赤の訪問者。
古い街並みになじむようにその店は存在する。紫の暖簾の店は「聖堂」。
骨董屋だ。
しかし普通の骨董屋とは少し違ったところがある。その店で扱われる品は、不思議なものばかり。
長い髪を後ろでまとめ、端正な顔と、優しげな眼元が印象的な着物姿の男が、ここの店主だ。
夏の蒸し暑い風が暖簾を揺らして通り過ぎる夕方、店主はうち水に勤しんでいた。
「本当に、ここ数日の暑さと言ったら…」
日が若干翳ってきたとはいえ、暑さにそれほど違いはない。店主は柄杓で水をまきながら、額に滲む汗をそっと拭った。 その時、視界に入る石畳に影が入り込む。黒くて細いつま先の女性物の靴が見えて、顔を上げた店主に、その足の人物がにっこりと笑った。
「聖堂はこちらで?」
長く美しい髪の毛が風に踊り、白いスーツが体の線を程よく表していた。スッとした目は涼しげで、長い睫毛が目元の印象を艶やかなものにしている。古い街並みのこの路地には似つかわしくないが、十分美人な女性だった。
店主はニコッと笑って女性の腕に抱かれているものに視線を移す。喉元に鈴をつけた黒いそれは、気持ちよさそうに抱かれてちらっと店主を見上げ、にゃーと鳴いた。
「この子が何か迷惑をかけてしまいましたか?それでしたらお詫びをさせてください」
店主の言葉に、女性は首を振り、小さく笑った。
「大丈夫です。この子はそこの道で会いました。私が聖堂を探しているのを知って案内をしてくれたのです。お利口な子ですね」
「そうでしょう?大変いい子ですよ。この子も、鈴も」
「…本当に。貴方のような人のそばで平気なのですから」
女性の言葉にからかうような雰囲気が絡む。店主はそれに喉の奥で笑って、柄杓に残っていた最後の水を石畳の上にまいた。
「貴方は、相変わらずですね。ここでお話するには暑すぎますので、中にどうぞ」
「では、お言葉に甘えて…」
店主の嫌味を含んだ言い方に、女性もクスクス笑ってしゃがみ込み、腕の中にいる黒猫をそっと離した。
「道案内、ありがとう。助かったわ」
黒猫はするっと女性の手を抜けると、顔を見上げてにゃーと返事をして、またどこかに行ってしまった。
「いいのかしら、あの子、行っちゃったけど」
「あぁ、かまいませんよ。そのうちまた来ますから」
先に入ろうとしていた店主は暖簾越しにその整った顔を覗かせて微笑んだ。
店の中はひんやりとしていて、暗めの照明も相まって落ち着いている。店主は女性に椅子をすすめ、自分はお茶の準備をする。
「初めて来ましたが、なかなかいいお店ですね」
たくさんの古いものが溢れる店内を見て、女性は穏やかな笑顔で言う。
「でしょう?落ち着くんですよ。私も古い存在ですから。……あぁ、貴女もですね」
明らかなからかいの言葉に、女性はムッと眉根を寄せて店主を睨んだ。
「貴方ほどではありません。私などまだまだ子供です」
「それは申し訳ありません。女性に年のことを言うのは礼儀に反しますね」
クスクスと笑い、女性の前に氷出しのお茶を置いた。女性は軽く頭を下げると、一口お茶を飲んでホッと息を吐いた。
店主もテーブルを挟んで、女性の前に腰を下ろす。二人の視線が絡み合い、思わず同時に笑ってしまった。
「本当に、いきなり来られて驚きました」
「驚いた?貴方が?全然そんな風には見えませんでしたが」
「私は感情を出すのが苦手なんです。それは貴女もご存知でしょう?」
しれっと言ってお茶を飲む店主に、女性は「そうでしたね」と笑う。
「それで?なぜここに?」
店主が喉を潤して一息つくと、女性に問うた。女性はその質問に首を傾げて、その綺麗な目元を細めた。
「別に、理由などはありません」
「…何もなくて、わざわざここまで来たのですか?」
店主の眉間にわずかに皺が寄る。それから大きなため息をついた。
「では、いつこちらに?」
「今日ですよ」
「何のために?」
店主の眉間の皺が深くなったのを、さもおかしそうに女性は笑う。
「それも、別に理由などありません」
「貴女という人は…相変わらずですね」
店主は呆れながらも、その口元は笑っている。女性もニコッと笑って店主を見つめた。
「向こうは、変わりありませんか?」
「はい。貴方がいたころと何も。ですが、私は貴女がいないことが寂しいですよ」
女性はふと寂しげな表情を見せた。それに虚を突かれた顔になった店主を見て、女性は吹き出した。手で口元を隠して、それでも盛大に笑っている様子に、店主は苦笑して残っていたお茶を飲んだ。
「私がいなくなってどれだけ経ったと思うのですか?今更そんなことを言われても信用なんてできませんよ」
「そうですか?私たちの感覚ではそれほど時間は経っていませんよ?貴方は感覚まで人間になられたようですね」
「私が人間に?……まさか。私は私ですよ」
ちらりと視線を向けた店主の顔に、不敵な笑みが見えた。それに女性は目を見開き、微笑んだ。細い手で髪の毛をかきあげ、上目づかい気味に店主を見る顔は美しかった。
「そうですね、失礼しました。なんだか安心しますね。貴方のその顔」
「安心?」
「はい。何もかも、貴女に任せていいのだと。貴方になら…そう思います。勿論、怖い存在でもありますよ」
肩をすくめておどけて見せた女性に、店主はにこやかに笑った。
「私はもう隠居の身ですから、貴女がたと関わることすらおこがましいです」
「隠居、ですか。それでこの店を?」
「はい。なかなか楽しいですよ。いろんな子がいますから」
にっこりと笑って店の中を眺めた店主に対して、今度は女性が眉間にしわを寄せた。それに一瞬沈黙した店主が不思議そうな顔をした。
「どうしました?」
まじまじと自分を見つめてくる女性に首を傾げる。女性は大きなため息をついて立ち上がった。
「今の貴方の顔。なんて穏やかなのかと思って、少し残念でした」
「は?」
「私は、全ての者を統べ、誰よりも強い貴方が好きでした。それがさっきの顔ときたら…本当に年寄りのようです」
「それは褒め言葉として受け取っておきますよ。それと、本当に私はもう年寄りですから否定はしません。しかし…人から言われると傷ついてしまいますね」
長い睫毛を伏せた店主が情けない声を出す。それに女性は小さく笑って頭を下げた。
「久しぶりに貴方に会えて、嬉しかったです。これで失礼しますね」
「こちらこそ。私のことを思い出してくれてありがとうございます」
二人は微笑みを交わし、ほんの少しさみしげな色を瞳に浮かべた。そのまま女性は店を出ようと歩き出す。店主も見送ろうと立ち上がるが、それを女性が制した。
「ご老体に無理をなさってはいけません。見送りは不要です」
ニヤッと笑ったその顔に、店主が小さく吹き出した。くっくと笑いながら女性を見上げて、優しい声音で返事をする。
「では、ここで失礼させていただきますね」
「はい。では…」
静かに、女性は聖堂を出て行った。
聖堂の軒先に、先ほどの黒猫がちょこんと座っている。大きな瞳で空を見上げてにゃーと鳴いた。その喉元で、夕日を反射して鈴が光る。
猫の見上げた空に、それはそれは立派な赤い龍が、天に向かって昇って行くのが見えた。
最後まで読んで下さった皆様に感謝です。
今回のお話は、「黄金色の愛情」を読んでなければ分からないかもしれませんが、少しでも、聖堂と店主の不思議な雰囲気を楽しんで頂けたら嬉しいです。
そして、今まで出てこなかった黒猫と、その子が着けている鈴ですが。
これはねこたまさんという方が、聖堂を題材に書いて下さった「猫の鈴~聖堂綺譚~」というお話に出てくる子たちです。
この話を読んだ時、すごく嬉しくて幸せで、泣きそうでした。私の書いたものが、他の方の手で広がっていたのって初めてでしたので。
私の書く聖堂と似てはいても、全然違うし、何より店主がかっこよかった(笑)
これを読んで下さった方で、まだ「猫の鈴~聖堂綺譚~」をご存じない方がいらっしゃいましたら是非読んでみてくださいね。
では、また聖堂を見かけた際には、ご来店くだされば幸いです。
ありがとうございました。