四話 爆弾
「そこで俺様の登場ってわけだな。」
予見麗佳はニヤリと口角を上げる。彼女は赤色のしゅわしゅわした液体の入ったグラスを傾けて楽しそうだ。
「ええ、まあ。どうせお嬢さんは全部知ってるんでしょう?」
向かい側に座る宵人はあまりグラスに手を触れていない。飲む気分ではなかったのだ。
「ああ。知ってるさ。お前が明鈴と一晩過ごしておきながら、味見もしてないってことくらい。」
どこから食べようか、と値踏みするような麗佳の視線にため息をつきながら、宵人は頬杖をついた。
あれから数日。明鈴とは至って穏やかに連絡を取り合っている。時間が合わずに会ってはいないが、何気ないことを話して、報告して、なんてしていると本当に恋人になったかのようだ。
だが、まだ彼女にはあの男、『真中 東弥』のことは聞いていない。彼に殴られ、明鈴とは縁を切れ、と言われたことはまだ何も。
それは、その前に麗佳から話を聞こうと思ったからである。目の前の成人したての女は、自分よりも歳下のくせに一丁前に貫禄がある。さすがは『予見家』当主だ。昨年の事件を乗り越えて、また一つ逞しくなったらしい。
「にしても真中の坊っちゃんが直接動くなんてなぁ。お前も罪な男だ。」
枝豆をひょいっと摘み上げて、麗佳はニヤリと笑う。兄妹とはよく似るもので。その笑みは相棒が楽しそうに人を嬲るときの表情そのもので辟易した。
「坊っちゃんって。あの人、お嬢さんはおろか、俺より歳上でしょ?下手すりゃあ忠直さんより。」
その尊大な口調も相変わらず。だけどそれには安堵を覚える。麗佳の感情のフラットさは彼女の魅力の一つだ。
「ハッ。歳食っただけの奴を尊敬なんざしてやるもんか。お前さんとかのがよっぽど大人だぞ?」
どうやら麗佳は東弥に対してあまり良い感情を抱いていないらしい。奇遇だな、と宵人は口角を上げた。
「それはどうも。ところで最初に確認しておきますけど、お嬢さんは俺に今回のことを話す気、あります?」
それはどこか含みを持った質問。しかし、麗佳は何かに見当がついているように、呆れ笑いを見せる。
「……ハハッ、愚兄も必死で滑稽だよなぁ。お前さん、本当に罪な男だ。」
宵人は顔を顰めて枝豆を摘んだ。自分を見つめてくるアーモンド型の翡翠。それは、相棒の目とそっくりだ。ついこの前揉めたての相棒と。
東弥に殴られたその日。局の近くでの揉め事だったこともあって、宵人は忠直に呼び出されることになった。全員揃っている事務所の中で、それは起こった。
最初は忠直から、「大丈夫なのか?」と事の次第は問わない程度の確認を取られただけ。ええ、まあ、色々ありまして、と円に貼ってもらった頬の絆創膏を押さえながら宵人はへらりと笑った。
何かを察したらしい忠直は心配そうな顔をしていたが、宵人に話を続ける気がなかったのでそこで終わるはずだった。だが。
「よいっちゃぁん。色々って、何?」
一巳はいつものへらへら笑いを浮かべていて。でもその場の全員の背筋が粟立った
「……何、怒ってんだよ。」
特にそれをひしひしと肌で感じたのは宵人。いつも隣にいた分彼の感情の機微には敏感で、初めて得た一巳のその威圧感に目を丸くする。
「怒ってないよ。何?って訊いただけ。なんでお前が姉貴の婚約者に殴られるわけ?」
にこにこと口元は笑っているが、目が笑っていない。一体何が一巳の逆鱗に触れた?
「身内のことは身内で処理するってお前に忠告はした。接触したのが麗佳じゃなくて明鈴でも同じことだってお前ならわかったよね。なんで俺に相談しなかったの?」
いや、あんなこと相談できるわけない。「子どもが欲しい」とお前の姉に迫られた、なんて。
理由としては別におかしくない。でも宵人は自分でそれが言い訳でしかないとわかっていた。きっと、彼が主任を担う前なら相談していたから。
「極め付けにお前、この前俺に嘘ついたよね。宵人が急いで帰った理由、お前の兄ちゃんじゃなかったはずだ。あの後、明鈴と会ったでしょ。」
ぎくりと体が勝手に震える。あのとき、それを一巳が不快に思うであろうことには気づいていたのだ。このタイミングで責めるとは意地が悪い。
「いつの間にお前は俺のことを信頼しなくなったんだろうね。……最近、マジで何なの?俺が主任になったこと、そんなに不愉快?」
苦い顔をする一巳。彼の顔からヘラヘラした笑顔が消えている。その目に『力』が集中していることに気づいて、宵人は目を逸らそうと。
「逃げんな!お前だけは、俺に嘘つかないって誓ったはずだ!」
逸らせなかった。一巳が無理矢理視線を固定させた、というのもあったが、今、逸らしたら全部拗れてしまうことがわかったから。
「……ムカつく。俺に嘘ついてでも明鈴に関わりたかったってのがムカつく。お前の言いたくないことは何?なんで、最近俺のこと信頼してくんないの?」
エメラルドグリーンの美しい光に誘われるように口が開く。久しぶりの感覚だ。ゆっくりと自分の口が勝手に動くのがわかって、思考が一瞬にして漂白されたように真っ白になった。
「…………寂しい。」
ぽつり、と漏れた一言。予想外の答えに一巳が目を丸くする。
「お前が、進んでいくのが寂しい。コンビ解消なのが寂しい。俺だけ止まって、お前の隣を許されていないみたいで寂しい。お前が、その席にいると、遠いんだ。」
キラキラと宵人の頬で涙が輝いた。一巳は呆気に取られて動けない。
寂しい、は予想外の返答だった。そんなことで、深い関わりを避けて、相談もしなくなったのか。
ぼんやりとし過ぎて、『異能』が効き過ぎていることへの対応が遅れた。
「その席は、忠直さんの位置で、そのまえは……ッ。」
「もういい。やめろ。」
止めに入ったのは忠直。宵人の目を後ろから隠して、一巳の『異能』を切った。
その瞬間、プツンっと緊張が切れて、膝から崩れ落ちそうになった宵人を忠直がそのまま支える。
「宵人、落ち着け。……よし、いい子だ。」
忠直は過呼吸気味になっていた彼の背をさすりながら、きちんと息を吸うように言って、一巳の方を見た。
「一巳。やり過ぎだ。相棒の脳味噌を台無しにする気か?」
その言葉で、グッと何かを堪えるように一巳は眉間に皺を寄せる。自分でもやり過ぎたとわかっていたそれを人に突かれるのは数倍痛い。
一巳の『異能』は「人の言いたくないことを暴く能力」。しかし、使い方を間違えば、『異能』を浴びる相手自身も自覚していないことを暴いてしまうことがある。
それによって、相手の耐え難い「何か」を引き出してしまえば、正常な思考をできなくすることすらできる。知りたくないことを知ることで、対象の脳味噌が壊れてしまうのだ。
便利なようで非常にデリケート。そんなこと、もう当たり前だったのに。今、一巳は宵人への鬱屈した想いのままに『異能』を使って、彼の思い出したくない何かを引き出しかけた。
「柴谷、御厨についてやってくれ。少し休ませたい。」
虚ろな表情で、ただぼたぼたと涙を溢しながら全身の力が抜けたようにしている宵人の体を円に任せて、忠直は一巳に厳しい目を向ける。
「お前の考えはわかっている。だがな、どこまでいってもその『異能』はお前に憎まれるものだ。扱い方を考えなさい。……少し頭を冷やしてこい。」
はい。一巳は素直に返事をして、暗い表情で事務所を出て行った。
そんなことがあってから一巳とは全く会話していない。というか、あちらの避け方が徹底的だ。ほとんど顔を合わせることはなく、姿を見かけるのは避けようがない会議等のみ。
本当は、東弥に殴られたときにもう一巳に相談しようと思っていたのだ。なのに、自分が1番言いたくなかったことを暴かれて、久しぶりに、でも過去最高に嫌な雰囲気の喧嘩をしてしまった。
どうやら麗佳はそんな現状を知っていたらしい。どうしてなのかは大方予想がつく。
「一巳に言い含められたりしてない?宵人に余計なこと言うな、みたいに。」
尋ねるとフッと笑われる。
「必死なのはお前さんもか。姉と弟に板挟みで可哀想に。」
全くそうは思っていない表情。でも今はその遠慮のなさが落ち着く。現在、事務所の雰囲気も最悪なのだ。一巳と顔を合わせないのはまだしも、他のメンバー3人が気遣うような視線を投げてくる。正直なところ、それが最も鬱陶しかった。
「ああ。一巳にはこの前から、というかこの問題が発生したときから『宵人には関わらせるな』って口酸っぱく言われてたよ。」
発生したときから。その言葉に眉を顰める。それはまるで、いずれ宵人が巻き込まれる可能性が高いことを知っていたような。
「単刀直入に訊きます。何が起こってるんですか?」
麗佳がグラスを傾けながら、宵人に片眉を上げて示す。お前の疑問点をちゃんと伝えろ、という態度。
「……真中東弥。あの人、本当に明鈴さんの婚約者なんですか?」
その質問には麗佳の口角が上がる。
「なかなか面白い切り込み方だ。ああ、半分は本当だ。」
論理パズルをしているわけではないんだけど。宵人は苦笑いを浮かべつつ続けた。
「明鈴さんと数回出かけて、その全てで監視がついていました。つい先日もそうです。急な雨で家に連れ込む形になって忘れてたんですけど、雨が降る前までは確かにいました。」
麗佳に驚く様子はない。ああ、やはり、とは思いつつ尋ねる。
「あれ、真中の仕業ですよね?」
クックッと麗佳から笑い声が漏れた。
「そうだ。」
この前、宵人が殴られたときである。彼は昨夜どこにいた、と訊いてきた。あれは純粋な質問ではなく、こちらを責める響きのあるもの。つまり、どこにいたかを問うていたわけではなく、明鈴を家に連れ込んで一晩明かしたことを知っていた上での質問だったのだろう。
家に連れ込んだのは雨による偶然の出来事。予定にあったのであれば、誰かから聞いて婚約者の不義理を責めた、で納得できたのだが。
「婚約者に監視って。護衛とかならまだわかりますけど、変ですよね。一体あの男、何者なんです?」
麗佳から満足な返答が得られるかはわからないが、さすがに訊かずにはいられなかった。あの男の中身。醜い尋常でない気配。あんなものを抱いていて、普通に過ごしているのはあり得ない。
麗佳が枝豆の殻のさやをぽいっと空いた皿に投げて、指を拭く。楽しそうだった表情がいつの間にか引き締まっていた。
「……御厨宵人。お前、明鈴のこと、どう思う?」
答えてくれる流れだと思ったのだが、質問で返されて宵人は一瞬返事に詰まる。明鈴のこと。
「……無垢な人。だけど、冗談が通じないわけではない程度に楽しくて、それなりにちゃんと意見を持っている方だと思います。」
なるほどなぁ。麗佳はくるくるとグラスをかき混ぜながらため息をつく。彼女と目が合ったとき、フッと遠くを見るような目で見られた。
「俺様はお前さんが貰ってくれればいいのにって思ってるよ。見てくれや世間体じゃなくて、あいつをちゃんと人間として見てくれるやつ。」
その言い方からして、麗佳にとって東弥はやはり気持ちのいい相手ではないらしい。
「お前さんの考えている通り、真中の坊っちゃんは所謂“クソ野郎”だ。だけど、明鈴にとっては婚約者。……何のせいか、わかるだろ?」
彼女の飽き飽きしたような表情で察する。一巳が身内のことは身内で、と言っていた理由がわかった。
「なるほど、家絡みですか。」
麗佳は頷いて話し始めた。
『予見家』で『忌子』を受け入れる家として生まれた『早岐家』。ここもまた、予見家の護衛を産出するために存続を強いられてきた家である。
その代の当主となる長男ないし長女は生まれた頃から許嫁を当てがわれる。そして、結婚適齢期になると婚姻関係を結び、早いうちに子どもを成し、次代に備えるのだ。
当代の長女である明鈴も例外なく、東弥という婚約者を当てがわれ、本来であれば高校を卒業する歳には結婚していた。
しかし、その縁談を無きものにしたのが麗佳だ。麗佳はこれ以上外部の思想や力が強まり、自分が継いだときに“予見家を潰す”という目的が履行できなくなることを恐れた。
だから、忠直との縁談が破談になってゴタゴタが起こったことをいいことに、そのどさくさに紛れて自分の護衛であった明鈴の縁談も真中家に掛け合って破談にしたのだ。
だが、ここで予定外のことが起こった。真中の当時の当主であった東弥の父は婚約を破棄してくれたのだが、渋ったのは東弥本人。彼は明鈴の父である小夜に直談判を行い続けた。
そして昨年の冬、小夜が亡くなり、予見家の内部が落ち着いたタイミングで、東弥が今度は明鈴に直接婚約の復活を申し出たのだ。
「これが今年になって縁談が復活するまでの流れだ。実際はもう東弥は明鈴の婚約者じゃなかったんだ。ずっとしつこくアプローチは受けていたがな。」
麗佳は鬱陶しいことこの上ない、と嫌そうな顔。
「実はそもそもは明鈴が俺様の専属の護衛だった。あいつの親父が亡くなってからは、先代の護衛につかされたが、それまで明鈴は俺様に最大限尽くしてくれてな。いい相手を見つけてなかったんだ。」
そういえば確か去年麗佳の護衛についていたのは夕鈴。明鈴と共にいる方が少なく感じていたが、実はそちらの方が正しい形だったのか。
「その上、あの性格だろ?どう言いくるめられたのかは知らねえが、俺様の介入を許す間もなく東弥との縁談が掘り起こされちまった。」
タイミングも悪かった。麗佳は予見家を解体する、と宣言したときに早岐もその任を明鈴の代までにする、と決定したのだが、そのせいで早岐の問題に首を突っ込みにくくなってしまった。
「東弥はクソ野郎だ。婚約が破談になってからも明鈴を手に入れる機会をずっと狙っていたらしい。彼女の周りの男を排除し、いい相手を作らせないようにしていた。今年に入ってからはずっと明鈴に監視の目をつけてたり、な。ほぼストーカーだ。」
忌々しげに言葉を吐く麗佳。宵人はその話を聞きながら、頭の中でなぜ自分が明鈴に頼られたのかわかった気がした。
「明鈴に貞淑であることを求め、定期的に服とか贈ってきてたんだぞ。気色悪りぃ。あっちの頭ん中では付き合ってるつもりだったようだな。」
殴られたときの剣幕を思い出して宵人は苦笑いを浮かべる。麗佳の嫌悪する理由はわかるから。
「ま、明鈴は今まではそんなに気にしてなかったみてえだけど。出先で会っても普通に対応してたし、プレゼントにも眉一つ動かしたところを見たことがなかった。下手すりゃあこのまま結婚すんのかなって思ってたよ。」
意味ありげな視線を向けられて一瞬固まるが、すぐにああ、と頷く。そこからが宵人の知る明鈴の行動、というわけだ。
「今年になって、東弥が本格的に動いてすぐくらいの明鈴はそのまま流されそうだった。でも、ついこの前から珍しく単独行動が増えたと思ったらこれだ。俺様もびっくりしたんだぜ?」
何を思い立ってあの行動に至ったのか。1番考えやすいのは。
「……めちゃくちゃだけど、妊娠すれば結婚を避けられるって考えですかね?誰かに手を出されたと知ったら諦めてくれると思ったとか。」
それなら宵人は悪くない相手かもしれない。頼られると断れないお人好しで、もし相手が武力行使してきても大抵の場合は対処できる。倫理的に断るが。
「あ、でもそれだと事情を話してくれなかった理由がわからないな。ここまで話してくれれば他の解決法を考えたのに。」
そんな突飛な方法を取らずとも、付き合ってる体で相手の説得をするとかあっただろう。でも、明鈴は何も言わずに自分の相手をしてくれ、と頼んできた。その心は。
「……なあ御厨宵人。明鈴があまり自己主張しないのはどうしてだと思う?」
思考を断つように麗佳が問いかけてくる。思わず彼女を見つめると、複雑な表情をしている麗佳と目が合う。その目に促されて、宵人は真剣に考え始めた。
「予見家に仕えるっていう立場だと、自分の意思がない方が主人に尽くせるから、とか?」
明鈴は護衛という立場にこだわりがあるようなフシがある。そこから考えると、これは悪くない推察ではないだろうか。
しかし、麗佳はゆっくりと首を横に振った。
「そうしないと自分の存在に価値はないと思っているからだ。」
宵人は目を瞬く。価値はない、なんてそんなこと。
「早岐家も代々、『異能』を持たされる。予見家を守るため、それに特化した『異能』を持つことが多い。だが、明鈴は守るのに役立つ『異能』を持てなかった落ちこぼれなんだ。」
落ちこぼれ。そう言い放った麗佳の顔は苦い。たぶん、彼女は明鈴に対してそんなことは全く思っていないのだろう。
「だから、主人にひたすら従順であることで護衛としての責務を全うしようとしている。そこまでしないと自分はこの職が務まらないなんて考えてんだよ、あいつは。」
だから、自分の感情を殺す癖がついていて、いつも淡々とした態度なのか。思わず納得して頷くと、麗佳は複雑そうな顔で微笑んだ。
「だけど、そんなあいつが自分で考えてお前さんに迫った。手段は不器用すぎるが、自分の意思に基づいて、だ。どうかちゃんと向き合ってやって欲しい。」
深々と頭を下げてくる麗佳。その態度はいつもよりもどこかしおらしい。
「……お嬢さんにとって、明鈴さんは大切な人なんですね。」
それを見て口に出すと、麗佳は照れたようにフン、と鼻を鳴らした。
「当たり前だ。こっちはちっちぇ頃から守ってもらってんだ。俺様の我儘に文句ひとつ言わずに着いてきてくれた相手に幸せになって欲しいのはおかしいかよ。」
相変わらずこの人は。ツンデレより高度なものを見せられている気もするが、その気持ちはわからないでもない。大切に思ってきた人がとんでもない男に持っていかれるのを指を咥えて見ているガラじゃないだろうし。
「いいえ。あんたらしくて最高。」
くくっと笑うと、麗佳が目を丸くした。そしてすぐに呆れたように息を吐く。
「やっと笑ったな。それでいい。愚兄も心配してたからな。」
今度は宵人が目を丸くする。一巳が?
「やり過ぎたとかなんとか。その影響かは知らんが、お前さんがぼんやりしてることが増えたらしいな。」
あの野郎。避けているくせに現状を把握しているのが憎たらしい。
「ああそうだ。どうせそろそろ俺様に頼るだろうからっつーことで、伝言を頼まれてる。」
そこまでお見通しかよ。悪態をついた宵人を見て、麗佳は笑った。
「真中東弥にあまり近づくな、だとさ。どうせ言うこと聞かねえんだろうけど。(ため息)。」
一巳の真似をしながらご丁寧に伝えてくれる麗佳。顔が似ているだけにムカつく。
「……ご忠告どうも。あいつが危惧してたのは、真中の方か。なぁお嬢さん。真中家って、何か後ろ暗い事情抱えてたりする?」
その質問には麗佳の眉間に皺が寄った。
「俺様の知る限り、先代まではそういう噂はなかったな。だが、東弥の方はわからねえ。あいつが継いでからは俺様は“家”の方が忙しくてな。」
麗佳でも知らないのか。だけど宵人の中でそれはほとんど確信だった。ここまでの事件の流れと彼の気配。それらを鑑みるとたぶん。
一連の異能力暴発事件を起こした犯人は真中東弥だと。
シンプルなドレスに身を包み、化粧で飾る。最後に引いた紅も足を差し入れた靴も、彼の選んだものだ。サイズがぴったりであることにも表情を動かさず、明鈴は家を出た。
一台の車が停まっていて、運転手は明鈴を見た瞬間にドアを開ける。一連の流れもいつも通り。明鈴は息を深く吸い込んで、水の中に潜るように車に乗り込んだ。
到着したそこは何度か来たことのあるホテルのレストランだった。明らかに高級そうで、整っていて。
(……息が詰まる。)
東弥は先に来て待っていた。彼の雰囲気は上品で、眼下に広がる夜景を見つめている。
「……ご機嫌よう、真中東弥様。」
離れた位置で深く頭を下げると目で座るように促された。後ろについてきていた店の従業員が椅子を引いてくれて、明鈴は大人しく座る。
「少し遅かったな。待ちくたびれてしまったよ。」
確かに待ち合わせの時間より少し遅くなった。いつもならば東弥より早く来ていることもあるのに。
「申し訳ございません。」
淡々と謝りながら、原因は出る直前に宵人と何気ないやりとりをしたことであることを思い出す。そういえば、明鈴が送信したところで終わっていた。あの返信はもう来ているだろうか。
そんなことを考えつつ、黙々と運ばれてくる食事を口に運んでいく。東弥の話に相槌を打つことも忘れずに。
「そういえば明鈴、先日君の友人に会ってきたよ。御厨、宵人くんといったかな?」
え。内心驚いたが表情には出ない。ゆらりと顔を上げると、東弥はじっとこちらを窺っていた。
「この前、彼の家に行ってきたそうだね。何も、されていないかい?」
明鈴は素直に頷いた。
「はい。何も。」
むしろこちらから仕掛けたくらいだ。夜、寝るときも「おやすみなさい」と眠いときのへにゃへにゃした笑顔を見せてくれて、思わずじっと見つめてしまった。丁寧に整えられた布団は彼の匂いがした。
「……そうか。それならいいんだ。」
東弥はきゅっと目を細めて、食事に意識を戻してしまった明鈴を具に観察する。その所作は美しく、桜色の唇に料理が吸い込まれていく。
「美しい君が、あのような品格を備えていなさそうな男に汚されたなんて考えたくもない。そんなことが万が一にでもあれば、私はどうなってしまうだろうな。」
その言葉には明鈴が反応してじっと東弥を見つめる。明鈴の吸い込まれそうな瞳の奥が一瞬揺れた。そういうことを口に出す方が下品ではないだろうか。
「おや、不愉快だったか。すまない。」
何かの感情の機微に気づかれて、謝られるが、明鈴はすぐに構いません、と表情を正してグラスを手に取る。それを見た東弥は愉快そうに微笑んだ。
「だが、あの男とは縁を切った方がいい。君が知っているかは知らないが、奴の兄は前科者だ。奴だってろくな人間じゃないだろう。」
その口調は宵人を嘲笑うようだった。明鈴は視線を彷徨わせた後、何か言おうと口を開く。
「いいか?君は私に従っていればいいんだ。それが、お父上の願いでもあったのだからな。」
しかし、それを遮るように東弥はにこりと笑いながらそう言った。明鈴は少しだけ眉を顰めて、でも何も言うことなく頷く。
「ああそうだ。そういえば彼は君にもう一回だけ会う機会をくれ、と言っていたな。」
聞いていないことだ。顔を上げた明鈴に東弥は微笑みをたたえつつ告げる。
「もし、それを破ればわかっているな?彼のお兄さんは仮釈放中だそうだ。何か起これば彼は悲しむだろうなぁ。」
これは脅しだ。明鈴は目を伏せたまま、静かに頷いた。そうか、彼に会えるのはもうあと一回だけ。
「わかっております。だから、友人を巻き込まないでくださいますか。」
東弥に向かって頭を下げる。きっと、それを見ながら彼は満足そうに微笑んでいるのだろう。
ああ、ここは、こんなにも息がしにくい。
「明鈴。」
食事を終えてあとはもう帰るだけ。そう思ったのだが、レストランを出たところで東弥に呼び止められた。
「部屋を取ってある。行こうか。」
明鈴は目を見開いた。東弥の目が“友人と一晩過ごせるのなら、いずれ結婚する相手とも過ごせるだろう”と訴えていて。
(…………息が、しにくい。)
ふと、宵人の顔が浮かんだ。そう。“あのとき”もそうだった。彼の顔が浮かんでしまったから、だから。
(……私は、貴方に。)
目を伏せて、逃げることを諦めた明鈴が応じようとしたとき。
リリリリリ リリリリリ
独特のメロディ。これは。
「すみません。お嬢様から緊急の電話です。」
麗佳の名前が出てくると東弥も強くは出れない。彼が構わない、というように頷くのを見届けて明鈴は電話に出た。
「はい。」
『あ、もしもし。明鈴さんですか?』
予想外の人物の声に思わず固まる。
『すみません。お嬢さんが眠ってしまって。俺も今日飲んでいるので送っていけないんです。情けないんですが、迎えに来てもらっていいですか?』
「…………。」
『あれ、今、取り込み中でしたか?それなら最悪もう一巳に。』
「いえ。仔細ありません。」
『よかった。ありがとうございます。ほら、お嬢さん、明鈴さん来てくれるって。』
これは偶然だ。そう思いながらも宵人の声に高鳴る胸を押さえてしまった。電話を続けているフリをして、呼吸を整えると東弥に向き直る。
「……申し訳ございません。お嬢様からお呼び出しがかかりました。すぐに向かわなければなりません。」
そう告げて深々と頭を下げる。顔を上げると険しい表情の東弥と目が合ったが、もう一度淡々と謝って、明鈴は彼に背を向けた。
「あ。明鈴さん。わざわざすみません。」
明鈴が指定された場所に到着すると、ベンチに座る宵人とその肩に頭を預けてすっかり眠っている麗佳がいた。安心しきっている主人の顔にホッと息を吐く。
しかし、宵人の方は現れた明鈴の姿を見て気まずそうな顔。何か変なことでもあっただろうか、と見つめると彼が申し訳なさそうに尋ねてきた。
「……あの、やっぱり取り込み中だったんですか?」
明鈴はなぜ突然そんなことを言われたのかわからずにきょとんとする。
「いや、やけに綺麗な格好をされているので。」
東弥と食事に行くときは大体フォーマルなドレスかきちんとした着物を身につけている。だから、明鈴自身はあまり違和感を感じていなかったのだが、宵人はそれが気になったようだ。
「お気になさらず。お嬢様が最優先事項ですので。車は夕鈴に頼みました。宵人さんはもう帰っていただいても。」
構いません。そう言おうとしたのに、言葉は続かなかった。きゅ、と突然握られた手。それに驚いて目を丸くしてしまったから。
お互い沈黙に襲われる。宵人も自分の行動に驚いているようだ。
「……あの……。」
だけど、明鈴が何か言い淀んでも彼は手を離さなかった。
「夕鈴さんが来るまで、ここにいます。」
彼は理由を述べなかった。だけど、なんとなくその心の内はわかる気がする。たぶん、自分はひどい顔をしていたのだろう。彼を見て、すっかり安心したような顔を。
明鈴は黙って宵人の隣に腰掛ける。夜空では星がきらきら輝いていた。今日も晴れだったようだ。
「……貴女は何も話してくれませんね。」
不意に宵人の口からぼやきのように漏れてきたそれに明鈴は口籠る。何があったのか聞きたいが、訊いても何も話してくれないんでしょう。そんなふうに責める響きがあったから。
「別にそれでも問題ないですよ。俺が求められたのはあんたを抱くことだけ。心配しろとかお節介をしろとか、そういうことはあんたに頼まれてない。」
ただ握られていただけの手が少しの間離れて、指が絡まる。目を白黒させる明鈴を横目で見ながら、宵人は拗ねるように吐いた。
「問題、ないんですけど、なんかやだ。」
頬を膨らませる勢いだ。初めて見たその顔に明鈴は彼が酔っていることに気づいた。
「嫌なことをさせようとしてしまっているのは重々承知で……。」
いつものように淡々と謝ろうとするとキッと睨まれる。何か気に障ったらしい。
「明鈴さんの馬鹿。あんたのお願い、別に嫌じゃないです。」
え。思わず固まる明鈴。1週間断り続けたのに?と彼女の頭上にはてなマークが浮かんだ。
「でも、なんでそれだけなの?俺、もう置いていかれるのは勘弁なんです。ヤるとか子どもとか、そういうのの前に俺があるのはダメなんですか。」
宵人は何を言いたいのか。はっきりとはわからずに首を傾げる明鈴に、痺れを切らしたように彼は言い放った。
「だから、そこまで許せるなら、俺と結婚して全部俺が責任取るのはダメなんですか?」
拗ねたような視線を向けられて、明鈴は動けない。頭が真っ白で何も考えられない。そんなことを、言われるなんて。
「……なんて、冗談ですよ。俺が都合のいい相手だっただけですもんね。」
はあ、と彼の口から漏れるため息が見えるようだった。明鈴から視線を逸らして、彼はまるで愚痴のように漏らす。
「俺、困ってるんですからね。だから、あんたも困っちゃえ。」
その言葉に返せる言葉を持たない明鈴はただ顔を伏せた。宵人も返事は求めていなかったようで、絡めていた指をするりと解く。
ほろ酔い気分の彼はたぶん、深く考えずに頭に浮かんだことをぺらぺらと話しただけだ。でも、途中でそちらの方がよほど性質が悪いことに気づいて。
「遅くなりました!ああ、お嬢様、爆睡してる!」
そのうち、夕鈴が到着する。彼女は宵人の肩に涎を垂らさんばかりの勢いですやすや眠っている麗佳の肩を揺すった。
「あ、夕鈴さん。俺が車まで連れて行きますよ。」
何事もなかったかのように夕鈴に対しては応対する宵人。彼はしれっと麗佳を抱き抱えて車の方に向かって行ってしまった。
「か、軽々抱えちゃった……すごいなぁ。あ、姉さんも帰りましょ。」
その光景をぼんやりと眺めながら、夕鈴は明鈴の肩を叩く。が、姉の表情を見た彼女はぎょっと目を見開いた。
「ね、姉さん?ど、どうしたの?具合悪い?」
慌てて明鈴と視線を合わせる夕鈴。明鈴の顔は真っ赤で、耳まで染まっている。彼女は誤魔化すように目を伏せて、首を横に振った。
「いえ、なんでもありません。……あ、や、やっぱり、いけないかも。」
胸を押さえる。硬い骨の感触の奥で確かに感じる心臓の拍動は感じたことのないくらい速い。
そのとき、おろおろしている夕鈴の背後から麗佳を移動させ終わった宵人が顔を出した。彼にはあまり明鈴を見ないようにしている気配があった。
「じゃあ、俺はこれで。お嬢さんを酔い潰してしまって、すみませんでした。」
深々と2人に向かって頭を下げた宵人を夕鈴が呼び止める。
「あ、御厨さんも送って行きますよ。」
しかし、宵人は首を横に振った。その顔には苦笑いが浮かんでいる。
「いえ。少し飲み過ぎたので夜風に当たって頭を冷やしたくて。お気遣いありがとうございます。」
引き下がる夕鈴と顔を上げられない明鈴。彼女たちを見て薄く目を細めると、宵人は一礼して去っていった。
「御厨さん、きちんとしてるなぁ。うちの彼氏と大違いだぁ……。」
呑気な夕鈴の呟きを聞きながら、明鈴は眉間を押さえる。なんとも言い難い気分で、ひどく口の中が渇いた。
この1ヶ月が終われば、夢泡沫同様消え去る予定だった感情。それがどんどん膨らんでいくのを自覚しながらも、彼にああいう表情を向けられる立場がすごく。
どくんどくんと脈打つ鼓動も頬が熱いのも。明鈴はゆっくりと首を横に振って、彼が置いていったとんでもない爆弾を処理しきれずにいた。