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膿

作者: 土井勇人
掲載日:2026/10/23

こんな世界で自分が存在することを許したい。そう願う若者の物語。

 つまらない。毎日のように会社員と共に揺れる電車の中で、ハヤトはそう思う。乗っている全員が今日がまた始まってしまうことに苛立っているだろうに、そんなことは意にも留めず時間は残酷にも歩みを止めない。


 高校を卒業した時には自由が広がる理想郷の大学生活を期待していた。朝早くから熱心にコーヒーを飲みながら授業を受け、昼過ぎにはサークルの友だちと談笑し、授業後には同じクラスの彼女と映画を見て夜にはバイト。だが今や、こんな想像をしたのは誰だと問いたくなるほどの生活だ。このギャップに耐え切れる人間は自分以外にいるのだろうか。ガタンという大きな揺れの中、思考を巡らす。


 今自分が抱えているものと言えば、高校時代からの数少ない友達くらいである。といってもその関係も薄くなりつつある。人はいつだってそうだ。新たな環境に移って仕舞えば、元いたコミュニティの人間のことなど微塵も頭にない。中学に上がる頃、絶対に連絡取ろうなと言い合っていたあいつも。中学卒業後とともに県外に移動したあいつも。高校の途中で退学し、ウェブクリエイターの道を歩んだあいつだってそうだ。


 人は集まってまた離れていく。文字にすれば単純だが、自分ごとになると当たり前には思えなくなる。何回か連絡しようとラインを開くが、やはり何を送っていいものか何も思いつかない。

 

 いつものように渋谷駅で乗り換える。乗り換えのために歩く時間はイヤホンで聞き慣れた音楽を流す、こうしていられないと過ぎる時間が淡白に感じられる。ガラス窓から見下ろす見慣れたスクランブル交差点を横目に、井の頭線改札へ歩みを進める。今日は少し人が少ない気がする。


 大学は1年の初めから浮いていた。理由は釈然としないが、集団において何を発言すればいいのかわからないのが祟ったと思う。何か言ってみるかと思ってはみるが、会話の流れに沿っていないような気がして諦める。ちょっとした気づきを言おうとするが、あまりにも他の人の気を引くのは勿体無い。そうして自分の口を自分の心で閉ざしていって発言する機会は減っていった。


 大学の授業制度も拍車をかけた。中高と同じ教室で同じ授業を受ければ友情は自然と生まれる。だが大学ではとる授業も違えば校舎すら違う。自由度の上がった大学で、中高のやつにずっと一緒にいる友達を作ることは不可能だった。大学では1人の時間が増えた。4月には必死になって1人でいることを隠そうとして行動したが、5月の半ばには慣れていた。


 駒場についたようだ。仕切りを取った水のようにどっと人が狭いホームへ流れる。この大学に通う人らと共に、ホームの階段を登る。ここで気合を入れないと、大学の授業はあまりにも長い。前の人が短いスカートを履いていてどこを見ていいかわからない。いくら1人だとはいえ、周りの視線を気にせずにはいられないのが現代人なのかもしれないとよくわからないことまで気が散る。


 授業が始まるとまた教授が自分の研究内容についてだらだらと語っている。テストには関係がないだろうと思いながらツイッターを開く。最近は電車内と休み時間に飽き足らず、授業中や風呂中にも見てしまう。それだけ自分は世界と繋がっていたいのだろうか。ほとんど真新しい情報がない文字列を眺めながら思う。この授業を受けきれば昼飯が待っている、そう自分を励ましてスマホを置く。相変わらず話題は変わらない。


 比較教育学。そう題したこの授業の伝えたいことはまだわからない。もう少し伝えたいことを明確化して欲しいのになぜこんなに大学教員という生き物は回りくどいのだろう。

 

 思いを巡らせれば、人間は比較する生き物だと関係のない思想に当たる。小中学生の時には違いは良くないもので、周りに合わせることが最善の選択肢のように思われた。一つ一つの観点で周りと比べ違うものは正す、そうやって生きた。だが、大学や就職では人と違うことが求められる、いわゆる個性に生まれ変わる。


 小さい頃には違いは弾圧されたくせに、大きくなれば違いが礼賛され、その違いのために人々は努力して金を払う。こう考えれば意味のわからない世の中だ。ただ、逆に考えれば小さい頃は全員が同じ型を埋め込まれた、もしくはそう求められたのかもしれない。空手でも型がないと発展系がありえないように、社会で求められる型にはめ込んだ上で少し造形を加えていく作業が必要になった。そう考えることにしよう。長い考え事を終えたつもりでも、時計を見るとまだ25分しか経っていない。


 大学に入ってからというもの、人生は豊かとは程遠い次元の貧しさに置かれた。毎日を適当に過ごし、寝ることがいちばんの幸福感を感じるようになった。いわば生きるという営みが作業化した。そうなると、やはり増えていくのは自分自身と向き合う時間だ。自分の欠点や社会不適合性が現状を導いているのだと思うと吐き気がする。自分という人間が大嫌いだ。


 時々、なぜ自分は生きているのだろうかと不思議に思う。恵まれていないように感じる。東大に受かった時に感じた喜びなど、今になっては馬鹿馬鹿しくさえ思える。むしろ、なぜ中高時代に多くの人と関わらず、自身の社交性を磨かなかったのか後悔ばかりが募る。

 

 今の自分を作る構成要素は昔の自分のやったこととやらなかったことなのだ。昔は東大合格というゴールさえ設けていれば部活をやらないことも、学祭に真剣に取り組まないことも言い訳がついた。ただ今になっては、何のゴールもない社会に適応できない邪悪な人間が爆誕している。これからはこうして目的のないまま社会を漂流し続けるのだろうか、そう思うたびに戦々恐々とする。自分の膿の部分をどうにか取り除きたい、もしくは膿をかかえながらも自分の生きる意味など考えないで生きていたい。ハヤトはそうした考えに至る。

 

 どうにか自分のこの退屈さを解消して生きがいとなるようなことはないかと考えてみると、書き物が思い当たった。ものを書くこと。これが今のハヤトには素晴らしくあっているように思えた。なぜ惹かれたのかはうまく言語化できない。だが、言語化しきれないことに挑戦し続ける無限の活力がみなぎってきたようだった。


 想像ばかりして人に干渉することを避けようとする性格がうまく利用できるのではないか、ハヤトは自分のエンジンをふかす。時計はまだ11時半過ぎだ。時間はたくさんある。授業内で終わらなくても。大学1年の間に終わらなくても。大学在学中には終わらなくても。それでも自分の納得する作品を書き上げてみたい、と思った。それは東大合格というゴールの次のゴールになるから。人のためでもなく自分が精一杯生きることを許せるような目標となるから。


 だから彼はペンを持つことにした。さあ、何について書こうか。希望でいっぱいの恋愛か、ハラハラドキドキのサスペンスか。どちらも今の自分には合わない気がした。

 

 まずは自分の今日の1日を書こう。そして自分の事を言葉にしてみよう。そうすれば自分の体に溜まっていった毒素が。膿が。落ちていく。そんな気がした。


タイトルは膿にすることにした。時計は12時前を指していた。

作者の実話です。続き書くか分かりません。読んでいただきありがとうございました。

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