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お約束の出逢いの後別室に移動しました。
「お主、どこの国の者じゃ?」
「サマーン国です。」
「サマーン?」
聞きなれない国名に少女はわずかに首を傾げた。
その様子が意外と幼く見えて若者はふっと笑みを浮かべた。
「ご存じないのも無理はないです。ここよりずっと西にある小国ですから。」
唯一の自慢は緑豊かで作物と家畜が良く育つこと。そのおかげでアーリヤ国との貿易が成り立っている。
「ずっと西、というと、海を渡ってきたのかえ?」
「いえ、海は渡らず陸地を馬車で移動してきました。」
海路ならば2週間ほどで付く距離をわざわざ陸路で来たのには訳がある。
途中にある国やその国の市場の様子を見て回りたかったからだ。
こういった機会でないと、若者は自由に動き回れないほどの身分ではある。
「馬車?それはどれくらいかかったのじゃ?」
「1ヶ月ほどでしょうか。」
「1ヶ月も馬車に乗り続けたのかえ?」
次々と質問を繰り出してくる少女に若者は思わず苦笑を漏らした。
独特の口調と有無を言わせない態度からして身分の高い貴族の娘と思われるが、気位の高そうな素振りの合間に年相応の好奇心を覗かせる。
「ずっと乗っていたわけではありませんよ。途中いくつかの街に立ち寄りそこで市場などを見学しました。」
「市場?多くの店が立ち並び様々な物が売られているという、あれか?」
少女は口元を扇で隠してはいるが、その黒曜石のような瞳はきらきらと興味深そうな輝きを放っている。
やはり綺麗だと思いながら若者は頷いた。
「興味がおありですか?」
「別に...そういうわけではない。」
途端に瞳から輝きを失い不機嫌そうに視線を逸らした少女に若者は首を傾げた。
今の会話で何か気に障ることでもあったのだろうか。
思い当たる節もないので謝ることも出来ず、若者はしばしの静寂に居心地悪そうに治療が終わったばかりの指先に触れた。
「...痛むのかえ?」
「いいえ、もう大丈夫です。ありがとうございます。」
自分を気遣う少女に若者がにこりと微笑むと、少女は驚いたように目を丸くした。
少女にとって、若者の顔は本当に見慣れないものだった。
光の透けそうなほど細い髪は薄い茶色で、瞳の色は氷のような薄い青色だった。
鼻筋もすっと通っていて、顔の陰影が深い。
基本的に黒髪で丸い輪郭に彫りの浅い顔立ちをした民族が多い北方の国では見かけない顔立ちの若者は、無表情で黙っていれば冷たく感じるだろうにそれを全く感じさせないほどその表情には彼の温和そうな性格が見てとれるようだった。
「本当に...お主は面白い顔をしておるの。」
「はは...そうですか。」
先ほど宴の席で少女に「間の抜けた顔」と称された自分の顔がどんなものか、若者はよく知っている。なにしろこの顔と21年間付き合ってきたのだから。
緊張感がないだとか威厳がないだとか、十人並みに少し色をつけたくらいの微妙な顔立ちだとか、散々言われてきた。
4歳年下の妹からは「金髪にもなりきれず美形とも言い切れない残念な容姿」とよく言われたものだった。
そんなじゃじゃ馬な妹も1年前にすぐ隣の国へと嫁ぎ、兄としてはすっかり先を越された感じがする。
―――自分に結婚話が来ないのは、この容姿の所為ではない。多分...
若者はそんなことを思いながら自分の頬をさすった。
「西のほうではわりと珍しくもない顔、だとは思うのですが。」
「西のほうに住んでいる民族は皆お主のような顔をしているのかえ?」
「どうでしょうか。肌や髪、瞳の色は同じようなものだと思いますが。」
それから若者はサマーン国の風土や風習、それに関わる季節折々の祭りなどの話をした。
少女の瞳には、すっかり輝きが戻ってきていた。
「サマーン国か...一度訪れてみたいのぅ。」
どこか遠くを見つめるような瞳の少女に若者は思わずいつもの調子で応えてしまった。
「是非いらしてください。その時は僭越ながら私がご案内いたしますよ。」
観光名所は数少ないが、自然と人の営みが調和した美しい光景が若者は好きだった。
自分の他愛ない話に瞳を輝かせて聞き入ってくれるこの少女なら、あの光景をきっと気にいってくれるはずだ。
若者は、そう思った。
「わらわは...」
言いかけて、少女はきゅっと唇をきつく結んだ。
少女は決して自由に外に出れるような身の上ではなかった。
だからこそ若者のする外の世界の話に心が引き寄せられるし、聞いたことしかない市場や訪れたことのない国に旅することに憧れを抱く。
望むものを与えられ、愛でられ、大切に育てられてきた。
だが、決して外の世界を知ることを赦されなかった。
――――まるで籠に閉じ込められた鳥のようだ。
知らないうちに、自嘲じみた歪んだ笑みが少女の顔に浮かんだ。
それを見た若者はようやく先ほどの少女の沈んだ顔の理由に気付いた。
「サマーン国はアーリヤ国との交易を今後も続け、良い関係を築いていくつもりです。いつかあなたがサマーン国へと自由に旅が出来るように、わたしも努力します。」
真剣な眼差しでそう言う若者に、少女は返す言葉が思いつかずただ呆然と若者の顔を見つめた。
揺れる黒曜石の瞳が、少女の心の内の動揺を映し出しているかのようだった。
「―――お主の、名はなんという?」
パチン、と扇を閉めた後。意を決したかのように少女が微かに掠れた声で若者に問いかけた。
まだ名すら名乗っていなかったことを思い出し、若者は椅子から立ち上がると礼儀正しくお辞儀をした。
「私はアサル=サマーン。サマーン国の第一王子です。」
これでも一応、という言葉は少女に聞こえるか聞こえないくらいの小さな声で付け加えた。
「第一、王子?」
心底意外そうに、少女は呟いた。
若者―――アサルは少女の驚きを複雑な思いで受け止めていた。
自分の身分を明かしてこういう反応が返ってくることは珍しくない。むしろ常にこういう反応が返ってくる。
地味で存在感が薄く、人を和ませる会話はわりと得意だが楽しませる会話は不得意。
市場などに紛れ込むには必要な素質だが、宴などの華やかな場所では何ひとつ役に立たない個性だ。
近い将来サマーン国の王となる身でそれではいけないと思いつつも、生まれ持った性格というのはなかなか治らないらしい。
「アサル殿。先ほどの言葉に二言はないかえ?」
どこか含んだ少女の言葉に、アサルは自分が先ほど何を言ったのかを明確に思い出した。
「先ほどの言葉...あぁ、気軽に旅が出来るようにアーリヤ国との国交を盛んにするよう努力するという言葉ですか?」
少女の為の言葉でもあったが、それはサマーン国全体のことを考えての言葉でもあった。
貿易で栄えるアーリヤ国と国交が盛んになれば様々な物や文化、それに人も行き来し多くのものを吸収し活用する術を見出せるだろう。
「もちろん二言はありません。これでもサマーン国を背負って立つ身です。」
大小さまざまな国や民族、そして文化が存在する大陸で、アサルが生まれ育ったサマーン国は自ら他国へと侵略するための戦をしたことがない数少ない国のひとつだ。
先代も、先々代も、戦をしないことにより緑豊かな国を護ってきた。
アサルもそれに倣い、平和的な手法で自分の国を繁栄に導ける良き王となるべく今日ここに来た。
アーリヤ国との繋がりを持つということは、それに近づくために必要なことだった。
「ありがとう。あなたのおかげで自分の役目を再度確認することが出来ました。」
明日、シュザナ国王との謁見が許されている。アサルがはるばるアーリヤ国へとやって来たのは、今日の宴よりもそちらのほうがメインなのだ。
幼い面影が残る少女は、アサルが何故礼を述べたのかわからずきょとんとした表情を浮かべた。
まるで今宵の宴が自分の目的ではないのだと言っているアサルに、少女はぽつりと疑問をもらした。
「...今宵の宴の真の目的を、ご存知か?」
「は?えぇっと、確かアーリヤ国の第3皇女サーシャ様のお誕生日の宴、でしたね。」
そうそう、そうだった。とアサルは今更ながらに今宵の宴の主役について思い出した。
アーリヤ国の末の姫は今年の誕生日で16歳となる。アーリヤ国では16歳の誕生日を迎えると同時に成人として扱われる。
社交デビューをするのは14,5歳からなのだが、サーシャ姫は王と王妃、そして上の兄弟姉妹に大層可愛がられており、一度も夜会などに姿を現したことが無いとの噂だった。
その美しさは大きな黒曜石の輝きにも勝るとも劣らないというサーシャ姫を一目みようという他国の貴族の子弟達は多い。
今宵の宴も、大半はそのような若者たちで溢れ帰っている。
周りから見ればアサルも立派にその一員なのだが、本人にそんな気は全く無いということが少女にはわかった。
人の行き来の邪魔にならないようのらりくらりと行く当てもなくテーブルからテーブルへと移ってゆくアサルをずっと観察していたのだから。
それが解っていながらも、むずむずと沸いてきた悪戯心ゆえに少女はアサルに再び問いかけた。
「アサル殿も姫と会って話なぞしてみたいと思わないのかえ?」
「はぁ。そうですね。ですが、大きな黒曜石の輝きに例えられるほどの美しさを持つ姫の姿を見たら私の目は潰れてしまうかもしれませんね。」
ふむ、と思案した後に至極真面目そうにそう答えたアサルに、少女は腹を抱えて笑い出した。
「ふっ、あはははは!!」
「え?ど、どうされたのですか?」
まさか自分の発言が少女の爆笑を誘ったなどとは夢にも思っていないアサルはうろたえた。
向かい合っている相手をこれほど笑わせたのは、羊の群れに囲まれて出れなくなった話を城に帰ったときに妹に話したとき以来かもしれない。
「ふふ、何でもない。お主ほどぼんやりとした若者には姫は目もくれぬであろうよ。」
「そうでしょうね。」
機嫌を悪くするでもなくそう答えたアサルに、少女はまたぷっと吹き出した。
「...さて。そろそろ宴の席に戻るとしようかの。」
先ほどの笑いで目に涙を溜めながらも、スっと立ち上がるその様は洗練されていて隙がなかった。
「そうですね。」
あまり長く姿を消したままだと、よくない噂が立つかもしれない。
目の前の少女は身分が高そうなので、他国の、しかも西の小国の地味な王子との噂が立つなど申し訳ない。
アサルはそう思い、少女に続いて椅子から立ち上がった。
「話が出来て良かった。また縁があれば面白い話を聞かせてたもれ。」
「はい、もちろんです。」
アサルも少女と話が出来て思いの外今宵の宴が楽しいものとなったのは事実だ。
あのままぼうっと突っ立っているだけでは足の裏から根っこが生えそうだった。
そう言うと、少女はまたふっと噴出した。
互いに別々に部屋を出て宴へ戻った後、アサルはふと少女の名前を聞いていなかったことを思い出した。
「...まぁ、もう二度と会うことはないかもしれないしな。」
最後の少女の言葉を思い出し、苦笑を漏らす。
『話が出来て良かった。また縁があれば面白い話を聞かせてたもれ。』
あれは、完全なる社交辞令だ。アサルはそれを理解している。
なのに、名前を気かな無かったことに少しの後悔を覚える。
―――きっと、自国へと帰った後にふとした瞬間に少女と交わした他愛ない話を思い出すのだろう。
そしてその度、少女の名前を想像するかもしれない。
アサルは、何気なしにそんなことを考え、再び苦笑を漏らした。
一方の少女のほうはというと、「そういえば歳を聞くのを忘れておったわ」とぽつりと漏らしていることなど、アサルには知る由もない。
無自覚の一目ぼれ。
そして無自覚の恋の始まり?




