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Lemonade  作者: 洋巳 明
2/8

二話 沸々と


「発明課の方でも特に何も見つかりませんでしたか。」

 宵人は深くため息をつく。

「残念ながら、ね。君の見立ては悪くないと思うんだが、どの被疑者も『力』の成分におかしいところはなかった。」

 彼に返事をしたのは『異能対策開発課』の課長である安保 八千代。いつも通り梅昆布茶を啜りつつ、宵人の報告書を眺めている。

「君の報告にある黒い斑点、『力』のざらつきとでも言おうか。局の中でも選りすぐった目のいい面々にも視てもらったが、やはり捉えたのは君の『目』だけだったようだ。」

 この前の暴発事件の現場で視た、被疑者の『力』に点在した斑点。そのことと、現場を足早に去って行ったあの醜い気配が宵人の頭から離れてくれなかった。

「そうですか。いや、俺の目でももうあの斑点は視えなくて。あれを視ることができるのはせいぜい事件発生後、1〜2時間以内だと推定します。そのあとは混ざってしまって、『力』を濁らせる。」

 そこには被疑者たちの意思ではない『何か』を感じてしまう。何者かによって強制的に暴発事件を起こされている、というように。

「だから薬剤の可能性を当たった、というわけだな。ふむ。一筋縄ではいかないようだね。」

 八千代はほんの少し楽しそうに口角を上げる。彼女が興味を持つ『餌』を与えてしまったようだ。

「何か掴めたらまた相談しに来ます。」

 そう言って宵人は立ち上がる。今日は午後から会議があるのであまり思考に耽ってもいられない。

「おや、真っ先に頼るのが私なのかい?これは捜査課主導の事件だろう。あちらの課長にもきちんと報告はするんだよ。」

 珍しく真面目な説教だ。宵人は苦笑いを浮かべた。単独行動気味なのがバレている。

「わかってます。だけど、今回はなんとなく親父の事件の影を感じて。安保課長も無関係じゃないでしょう。」

 その言葉に八千代の眉がピクリ、と上がった。

「……ふむう。君は年々“御厨くん”に似ていくな。上司の影響か。」

 きょとんとする宵人。今の“御厨くん”は、自分ではなく父親のことだろう。普段、父親に似ていると言われるのは兄の隼人の方だから、初めて言われたということもあって驚く。

「彼にはうちの弟が世話になった恩もある。君も私のことを父親代わりくらいに思ってどんと頼ってくれたまえ。」

 冗談か本気かわからない調子でそれだけ言うと、八千代はひらひらと宵人に手を振ってパソコンに向き直った。



 一巳はぐい、と背伸びをした。このところデスクワークが多めで肩と腰がやられる。その解消がてら円の訓練に付き合っているのだが、今日はそれもなかったため結構疲れがきた。

「大きい欠伸ですね、早岐さん。」

 向かいに座っている杷子が珍しく話しかけてくる。お互い集中力の切れるタイミングが同じだったらしい。

「んー、パソコンにずっと向かってるとねみーんだよな。池田、なんか甘いもんちょーだい。」

 要求すると、向かい側からひゅっと投げられるチョコレート。上手にキャッチして、思わずいつもの癖で隣を見てしまった。それを杷子に見られてくすくす笑われる。

「今日は1個しか投げてません。」

 一巳は顔を顰めつつ礼を言ってチョコレートを口に放り込む。いつもなら隣には宵人がいて一緒に仕事をしているから、杷子は2人分のお菓子を渡してくれるのだ。

「仲違いしたんじゃないんですよね。どうして最近微妙なんですか?」

 自分の分を開けながら彼女が訊いてきたことにも顔を顰める。そんなの、こちらが知りたい。

「わかんない。」

 はぐらかしている響きではないと気づいたらしい杷子が首を傾げる。

「早岐さんが、ですか?」

 一巳は呆れたように返した。

「俺でもわかんないことくらいあるよ。」

 杷子の言いたいことはわかっている。だけど自分でも驚くほどに、今の宵人の思考回路がわからない。

「ま、別の人間なんだから当たり前なんだけどね。ただ、あいつ、自分を蔑ろにする癖あるから。」

 ちょっと不安なんだよなぁ。その言葉はドアの開く音で遮られた。噂をすれば、宵人が戻ってきたようだ。

「ただいま……って何だよ2人とも。じろじろ見たって何も出ねえよ?」

 杷子と一巳は顔を見合わせて肩をすくめる。話はここまで、という示し合わせだ。

「何も。」

「お喋りしてました。」

 そういうの、1番気になるんだぞ、と宵人が顔を顰めたのを見てほくそ笑みつつ、一巳は隣を促した。

「ん。悪りぃ、今日はもう帰らねえと。」

 しかし断られて思わず目を丸くしてしまう。宵人が本気で申し訳なさそうな顔をしたので気にするな、というように肩をすくめて示したが、微妙な顔をされる。

「何?長年連れ添った俺より最近帰ってきた兄ちゃんの方がいいんだ。この薄情者。」

 揶揄いに混ぜた本音に気づいたのか気づいてないのか。苦笑いで返されたのが不愉快で一巳は顔を顰めた。

「ま、そうだな。」

 帰り支度を整えながらへらりとそう言った宵人。杷子はそんな彼を一巳が不愉快そうに睨みつけたのを見逃さなかった。

「お先に失礼します。お疲れ様。」

 一礼して事務所を出て行った宵人の痕跡をじっと見つめたまま、一巳は一際険しい顔をしている。そそくさとここを後にした彼に何か思うところがあったらしい。

「……あいつ……。」

 何やら荒れそうな予感。杷子はおっかないなぁと思いながら、宵人に渡しそびれたチョコレートを片付けた。



 日が暮れる速度が落ち着いてきた今日この頃。窓の外が臨めるレストランで宵人はぼんやりと空を眺めた。

「……今日はいい天気でしたね。」

 宵人ともに夜の侵食が強い夕暮れを眺めているのは明鈴。今日は2人にとって2回目のデート。お互い仕事帰りに晩御飯でも食べに行こう、という事の運びだ。

「そうだったみたいですね。忙しいとつい、天気のことなんて気にしなくなってしまうのはあんまり良くないな。」

 明鈴に向き直って微笑む。最近は忙しくてあまりこうやってぼんやりすることも少なくなっていたように感じる。良くない傾向だ。宵人はお冷を手に取った。

「そんな時期に、申し訳ありません。」

 淡々と謝られるが、その目に籠る真意から目を逸らす。彼女の目的を果たすためにこの期間は必要ないから。

「ううん。責めたくて言ったわけじゃなくて。こうやって人と過ごす時間を作れば、働き詰めがちな自分も安らげるんです。天気が良かったことに気づける程度に。」

 柔らかく否定して、また窓の外に目を向ける。窓際の席に座れてよかった。目の前のこの人の色はなんだか不思議で、落ち着かない気分になる。

 明鈴もたぶん、『異能者』。『力』の色が視える。双子の妹である夕鈴は『千里眼』の『異能』を持っていて、どこか暗い青緑色だった。明鈴は薄いピンクがかった紫。似ている色でもなければ補色でもない。双子でも違うのは面白い知見であった。

 ただ、問題が一つ。明鈴に関しては、なんというか視えにくいのだ。たまに白くなって、その存在感が掴みづらいときがある。目の前にいるのに見失ってしまいそうになるような感覚。

 だから、明鈴といると、まるで存在の確立されていないものに射すくめられたような気分になる。嫌悪感というよりも、慣れるまで時間がかかりそうだ。

 今日も今日とて、不思議な心地で宵人はそこに尻を落ち着けていた。彼女自身の雰囲気自体は混ざり気がない純粋なものだからそう問題はない。むしろ好ましい方だろう。

「そういえば連日、俺が選んだ場所でよかったんですか?まだ貴女の好みとかわかってないんですけど。」

 既に注文は済ませているが、それとなく気になっていたことを訊いてみる。明鈴はあまり自己主張をしない。大体何かを訊くと、「わかりました」か「はい/いいえ」で返ってくる。今日だってメニューを前に固まってしまった明鈴の苦手なものの有無を確認して、宵人がおすすめするものから選んでもらった感じ。

「はい。仔細ありません。」

 嫌がっている様子やつまらなさそうな態度ではないように思えてはいたのでその返答は予期していた。だからもう少し踏み込んでみる。

「じゃあ、楽しいですか?」

 陳腐な質問だとは思う。だけど、1回目のときから感じていたのだが、彼女はあまり世間一般の娯楽に疎いようなきらいがある。それを教えたときに少し目を輝かせるのはわりと可愛い。

「……楽しいのでしょうか。」

 首を傾げる勢いでそう言われてしまった宵人はガクッと肘を落としかける。俺に聞かれても。

「私が楽しい方がいいのですか?」

 その上、確認を取るようにじっと見つめられてしまう。変な質問だ。

「それはそうです。楽しくないのに連れ回されるのは苦痛でしょう。こういうのが嫌なら拒否してもらっていいくらいだし。」

 一応訊いてはみたが、明鈴が渋々でも宵人の提案に付き合う利点があるので、彼女の無表情から先程の質問の是非を問うのは少し難しかった。

「……いえ、たぶん、嫌ではありません。」

 そんな宵人の不安を振り払うように、明鈴はゆっくりと首を横に振って否定してくれる。“たぶん”は初めて聞いたな。なんて考えながら宵人は楽しげに微笑んだ。

「そうだったらいいな。俺は楽しいので。」

 またじっと見られた気配。たまにこうして表情を窺われることがあるのだ。ほんの少し気まずい。

 ぽつぽつと盛り上がっているのかいないのかわからない程度の雑談をしていると、料理が来た。

 2人の前に置かれたのはふわふわのオムライスだ。店員さんに礼を言う宵人の向かい側で明鈴は目を丸くした。

 スプーンを手に取った宵人と対称的にそのまま固まってしまう明鈴。ほんの少し眉間に皺を寄せて、悩むような仕草を見せている。

「……あれ?苦手だったりしました?」

 アレルギーやら苦手なものやらの確認はして注文したのだが、もしかすると確認漏れがあったのかもしれない。そう思って尋ねると、明鈴はいいえ、と目をくりくりさせたまま返事をした。

「ふわふわで、どこから手をつければいいのか悩んでいます。」

 いつもの淡々とした口調なのにそれで“ふわふわ”とは。どこか幼い。思わず吹き出すと、不愉快そうに眉を顰められてしまった。

「ご、ごめんなさい。フフッ、ふわふわ、ですよね。美味しいですよ。」

 別に揶揄ったつもりはなかったのだがなんとなく睨みつけられているような気がして、それに対しても笑みが溢れる。

 明鈴の方を気にしつつ、自分のオムライスにスプーンを差し入れると、彼女がわくわくしながらその様を見守っているのがわかった。

(この人、無垢な子どもみたいなところあるなぁ。)

 相変わらず美味しい。卵がふわふわしてて、奥のチキンライスから香るバターがいいのだ。デミグラスソースに入っているマッシュルームがキュッキュッと独特な歯応えを感じさせるのも楽しい。

 宵人が食べ進めるのをしばらく眺めていた明鈴が、やっとスプーンを手に取って黄色いふわふわに割れ目を作る。それを口に運んだ途端、一際彼女の目が輝いたので宵人はくすくす笑いながら尋ねた。

「美味しいですか?」

 素直にこくんと頷く明鈴。どうやら相当美味しかったらしい。無言でそのままぱくぱくと口に運ぶ姿を見ていると何か満たされた気分になった。

 宵人は自分も食べながらその様子を邪魔しないように見守って、ふと口を開いた。

「明鈴さん、ここ、ついてます。」

 自分の頬で指し示すと逆の頬を拭いてしまう。そうじゃなくて、と示すがなかなか上手くいかなくて、宵人は軽く身を乗り出してついていたソースを拭った。

 その瞬間だった。

「よし、取れましたね。」

 何気ない態度で一旦また普通腰を落ち着ける。口元を拭ったナプキンを折り畳みながら、宵人の意識は後方に向いていた。

 今、完全に“見られた”のだ。確かな視線を感じた。

 そもそも明鈴が人目を惹きやすい容姿をしているので、その類の何かかと思っていたが先程のはそういうのとは違う。突き刺さるような感情があった。

(きちんとは確認してなかったけど、後ろの方の席は俺たちが入ってきたときはまだ空いてたはず。後から入ってきて、ずっと監視してたのか?何の目的だ?)

 目の前の明鈴の様子を窺う。彼女はずっとオムライスに意識を払っていて、変わった様子はない。だけどあれは勘違いではないだろう。

(……少し、様子を見よう。)

 宵人はまた明鈴を見守る体を装って、相手に怪しまれないくらいのタイミングで席を立った。

「すみません、お手洗いに行ってきます。」

 彼女に断ってトイレの方向に向かいながら店内の様子を確認する。明らかに怪しい人物はいない。しかし、宵人の目は自分たちの2つ後ろに座っているくすんだ色の『力』を見逃さなかった。『異能者』だ。

(あいつらだな。もしかして前のときもいたのか?)

 熱心には見ないように気をつけて、宵人はトイレに入って行きながら考えを巡らせる。

 実は前回である1回目のデートのとき、自分が今追っている『力』の暴発事件に似たことが起こったのだ。怪我人はなく、速やかに宵人が通報したことで小規模に収まったが、そのときは明鈴が微妙な表情をしていた。

 気にはなったのだが言及はせずに泳がせた今日。後ろの席に座っていた2人の男はあのとき、確かに宵人を見ていた。視線には敏感な自負がある。

(監視だとして、何の為に?明鈴さんのお願いと関係があったりするかな。)

 前回のことを考えれば今から何か起こってもおかしくない。注意をしておくべきだろう。

 自分の中で考えを整理して気持ちを落ち着かせた宵人はトイレを出た。その途中でスーツ姿の男性とすれ違って。


「!」


 ほとんど反射で彼の腕を掴んだ。嫌な汗が背中を伝う。

「うわっ!ちょ、何ですか?」

 すぐに素っ頓狂な声を上げて宵人の手を振り払おうとする男性。彼は突然自分の腕を掴んだ男を怖いものでも見るような目で窺っている。

 しかし、宵人は手を離さなかった。

「すみませんが、一緒に店の外に出てくれませんか。説明している暇はありません。」

 険しい表情で尋常でない事態を伝えようとするが、男性はこちらを完全に怪しい人物だと認識したらしい。

「は?どういうことですか?……変な勧誘なら他所でしていただけますか?」

 押し問答している暇はない。宵人は抵抗する男性を引きずるようにドアの方に。

「ちょ、本当にあんた、どういう……うっ、あ、ぐっ……。」

 だが、その途中で男性は苦しみ始めた。遅かったか、と舌打ちをして暴れる彼を押さえつけると、宵人は叫んだ。


「すみません!皆さん窓から離れて、伏せて!!」


 2人の様子を固唾を飲んで見守っていた店内の人間が、彼のあまりの剣幕に戸惑う間もなくその言葉に従った。

 しかし1人だけ、こちらに向かってくる女性。明鈴だ。彼女は慌てた様子で宵人に向かって口を開く。でも彼女が何かを言う前に宵人が腕を掴んで引き寄せ、そのまま怒鳴った。


「馬鹿!伏せろって言っただろ!」


 その次の瞬間、宵人が押さえつけていた男性が白目を剥く。


 ガシャンッ!!


 男性から半径5メートル以内にあった窓ガラスが全て割れて雨を降らせた。キャーッとそこかしこで悲鳴が上がる。

 しばらくは店内の誰も動かなかった。全員が急に起こった何かに対して怯えている気配。ただ1人、宵人を除いては。

「…………明鈴さん、怪我は?」

 腕の中にしっかり抱き込んで、自分ごと『異能』で包んでいたので問題ないとは思うが一応確認をする。

 明鈴は惚けたように宵人を見上げた。どこかぼんやりしていて、なんとも言えない表情。

「仔細、ありません。」

 蚊の鳴くような声で言ったその一言に、宵人が安堵の息を漏らした。彼はそのまま男性を拘束して、局に連絡を入れる。その際に店内を見回してみたが、もう自分を監視していた2人組がいないことに気づいて宵人は顔を顰めた。


 局の職員が到着するまで、怪我人の有無の確認と店側への説明を済ませて。そんなことをしていたら、明鈴の元に戻る頃にはすっかり遅くなっていた。

「この度は本当にすみませんでした。時間を取ってもらったのに。」

 ぺこ、と頭を下げると明鈴は複雑そうに首を横に振る。やはり、何か知っていそうな顔。その様子を見て、宵人は明鈴を心配するように尋ねた。

「……あの、明鈴さん、何か大変なことに巻き込まれてたりしませんか?前回と今回、これは偶然ですか?」

 ゆら、と泳ぐ彼女の目。何かを言い淀むように口を開いて、でも言えないというように閉じられてしまった。

「…………そうですか。」

 宵人がため息をつく。彼女には何かある。今回で確信を得たが、無理矢理聞き出す気にはなれなかった。

「申し訳ございません。」

 しゅん、と目を伏せる仕草を向けられると弱い。宵人は疲れたような顔に笑みを作ってから言った。

「いや、謝る必要はないです。危ない目に遭ったのはお互い様で……って、あっ。」

 そこであることを思い出した彼は眉間に皺を寄せ、叱るような口調を使った。

「明鈴さん、危ないってわかってたのに俺の方に来ましたよね。駄目ですよ。ちゃんと自分の身を守らないと。」

 今回の事が起こる前。宵人の目には、あの男性の『力』の中に点在する黒い斑点が視えたのだ。それが膨張していく様も。

 すぐに自分が追っている暴発事件のようなことが起こる、と考えた宵人はなりふり構わず男性を周囲に被害の及ばない場所まで連れて行こうと思ったのだが、少々強引すぎたようだ。冷静さが足りなかった。

 店内には自分たちを監視していた2人組、男性、そして明鈴以外に『異能者』はいなかったため、『力』の暴発が起きた場合、すぐに物に被害が出るだろうということはわかった。なので、窓ガラスを警戒したのだ。明鈴と自分は『異能』で守れると踏んで。

「まさか飛び出してくるとは思いませんでした。別にどこにいても守れますけど、心臓に悪いんで勘弁してください。」

 視界の及ぶ範囲内にいてくれれば、予め『力』を纏わせておらずとも遠隔で『異能』を使える。案外便利なのだ。

 だけど、ああいうふうに危ない方に向かって来られると冷静さを欠いてしまいそうで怖い。実際、一瞬焦った。

 ため息をついて明鈴に目を向ける。その視線に気づいた彼女は伏せていた目を上げて、淡々と言った。


「……守る必要はございません。私はそうしてもらう立場にありませんから。」

 

 てっきり「わかりました」と返ってくると思っていた宵人はその返答に目を丸くする。明鈴の顔は険しい。まるで宵人の言葉に受け入れ難い何かがあったかのようだ。

 そうしてもらう立場。それは、彼女は護衛であるから、守る側であって守られる側ではない、ということだろうか。

「別に、俺は立場とか考えて守るわけじゃないんで。貴女が傷つくところを見たくなかっただけです。」

 その考え方が嫌だった宵人は素直に自分の意見を伝える。途中で何やらこそばゆいことを言っている気もしたが、気恥ずかしくなってしまうので気づかないフリをしておいた。

「……貴方は……。」

 唸るように絞り出して、続かない言葉を吐く明鈴。彼女は目を伏せて、ぎゅっと自分の腕を抱いた。

「面倒が起こってるのは承知しました。こちらの仕事に抵触するって確信がない限り掘り下げないんで、危ないことだけはしないで。」

 いいですね?と含めるように言って、明鈴が頷くのを見届けると宵人は切り替えるように笑顔を作った。

「じゃあ帰りましょうか。遅くなるまで待たせてしまってすみませんでした。」

 まだ複雑そうな顔をしている明鈴を促して、2人は帰路に着いた。

 

 

「しゅーにーんっ!」

 その日の退勤時間前、事務所には忠直と一巳しかいなかった。一巳は憎たらしく響く猫撫で声で忠直に声をかける。

 忠直は顔を上げて一巳の方を見た。どうした?と無言で訊く仕草。

「よいっちゃんが今何してるか教えて。」

 一巳が訊いているのは宵人の現在携わっている事件について。一巳の様子を観察しながら、忠直は目を細めた。

「本人に直接聞かないのか?」

 はぐらかす言い方ではないが、彼は一巳の質問の奥にある何かに気づいているらしい。ほんの少し揶揄うような響きがある。

「うわ、鬱陶し。今日の主任嫌い。」

 顔を顰める一巳を見て、忠直は楽しそうに笑った。

「働き始めてから6年も経つと、上司の忠告なんて忘れてしまうのか。少し寂しいな。」

 え、何か言われたことあったっけ?一巳の眉間に皺が寄るのを眺めながら、忠直はまとめてある資料を取り出した。

「宵人がまとめたものだ。わかりやすくて面白い。あいつの目に見えているものは人とは違うからな。」

 受け取って軽く斜め読みすると、宵人が関わっている職員の名前も表記してあることに気づく。その中に嶋の名前を見つけた一巳はげ、と嫌そうな声を出した。

「嶋の野郎いんじゃん。俺こいつ嫌い。」

 忠直が横目でこちらを窺ったことには気づいたが、語る気のない一巳は無視して読み進める。数分もかからずに資料を整えると、忠直に返した。

「大体わかりました。そこで主任にお願いがありまーす。」

 また猫撫で声。これに嫌な顔をしないのはこの上司くらいだ。

「宵人がこの件に関わるの、最小限に抑えてくれません?あんたならできますよね。」

 仕事の片手間に一巳の相手をしていた忠直がふむ、と頷いて彼に向き直る。

「……いつの間にお前はそこまで宵人に肩入れするようになったんだろうな。」

 うわ。一巳はあからさまに嫌そうな顔を見せる。こういうときの忠直は確かな答えを与えてくれない。むしろこちらに課題を与えてくるような、見定める目をしているのだ。

「げ。頼るタイミング間違えた。やっぱなし、俺帰る。」

 めんどくさい手合いからは逃げるに限る。しかし逃がす気のない忠直は自分に背を向けた一巳に対して言葉を投げる。


「一巳、お前は自分の役割を忘れている。」


 それには固まる一巳。彼はゆっくり振り向くと、意味がわからない、という顔をして忠直を睨むように見た。

「それは、主任になったことですか?やだな、継ぎたてほやほやなのに忘れるわけないっしょ。」

 自分の口から出てきたそれの軽さに喉の奥が苦くなる。忠直が示しているのは別のことだとわかってはいたのに。

「……その正解を知ったから、お前は宵人と向き合うことを決めたはずだ。仲良くなるのは結構。だが、情に流されて1番大切なものを見失うなよ。」

 ひたひたと心に沁みるような声。彼はつくづく、嫌な相手に似ているものだ。厄介な課題を与えられたことに気づいた一巳はバレない程度にため息をついた。

 


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