リセット
……また上手く飲み込んでしまった。
細い喉に引っ掛かりそうな、程よい大きさのミニトマトを与えたのに。
夜のデザートには、冷凍葡萄を粒のまま置いてみよう。
疲れてしまった、自分はおかしいのだと、何度も夫に訴えたが相手にはしてもらえない。
『母親なら皆やっていること』
『たった二年で音を上げるなんて情けない』
『もしこれが仕事ならお前は無能だ』
そんな言葉が返ってくれば、もう何も言えなくなった。
ただリセットしたくて、『母親』じゃない自分に戻りたくて。こうして毎日、幼い息子の『不運な事故死』を願っている。
浴槽に一人で放置してみたり、三階のベランダで踏み台になるものを置いて遊ばせてみたり。
だけどこの子はとても生命力が強い。何度試しても、不条理な死を躱してしまうのだ。
……成長すれば、より難しくなってしまう。
早く……早く早く……早く。
何だか寒いと窓を見やれば、硝子の向こうが白く濁っていた。地面に落ちた大粒の雪が、消える前に手を伸ばしては、自分とは似て非なるものと必死に重なろうとしている。
そういえば降ると言っていたっけ。予報通りなら……明日の午前中まで降り続き、昼には晴れるだろう。積もった雪が溶けて凍って。明後日の朝には、きっとよく滑るはず。
カーテンを閉め玄関に向かうと、ベビーカーのタイヤに潤滑油を差した。
◇
坂の上に家を購入したのは、今日の為だったのかもしれない。
家の前から車が行き交う道路へと下る坂は、想像以上に美しく凍り、冬の鈍い朝日にもキラキラと輝いていた。
慎重に歩を進め、息子を乗せたベビーカーを、一番気持ち良く滑りそうな場所で構えた。
異様な白い景色にはしゃぐその声に、頭も心も真っ白になり、ただただ高揚する。
ベビーカーのハンドルを握る手から、ゆっくり、ゆっくりと力を抜いていった。
◇◇◇
皺だらけの枯れ葉みたいな手が、私の前にトレーを置く。
お椀の汁には、老いた喉に引っ掛かりそうな、程よい大きさの餅。デザート皿には蒟蒻ゼリーと、懐かしい冷凍葡萄。
今日も私は、それらを上手く飲み込んでしまった。生存本能とは、なんと恐ろしいものだろう。
「……母さん、散歩に行こうか」
虚ろな声で息子は呟き、痩せ細った身体で、もっと痩せた生ける屍のような私を車椅子に移した。
ああ……あの日と同じだ……異様な白だ。
凍てつく外気を吸い込み、ふふっと笑う私の背後からは、息子の高揚感が伝わる。
いい子ね……そのまま……そのまま手の力を抜くのよ。何も考えずに、真っ白なまま。
……あの日の私のように、他の色を見ては駄目。
願い通り、息子は私を解放してくれた。力を抜くどころか、思い切り力をこめて。
頬を切る冷たい風が、痛みと共に快楽をもたらす。
しゅんしゅんと加速し、美しい坂を滑れば、白すぎる景色が眼下に開けた。
……ありがとう。リセットしてくれて。
ありがとうございました。