第66話 恋慕【番外編】
「仕事が手につかない……」
キサは余程庭が気に入ったらしく、晴れている日は朝から晩まで庭で遊んでいた。雨の降る日は庭の見える廊下に座り込み、一日庭を眺めて過ごした。
そんなキサを眺めている魔王はキサから目が離せず、仕事が手につかないのだった。
「……陛下、仕事部屋はもとに戻した方がよいのでは?」とヨーツェンに進言されたが聞こえないフリをした。
「なぁ……ヨーツェン……」
「はい、なんでしょうか。陛下」
「キサはずっと庭で遊んでいるが、そろそろ飽きてきたのではないか?」
「あぁ……どうでしょうね……」
ヨーツェンは、仕事の話だと思って聞き返したのに、またキサの話だったので、途中からやる気スイッチがオフになってしまった。
「城を改築して、中庭の面積を増やすのはどうだろうか?今から予算が下りるか族長会議で議題にあげてみようか」
「恐らく通らないので、やめてください」
「じゃあ、どうすれば良いのだ? キサが来てから一ヶ月経ったが、最近ではずっとつまらなそうに空を見上げているぞ!」
ちょうどキサは芝生に寝そべり、空に浮かぶ雲を眺めていた。
「陛下……申し上げてよろしいでしょうか」
「なんだ?」
「いくつか気になる点はございますが、最も気になることから申し上げますと、お世継ぎのことです!」
魔王は耳を塞いだ。
「あーー、聞こえないぞーー」
「いえ、今日という今日は聞いていただきますよ!
何のためにキサ様に輿入れしていただいたのか考えてください!
陛下は毎日可愛らしいキサ様をこっそり眺めて満足されていますが、民はそれでは許してくれませんよ! 今か今かと、キサ様のご懐妊の報告を待っているのです!
それに、キサ様のことも考えてください! 新婚なのに、一ヶ月も夫に放置された妻程可哀想な生き物はいません!
陛下がしなければいけないことは、庭の拡張ではなく、キサ様との距離を縮めることです!
庭なんか拡張してご覧なさい! キサ様は陛下の目の届かない場所に行ってしまいますよ!」
「それは駄目だ!」
「ちょうど仕事も手につかないご様子ですし、キサ様と話でもされてはどうですか?
いつまでもお世継ぎができなくては、責められるのはキサ様なのですよ?」
「分かった……」
魔王は重い腰を上げた。
とは言っても、ヨーツェンはキサの働きを認めていた。キサは城で働く者たちに誰にでも気さくに接し、とても愛されていた。何よりも一番偉大な業績は魔王の人当たりが明らかに柔らかくなったことだろう。キサが嫁ぐ前の魔王はいつも苛々して、周りを萎縮させていたが、最近では態度が柔らかくなり、周りの者たちの業務効率は上がっていた。魔王本人は働かなくなってしまったが、恋は人を変えるとはこの事だといった感じだった。
魔王は恐る恐る芝生の上に寝転ぶキサに近づき声をかけた。
「何を見ているのだ?」
魔王に声をかけられたキサはビクッと驚き、立ち上がって魔王と向き直った。
「雲を見ていました……」
「なぜ雲を見ていたのだ?」
魔王は一歩キサに近づいた。
「雲の形が魚に似ているなと考えていました……」
キサは一歩、後ずさった。
「魚?」
魔王はまた一歩キサに近づいた。
「はい……海の近くに移り住んだ兄が手紙に絵を描いて送ってくれたことがあったんです。その絵の魚に似ていると考えていました……」
キサはまた一歩下がった。
距離は全く縮まらなかった。
しばらく睨み合いが続いた後、キサは恐怖で逃げ出した。
「あ! 待て!」
魔王はキサを追いかけたが、キサは足だけは速かった。
庭の中を駆け回り、巧みに逃げ続けた。
魔王はついに本気になった。
キサを助ける為に虎の魔物を倒す時にも使った【縮地】のスキルを使った。
利き足をぐっと踏み込んで、一気にキサまでの距離を縮めた。
「きゃ!」
「っはっはっは! 捕まえたぞ!」
魔王はキサを抱きしめて、芝の上に転がった。
キサは力いっぱい抵抗して魔王の腕の中から抜け出そうとしたが敵わなかった。
キサは魔王の腕の中で震えて泣いた。
魔王はキサが震えていることに気が付き我に返った。ついつい闘争心を駆られて本気を出してしまったことを後悔した。
「すまなかった! どこか痛めたか?」
魔王はキサを抱き起こし、芝生の上に座らせた。
キサは首を横に振った。
「では、なぜ泣いている……」
「陛下が怖いのです………
陛下は私の事がきらいですよね?」
魔王はキサが何を言っているかわからなかった。
「嫌いじゃないが……」
むしろ好き過ぎるぐらいだ。
「嘘です! 初めて会った時も乱暴だったし、いつも私が見ても目も合わせてくれないではないですか!」
「そ、それは……
嫌いだからではない……
キサが好きだから、見られないんだ……」
魔王は顔を真っ赤にさせながら告白した。
すぐに恥ずかしさから、そっぽを向いてしまった。
「信じられません!
私たちは会ったこともなかったのに、陛下はどうやって私を好きになったと言うのですか!?」
魔王はそっぽを向いたまま答えた。
「族長に渡された姿絵を見た時から好きだった……
キサの美しさに一目惚れしてしまったんだ………」
「ひ……ひとめぼれ?」
キサは毛を逆立て頬を染めた。
それは、私が憧れていた恋なのではないだろうか。
「そうだ……姿絵も美しかったが、実物のキサはもっと美しくて、仕草が愛らしくて……」
魔王は恥ずかしさから目眩がし始めた。
「陛下は、族長会議で決まったから、無理やり私と結婚したのではないのですね?」
「違う……私がキサと結婚したかったのだ……」
「陛下………
陛下のお名前を呼んでも構いませんか?」
「あぁ……構わない」
「リュフト様、私……
恋愛がしてみたかったのです……
だから、リュフト様との結婚が決まって、逃げ出したのです……
私と恋愛をしてくださいますか……?」
「もちろんだ」
キサはリュフトの手を取り、自分の頬まで持っていってリュフトの手に頬ずりをした。
リュフトを見つめるキサの金の瞳に、リュフトは吸い込まれそうだった。




