魔女の過去
ヘラヘラ飄々とした魔女(※男) × 内気だけど頑固な世間知らずお姫様
密着しないと魔法が使えない二人がイチャイチャして美味しいものを食べながら
魔法とは何かを紐解くお話です。
#魔女リス
2023年6月17日〜6月28日の間で毎日19:00に更新中!
曖昧な記憶の中で覚えているのは、とにかく彼らから逃げようと、遠くの村まで飛んだこと。魔法を解いて、地面に立った瞬間、俺は血を流しすぎて貧血を起こした。朦朧とする意識の中、フィリアは腕と脚を怪我して、寝巻きで裸足のまま、俺を庇いながら宿を探してくれていた気がする。
身体がだるい、頭がぼーっとしているが、意識は覚醒したようだ。ゆっくりと目を開けてみる。窓の外は暗い、ベッドの上、民家のような部屋だ。ピルニとクタリの家に似ている。起き上がってみても、体に痛みはない。ベッドの下には俺の靴があった。確か血まみれだったのに、綺麗に洗われている。
部屋から出てみた。どうやら二階のようだ、廊下の先に階段があって下はぼんやりと明るくなっていたので、恐る恐る階段を降りる。
「あら!起きたのかい!よかったねぇ」
家の主人であろう、恰幅のいいおばさんがキッチンから顔を出した。にこやかで明るい雰囲気に押される。エプロンで手を拭きながら彼女は近づいてきた。
「あの……」
「丸二日は寝ていたね、具合はどうだい」
「ふ、二日……!?」
思わず言葉を返してしまう、そんなに眠っているとは思わなかった。その間、ここは大丈夫だったのだろうか。それより、血まみれの男と怪我だらけの女が雪崩れ込んで、二日も部屋を貸してくれるこの人は何者だという疑問も出てくる。
「あ」とおばさんは思い出したように手のひらをポンと叩いた。
「あんたの連れの美人さんね、ずっとあんたの隣で看病してくれてたんだよ。感謝してやんな」
「……フィリアのこと、ですか?」
「ああそう、フィリアちゃん」
「彼女は」
「あんたの隣の部屋だよ。なんせずっと看病していたし、あの子も疲れたんじゃないかね」
フィリアは熱を出していた。怪我をしながら歩き回って、ずっと俺の看病をしていたんだ。おばさんは疲れが溜まったんだろと言っていた。腕と足は手当てされて、冷たいタオルが額に乗っている。サイドテーブルに氷水が入った洗面器が置いてあったので、タオルを冷やしてまた乗せた。そのまま頭を撫でてみる、熱を持った体、苦しそうに呻く様子に心臓が張り裂けそうだった。手を離す拍子に、自身の手のひらを見た。ナイフの傷は修復されている。
……フィリアの魔力譲渡は、成功していた。
魔法と聞くと華々しく綺麗なものや、理解不能で怖いものと考える人が多いが、火事場の馬鹿力や精神論でどうにかなるものではない。しっかりとした知識の土台と経験の上に技術が成り立つ。故に、地道な努力とリアリズムで出来た技術だ。フィリアが魔法を使えたのは奇跡が起きたからでも、才能が開花したわけでもない。
ふと、洗面器の横に置いてあるペンダントが目に入る。これは寝る時もつけていたのか。手に取り透かしてみると、中の花が枯れていた。もしこれが魔法具だったとしたら説明がつく。と言っても、フィリアが俺に渡した魔力はごく少量、もう腕輪に吸収されているだろう。しかし、このペンダントのことがわかれば彼女の魔力の全てが俺に渡ることも……
「……今更、なんだって話だな……」
幾度となく危険な目に合わせた。辛い目に合わせた。それもこれも全て、『災厄の魔女』の俺のせいだ。
あのおばさんはきっと彼女を助けてくれる。俺といるより絶対にいい。
「……絶対に君を助ける、だなんて。そんなのは俺の我儘だったな
……さよならだ、フィリア。君に、幸せになってほしい」
とある村では、魔法使いや魔法具に偏見は無く、村にも数人魔法使いがいた。
ある日、その村に一人の魔法が使える男の子が産まれた。名前はマギア。
膨大過ぎる魔力、村の魔法書を全て理解し実行できるセンス、指を鳴らすだけで発動できる魔法、優しい彼はそれを家族や友達、人の笑顔のために、村のために使っていた。しかし、マギアは幼少期から聡明だった。だから理解した。自分がこの村の誰よりも魔法が上手いことを、村の仲間、友達、親さえもが、自分の潜在能力に気づき、自分を恐れ、腫れ物のように扱っていることを。それは自分が魔法を使えるから、使え過ぎるから。彼は、齢6歳にして、自分の才能、自分の能力、自分がやろうと思えば村を、国を、世界を壊せることを知ってしまったのだ。
マギアが歩くと、人は彼を避けて道を歩いた。マギアが指を鳴らすと子供は泣いた、友達もできなかった。魔法を使っても、お礼を言われることはなかった。その代わり、村の人は恐れる目を向けるだけだった。
マギアはそれでも、人のために、村のために魔法を使った。世界を壊せる力を隠して、自分の有り余る魔法と魔力のほんのわずかを使って、大雨で倒れた木を退け、街へ行く村人を魔法で一瞬で送った、親の誕生日には広場に花の種をまき、色とりどりの花を咲かせた。それをしても、皆自分を怖がるだけだった。彼が言うほんのわずかな魔法でさえ、村の人間は見たこともない、異次元の魔法だったからだ。
彼が13歳になった日、親はマギアに「誕生日だから旅行に行こう」と言った。マギアは嬉しかった。本で読んだ旅行、それは仲のいい家族や友達がするものだった。父と母と一緒に馬車に揺られ、城下町で何を食べたい、これを見たい、これで遊びたい、と期待に胸を膨らませていた。
マギアが連れてこられたのは、ハーデンベルギア王国だった。馬車が止まり、窓の外から見える街並みが目新しくて、扉が開くと同時に彼は馬車から降り立った。父と母が降りる際に転んでも助けられるように魔法を使う準備をして振り返った。
そこに馬車はなかった。もちろん、父と母の姿もなかった。
彼は、自分の聡明さを恨んだ。その一瞬で気づいたのだ。
自分がここに捨てられたことを。
自分が魔法を使えるせいで、捨てられたことを。
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「どうすっかな、これから」
マギアは、賑やかな城下町をフラフラと歩きながら、誰に聞いてもらうわけでもなく呟いた。どうやら、今日は国王とその娘の皇女達が城下町に降り、国民と交流する日らしい。それもあってか、街は活気付いているように見える。彼は、あんなに見たかった大道芸、あんなに食べたかった料理の数々、あんなに家族と来たかった城下町、全てが白黒に見えて、胸を高鳴らせるものなどなかった。
いや、実際、胸は鳴っていた。不安、焦燥、悲しみ、人の笑顔のために使っていた魔法のせいで自分は家族も居場所も奪われてしまった。読んでいた魔法書には、魔法は人の役に立つ技術だと言われていたのに、現状は、捨てられたガキ一人だ。
魔法で親の乗った馬車を引っ張って戻すことも、自分が馬車まで飛んでいくこともできたけど、しなかった。無駄だったから。腹が減った、お金を魔法で作って何かを買うこともで、なんなら魔法でパンを作ることだってできたけど、しなかった。虚しかったから。
マギアは、どうして自分は誰にも負けない魔法使いになんて、なってしまったのかと思った。彼は聡明で、どんな難しい魔法書でもすぐに理解できた。しかし、それでもまだ13歳だった。親に捨てられ、知らない街で、有り余る魔力を持って、これから何をしたらいいかなんて、わかるはずもなかったのだ。
じわりと、目に涙が滲む。毎日、マギアは夢を見ていた。魔法を使って、村の人や父さん母さんに、笑顔でお礼を言われる。母親は自分をぎゅうと抱きしめて、父親は自分の頭を優しく撫でてくれた。皆、自分の魔法を受け入れてくれる夢。
城下町は皆笑顔で、幸せそうに道を歩いていく。その流れに逆らうように、マギアは静かに涙を流しながら街を歩いた。
涙が乾いたくらいに、辺りを見回すと、フラフラと人がいない所を目指して歩いていたからどうやら王城の付近まで来ていたらしい。庭の花が綺麗に整えられている。花の香りを乗せた風が、涙の跡をヒヤリと涼ませた。
マギアは、この時指を鳴らすポーズをして、魔法の構えを取った。彼の中で、全てがどうでも良くなった瞬間だった。それは花を見たからでも無く、風が吹いたからでも無く、彼が冷静になって、幼い頭で出した答えが「こんな世界を壊してしまいたい」という衝動だったから。残虐で、非道で、自分勝手な答えだ。しかし、産まれてから十三年間、一度も人に受け入れられず恐れられ、最後は親に捨てられた年端も行かぬ少年には、それくらいしか考えられなかったのだ。そんな残酷な考えを出来る子供は、奇しくもそれが出来る程の魔法使いだった。
彼が指を鳴らせば、一瞬で大地は崩れ、草木は朽ち果て、業火も豪雨も思いのまま。彼の赤い目は閉じられた。グッと、指に力を込める。
「……貴方、何をしているの」
人の声、ハッと目を開くと、目の前には白金の髪を三つ編みでまとめ、青い綺麗な目をした少女が立っていた。
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頭の中には具体的で、詳細で、現実的な世界滅亡のイメージがあった。あとは指を鳴らすだけで、それが出来た。
目の前の少女に話しかけられて、吃驚して、思わず指を鳴らす。しかし、咄嗟に考えたのは世界をぶっ壊すことではなかった。
パチン、と指を鳴らす。俺の手からはポン、と花冠が出る。白と青と薄黄色の花。
「わあ……!」
「よ、よければどうぞ」
「いいの?くれるの?」
「君に似合うように作った」
「ありがとう!」
彼女は、俺に向かって笑顔を見せて、ありがとうと言った。
産まれて初めて、俺は、魔法で人を笑顔にした。
ずっとずっと、体を蝕んでいた冷たい何かが解れて暖かくなっていくのを感じる。心臓がドクンと鳴った。
「貴方、指を鳴らすだけで魔法を使えるなんて『災厄の魔女』みたい」
「なあに、それ」
「私とお母さんが大好きな絵本、すごい魔法使いなんだよ」
少女は俺の手をとって、興奮した様子で話し始める。魔法をすごいと言ってもらったことも、初めてだ。また、涙が溢れそうになったけど目を瞑って耐えた。
「君は、この国の人?」
「うん、貴方は?」
「う〜ん……これからどうしようか悩み中」
彼女は手を離さないまま、俺に問うた。俺は自分の現状を思い出す、世界から捨てられて、さっきまで世界を壊そうとしていたのだった。少女に褒められたからと言って、この状況が変わることもない。俺が俯いてしまった。彼女は俺の顔を覗き込んで微笑む。
「それじゃあ、この国で暮らしませんか?」
「え?」
「『私達王族は国の上に立つものとして、民を守り豊かにする義務がある。この国で生きる民のために、生きることが、そのまま彼らの幸せになる』……ってお父様が言ってた」
「……君、お姫様なの?」
「うん。だから、悲しい顔しないで」
少女は背伸びをして、俺を抱きしめた後、頭を撫でた。俺は我慢していた涙が頬をつたってしまって、彼女の方に顔を埋めた。この先の事が決まったわけではない、それでも、世界を壊そうという考えはいつの間にかなくなっていた。体を離して、俺もちゃんと彼女に笑顔を見せる。嬉しそうに微笑んだ少女は街に響く鐘の音を聞いてハッと何かに気づいたようだ。
「ごめんなさい、自由時間が終わってしまうわ」
「そっか……」
「この国のどこかにいるならきっとまた会えるわ」
「……うん、俺も会いにいくよ。魔法使いだもん」
少女は微笑んで、もう一度花冠のお礼を言い、手を振って走っていった。俺はそれに手を振りかえして、名残惜しかったけど反対方向に歩く。別に行く宛はなかったけど、この街で生きられる方法を見つけるのが目標になった。そして、今度は俺から少女に会いに行こうと決めた。
俺は、まだ彼女がいたら名前を聞こうと、一度だけ振り返った。
彼女はまだ道を歩いていた。
刹那、ボウガンの矢が彼女の胸に突き刺さる。
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俺は、弾けるように彼女の元へと走った。彼女が倒れ、矢が深く突き刺さる前に彼女を抱きとめる。
ボウガンの矢は心臓をひと突きしていた。矢が刺さった穴からは血液が鼓動と共にどくどくと溢れ、彼女の白いシャツを赤く染めていた。俺は彼女の名前を知らなかったから、「しっかりしろ!」と声をかけた。苦しそうに短い呼吸を繰り返す少女は、声に反応したのか、薄く目が開くが、青い目はすぐ閉じられてしまった。このままでは、心臓が血液を送れず、死んでしまう。
産まれて初めて、自分の魔法に感謝をした。村の本に書いてあった『魔力譲渡』の治癒魔法。皆難しくて読むのを諦めてしまって、書庫の隅に埃をかぶっていた。10歳の時に見つけて読んで理解していた。
パチン、と指を鳴らす。彼女を襲った攻撃がまた来るのを防ぐため。そして、彼女の矢に手を掛ける。勝負は一瞬、この魔法は使ったこともない。しかし、自分が魔法を使えるのはこの時のためだったのだと不思議な確信があった。
「……絶対に君を助ける」
少女の口を、俺の口で塞ぐ。
彼女の脳に、体内に魔法で作った血液と酸素を供給し体を壊死させないようにしながら、矢を抜き、流れ出た血液を戻し、穴の空いた部分の細胞組織を修復させる。心臓を魔法でゆっくりと動かしながら、彼女一人でも鼓動できるように、ゆっくりとゆっくりと魔力を流し続けた。
自分の魔力の半分を注いだあたりで、彼女はゲホゲホと咳き込み、自分で脈動を再開させる。トクトクと心臓が動いたのを確認して、俺は安心で腰を抜かした。周りも自分の服も血まみれだが、彼女はスウスウと寝息を立てている。
魔力の半分が彼女に渡ってしまった、そしておそらく彼女は魔力譲渡を使えない。魔力を返してもらうことはできなくとも、それでよかった。彼女が生きててくれるだけで俺は満足だった。
最後に、彼女の体に流れる魔力をパチンと指を鳴らして変化させる。『身の危険や死の危険を本能的に魔力が察知して回避する』ように複雑な術式を組んだ、今回みたいなことを防ぐために。
「……無事で、よかった」
大袈裟でなく、ここで彼女が死んでしまったら、俺はもう一度世界を壊す選択をしていただろう。彼女は世界を救ったヒーローだ。
彼女を親元まで運ぼう、魔法で移動は出来る。パチンと空気で作った防壁を元に戻す。
そして、俺は地面に叩きつけられた。
「どういうつもりだ!魔法使い!」
上から声が聞こえる、男の声。頭を足で押さえつけられて、じり、と石造りの地面に頬が擦れた。全く意味がわからず、目だけを上に向ける、そこには、激昂した表情の、執事服の男が立っていた。使用人?……ということは、少女の仕いだろう。俺が彼女に危害を加えたと勘違いをされている気がした。
「ま、待て、俺は彼女を助け……」
「貴様っ……折角のチャンスを!」
「……チャンス?」
「心臓は捕らえた、なぜ生きている……っ!」
ピンときた、コイツだ。コイツが彼女を殺そうとした張本人。執事はフーフーと息を荒げ、「魔法使いのガキなぞに……」とブツブツ呟いている。
「フォティア様の為には、他の姉妹は邪魔なんだ、頭のいいソフィアはそれに気づきそれとなくかわされて、腹が立っているというのに、この女さえ殺せぬとは……!」
執事は一瞬で俺の首に手をかけ、締める。苦しくてまともに術式を考えることも出来ず、ジタバタともがく。このまま死ぬのかと思いきや、すぐに手は離され、俺の首には細いチョーカーのようなものがつけられていた。急いで逃げようと指を鳴らすが、魔法が発動しない。
「何を……した」
「魔法を、魔力を、憎み嫌うこの国、ハーデンベルギアで、魔法を使ったその罪は重いぞ、ガキ」
「魔法を……嫌う……?」
「フローガ!」
フローガと呼ばれる執事を追いかけてきたのは、赤いマントを羽織る、少女と同じ目の色をした男性、執事は彼の方に向き直り、素早くお辞儀をした。
「国王様、魔法使いのガキが……」
「ああ、封魔具をつけてくれたんだね、ありがとう」
国王、ということは、あの少女の父親だ。王は俺を厳しい目で一瞥して、マントの内ポケットから1つ魔法具を取り出した。スコープ状のそれで俺を見て、驚愕した顔をする。俺は、きっと執事の犯した姫への冤罪を被らされるのだと思った。しかし、王は、地面に寝ている娘には目もくれず、俺をジロジロと見ている。
「なんという、魔力だろうか……数値にして50000……!こんなのは見たことがない、まさかここまでの魔力を持つものとは……まるで『災厄の魔女』の再来だ!」
「国王、この子を助けてください……医者に診てもらって欲しいのです……」
王はその言葉に自分の娘である、眠っている少女をみた。そして、何かに気づき、慌てて俺をみたスコープで彼女を見る。
「……なぜ、第三皇女に魔力が……しかも、この子と同等の……!?」
ワナワナと震える国王は、俺を見る。訳も何もわからないまま、俺は執事に腹を殴られ、意識を失ってしまった。
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次に目を覚ましたのは、薄暗くかび臭くて広い牢屋だった。執事につけられたチョーカーと、いつの間にか両手首につけられていた腕輪。捕まったのだと理解するには容易かった。
それから、ハーデンベルギア国に囚われていた10年間は、ひどく苦しいものだった。魔法は使えない、使用人の運んで来る粗末な料理を食べ、腕輪に吸い取られた魔力を命令で大きな魔法具の中に入れる日々。地下の中は自由に歩き回れたから、隣の書庫室にある本は全て読み切って、粗悪なベッドで寝る。
たまに、使用人達が話す内容に聞き耳を立てた。国王は膨大な魔力がある魔法使いのガキを捕らえて何をするつもりなのか……とか、魔法を封印する封魔具がどんどん普及しているとか……そんな噂話だけが、俺と世界をつなげていた。
しかし、俺はこの日々を人生で一番の地獄だとは思っていなかった。親に捨てられた13歳の誕生日、あの少女と出会う前までの時間、生きる目的も目標も何もない、暗い闇を歩いているような、あの時が一番地獄だった。
だから、この苦しい日々の中で、俺を地獄から救ってくれた「第三皇女」だけが、俺の希望だった。
王が言っていた「第三皇女」、名前も聞きそびれてしまったから、それだけが彼女を記す名前だった。魔法で作ったものが壊れ、魔力に戻った際に持ち主へ還るのと同じで、魔力は、渡した相手が死ぬと持ち主に返ってくる。半分の魔力はまだ俺に還ってきていない。即ち、彼女は今も生きているのだ。俺の魔力を半分渡したあの子、俺が会いに行くと約束したあの子、彼女が生きていることが、俺の救いだった。
10年が経って、23歳になった。健康的な生活をしている自信はなかったが、身長は思いのほか伸びた。地下の本を全て読み終え、5周目に差し掛かろうかとしたところで、俺は10年振りに国王と相対することになる。彼は昔の面影を残しつつ、10年分歳を取っていた。
「なんの様かな、国王様」
「君には10年間、奥の魔法具に魔力を入れてもらったね」
王は世間話をする気がないようだ、俺は頷く。ここから出せと喚くことは最初からしていない、魔法を封印されている時点で国の武力や権力に勝てるわけがないのは明白だし、万が一、第三皇女を盾にされたとしたら俺は何も出来なかったから。
「10年前のあの日、私の末娘に魔力が宿った。ハーデンベルギア国として、あってはならない事態だ」
「……別に、魔法を使わなければ魔力があろうとなかろうと同じだろ」
「魔力が”ある”だけで問題なのだよ。彼女の行動1つで彼女は魔法を使える、と言うところに、人々は恐れ恐怖する。災厄の魔女の様にね」
俺は眉間に皺がよった。同じ理由で俺も村から恐れられていたから。
しかし、魔法使いが自身の力を誇示して人に危害を加える、ということはあると地下の本には書いてあった。そして、ハーデンベルギアはそんな魔法を恐れる国民が多く住むのだと。魔法使いや魔法を全て受け入れてもらうことは不可能に近い。
俺は、彼女を助けるために、彼女に魔力を渡した。しかし、それは彼女をこの国から孤立させる引き金になってしまったかもしれないということを、薄々勘づいていた。
「国王様が、俺をここに捕らえ、魔法具に魔力を溜め続けたのは、第三皇女の魔力のためか」
「そうだ。君には自由な時間があっただろう、世界中から集めた魔法の本も読んでいたと使用人から聞いた」
やっとここで謎が解ける。俺を捕らえていた理由も、魔法具に魔力を入れ続けていた理由も、国王が娘の魔力をどうにかするためだったのだ。そんなことをしなくとも、俺は彼女を助けるためならなんでもしただろうが、魔法使いを公に出すのは憚られたのだろう。しかし、問題は、世界中の本を読んでも、彼女の魔力を俺たちが奪うことは不可能ということだ。魔力の譲渡はあっても、魔力の譲受はない。魔力というものは、宿主の意志がないと相手に渡すことはできない、それが世界の真理だった。
「残念だが、彼女の魔力を俺達がもらうことは不可能。彼女が魔力を渡す魔法を覚えない限り……」
「違う、君に命令するのは簡単なことだ」
王は笑顔で、ごく自然に次の言葉を発する。
「《第三皇女を殺せ》」
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彼女に魔力があることがわかった時から、国王は彼女を排除しようと考えていた。フォティアの執事に命令し、彼には魔法具の使用を許可し、暗殺しようとした。しかし、俺の魔力で彼女は死を回避していたらしく、ことごとく失敗に終わっていた。そして、10年が経ち、彼女は18歳、正式に国の正統後継者として政治に参加する歳になってしまった。なんとかして、それまでに彼女を始末しなければならなかった。
「私は完璧を求める性分なんでね。確実に殺せるように、君には世界中の魔法を覚えてもらった」
首輪の金属がキラリと光る。命令が認識されてしまった合図だ。命令は絶対。
第三皇女を殺さないといけない。
国王は「もう少ししたら彼女が地下へ入ってくる、それじゃあよろしく頼む」と言って、牢屋を後にした。俺は、奥の魔法具があるスペースで彼女を殺さないでもいい方法を必死に考える。呼吸をするのも忘れる程考えた。一度、自分が死ぬということも考えた、しかし、それだと彼女はきっと別の方法で殺される。だから、俺は彼女を殺さず、これからも死なないでいい方法を見つけなければならなかった。世界中の魔法を思い出しては消しての繰り返し、記憶にあるすべての魔法でも、彼女を助ける方法は見つからない。
「……第三皇女が、死ぬ……」
世界中の魔法を覚えても、自分の大切な人は守れないで何が、魔法使いだ。握った両手を額につける。
いっそ、彼女が楽に苦しまず死ぬ方法を、見つけ……
──この国の民のために、生きたいという気持ちは、幼い頃から、ずっとあります。
遠く……声が、聞こえた。鈴の鳴るような、優しい声。彼女だ。10年経っても、声を覚えていた。
階段を降りる音がする。第三皇女が地下に降りる音だ。俺は、ずっとずっと心の拠り所だった彼女を前にして、彼女を殺す魔法を使える程強くなかった。
指を鳴らすポーズをする。”第三皇女”を殺す。
それと同時に、彼女の生を、幸せをめいいっぱい願った。
パチンと指が鳴る、それは大きな爆発の耳が壊れるほどの轟音にかき消された。
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「……貴方、何をしているの」
人の声、ハッと目を開くと、目の前には白金の髪を三つ編みでまとめ、分厚いメガネの奥に、青い綺麗な目をした女性が立っていた。
「……第三、皇女……!」
「貴方、ここにいたら焼け死んでしまう。早く外へ……」
俺の渡した半分の魔力が宿っている。ずっと会いたかった、あの時の少女だ。そして、駆け寄ってきた彼女の言葉で、俺はズキンズキンと身体中が爆発による瓦礫で怪我をしていることに気づく、痛みに顔を歪ませたまま、彼女を睨んでしまった。火の煙もモロに吸っていたのだろう、呼吸が熱く、まともに酸素を吸えない。薄ぼんやりとした視界の中、なんとか彼女を助けようと会話をした気がする。
「……《助けて》」
彼女の命令を聞いて、俺は指を鳴らした。地下の壁を破って外に出る。
10年振りの夜空は俺の炎上させた炎で幻想的なまでに輝いていた。
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結局、彼女、フィリアは死ななかった。
俺の魔力が守ったのか、国の崩壊によって、”第三皇女”という肩書きを失ったからなのかはわからない。
……それは、彼女にとって、残酷なことだったのかもしれない。ずっと国のために生きていた彼女の全てを俺は奪った。「何にも無くなってしまったわ」と言った彼女の顔は、俺の13歳の誕生日と同じ、暗闇に置き去りにされた様な気持ちだったのだろう。
「じゃあ、一緒にくる?」
彼女を助けるためだとはいえ、魔力を渡して彼女の人生を狂わせた。剰え、城を壊し、国を崩壊させた。彼女にとって、最悪な男となってしまったくせに、俺は、彼女と一緒に逃げることにした。自分の魔力として隣に置く、なんて最悪な理由しか考えられなかったけど。10年前、俺を救ってくれた様に。俺は『災厄の魔女』として、彼女の隣にいることを誓った。
自分の封魔具を取り外すこと、そして、フィリアの中にある自分の魔力を、彼女を苦しめていた元凶を取り戻すこと。
それが終わったら、潔く、彼女の元から姿を消す。これが俺の目的であり、贖罪だった。
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傷が全治していたわけではなかった。おばさんには散歩に出ると言って、出来るだけ遠くまで走った。あんなにボロボロになってしまったフィリアに顔向けできなかった。体力が底をつき、村の路地裏にへたり込んだ。一人になると、昔のことを思い出した。
「……貴方、何をしているの」
「……なんで来た、この馬鹿」
フィリアは、何度でも俺を見つける。俺は、隠していた過去、彼女と出会う前のこと、地下で暮らしていたこと、城を壊したこと、全てを話した。彼女が軽蔑して、俺の元を去ると思ったからだ。それなのに、フィリアはしゃがんで、俯いた俺の顔を覗き込んで微笑む。
「国を壊したのは俺だ」
「私を助けるためだったんでしょ」
「お前に流れる魔力を渡したのも俺だ」
「それのおかげで今まで生き延びていられる」
「お前の人生を壊したのは、俺だ」
「マギアがいないと私は死んでいたもの」
「……ずっと、嘘をついてお前を知らないふりをしていた」
「それは許してない」
「……ごめん」
彼女はムスッとした顔を見せて、両手で俺の頬を掴む。俺の顔をじっと見て、眉を下げた。
「……でも、貴方のことを忘れていた私とおあいこね」
「怖い目にあったんだ、記憶を塞ぎ込んだんだろ」
「でも、誕生日の日、花冠をくれた時、私少しだけ思い出したことがあるの。昔誰かに同じことをしてもらったって」
「……え」
「この旅でずっと考えてた、国民を笑顔にしたいって夢はいつ生まれたんだろうって。その子が悲しんでたから、笑顔にしたかったんだって、思い出した」
フィリアは、綺麗な青い目を俺に向ける。その目が細まって。長いまつ毛で閉じられる。
俺は、ドクドクと心臓が鳴った。触れられている頬に熱が集中して、彼女から目が離せなくなる。
「私を救ってくれた、私の幸せな記憶、私の夢を作ってくれた人、それが、貴方でよかった、貴方がよかった」
ふわりと、あの時と同じように抱きしめられる。彼女こそが、俺の救い、幸せな記憶、俺の夢を作った人だ。
俺は、フィリアを強く抱きしめた。「苦しいよ」って笑うのもお構いなしに、10年分の俺の感謝が、敬愛が、恋慕が、全部伝わってしまうくらいに、彼女をその身に抱え込んだ。
そして決意する。過去から、罪から、逃げないことを。
「……君を助ける。それまでは、俺の側にいてくれ」
次回更新は 6月24日 19:00です。
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