第38話 怒りと絶望と優しさ【番外編】
セヴェリは「帰って」とオルガに言われたが、帰れずにいた。オルガを一人にしておくことが不安でならなかったからだ。
セヴェリは泣きつかれて寝てしまったオルガを起こさないように、そっと家を出た。
オルガは街に行きたくないだろうから、ひとまずしばらくここで暮らせるようにしなければ。
セヴェリは懐から、銀色のホイッスルを出した。ホイッスルを吹くと、青色の隼が炎のように揺らめいて現れ、セヴェリの左腕にとまった。
この道具はマジックホイッスルという道具で、笛の中に精霊が封印されている。魔力がない人間でも簡易的に精霊を使役できる便利な道具だった。弱点をあげるなら、買うと値段が非常に高い点と使える回数に制限があることだろうか。セヴェリのホイッスルはあと3回分しか残っていなかったが、オルガのために使うのは全く惜しいとは思わなかった。
隼がセヴェリに話しかける。
「久しいな、セヴェリ。今日は何をしようか」
「今日はお使いを幾つか頼みたい。金に糸目はつけなくて良い。メモを持たせるから、買い物をしてきてくれ。買ったものは魔法カバンに入れてここまで持ってきてほしい。
あと、手紙の配達を頼みたい。」
セヴェリは、お使いのメモと手紙、ヴィーエラの家紋のついた魔法カバンを隼に持たせた。これで隼がセヴェリの使いであることに気がついてくれるだろう。隼は瞬く間に飛んでいってしまった。
* * *
ロンは今日もイブリ書店で店番をしていた。客がいないのでカウンターに突っ伏して休憩中だ。
ロンはアルトとオルガのパーティに聖女が入ったことは、妻のアンナから聞いて知っていた。オルガが元気がなかったと聞いて心配はしていたが、アルトとオルガの仲を何年も前から見てきたので、恐らく大丈夫なのだろうと高をくくっていた。
そんなロンの所に一羽の青い隼が飛んできた。隼はヴィーエラの家紋のついたカバンから一通の手紙を出してロンの前に置く。隼が何の手紙か教えてくれた。
「セヴェリからロンに手紙だ。お前がイブリ書店のロンで間違いないな?」
「そ、そうだけど……」
「手紙は確かに渡したぞ」
そう言うと隼は飛んでいってしまった。
セヴェリから手紙なんて珍しいな。
ロンはイブリ書店に婿入りしてから、セヴェリと関わりを持つようになっていた。イブリ書店に並んでいる本もヴィーエラ商会が卸してくれている本があるからだ。冒険者時代に初めて会ったときは、なんとも思っていなかったが、一緒に仕事をするようになってからはセヴェリの優秀さに驚かされてばかりだった。
手紙の中身を読んだロンは店番を他の店員に頼んで冒険者ギルドまで走っていた。
* * *
ギルドにつくと、ちょうどゴードンがアルトの胸ぐらを掴んでいるところだった。ローラと聖女と思しき女が心配そうにしている。
「オルガを洞窟に置いてきただと!? お前、自分が何をしたのか分かってんのか!?
パーティメンバーを置き去りにするなんて、ギルドの規約違反だろ!! 俺はちゃんとお前にそういうことも指導したはずだ!! どんな理由があろうが許されることじゃない!! オルガが何をしたかは知らないが、冷静になって話し合うことだってできただろ!!」
アルトはゴードンの目を見られずにいた。
「オルガが先に裏切ったんだ…… それで、頭に血がのぼって……」
「オルガはアルトを裏切ってなんかいない!!」とロンが話に割って入った。
アルトはそれに反論した。
「でも、見たんだ! オルガがあのセヴェリとかいう男と二人で会ってるところを!
オルガに事情を聞いても教えてくれなかった! それって黒ってことだろ!?」
ロンはアルトを殴った。ロンが強く殴ったせいか、いつもはそんなこと絶対にしないロンが殴ったことにアルトが驚いたのか、アルトは床に尻もちをついた。
「お前は本当に大馬鹿者だ!! オルガがお前のこと裏切るはずないだろ…… どうして、信じてやらないんだ……」
ロンは泣いていた。かつてのパーティメンバーがこんな事になってしまった悲しみで涙が出た。自分がパーティに残っていれば、こんなことにはならなかったかもしれないと思うと辛かった。
「オルガはパーティの為に、薬を売っていただけなんだ…… お前はそんなことにも、気がつけないのか?
オルガは僕たちには黙っていたけど、パーティの資金を自分の稼ぎで補填してたんだ。じゃないと、お前もそんなに上等な装備を買えるはずないだろ!」
アルトは目を見開き驚いている。
ロンは、オルガが薬を売った稼ぎをパーティの資金に補填していたことに気がついていた。ちゃんと見ていれば、すぐに分かる。だって、冒険者としての収入の額より、支出の額の方が明らかに多かったのだから。オルガがこっそりやりくりしているのなんかわざわざ確認しなくても分かることだった。
アルトは自分のしてしまったことを理解したのか、両手で頭を抱えた。そんなアルトに聖女が近づき、背中を擦った。
「とにかく、オルガが無事か心配だ! 探しに出る! ローラ、すぐに出られるな」
ローラが頷いたのを見てロンが二人を止めた。
「大丈夫です。オルガは生きています。アルトに会わせることができないので、街にはいませんが信用できる人が付き添っていますので安心してください」
アルトがロンを見て、ロンに縋った。
「たのむ! オルガに会わせてくれ! 謝りたいんだ!」
この男、なんて虫がいい奴なんだ!
ロンはアルトに軽蔑の眼差しを向けた。
「……会わせられるわけないだろ! お前が謝ったら、オルガは優しいから許してしまうかもしれない……
僕は……そんなこと絶対にさせない!
オルガは大切な友達だ! 二度とオルガに近づくな! 二度とだ!」
いつも大人しいロンが声を荒げて、肩で息をしながら怒っていた。
ローラもロンに同調する。
「私も、ロンと同じ気持ち。私、アルトのこと、規約違反でギルドに報告するから! もう、このギルドで仕事できると思わないで!」
周りには頷いている冒険者がたくさんいた。オルガの優しさに助けられていた冒険者は少なくなかったのだ。
アルトは絶望の表情を浮かべながら、とぼとぼとギルドを出ていった。聖女もアルトを追って、ギルドを出た。
* * *
オルガは美味しそうな匂いにつられて目が覚めた。匂いのする方に目を向けるとセヴェリがエプロンをつけてキッチンに立っていた。
「薬屋…… 何をしているの……」
オルガはセヴェリに冷たく声をかけた。
オルガの声に気が付き、セヴェリは振り返ってにっこりと笑った。
狐のような目がさらに細くなり、オルガはその顔に不気味さすら感じていたが、セヴェリはオルガが起きたことが嬉しくて顔に出ただけなのだった。
「あ、オルガ! 起きたね。
泥だらけだから、風呂も沸かしといたけど、ご飯と風呂どっちからがいい?」
オルガは泥と汗で、正直風呂に入りたかったが、セヴェリがいる時に風呂に入ることに強い抵抗感があったので、食事を取ることにした。
「ご飯」
「はいはーい」
セヴェリは木製の器に入ったスープを持ってきた。ウィンナーにジャガイモに人参とキャベツ。ポトフのようだ。オルガは器を持ち、ゆっくりとスープを飲んだ。
「美味しい……」
オルガの様子にセヴェリは見えないけど尻尾を振っているようだった。
オルガはゆっくりスープを完食した。美味しいものを食べたら安心したのか、また涙がぽろぽろと溢れてきた。
「どうして、こんなによくしてくれるの……?」
それは、あなたのことが好きだからだよ……
セヴェリは心の中で呟いたが声には出さなかった。傷心のオルガにそんな事を言うべきじゃないと分かっていた。
セヴェリは困った笑顔を浮かべて、オルガの問いには答えなかった。
「今日はもう帰るね。お風呂沸かしといたのと、2階の部屋に新しいベッド入れておいたから使ってね。自分で歩けそう?」
オルガは頷いた。捻った足はポーションを飲んで治っていた。
「あ! この家だけど、持ち主調べてオルガの薬の売り上げで買っておいたから、もうオルガの家だから、いつまでも使ってて大丈夫だからね。
じゃ、明日また様子見に来るから、ゆっくり休んでね」
そう言うとセヴェリは帰って行った。
* * *
オルガは風呂に入りたかったので、リビングの隣のバスルームへ移動した。
猫足のバスタブの中には、たっぷりとお湯がはってあった。中にはお湯を沸かしたり保温に使う魔法石が1つ入っていた。
オルガは服を脱ぎ、バスタブのお湯を洗面器にすくって全身を洗った。石鹸も新しい物が用意されていて使ってみると、柑橘系の香りがして癒やされた。
オルガはバスタブに入り、少しだけ気持ちを切り替えることができた。
私もアルトに依存しすぎていて、良くなかった。アルトのためにと無理して冒険者になったが、やっぱり向いてなかった。今回のように、不意を突かれることは冒険者をしていたら起こり得ることだろう。今回は、何故か運よく死ななかったけど、次はないだろう。
冒険者は辞めよう……
アルトとも、もう会わない……
オルガはバスタブの中で、バスタブから立ち上がる湯気を眺めながらそう考えた。




