6話 すももの色
頭に浮かぶのはいつも草臥れた背中。朝は自分たちよりも早く支度を済ませて、夜は誰よりも遅く帰ってくる父のもの。
「……また、事件?」
その日はなぜか早くに目が覚めた。物音がしたので玄関に向かうと靴を履く父の姿が。
彼は宵人の声にびくついて、恐る恐るといった風に振り返る。宵人は思わず呆れたようなため息を漏らした。
「父さん、俺、進学するから。……家族の中でそれ聞いてないの、父さんだけ。」
11月。大学進学を決めていた宵人は受験勉強に追われて、父親とろくに話していなかった。いや、本当はずっと前からろくな話はできていなかった。
「……はは、言われなくても知ってるさ。保父さんだったっけ?宵人は子どもが好きだもんな。」
父はへらりとした笑顔を浮かべながらそう言う。振り返ったその顔に滲む寂しさと怯え。それには少々苛立ってしまった。
「言われなくてもって。話す隙を与えなかったの間違いだろ。……なあ、父さん。」
顔が歪む。うん。そうだ。だって、俺だって父さんともっと話がしたかった。兄ちゃんみたいにたくさん。
「ごめんな、宵人。もう行かないといけないんだ。また今度な。」
遮るように父の口から発された言葉に苦い思いが込み上げる。その今度は2度と来ないのに。
バタンと閉まるドア。そこからじわ、とどす黒い色が染み出す。最近ずっとこうだ。父を連れて行ってしまったそれが、脳内を満たす。
(……まだ、覚めんな。怖がるな。)
父の体に充満していたそれから、何を読み取れたのか。俺の目に何が写った?
深く踏み込もうとした瞬間、体が震え始めた。これは、夢だ。だから大丈夫。もう吹っ切れないといけない。俺は。
固い床の感触。自分の体温で生ぬるくなっていて気持ち悪い。瞼を開けるのが難しいような歯触りの悪い目覚め。宵人は顔を顰めつつ体を起こした。
一体何が起こったんだったか。やけにぼんやりする頭ではすぐには思い出せなくて、曖昧に自分の位置を確認した。
テーブルの付近の床で眠っていたようだ。かけられていたブランケットがぱさりと落ちる。そこでハッとした。
「明鈴さんは!?」
慌てて立ち上がるとぐらりと視界が揺れる。この寝覚めの悪さはたぶん、お茶の中に睡眠薬を盛られていたのだろう。なぜそうまでしてここを抜け出したかったのか。
「うるさいな。明鈴ならもういないよ。」
それは、予想外の人物からの返事だった。ソファの方に目を向けると、そこにはまるで自分の家のように寛いでいる一巳がいた。
「……一巳。」
しばらく気まずくて話していなかった相手がどうしてここにいるのか。だけど、なぜかこのことに対しては頭の中が明瞭になる。
「明鈴さんの仕業か。彼女はお前に説明を託して消えた。それで合ってる?」
察しがいいね、とニヒルに微笑む一巳。宵人は苛立って舌打ちをした。久しぶりに見たその余裕ヅラがやけにムカついたから。
「フラれちゃって可哀想だねえ、よいっちゃん。わりとガチで惚れかけてたでしょ?」
その揶揄うような口調にも苛立つ。宵人は彼に近づいていって、その胸ぐらを掴んだ。
「……早く教えろ。明鈴さんはどこに行った。あの人は何をする気なんだ。」
その剣幕にさすがの一巳も苦笑いを浮かべる。殴ってでも吐かせる勢いだ。
「何って、真中さん家の東弥サマと結婚すんだよ。だからお前とは縁を切った。そんだけ。」
宵人が眉を顰める。それはあの人の意思じゃないのに。
一巳から手を離した宵人は荒く車の鍵を掴んで携帯をポケットに突っ込んだ。
「追う気?無茶だね。どこにいるかも知らないくせに。」
こいつは喧嘩の続きをしたいのか。そう思うほどに今、一巳の存在は癪に触った。
「うるさい黙れ。今更放って置けるわけねえだろ。あの人のこと、まだちゃんとわかってねえんだよ。」
知りたいことは山ほどある。事件についてのことも、自分に向けられた想いも。制止も聞かずにリビングのドアに手をかけた宵人の腕を一巳が掴んだ。
「慌てんなって。真中のボンボンは明後日まで出張中。明鈴が奴の家にいようとも、何も出来やしない。……頭冷やせ。」
淡々と言われてどの口が、と叫びたくなる。この前頭に血が昇って俺をどうかしようとしたのは誰だったか。
だけど堪えた。そのことは自分のくだらない感情が原因であったし、何より明鈴の真意を知っているのは彼なのだろう。宵人はため息を漏らして一巳と向き直った。
「全部知ってる顔してんの、マジでムカつくな。……知ってること全部吐けよ。」
苛立ちを露わに告げると案外一巳は素直に頷いた。
「さすがにね。今の宵人にはとことん巻き込まれる気、あるでしょ?」
その問いかけにはしっかり頷いておいた。
「ま、状況を整理しようよ。去年の1月、うちの義父が死んだ。」
予見家の騒動の発端になった事件。早岐小夜が予見令悟を庇って殺されたというものだ。今回の事もこのことが絡んでいるらしい。
「それから去年の10月に事件が解決して、今年の3月、麗佳の誕生日に合わせて東弥は動いたらしい。」
そのときに東弥は小夜の遺言書を明鈴に渡したのだろう。だから、彼女は縁談に首を縦に振った。
「ここで結婚してれば終わってた話だけどね。でも事態はそんなとんとん拍子にいかず、宵人を巻き込む形になった。」
そこからはもう宵人が把握していることになる。明鈴に迫られ、1ヶ月の恋人期間を設けたのだ。
「婚約云々に関してはざっくりこんな話だよね。事件に関しては俺も大まかにしか知らないから、よいっちゃんが教えて。」
頷いた宵人は一巳に事件についての概要を話す。人為的に『力』の暴発が引き起こされているであろうこと。場所やターゲットはランダム。黒い斑点とそのメカニズムは不明であること。最終的に宵人の目はこの事件の裏に真中東弥の存在がある、と推測したこと。
それらを話し終わると、一巳は納得したように頷いてため息をついた。
「なるほどね。事件に関しては俺の調べてたことと繋がりそう。だから目下、お前にとっての問題は明鈴だね。」
事件の方も蔑ろにしたいわけではないが、確かに今の宵人の頭の中は明鈴のことでいっぱいだ。“この件については忘れろ”と“程なく事件が解決する”という言葉。それが引っかかっている。
「俺がここに来たのは、明鈴から頼まれたから。お前を説得しろ、とのお達しでね。あいつ、宵人を巻き込んだことを後悔してるみたいだった。」
「は?なんで俺も巻き込むわけ?あんたの決断だ。筋通せよ。」
それは今日から2日前の話。明鈴に呼び出された一巳は彼女の頼みを聞いて眉を顰めた。
「あの方を説得できるのは一巳だけでしょう。お願い。もう、苦しめたくない。」
彼女は珍しく必死な顔。自分のやってしまったことを相当後悔しているらしい。
「……あの馬鹿は聞かないよ。もうあんたはあいつの守る対象だ。あのね、嫌いじゃない相手から好意を向けられたら人間ってのは少なからずそれを返したくなるもんなんだよ。」
一巳の明鈴への対応は最初から厳しかった。彼は明鈴が宵人に向ける淡い好意に気づいていて、それがこの歪な家の事情にとってどういう意味を持つのか十二分にわかっていたから。
「それでも貴方が問いかけることは無意味ではない。彼の心に寄り添えるのも一巳だけです。」
その口ぶりに随分と理解しているものだな、と少々苛立った。主体性のないこの女がここまで意固地になるのは珍しくて鬱陶しい。
「あいつとは喧嘩中だっての。今回はマジでやらかした。慎重に対応しなきゃなんねえ。」
その苛立ちをぶつけるように吐くが、明鈴の表情は揺れなかった。何かしら、宵人と関わるうちに思うところがあったらしい。
「……いいえ。あの方はそんなことは気にしてません。一巳が隣にいないことがひたすら寂しいだけ。」
わかったような口を。その吸い込まれるような強い瞳が昔から苦手だった。だけど、彼女との距離感は嫌いになれなかったのも事実。幼少期の一巳の感情を正しく理解したのは唯一、この義姉だけであったから。
「情報はできるだけ引き出します。それを引っ張ることができれば、あの方の追う事件は解決するでしょう。」
ため息が漏れた。自分の身を顧みない奴が自分の周りには少々多すぎる。
「そんなことしたらあんたはもう2度と宵人には会えねえよ。無茶をしてでも関わりたかった相手と引き離されていいの?」
明鈴が微笑むのを初めて見た。うわほんと厄介。
「私にとって最優先すべきはお嬢様だけ。他の全ては些事です。」
そういう育て方をされてきたとは知っていても胸糞が悪い。こういうのを見せられる一巳の中で家への憎悪が膨らむだけだ。
「あいつに縋ればいいじゃん。匿ってもらって子どもが欲しいって望んでもおかしくない関係を要求すりゃいいのに。それが“幸せ”ならもっと欲張れよ。」
眉を顰めて淡々と糾弾すると、明鈴が目を伏せた。中途半端が1番醜い。どうせなら最後まで助けてくれと縋って、情けなくても甘えた方が互いのためではないのか。
「そのために苦しめと?貴方が1番わかっているのでしょう、あの方に東弥様がどれほどの悪影響を及ぼすのか。」
そこを突かれると弱い。一巳は言葉に詰まった。確かに宵人と東弥はあまり引き合わせたくなかったのだ。彼の『力』の澱みは一巳でもわかる。あれを過敏な宵人が浴びればどうなるのか、容易に想像できた。
「お願いします、一巳。どうかあの方の隣に戻って。きっと素直に話せばまたわかり合えるはずです。」
ぺこりと頭を下げられてしまった。一巳はため息をついて、一つだけ言い含めておく。
「わかった。善処はする。だけどね、明鈴。宵人はあんたの不幸の上に成り立つ幸せなんて許容しないよ。あいつを傷つけたことは一生後悔しな。」
「……なんでお前はそういうこと言い残すんだよ。明鈴さん絶対気にするだろ。」
話を聞き終わった宵人は頭を抱えた。でも一巳の言ったことも間違ってはいない。明鈴がここから逃げるには遅すぎた。
「いや、どうせお前絶対言うこと聞かないでしょ?何を言っても明鈴と話さないと納得しない。そういう奴だよね。」
よくわかっておいでで。口元に皮肉じみた笑顔を浮かべると、一巳もニヒルに笑った。
「話さないとっていうか、いい加減あったまきた。散々振り回しておいて大事なときに逃げるなんてな。」
宵人の珍しい表情に一巳が目を丸くする。自分が振り回されたことを怒るのは珍しい。このお人好しのことだから、明鈴が自分を犠牲にしたことを怒ると思ったのだ。
「……ったく。お前も明鈴さんも案外お節介だよな。俺は嫌なことだからって目を逸らし続けるほどガキじゃない。」
東弥の『力』や一巳の掘り起こした記憶について言っているのだろう。それに気づいた一巳が気まずそうな顔をする。
「とりあえず俺はあの人について納得してない。連れ戻さねえと。どうせ碌なことしないんだろ?明鈴さんは何考えてるんだ。」
眉を顰める宵人。一巳は頷いて話し始めた。
「明鈴は東弥の実家にいるだろうよ。義父の遺言を遂行するために。籍入れられるとさすがに取り戻すのが厳しくなる。この2日で何かを掴まないといけない。」
その状況はなんとなくわかっている。東弥が帰ってきたらもう誰にも邪魔をされないように籍を入れる準備はされているのだろう。
「まあ、何か掴まないとっていうそれはもう俺が掴んでるんだけどね。」
目を見開く宵人に対して一巳はホッチキス留めしてある資料を渡す。その中身は。
「……何これ。また別の案件?主導は……池田!?」
何やら面倒なことになっているらしい。ぺらぺらと資料をめくっているうちに宵人の顔色が変わる。
「は!?何これ、なんでこんなことに!?おい、一巳。俺が捜査課と一緒に追ってた事件は、この件のオマケみたいなモンじゃねえか!」
思わず声を上げる内容だった。反応がいいねえと笑う一巳。
「まあ、今回に関してはちょっと明鈴だけを責められないんだよね。俺がお前をこの件にちゃんと巻き込んでれば、優秀な宵人くんならとっくに明鈴を解放してた。」
相棒の気まずそうな顔に眉を顰める。こいつ、余計なことをしたな?
そこに気づいたことを察したのだろう。一巳は顔を引き攣らせる。
「まさか東弥がお前に直接接触するなんてアホなことやらかすとは思わなくてさ。お前の“目”については知ってたはずなのにね。」
怒りを通り越して呆れてしまった。なるほど。こいつがあんだけ怒っていたのは焦りからか。
「正直、池田の追ってる方にも東弥にも関わらせたくなかったんだよ。課長の言う通り、俺はお前に入れ込みすぎてんだろうな。」
ため息混じりにぼやく一巳。彼の考えていたことはなんとなくわかってきた。『力』に対して感度の高い宵人をなるべく澱んだ場所におきたくなかったのだろう。いつの間にそんなに過保護になったのやら。
「……それにしてもあのときは頭に血ィ昇ってたな。『異能』の制御ミスるとか一巳にしては珍しいヘマだ。何?俺に避けられてショックだった?」
揶揄うように言うと苦い顔をされた。たぶん、さすがに今回ばかりはお互いやらかしたことがでかい。
「寂しかったのはよいっちゃんなんでしょ?……なんで何も相談してくれなかったんだよ。」
そういえばこいつに吐かされたんだった。宵人は軽く頭を抱える。
「言えるか。自分だけ立ち止まってるみたいで寂しくてうじうじ悩んでます、なんて。」
呆れたような顔をされると腹が立つ。こっちは結構悩んだんだからな。そう訴えるように睨みつけると笑われてしまった。
ふと一巳と目が合った。何かに悩むように揺れる彼の瞳。それだけで言いたいことはわかるので先手を打っておく。
「……今回は個人的な感情でお前との関係に支障きたした俺も悪かった。カッとなりすぎたお前にも非はある。だから、いつも通りジャンケンで決めるぞ。」
宵人の言葉に一巳も頷いた。勝ったのは宵人の方。だから先に一巳の頬をぶん殴った。よろめいた一巳を眺めながら今度は歯を食いしばって待つ。すぐに切り返すように飛んできた拳は綺麗に入った。宵人もよろめく。
「ってえ、この馬鹿力。」
罵倒してきたのに一巳のその口元には笑みが浮かんでいる。自分も同じだろう。
「喧嘩両成敗。どっちが先に決めたんだったか。」
喧嘩したときはもうすっきり殴り合っておしまいにする。喧嘩三昧だった昔にどちらからともなく言い出したこと。もしかしたら忠直の提案だったかもしれない。ほんのちょっと懐かしくて宵人は笑った。
「一巳。さすがに気にしてるんだろうけど、俺はもうこれでいい。お前に嘘をついたってのがどんだけ重いのかはわかってる。」
たとえそれが些細なもので合ったとしても、一巳にとって『嘘』は特別なものだ。自分を歪ませた原因であるそれを憎んでいる。
「いや、今回はマジでさすがにやりすぎた。ごめん。てか爆発する前にお前とちゃんと話をするべきだった。まだまだだね、俺も。」
自分に対してのため息をつく一巳を見て宵人は小さく笑う。
「ああ。まだまだだよ、俺も。だからやっぱまだお前が必要なんだ。勝手にお前が先に行ったように感じて意地になってた。」
一巳がどこかへ行くわけないのに。単独行動はしがちであったが、彼が宵人を置いて行くことは絶対にない。
「……必要、か。……ま、よいっちゃんは俺のこと大好きだしなぁ。しょーがないね。」
久しぶりに聞いた手放しの軽口はなかなか悪くなかった。
「じゃ、そろそろいいか?青春気分のすっとこどっこいども。」
そこに放り込まれるぞんざいな口調。さすがに宵人は驚いた。
リビングのドアを開けたところに仁王立ちしているのは麗佳。彼女は白けた顔をしていた。
「は!?なんでお嬢さんが!?」
驚いて説明を求めるように一巳を見ると、彼はそういえば、と今思い出したかのような反応。勘弁しろ、心臓に悪い。
「一巳に呼ばれたんだよ。もし話が拗れたら止めに入れってな。ちょっとヒヤヒヤしながら待ってたのに急にイチャつき始めやがって。別にそういうの求めてねえから。」
殴り合いのどこがイチャつきなのかはさっぱりだが、呆れ切った麗佳の顔を見ていると笑いが込み上げてきた。
「毎度こんなもんだよ、俺たちは。」
「そこには素直に同意するわ。」
2人でへらへら笑うと両人とも麗佳に頬を引っ張られた。痛い。
「ったく、呑気だな、てめえら。へらへらしてんな。話まとまったんなら進めんぞ。時間が惜しい。」
2人を解放すると麗佳はだん、と仁王立ちの体勢に戻った。うわ、この人仕切るつもりだ。
「今の話の流れだと東弥の悪事の方はお前に丸投げすんぞ、一巳。いいな?」
へいへいと適当な返事をする一巳。池田が主導していた件と暴発事件には関わりがあった。資料によるとむしろこちらの方が末端で起きた事件だったらしい。
「東弥は実行犯ではないだろうけどね。明鈴揺さぶるために大胆に動いたみたいだし、蜥蜴の尻尾切りみたいにされねえように気をつけねえと。」
麗佳と一巳の間では大体の意思の疎通が取れているようだ。
だが、1人まだいまいち状況のわかっていない宵人。それを見た一巳が口を開いた。
「ちゃんとした説明はまだだったね。」
一巳に渡された資料からは東弥は杷子が主導で追っている件に関わるある組織の末端の人員であることが読み取れた。
その組織の目的は『力』を濁らせること。誰かの『異能』を流用した器具によってそれを行っていることを既に掴んでいた。
今回起こった暴発事件はそれの臨床試験のようなもの。どこまで濁らせることができるか、個人差はどうなのか。それを調べるために適当な『異能者』を厳選し、何が起こるのかを観察していたらしい。
東弥は明鈴に揺さぶりをかけるためにその器具を個人的に使用した。宵人といるときに起こった数回の暴発事件がそれである。
実際それは功を奏し、宵人をこれ以上危険に晒したくなかった明鈴は東弥の元へ向かうこととなったのだが。
「明鈴にしては多少強引すぎる手段を取ってるんだよな。というか、この件に対して必死すぎる。」
麗佳がぼやくように言ったことに宵人も頷く。確かに彼女は自分といる間、安らいでいるようで諸所に必死さが現れていた。
「通い詰めたり、尋常じゃない要求をしたり、迫ったり、挙げ句の果てには眠剤。その行動力は買うけど確かに粗は目立つ。」
一巳も賛同する。どうやら2人は東弥との結婚を承諾したのにはまだ遺言の他にも訳があると考えているらしい。
「まあ、豪胆なところはある奴だけどな。一巳だって何回か助けられてるだろ。」
肩をすくめる一巳。思い当たることのある反応。早岐家でも何やら色々あるのだろう。
「俺は明鈴から、自分は遺言に殉じて結婚する。宵人に迫ったのは衝動的なもの。巻き込んですまないと伝えろってしか聞いてない。でもなんとなく引っかかるんだよね。義父って遺言残してたの?ま、義姉たちが俺には知らせてなかった可能性があるけど。」
え、そこが嘘なの?宵人は固まる。麗佳の方を窺うと彼女も微妙な顔。
「残さねえとは言えねえけど、東弥に娘託すような間抜けじゃないはずだ。……となると別の要因があるな。」
一巳の顔色が変わる。何か嫌なことに気づいたらしい。
「……なるほど。しくじったな。自分の意思でやったことだからって放置すべきじゃなかったかも。」
彼の舌打ちを聞きながら宵人も頭の中で思案する。遺言にあったからという点を一旦考えずに人を思い通りにする方法。特に東弥の『力』の色を鑑みるとろくな手段は使わないだろう。となると。
「明鈴さんは実際は脅されていた、とか?」
麗佳も一巳も頷いた。そう考えると監視がついていた理由も頷ける。彼女が逃げるようなことをすればすぐに行動に移せるようにだろう。
「でも一体何に関して脅されていたんだろう。あの人、自分のことに関してはあんまり動じなさそうだし、東弥も明鈴さん自身に危害を及ぼすことはしなさそう。」
となると宵人の知らない部分だろう。一巳の方を見る。彼は何か思い当たることがあったのか、ため息をついた。
「麗佳。」
呼ばれた麗佳も頷く。
「ああ。たぶんお鈴さんだな。内容は……わからんが。」
お鈴。人の名前だろう。しかし宵人には聞き覚えのない名前。
「ま、よいっちゃん行かせるかあ。相性いいでしょ、たぶん。俺は会いたくねえし。」
よくわかっていない俺に投げるのか。一巳を睨むが彼は素知らぬ顔。ムカつく。
「申し訳ねえが俺様も賛成。一巳には東弥しょっぴく方で動いてもらわねえといけねえからな。」
ろくな説明もないままなんとなく話が収束する流れ。少しおろおろする宵人を見て麗佳は楽しそうに笑いながら、あ、と思い出したかのように口を開いた。
「そうだ、御厨宵人。お前さんにはもう一つしてもらいてえことがある。」
なんだか嫌な予感。一巳の方を見ると彼もどこかニヤついていた。
車を降りてその家の前に立つ。和風な造りの一階建ての家。その雰囲気はなんとなく寂しげだな、と。インターホンを鳴らす前にちらりと目に入った表札には『早岐』の文字があった。
リーン
おとなしいタイプのインターホン。聞こえたかどうか不安になってしまう。
『はい。』
だけどすぐに女性の声が聞こえた。聞いたことのない高い声。なぜか少しだけ緊張しながら宵人は口を開いた。
「こんにちは。御厨と申します。」
早岐明鈴さんのことを伺いに来ました。そう続けるつもりだったのにプッとインターホンの切れた音。あれ、何か不快なことをしただろうか?
それが杞憂であったことを示すように中からパタパタと急ぐような足音。慌ててドアを開けに来てくれたらしい。
ガチャッと鍵を開ける音と共にガラッと引き戸が開いた。
「あらあら、綺麗な方!」
このときの宵人は二重の意味で驚いた。とりあえず初見で“綺麗な人”と形容されたこと。もう一つは。
(……も、もふもふ!?)
なんか、もふもふした白い物体が出てきたこと。
「綺麗ねえ。きっと、澄んだ夜の空はこういう色なんでしょうねえ。」
うっとりとした声を出すもふもふ。視れば視るほどわからない。これは一体。
動けずに宵人はとりあえず目を擦ってみる。すると、もふもふがやっと人の形をとってくれた。
背の低い女性だった。可愛らしい壮年の女性のようでもあるが、笑顔の端にある少女っぽさが年齢不詳感を醸し出している。真っ白な髪の毛を後ろで結っており、その目は。
「……貴女は、早岐、鈴さん?」
吸い込まれそうな深い瞳は明鈴や夕鈴のそれとそっくり。彼女が双子の母親であるお鈴さんなのだろう。
「はい、そうですよ。ごめんなさいね、今明さんはいないの。」
申し訳なさそうに言われて宵人は目を瞬いた。明鈴と関係があることを知っているのか。
「あ、いえ。俺が用があったのは貴女の方です。御厨宵人と申します。俺はこういう者で……。」
名刺を取り出して渡すと彼女は目を細めて、しかしすぐにそれを返してきた。
「ご丁寧にありがとうございます。でもごめんなさいね、私にそれはあまり意味がなくて。」
きょとんとする。どういうことなのだろう。宵人をにこにこしながら見上げてくる目は明鈴と似ているが、もっと不可思議な色をしていた。その色が見えているものなのか、視えているものなのか判別がつかずに宵人はその場に立ち尽くしてしまう。
「私に御用事だったのね。どうぞ上がってください。貴方とはゆっくり話してみたかったの。」
呆気に取られてぼーっとしているうちに中へ促される。ハッとした宵人がそこまでしてもらわなくても、と言おうとしたときには彼女はまたふわふわに戻っていて、ふわふわした足取りで家の中に入っていってしまった。
通された座敷は広々としていて縁側の向こうに臨める庭も美しく整えられている。ぼんやりとそれを眺めていた宵人の背後から鈴がお茶を運んできた。
「今、私しか家にいないの。お口に合うといいんですけど。」
冷たい水出しの緑茶だ。いただきます、と断ってから口をつける。
「美味しいです。いい匂い。」
まろい口あたりで美味しい。だけどもふもふした何かがお茶を運んでくる様はなかなかにシュールな光景でもあった。
貴女は何者なのか、と聞きたいのを堪えて宵人は本題に移ろうと顔を上げた。しかし、そこで鈴が自分のことをじぃーっと穴が空いてしまうほどに見ていることに気づいて変な汗が流れる。
「……ええ、と。俺に、何か?」
瞬きをするたびにもふもふと人間を行き来するのがすごくおかしくて頭が混乱してくる。意識したら負け、と言い聞かせて宵人はこちらを見つめてくるもふもふを観察した。
「本当に綺麗な人ねえ。50年近く生きてきたけど、初めて視たわ。」
ぽやぽやした喋り口調に気が抜けそうになる。俺も初めて視ました。そう思いつつ口に出すのは控えた。
「恐縮です。そんなこと初めて言われましたから。ただ、あの、照れるので控えて頂けるとありがたいです。」
反応に困るのでそういうことはあまり言わないで欲しいのだが、もふもふが嬉しそうに揺れるのは可愛らしくて強くは出れなかった。ごめんなさいね。そんなふうにほわほわされると何とも言えない気分になる。
「ところで私に用事というのは?」
話を進めてもらえてホッとした。宵人は頷いて口を開く。
「最近、身の回りでおかしなことは起きませんでしたか?例えば誰かに尾けられたとか、変な視線があったとか。」
瞬きをしたとき、もふもふの物体がまた女性の姿に。でももう一度瞬きをしてももふもふになることはなかった。
鈴は申し訳なさそうに眉尻を下げて微笑んでいる。その表情に目を見開くと、彼女は宵人に向かって頭を下げた。
「きっと、うちの娘がご迷惑をおかけしているのよね。申し訳ございません。」
鈴の姿はまたもやもふもふに。宵人は眉を顰めた。もしかすると、彼女はこの状態のときに何かしらの『異能』を使っているのではないだろうか。それにしてもこんな状態になる人間は視たことがないが。
「御厨宵人さん。私、貴方にお会いしてみたかったの。私と似ている人に出会ったのは初めてだから。」
似ている。その言葉には首を傾げる。だけど鈴には何やら含みのある様子で、黙って続きを待つことにした。
「私ね、目が見えないの。貴方の顔だってわからないわ。だけどその『力』は視える。貴方はとっても綺麗。」
にこにこと笑う鈴。彼女の言葉を聞いた宵人は尚更気恥ずかしくなる。なぜかはわからないが普通に綺麗と言われるよりも照れた。
「明さんだってそこに惹かれたんでしょうに、貴方を選ばずにあの子はとっても怖いところへ行ってしまったの。貴方はそのことについてお聞きになりたいのでしょう?」
怖いところ。それは東弥の元のことだろう。鈴の視界が宵人と似ているのならば彼女が彼に対してそう思っても何らおかしくはない。
「はい。俺はあの人がどうしてあんなに必死だったのかを知りたいんです。それで、もしかしたら脅されていたんじゃないか、という考えに行き着きまして。」
宵人の言葉に鈴はため息のようなものを漏らして項垂れた。思い当たることがあるらしい。
「そう、そうなのね。だから、ここのところ“嫌な気配”がこのあたりでじっと私の様子を窺っていた。あの子は、何も話してくれなかったけど。」
事情を飲み込んだのかしゅんとなってしまう鈴。今の反応からすると目が見えないということもあって、彼女は今回のことについて深い事情は知らなさそうだ。
「……明鈴さんがどうして真中さんとの婚姻を承諾したのかはご存知ですか?」
確認のために訊いておくと鈴の首は横に振られた。
「いいえ。そう決まっているから、とだけ言われました。」
父親の遺言のことを話していないのか。これは確信犯だろうな、と宵人は苦笑いを浮かべる。
「亡くなられたお父様の遺言によるものだと。俺はそう聞きましたが、生前そのようなものを遺されていたことはご存知でしたか?」
遺言というそれ自体が嘘だったのではないだろうか。一巳や麗佳と話して正直なところそう思っていたのだが、鈴はああ、と頷いて口を開いた。
「それはございました。だけど私に書類は任せられないので明さんが管理しているはずです。」
じゃあやはりあの紙は本物なのだろう。一体何が起こっているのかわからなくなってきた。
次の質問を言い淀む宵人の目の先でまた鈴はふわふわになる。もしかしたら、これは“視られている”のかもしれない。見つめ合って、宵人は鈴の言葉をじっと待った。
「遺言の中身は私への手紙、娘たちへの手紙、一巳さんへの手紙、家の管理についてでした。あの人が逝ってしまって開けたときはそれだけだったはず。」
宵人の眉間に皺が寄る。東弥宛のものはなかったのか。でもそれだと辻褄が合わない。であれば明鈴宛の遺書に見せられた文書も入っていたのだろうか。だけど、あれは手紙の延長上にあるような書き方ではなかった。
「……そうですか。」
ここまででわかったことといえば鈴が監視を受けていたことと小夜が遺言を残していたことである。明鈴を説得するのにも、東弥を捕まえるのにもあまり有力な情報ではない。
「それにおかしいわ。夫は真中さんとの結婚にはずっと反対していたはずなので。」
しかし鈴のその言葉で宵人は顔を上げる。反対していた?それならば東弥に託す旨の文書を残しているのはおかしいだろう。
「私も反対していたの。たぶん、彼は夫の死にも関わっているから。……だから、明さんは相談もあまりせずに決めてしまったんでしょうけど。」
宵人は目を見開く。東弥が小夜の殺害に関わっていた。それは完全に初耳だ。
「すみません、それはどういうことですか?その、御主人の殺害に関与していたって。」
その問いかけに鈴はそっと目を伏せる。あまり気持ちのいい話題ではないだろう。宵人は申し訳ない思いに駆られたが質問を取り下げることはしなかった。
去年忠直が調べたことによると、小夜殺害の犯人は一連の事件の首謀者であった豊口が用意した足のつかない適当な『異能者』であったはず。そこに東弥が関わっていたとは。
「以前からね、真中さんの方からあまり良くない文書が届くことがあったらしいの。明鈴を渡さないなら、みたいな内容の。だけど夫も娘たちも丈夫ですから、あまり気に留めてなかったわ。でも、去年ふと夫が自分に何かあったら真中の仕業だと思ってくれ、って。」
そこで鈴は立ち上がった。しばらくして彼女が持ってきた箱の中にはたくさんの手紙。宵人は絶句した。この箱を目にしただけで漂う東弥の気配に既に吐き気を催す。
「……ごめんなさいね。私もあまりこれには触りたくないものだから貴方も辛いわよね。だけどたぶんこれは重要なものになるわ。」
宵人は黙って頷いた。背筋の泡立ちが止まらないが、震える手で箱を掴んでなるべく自分から離れたところに置く。
「明鈴が何を思って行ってしまったのかはわからない。だけど私にろくな説明をしていないということは、きっと私に関することだったのよ。あの子はそういう子なの。」
明鈴は1人、怖いところへ行ってしまった。彼女がどんな心境だったのかは宵人にもわからない。
脅しという推測はたぶん当たっているだろう。あの手紙の量や鈴の話から、それは確信に近い何かを得ることができた。鈴を保護すれば明鈴を安全に連れ戻すことができる可能性が高い。
しかし、一番の問題は明鈴がそれを望んでいなかったとき。ここまでで自分はすごく余計なことをしようとしているのではないか、という思いに駆られた。東弥の方は仕事の絡みもあるが明鈴に関しては完全に自分の私情で行動しているから。
「あの子のために悩んでくれているのね。貴方、本当に綺麗な人だわ。」
黙りこくっていた宵人に対してまたふわふわになっていた鈴。視られた、と確信して宵人は恥ずかしくなった。この人、『力』もだが感情の動きも読み取れるのか。
「どうしてこんなに素敵な恋人を放って置いてしまうんでしょうね。もう、誰に似たのかしら。」
鈴の言葉に思わず固まる宵人。気になる発言があったのだ。
「え、あの、明鈴さん、俺のこと恋人だって言ってたんですか?」
訊くと鈴は目を丸くした。宵人の動揺に驚いているらしい。
「ええ。でも真中さんとは折り合いがついたの?って訊いたら『それはまだです。』って言っていたから、貴方にご迷惑をおかけしてないか心配してはいたのだけど。」
違うの?と首を傾げられて呻く。『試しに付き合ってみる』。それは自分から言い出したことだが、随分と事態をややこしくしている気がする。その虚構の関係を、まさか明鈴が母親には“恋人”と明言しているなんて。
「何か変なことにでも巻き込まれたんじゃないかって不安にもなったのよ。でもね、あの子、このところすごく可愛かったの。」
可愛い。確かに明鈴のことは可愛いと思うが、鈴の口調にはどこか揶揄うような雰囲気が。顔を上げると嬉しそうなもふもふと出会う。
「貴方の話をするときはいつも色づき始めたすももみたいでね。初めて見たの、あの子のあんな色。明鈴は貴方に恋をしていたのよ。それは、本当。」
ややこしい事情であることを知ってか知らずかにこにこ笑う鈴。宵人は自分が今どういう表情をしているのかはわからなかったが、とにかく頬が熱い。
「だから貴方にはとってもお会いしてみたかったの。予想通り素敵な人だわ。私、人を見る目だけは間違いないの。目は見えないんだけどね。」
ぺろっと舌を出す勢いでおどけられてしまった。慣れない褒め言葉に変な表情になる。なんというか恥ずかしい。
「明鈴はね、きっと生まれて初めて自分の気持ちに従って行動したの。それがどんな結果に終わろうともあの子の意思よ。貴方が気負うことないわ。……だから、どうか貴方の都合に従って動いて。あの子のことは気にしなくていいのよ。」
また鈴がふわふわしている。これは、たぶん葛藤していた心の動きを視られたのだろう。
それに気恥ずかしい思いを抱きつつ、宵人は小さく笑った。
「自分の気持ちに従って動くなら、俺の中にはもうあの人を放っておく選択肢はありません。言いたいことはたくさんあるし、それにちょっと心残りもあって。」
視えているのならばもう誤魔化しようはないだろう。それに、明鈴にもこの気恥ずかしさを味わわせないとフェアじゃない。自分のことについて、鈴にたっぷり揶揄われればいいのだ。
「明鈴さんの笑顔が見てみたかったんです。いえ、そういう口実で、もう少し一緒にいたい。」
「よー、明鈴。辛気くせえツラだな。」
自分の前にどっかり座っている主は楽しそうな顔をしている。何か企んでいるときの顔だ。
「すみませんお嬢様。急なお休みをいただいて。」
ぺこりと頭を下げると麗佳は鬱陶しいとでも言いたげに手を振る。
昨夜、真中家に到着したときに東弥は出張中だと言われて不覚にも安堵した。いけないと思うのに、宵人と関わった影響か感情が前に出てきやすくなってしまっている。
だから麗佳が訪ねてきたときもホッとしてしまった。気遣わしげな妹の表情も相まって自分は何をしているんだろう、という気持ちになる。自分の意思というのはこんなにも他人に迷惑をかけるものだったのか。
「構わねえさ。お前はいつも文句ひとつ言わず俺様の手となり足となり動いてきた。我儘くらいもっと言え。なんなら、ここから無理矢理連れ出して俺様の方で片をつけてやることだって可能だぞ。」
冗談めかした口調だがその目は本気だ。まだ予見家の権力は完全に途絶えたわけではない。そのくらいのことはできるのだろう。
「……いえ。その必要はありません。私は自分の意思でここに来たのですから。」
だけど首は横に振っておく。これ以上揺れるわけにはいかない。もう十分我儘は言わせてもらった。
「小夜の遺言に従って、は自分の意思じゃねえぞ。……それとも別に何かあんのか。」
じぃっとこちらを見つめてくる主人の目。それに見透かされてしまわないように小さく目を伏せた。
「業務にはこれ以上支障がないように致します。お嬢様には一切ご迷惑をおかけしません。だからお引き取りを。私は帰りませんから。」
麗佳ははぁ、と軽くため息をつく。何か言いたいことはあるようだが堪えたような反応だ。
「ま、俺様は優しいからお前の“意思”ってやつを尊重してやるよ。だがな、手を出した相手が悪い。」
麗佳が夕鈴に目配せをした。すると、夕鈴は懐から封筒を取り出す。2人のどこかニヤついた表情に思わずきょとんとする明鈴。
受け取ったそれを顎でしゃくられた。開けろ、ということらしい。
「……ッ、これ、は。」
目を見開いて固まる明鈴。その反応を見た麗佳は楽しげに笑って立ち上がった。
「じゃ、俺様はもう帰る。行くぞ、夕鈴。」
去っていこうとする麗佳と夕鈴。明鈴は慌てて彼女たちを呼び止めた。
「待ってください、お嬢様!一体これはどういうことですか!?」
珍しい明鈴の大声に夕鈴がびくつく。しかし麗佳は実に楽しそうに答えた。
「ま、ほら、助けに来んのは王子様が相場だろ。せいぜい足掻いて待ってろよ、お姫様。」
襖が閉まった。監視の目が戻る前に明鈴は慌てて封筒をしまう。行動は素早くて冷静だったが、頭の中は混乱で満たされていた。
(……どうして、ここまで。)
こんなことをされたらこの場所は息がしにくいことを思い出してしまう。あの人の傍がどれだけ心地良かったのかを思い知らされる。
後悔で満ちる胸を押さえながら明鈴はただ東弥の帰りを待つしかできなかった。