いた。

「軍服かな。丈夫な布でよかった、あんな転び方をしたら、普通は怪我をしてしまうよ。擦り傷だって痛いんだから、気をつけないとね」

 この、丁寧な、誠実そうな声は、たぶんあの蛙王子のものだ。

 ぴょんぺた。

(変ね。蛙に足音なんてあるのかしら)

 ぴょんぺた。

 リアは夢うつつに、そんなことを思う。

 変なの。

(私、確か蛙を背中で踏んづけた気がするんだけど……無事だったのね)

 幼少時の嫌な思い出――靴に蛙を入れられて、そして踏んだ――と重なって、リアの心臓が冷たく凍える。

 一方蛙の王子様は、危機感がまるでないようだった。

「イディアーテ。私では彼女を運べないんだ。彼女を馬に乗せてくれないか」

「王子。馬に乗せて、どうするんです」

「決まってるよ。城に戻る。まだ、私の呪いはとけていない。――危険が去ったわけではないのだからね」

 蛙の口調が、憂鬱そうに曇りを帯びる。

「……ですが、そう簡単にはついてきてくれそうにありませんよ」

「そうかな?」

「連れ去っても、また逃げ出されるのがおちです。王子は、それを望まれますか」

「いや……それは。ちょっと、悲しいかな。きっと、好きになると思っていたひとだから。嫌われるのは、つらいな」

(何この蛙)

 純情すぎて、何だかかわいそうに思えてきた。

(私、この人が蛙だからってひどいこと言ってしまったわ……)

「さて、もういい加減惰眠をむさぼるのはおやめくださいね、お嬢さん」

 男が突然言い出した。リアの心臓がきゅうっと縮まる。

「イディアーテ?」

 蛙王子は不思議そうだった。男は、リアの耳元でそっと言った。

「狸寝入りしているんですよ。この方は」

「えっ」

(ばつが悪くて起きられないじゃないのよ!)

 寝転がったまま、リアは耐えた。視線が突き刺さって、ぐさぐさ痛い。

 風が吹く。森のざわめきの中、馬が駆けてきた。

「あれー? まだ寝てんですか? 既成事実作るんですか?」

 馬から飛びおりた者が、間延びした明るい声を投げかけた。

「殿下、ファイト!」

「何言ってるんだい?」

 蛙が困惑している。従者が軽々しく手を叩いた。

「あっ、そっかー。蛙のままだと不便ですよね。さっさとキス、しちゃえばいいのに」

(えぇ!?)

 寝ている隙にキスしても、呪いはとけるものなんだろうか。

(もしそんなことされたら……!)

 リアは、蛙をつぶすかもしれない。錯乱して。

「そんなことできないよ」

 困惑をにじませて、蛙王子は首を振った(ようだった)。

「まだ、名前も聞いていないし。もっと嫌われるのは、嫌だよ」

「でも、蛙じゃなくなったら、嫌われる要素が一つ減るじゃないですかー。アライ、それがいいと思いまっす」

「彼女の目が覚めてから、改めて考えるよ」

「へー、相変わらず殿下律儀ィ」

「もう覚めてますけどね」

 イディアーテと呼ばれる男の声が、冬一番みたいな冷たさで言い捨てた。

「冷めているのかな? 確かに、少し寒くなってきた。上掛けをかけてあげてくれないか?」

「……殿下、そういう意味じゃないと思いますけどまぁいいや。アライ、殿下のそういうところ好きですから」

 ばさ、と布を広げる音が響く。薄い掛け布が、リアの体に載せられた。

(いよいよ、起きづらくなってしまったわ……)

「よしよし。怖いことは、ないからね。私達がいるから、安心してお休み」

「……安心できないから!」

 思わずつっこみを入れてしまった。跳ね起きたリアは、硬直した三者から、まじまじと見つめられてしまった。

「あ……の……」

「やっぱり狸寝入りでしたか」

 イディアーテがため息をつく。アライも、くるりと目を動かした。

 蛙だけが、リアの手に触れて丁寧に声を出した。

「よかった。痛いところはないですか? 気分は悪くありませんか」

「ひっ」

 蛙の冷たい掌が、リアの手に当たっている。

 リアが息を飲むのを、従者達が冷ややかに、あるいは面白そうに見守っていた。

 思い出したように従者の片方が眉をあげる。

「あ、お嬢さんお名前は? 俺はアライ、そっちの従者がイディアーテ。王子は蛙ですけど、呪われる前は人間でした」

「あっ、私の名前は、ジークフリート・エバロウと申します。どうかよろしくお願いいたします」

 従者アライにつられる格好で、蛙が懸命に言い募る。

「どうかその、かわいらしいお名前をお聞かせください。貴方を可憐な野の花でたとえても構わないのであれば、そうさせていただきますが」

(この人ならやりそう……!)

 本気でたとえられてもたまらない。リアは名乗ることにした。

「……リア。リディアーレ・ストラ」

「リア。いいお名前だ」

 蛙がにっこりする(ように見えた)。

「リア様、とお呼びしてもよろしいですか?」

「リア、で構いません」

「そうですか。では私のことはジークと。ストラの姫君」

 イディアーテが、少しだけ眉をひそめた。

「ストラ? すぐ近くの国ですね。戦略を立てて、その知恵を切り売りする、頭脳派なんだか分からない、若い王子がいるという」

「……それたぶん弟です」

 弟の変な趣味は、近隣諸国に知れ渡っているようだ。

「それを補佐する、一つ年上の姉姫がいるとも聞きますが」

「それは私です……」

「それほど知恵のある方が、何を求めて、どうしてここまで来られたのか。聞いてもよろしいですか?」

「さっき走ってるときに言ったけど、私、生まれたときの予言で、魔王の花嫁になるとされているの」

 リアは深呼吸して、気持ちを鎮めた。

「魔物って、人の恨みつらみや悲しみが大好物で暴れ回る生き物でしょう。そんなものを統治できる魔王の花嫁だなんて、冗談じゃないわ。弟と一緒に、どこかに抜け道はないか探したり勉強したり筋トレしたりしているうちに、年数だけ経ってしまって。魔王のところへ嫁に行かされる日が来てしまったんです。それがもう、嫌で嫌でたまらなくて……!」

「大変でしたね……」

 ジークがちょっと涙ぐんで頷いた。アライは興味がないらしく、自分の荷物をひっくり返している。ジークがゆっくりと言葉を続けた。

「リア。魔王のところへ行かずに、ここへ来られたのですか? 一人で?」

「えぇ。魔王なんてくそくらえです」

「予言を回避する方法は、見つからなかったんですか……?」

「そう。新しい相手を見つけて、魔王なんて追い払おうって思ってここに来たんですけど……貴方は蛙だし」

「う」

 ジークが、蛙らしい丸みを帯びた肩を落とした。

 荷物を広げていたアライが、こちらを一瞥して提案した。

「じゃ、今すぐキスしたらいーじゃないですか。王子の呪いは、もっとも愛する者にキスをされたらとけるって、聞きましたよ」

「そ、」

 それは知っている。あの城の呪われた人々全員に共通することだ。

 リアは言いかけて、口をぱくつかせた。

 きらきらしたつぶらな瞳で、蛙がこちらを見上げている。

「忘れそうになっていました、その……大変申し訳ないのだけれど、……お願いしても、いいでしょうか」

 ジークが、懇切丁寧な口調で頼みながら、首を傾げた。

「……」

 リアは、ジークを見る。

 蛙だ。まごうかたなき、緑色の蛙だった。

 目が合う。

 思い出されるのは、幼い日の光景。

 青蛙を踏みつけた、具体的な感触。お気に入りの靴と靴下をぐちゃぐちゃにした事件。

 あのとき、リアは泣き叫んで、室内の花瓶を蹴り倒した。花瓶の中に仕掛けられていた毛虫と蛙が飛び散って、女官達が叫び、逃げまどう。犯人(弟)は叱られて、その後蛙を捕まえてきて花瓶などに仕込むことは起きなくなったのだが。

(蛙……)

 リアは息を吸う。

 変な汗が背筋を伝って、頬が上気する。それから一気に頭から血の気が引いた。

 今、目の前に、緑の蛙がいる。頭に小さな冠をかぶって。

「やっぱり無理ー!」

「ぐえ」

 平手で払いのけられ、蛙王子は転がっていった。

「不敬罪ですよ」

 イディアーテが平静に言って、アライも小刻みに頷いた。

「殿下丈夫だからよかったけど。普通の蛙だったら、そもそも人体に下敷きにされた時点でまず死んでますからねーマジで」

「そ、そそそそれでも! 蛙は! 嫌なの!」

「だよねぇ……しょうがないよ、うん」

 土くれの中から拾い上げられた王子は、心なしか、何かがへし折れた顔をしていた。

 イディアーテがハンカチで丁寧に、蛙についた土を払う。

「蛙の、何が嫌いなんです?」

「見た目が、いやなの」

 リアの答えを聞いて、ジークはしばし首を傾げた。おもむろに、小さな手を打つ。

「自分で言うのもなんだけど、私は昔はかわいい美少年と呼ばれていたから! 見た目の問題はないと思ってください!」

「だから! 今の姿がね!?」

「うちの王子は、ちょっと……ばかなんです」

 イディアーテが妙に濁しがちに呟いた。

「そりゃばかはばかなんだけどイディアーテ。アライ思うんだけどそれも不敬なんじゃないの」

「あぁでも。姿がいけないのなら、いっそのこと目隠しをしたらどうですか?」

 いきなりイディアーテが目を輝かせた。気まずさを隠すためとはいえ、これまでの冷ややかさが嘘のようだ。

(こんなところで生き生きしないでよ!)

 リアは、掛け布を握りしめて後ずさる。

 ジークが慌ててぴょんと飛んだ。



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