蛇と搾取
蛇と搾取
狂気に陥りそうな静寂。
何も聞こえない…とは少し違う。無音ではない。
意識すらしていなかった極めて小さな音が聞こえるようになる。
服の衣擦れの音。唾を飲み込む音。果てには自分の呼吸や脈打つ振動。
極々小さい音、決して大きくないはずの音が、異様なまでにはっきりと鮮明に聞こえてくる。
普段流され掻き消されていた音たちが静寂の中で初めて存在を示す。
そんな意外な出会いを幾度か経たのち。
やがてキーンと甲高い音が永続的に鳴っていることに気づく。
余りに小さい音だったので、初めは幻聴かと疑う。しかし聞こえる、いや違うか?…いや聞こえる。思い込みだ、いややはり聞こえる。
この音はなんだ?何処から鳴っている?
なにぶん小さな音、聞こえてくるだけで出処さえ分からない。
ならば何故聞こえる?
本当は音なんて鳴ってないんじゃないか?
やっぱり幻聴だ。
そんな思いとは裏腹に甲高いあやふやな音は次第に鮮明に聞こえてくる。
意識しないようにする度に気になって仕方がない
延々と続くキーン。
耐え難い不快感と不安感が押し寄せ、やがて自分の容量を埋め尽くし超えていく。
ガチャン!
全てを崩壊させる音の波が広がる。
今までのどの音よりも強烈な一音をが轟き、全てが掻き消されていく。
鼓膜を叩く金属音。最早聞き飽きた才弄が弾丸を吐き出す音だ。
残されたのはいつも通りの日常、喧しくって騷しい普通。
布団の上の冷泉カナは吐き出された弾丸を手に掲げた。
「静かなだけで人が狂う訳無いでしょ…」
独りごちる。
差し込む日光が薄灰色の弾丸を輝かせる。
弾丸にはスカした文字で"静寂"とだけ書かれていた。
枕元に雑に放り投げた才弄と弾丸壺。
特に弾丸壺の周辺には破壊の試みがあったのだろう捻じ曲がったドライバーや柄が折れたハンマーが散乱していた。
「はぁ…こんなんで何が出来んのよ…」
疲労と共に吐き出すため息。
弾丸をぞんざいに放り投げ、虚空を見つめたまま脱力する。
ぼーーーーーっとした時間だけが過ぎる。
もしかしたら一生こんな感じに生きていくんじゃないかと思える程長い時間。
唐突に呼ばれた。
「カナぁ~そろそろ行くよ~」
「もう、時間かぁ」
反射的に跳ね起きる。
びしゅっと空気を切る手が慣れた動きで弾丸を銃に込め、スライドを引く。シャキーン。
そして視界の端に現れた壺を恨めしく睨みつけ。
「アナタが別の弾丸を吐き出してくれることに期待しますぅ」
壺は何も語らぬ。
ドンッ
台座を強烈に叩き、宙に飛び上がる壺。
鷲掴みにして部屋を駆け出す。
「なぁに?まだ着替えてなかったのぉ?」
「丁度何着るか決めたトコなの!」
呆れた声を遮るように慌ただしく身支度を始めた。
---今日はおじさんのお仕事のお手伝いだ。
とある険しい山。人知れぬ奥地の獣道。
その長い先にある場所には、見通すこともできない闇を身籠った洞穴があった。
冷たい闇を静かに蔓延らせるその場所に何の躊躇もなく入り込む者がいた。
僅かな灯すら持たないまま悪路を颯爽と駆け抜ける男の目には闇しかない。
ただ闇の中岩から石へと身軽に飛び越えていく。
すると突然
「動くな」
闇の中から声が聞こえ、同時に自身の身体に何かが当てがわれた。
冷たい、肌こそ突き破ってはいないが鋭利な先端をまざまざと感じる。
頭より体で解る。
凶器を突き付けられている。
「物好きが…命が惜しければ…このまま出ていきな…」
押し殺したような声が耳元で唸る。
対して凶器を突き付けられた当人はというと軽い調子でゆっくり手を挙げ、降参の意を示しながら。
「俺はアンタらの敵じゃない、というより人間じゃない」
軽い調子で応えた。
「…お前…例の妖怪か…?」
「俺はアンタらの頭に用があって来たんだ、怪異のせいで調子が悪いんだろう?」
闇の中の声の主が言葉に詰まった。
しばらく考えているのか沈黙の果て
「こいっ」
武器を突き付けたままさらに奥へと促した。
横暴に案内された最奥。
灯で灯されたまるで秘密基地と思式場所には多くの山賊が巣食っていた。その数60を下らない。
「兄貴っ!怪しい妖怪が兄貴に用があるとっ…!」
ゴロツキの一人に武器を突き付けられながら連れてこられた男がいた。
見た目は30歳そこそこの中年に見える、緩く着崩した作務衣、露出する肌には夥しい数の傷跡を残している。
決して並ではない生を歩んできただろうことはすぐに理解できた。
「こんなトコロで生活しているのかい、山賊も大変だなぁ」
「この人数相手に随分な胆力だなぁえぇ?」
対して兄貴と呼ばれた大柄の男。その粗っぽい言動と強面にはどこか厳格さを備え、数多のゴロツキを率いる頭であることはすぐに察せられた。
「舐めているのか?これしきの数の差など取るに足らないと…」
頭らしき男は腰に携えた刀に手をかけ圧を以て問うた。
"言葉を間違えば斬る"そう宣言しているかのように。
「そんな訳ないだろう荒っぽい事は専門外だ。ただ仕事柄、幾度も変な死期を経験している、どう転んでも最悪”なますに切り刻まれて死ぬ痛みと苦しみ程度“だと分かっていると怖がることも出来ねぇ…気分を害したなら謝る、悪いな」
男はさっぱりと言い放った。
その返答に山賊の頭は僅かに姿勢を前に
「我らは山賊よ、故郷も家族も捨ててきた、安息の地も安らぎの暇も無ぇどこで暮らそうとも変わらねぇ」
そして男を睨みつけ問うた。
「うぬは何者よ、何の用で来た」
男は応える
「俺は怪異の専門家みたいなモノだ、訳あってアンタを診に来た、調子が悪いんだってな」
「ふん、大方そんなとこだろうと思ったわ」
山賊の頭は腰の刀を勢いよく抜き男に突き付けた。
「不要だッ!どうせあの女の差し金であろうッ!帰れッ!そしてこう伝えろッ」
山賊の頭が怒りに顔を歪ませて恐ろしい声で唸った。
「”全てお前のせいだッ!決して許さんッ!必ずお前を殺すッッ!”そう伝えろッ!!」
怒りに震える刀の切先を目前にして男は極めて落ち着いた様子で応えた。
「…分かった…帰らせてもらう…邪魔したな…」
あっけなく退散する男。
山賊の頭は少し絶望したように
「…そうか…」
一言漏らした。
すると踵を返した男の帰路に
「頼む…帰らねぇでくれ」
ゴロツキが数人、道を塞いでいた。
頭が叱責する。
「妙な真似をするなッッ!」
しかし
「兄貴…恥を忍んで頼みます…診てもらってくだせぇ…その身体を…」
「帰らせろと言ってるんだッッ!!」
「俺からも頼みますッ!」
「大将ッ!!」
「頭ァッ!!!」
頭の怒号とは裏腹に次々とゴロツキたちが逆らう。
止まらない。
「ダンナ、すまねぇが兄貴を診てもらうまでここはどきません」
ここぞとばかりにゴロツキが男の目の前で胡坐をかいて座り、頑として動かない意志を見せた。
男はただその様子を見ていた。ただ見ていた。
それ受けて山賊の頭は諦めたように呟いた。
「馬鹿どもが…もう既に診られてんだよ…」
その言葉にゴロツキたちは困惑する。
「そこにいる男は俺のような人間を目前においそれと退散するような男じゃねぇ、それくらい目を見れば解る」
頭は男の目を真っ直ぐ見据えて続ける。
「仕事熱心な奴さ…その男がここにやってきて初めて俺を見たとき…俺のでけぇ図体でもなく、糞悪い人相でもなく、俺の左腕だけを見た」
「…」
「専門家を名乗るくらいだ、見えてんだろ、俺の左腕に巣食う糞忌々しい怪異をよぉ」
「お前も見えるのか」
男は初めて意外そうに驚いた。
「アンタは見抜いたか知っていたか知らんが、”この怪異は退治出来ねぇ”或いは”俺の身体はもう駄目だ”と判断したんだ、違うかい?」
山賊の頭が自らを嘲笑する。
「…はぁ~~…」
男は大きなため息をつく。ガリガリと頭を掻いて。
縋るゴロツキたちに吐き捨てた。
「当人に言わせるなよ」
ゴロツキ達に絶望が広がる。
「…そんな…」
「それじゃぁ兄貴は…」
空気が冷える。
「あくまでも俺の知恵と力では無理って話だ、自棄になるな」
「アンタで無理なら誰に頼んでも無理さ」
「…だから自棄になるなっつってんのに……」
それまでの威圧感もどこへやら優し気に連ねた。
「気遣わせてすまない、舎弟が失礼もしたな」
「律儀な蛮族よ、気休めに過ぎんがコレを飲むといい」
男が紙に包まれた薬を出した。
「飲めば怪異が嫌がる、僅かだが進行を遅らせる事が出来るはずだ」
「有難い、頂戴する」
自然に受け取る山賊の頭が恥を忍んで問うた。
「一つ確認したい、この怪異は俺の左腕いる…がじきに俺の身体を蝕んでいくだろう…全身を回り体中をボロボロにして俺を殺す…違うかい?」
「間違いねぇよ」
男は即答した。それが一番良い答え方だと思った。
「何故知っている?」
「身内が同じようにして逝った」
「そいつぁ気の毒に」
「だがあの女を殺せばこの怪異は死に、俺は助かる…違うかい?」
そう問う頭に対し男はため息をついて応える。
「失った力が元に戻ることは無い、今左腕が動かないってんなら生涯そのままだ…だが」
「だが?」
期待に光る眼光。
「…その怪異は寄生型だ、宿主に寄生している…物理的に取り除くことは出来ないが二人の宿主のどちらかに供給を絶たれるとやがて死ぬ…人間でいうところの栄養失調からの餓死って奴だ」
「やはりそうか…二人の宿主…つまり俺か…あの女のどちらかが死ななければならない訳だ」
「人殺しを助長する気は無い」
「分かっている、アンタにそこまで言ってもらう義理はねぇ」
沈黙
もはや意味など無いと諦めたように男は続けた。
「そうだな、俺はアンタを気に入った、だからアンタが助かる道を説く…もう一人の宿主を殺せ…それ以外アンタが助かる道は無い」
男の残酷とも取れる冷たい言葉に山賊の頭は笑みを見せた。
「有難う、何よりの薬だ」
そして立ち上がり、動く右腕を差し出した。
敬意を表して名乗った。
「俺の名は慈護浪性は涯煉ジゴロの慈護浪なんて言われるが女に"もて"た事はねぇ、お前さんは?」
初めの威圧感はどこへやら敬意を込めた対応に男は差し出された手を握った。
「与えられた訳じゃないが名はシグサ、性は無い、しかし勝手に名乗らせて貰っている」
少し誇らしげに応えた。
「冷泉だ」
発展と繁栄を尽くした巨大都市。
その中心にこれまた巨大な豪邸。
迷路と見紛う屋敷の一室。
そこにで今まさに冷泉家の仕事が始まろうとしていた。
一人は男、老境の王。老いによる翳りと身体への労りを晒しながらもその眼光は依然強く、瞳の奥には強い野心が垣間見える。
「改めまして、伊集院家統領の伊集院聡です」
堂々とした声音にはどこか威圧さすら醸す。
一人は女、貴婦人。上等な服と上品な仕草はその贅を凝らした屋敷に溶け込むようで品位があった。「冷泉家召使の嘯です」
普段の自分達に対する柔らかく愛に満ちた対応とはまるで逆の敵意でも宿しているかのような表情と声音に怪訝な顔をしながら挨拶に続いた。
「冷泉カナです」
もう一人隣の部屋からこちらを覗きこむ少女がいた。
ずっとこちらだけを見つめて動かない。
「怪異の件で書を頂きましたが」
相も変わらず敵意の嘯に対して引かず答える統領。
「左様、此度はどうたらこうたらうんたらたぁ」
カナの耳に二人が投げ合う会話の内容など欠片も入ってこなかった。
ただ、ふすま越しにこちらを覗いている少女を見ていた。
正確には少女の腕だけを見ていた。
どうしても少女の腕にいるモノから目が離せないでいた。
---なんだろう…アレ…
少女の腕には白いぶよぶよした蛇が纏わりついていた。
そんな疑問を抱く部屋の中、一人と一匹の会話は続く。
その会話は一見優雅でありながらもどこか棘があり歪で、並々ならぬ雰囲気を醸し出していた。
女が開いた扇で口元を隠した。
自身の感情を隠すときの癖だった。
「言葉を返すようですがこれでも私は専門家の端くれ、娘さんに取りついたモノくらい存じておりますが」
「論を違うておられる、儂が帥等に依頼したるは我ら一族の身の潔白」
統領が踏ん反り帰って続ける。
「此度の怪異による一件…何を血迷ったかこの”伊集院家”にあらぬ疑いをかけ、あやをつける不逞の輩を黙らせる証拠を提示して頂ければそれで良いのです」
突き放すような物言い。
「怪異による被害ついては?」
「全て怪異が勝手にやったこと、我らとて被害者だ、我らが要らぬと言えば要らぬのだ」
「それはもちろん…ですが此度の件…貴方がたはただ怪異による恩恵を受けただけになります」
「そのようだな」
「真に被害者と呼ぶべきはあちら側かと」
「そんな輩の為に帥等を呼んだわけではない、さも我らが私事の為に益を得、その犠牲を他者に負わせてているかのような世間への印象を払拭する為に呼んだのだ」
「事の原因の解決を優先されては如何でしょう」
「その害悪でしかない山賊の為に儂の娘に痛手を負えと申すつもりかッ」
声を荒げた。
「儂ら伊集院一族がこの都市の為にどれだけ尽くしたかッ」
統領が立ち上がった。老境にしては大柄で長身だった。
「所詮はお抱えの貴様には分かるまいこの都市の発展の為、儂ら一族が築いてきた貢献、功績、成果、偉業ッ」
誇りと自画自賛の連発。
息が切れたその隙間。
「貴方がた一族と”怪異”のでしょう」
女が間髪入れず言葉を差し込むと統領は言葉を詰まらせた。
「此度の案件…受けましょう、書を用意させますので証拠にでもなんでも使えば良いでしょう、約束の報酬を日暮れまでによろしくお願いします、明日の早朝この都市を発ちます」
嘯が立ち上がり、立ち去るようカナを促した。僅かに怒りを感ぜられる仕草だった。
「ただ一つ忠告だけしておきましょう」
部屋を出る直前振り返り続ける。
「怪異を甘く見ないほうがよろしい、彼奴等の持つ異常性とは貴方が思っているよりずっと複雑で難解だ、思い通りになるとタカをくくっているといずれ取返しのつかないことになります」
統領は少し眼を鋭くした。
「何の事か知らんが気に留めておこう、道中お気をつけて」
「所詮は妖怪の分際で…」
捨て台詞を吐いて去った客人に我鳴る統領に近づく者がいた。
「お父様、少しお話が」
「なんだ舞瑠」
舞瑠と呼ばれた少女は見るからに華奢でその四肢の細さは危うさすら感じるほどに頼りなく、その身に比例するような気の小ささもあるのだろう、聞き取れるかどうかという消え入りそうな声で続けるのだった。
「謝らなければならないことがあります、また私の不注意で家の物を壊してしまいました」
本当に申し訳なく思っているのだろう、その身を極限まで縮こまらせる姿は怒りなど忘れて哀感すら抱く。
「またか…まぁ良い…形ある物はいずれ壊れる、次は壊さないよう気をつけなさい」
統領はそれだけ言って立ち去ろうと
「ですがお父様、最近どうにもおかしいのです」
気の弱い娘は意外にも食い下がった。
「左腕だけがやけに漲ります、あの儀式の日から…」
「またその話か…心配するのも分かるが好い事ではないか、貧弱であるよりよほど良い」
「…ですが」
「また今度にしなさい、私は忙しい」
誤魔化すように切り上げ、統領が足早に立ち去ろうとしたその時
「…アレを見てください…」
統領の半分にも満たない大きな声を挙げた。
舞瑠が指さした先は豪邸の門。巨大な門であった為すぐに異常に気づいた。
扉が凄まじい力で大きく捻じ曲げられ歪んでいた。鍛えられた鋼鉄であるにも関わらず。
「なにがあった」
鋼鉄の門。
例え嵐や土砂崩れに見舞われようとこのような惨状にはならない。
明らかに人の手による現象ではないことは考えさせられる。
「私がやりました…申し訳ありません」
消え入りそうな声に戻る舞瑠の声。
統領の頬を冷や汗が流れる。
「先ほどの方とのお話、お聞きしました」
「私の身体に何かいるんですね」
統領はその小さい声に応えることが出来ない。
伊集院家を出ていく時、眼に入らざる負えない門の異常。
鋼鉄の門が異様な形に捻じ曲げられていた。
そしてそれを興味深そうに見ていた少年。こちらに気付いては立ち上がり門を顎で促す。
「なぁなぁ見ろよコレ、人の手のあとだ、しかも一か所だけっ!一発でスクラップだっ!すげぇよなァ!」
「…」
その嬉しそうな様子にカナは一瞬で状況を整理して
「コラッタケルッ!いくら何でも人んちの物壊しちゃ駄目でしょッ!」
早とちりの勘違い。
「待て、俺じゃない」
「嘘つけ"こんな芸当俺にしか出来ねぇぜ↑俺ちゃんカッコ良くて困っちゃうぜ↑↑"なんて言いそうな顔してるわッ!」
「きめぇよ、なんだそのキャラ、俺のことか?殺すぞ?」
お、喧嘩が始まりそうだった。
その時
「タケル」
嘯がタケルの肩に手を置き宥めるように
「よくやってくれた、でも今回だけよ?」
「嘯姉ぇまでッ!俺が見境なく何でも壊す奴みたいに言うなよッ!」
「アンタ、そういう子だったじゃない」
「アレはそういう年頃だっただけだ!!」
恥ずかしそうに喚く。その騒がしい3人に近づく者が二人いた。
「人目もある場所ではしゃぐんじゃぁないよ」
一人は人間とても老齢には見えない可愛らしい女性。
一匹は妖怪その女性の隣にいるにはいささか不似合なズボラな服装。
「「曾ばぁちゃんッ!シグサおじさんもッ!」」
快く迎える少年少女に軽く手を挙げて第一声。
「どうだった」
とある都市のある一角。街のカフェ。
その場所で合流した5人。
カナ。
「チョコレートサンデェとキャラメルマキアートでーす」
タケル。
「大学芋と抹茶ラテでーす」
紫苑。
「豆大福と梅昆布茶でーす」
嘯。
「みたらし団子とほうじ茶でーす」
シグサ。
「酒饅頭と玉露でーす」
テーブルの上にそろう甘味と飲料。
「以上でお揃いでしょうか~?」
「はーいありがとー」「あざざーす」
それぞれが口々に感謝の言葉を述べ甘味にありつく。
一服ついてシグサが他愛もない話を開く。
「カナ、才弄の調子はどうだい?役に立ってるか?」
「全っ然!言おうと思ってたんだけどさぁ~弾丸ガチャに外れたらまるで駄目だよ!どうにかならないの?」
大げさに才弄を振り回す。
「そう決めつけるモンでもない、意外と役立つこともあるんだぜ」
「"静寂"とかどう役立てろってーの?せっかくおじさんの仕事の手伝いに来てるのに」
落胆して脱力したカナが思いっきりタケルに寄りかかる、間一髪で抹茶ラテを溢さなかったタケルの視線などどこ吹く風だ。
「ちゃんとカナにも役目があるから気を落とすことないよ」
紫苑の一言に思い出したように問う。
「それで、どうだった?」
シグサの問いに真っ先に応えたのは嘯。
「そうよッ!アンタに言われた通りさ、最低最悪ッ成金の典型よッ虫唾が走るよ本当に」
上品な見目に相応しくない苛立たしげに声音と言葉で返す。
「しかもアイツ…」
「違う、怪異の話だ」
シグサが口元の茶碗を停止させて遮る。
嘯は話し足りない怒りの振り下ろし先を探しあぐね、諦めるように背もたれに寄りかかる。
「…蛇よ…液体状の蛇だったわ」
「やはりか、こちらも骨状の蛇に憑りつかれていた」
二人の会話に素朴な疑問が浮かんだカナが口を開く。
「アレってなんなの?腕に巻きついてた変な蛇みたいな奴」
すると
「お、カナには見えたかッ!」
シグサと嘯は嬉しそうに身を乗り出す。
「アレは見える者も見えない者それぞれだ、能力とかに関係なくな」
「カナは怪異が見えるのねぇ~良い事よぉ~見えてれば何かしてるって分かるんだから便利よぉ」
その褒め甘やかす流れをタケルはつまらなそうに聞いていた
「タケルもいつか見えるようになったら良いわねぇ~」
それを見逃す嘯ではなく、片手でタケルを抱きかかえ頭の上に顎を軽く乗せ、愛でながら慰める。
「タケルには無敵の最強能力があるじゃないッ!」
「嘯姉ぇ、今芋食ってんだけど」
「ん~ちょうだ~い」
「団子と交換」
「けちけちしないの~ほら寄越しなさい」
「……しょうがねぇなぁ」
不満げな言葉でこそがあるがその様子はまんざらでもない。
母親が身近にいないタケルにとっては希少な時間なのだ。
「で、結局アレはなんなの!」
カナが拗ねたように怒る。
「おっと、ごめんごめん忘れてた、話を戻そうか」
「ごめんねカナ、放っぽってた訳じゃないのよ?」
咄嗟に謝る妖怪2匹に挟まれ
---お前が拗ねるのか…
と思わざるにはいられない。
「髄蛇、酒蛇という怪異だ」
待ちかねたカナにようやく説明がなされた。
「二匹で対となる蛇の怪異で、髄蛇は蛇の骨格だけの形状で、酒蛇は液体状の蛇だ
人に憑りつく怪異だが2匹が同一人物に憑くことは無い。
二匹の関係を表すには”搾取”という言葉が分かりやすいだろう。
髄蛇が対象の身体に蛇のように巻き付き、その人間の力や生命力を搾り取り、酒蛇を経由してもう一人が受け取る。
その方法や原理は一切解明されていない。
髄蛇側は局所的な気怠感と機能の低下を訴え、酒蛇側は強い高揚感と力の漲りを訴える。
長い時間を掛け少しずつ搾取は行われ、血湧き肉躍る酒蛇側の人間とは対極的に髄蛇が憑かれた人間は次第に手足が動かなくなり、あらゆる身体機能が低下し、目、耳も機能しなくなり意識が闇の中に閉ざされてもしばらく搾取され続け、死んだかどうか曖昧な死に追いやられるまで永延と続く。」
嘯は一切の興味も無いと言いたげに品書きだけ見ている。
二人の少年少女がそれぞれに感想を述べようとしたその時。
「その話、本当ですか?」
聞こえるかどうかという小さな声が聞こえた。
隣の席に鎮座していた娘が近づいた。
「…」
突然の乱入者に停止しているシグサ。
「あら、さきほどのお嬢さん」
と僅かに目を開く嘯。
「申し遅れました、此度の依頼主の娘の伊集院舞瑠と申します」
礼儀正しくお辞儀をする娘。やはり左腕には液体状の蛇がいた。
「私の身体にいる怪異についてお聞きしたいのですが」
しかしどこまでも小さい声にシグサは
「すまん、もう一回言ってくれ」
回想シーン
闇の中を大きく響く声があった。
「切れと言ったらしかと切れィッ!」
慈護浪が凄まじい剣幕で怒鳴った。
洞窟の中を反響する。
「無理だ…俺にゃとてもできねぇ…」
刀を落とすゴロツキ
「考え直してくだせぇ頭ッアンタの腕が一体どれだけの命を救ってきたかッ」
「過去に縋るほど落ちぶれておらぬ、これから伊集院家を襲うという時に動かぬ腕など邪魔でしかないわッッ」
「自棄にならないでくだせぇッ言われたじゃねぇですか切ったところで侵食が止まる訳では無いって」
「やかましいッ軟弱者め、切れぬというなら貴様をたたっ切るぞッいいのかッ!」
刀を突き付けられ投げられたその言葉にゴロツキ、キレた。
「やってみろボンがッてめぇの数倍は生きてんだぜッこんな老いぼれ死んで誰が困るってんだッ?!それくらい弁えとるわ馬鹿野郎ッ」
「愚か者がッ」
唸る鉄拳が老人の頬を強烈に叩いた。たまらず老齢ゴロツキは吹っ飛ばされる。
「使えん者共がっ切れぬというなら自分で切るわッ」
慈護浪が捨てるように吐き、刀を左肩に当てがった。
鋭利な刃が肌に触れ血が滲んだ。その時
「やめたほうがいいよ」
その場に相応しくない声が響いた。
「あんちゃん、腕が長くて太いね」
やけに凛とした声だった。
「そんなに重い腕が急に無くなると体重の変化に軸がぶれて身体がついていけないよ」
正体を現したその姿は一見若々しい女性に思われた。
「戦うどころか走ることだってまともにできないよ」
だが、すぐに違和感に気づかされた。その若々しさの割に髪は真っ白。古めかしい装い。
しかし、そんなものより何よりも感じる違和感。
なんとも痛ましいことに左腕を除く両脚と右腕が全て義手義足となっていた。
腕を失う覚悟こそしていたものの、その痛みと苦しみとその後すら知らない慈護浪は義手義足の女性の言葉を否定出来なかった。
「動かなくても邪魔なんかにはならないよ、あるだけで役に立っているんだから」
持たざる女性のさっぱりした言葉に山賊たちは何も返すことが出来なかった。
義手義足の女性の説得と愛嬌に呑まれていく山賊一行。
不思議な女性であった。
その見目と予想される年齢に相応しくない落ち着きぶり。
明らかに堅気ではない筋者を目の前にしていながら怖気づく様子が一切見られない。
自覚を持っているのか知らないが、持前の可愛らしさを前面に押し出しながら話題を振ってくる。
敵意を持てず、警戒できず、信用してしまう。
義手義足の女性にはそんな奇妙な力があった。
「アンタの怒り…まるで親の仇のようにも見えるねぇ、あんのかい?なんか事情が」
加えて、まるで自身が老齢でもあるかのような言葉遣い。似合うような似合わないような。
そのせいか山賊の頭もそれに載せられたようにつらつらと語りだした。
「俺の親父もコイツに殺されたんだ」
「ひでぇ死に様だったぜ、寝たきりで目も耳も駄目んなってな、永延と続く闇が怖かったんだろうなぁ、痩せこけた顔を時より恐怖に歪ませて失禁するんだ」
「言葉にもなんねぇ変な呻き声をずっと続けてな、最後は死んでんのか分かんねぇいつも通り苦しそうな表情だったよ」
嘲笑
「まだガキの頃でなぁ、親父の事がよく分かんなかったり訳もなく嫌いだったりしてな、死んだ時も悲しいのかよく分からなかったんだ」
「後から知ったんだ、親父が山賊だったって」
「納得したよ"あぁそうか山賊なんてやってっからバチが当たったんだ" "あの死に方も頷ける" "馬鹿な親父だぜ"ってな、そう思ってたんだ」
「後々から親父の話を聞いた、ただのチンケなタチの悪い山賊なら良かったのに、親父は結構でかい族を纏める重役だったらしい」
「いろんな話を聞いたよ、何をしでかしたとかどんな事を成し遂げたとか…そんな話を聞く時は面白かったし、素直に誇らしかった」
「どんだけ慕われていたかも、俺が一番知らされた、色んな人に良くしてもらったんだ」
「はぁ…馬鹿な男だよ」
「憧れちまった」
山賊が続ける。
「昔から色々見えたんだ、他の誰も見えないモノが…親父もそうだったから多分遺伝だな…」
「もちろん親父に憑いてたモノも見えていた、俺に憑いてるモノと同じモノだ、絶望したよ俺も親父と同じ運命を歩むんだって」
「そしてある日、偶然…本当に偶然……見かけたんだあの女をッ」
声に怒りを滲ませていった。
「俺に憑いてた怪異とあの女に憑いていた怪異には確かな繋がりを感じた」
「言葉ではうまく言えないが気色悪い感覚だったよ、俺の左腕を搾って滲み出た血を啜られているような感覚さ、忘れたくても忘れられない」
「嫌でも理解出来た、あの怪異は呪いや病のようなモノだと思っていたが違った」
「日々動かなくなる俺の左腕と対象的に奴の左腕は異常と言っていいほど発達していた、俺から奪った力を利用して生きていたんだッ…」
「親父を…人生を…全てを啜って、死ぬまで啜ってッあんなゴミみたいな搾りカスにしておきながら…」
「自分だけは悠々豊かに生きていやがったんだッ!」
「許せるかッ!!」
男の蛮声が静かに木霊した。
「今の話、嘘、ですよね」
舞瑠が青ざめて吐露した。
対する紫苑は問われていることすら曖昧な状態のまま
「え、なんて?」
再度発せられた言葉。
「今の嘘じゃないですよねッ!」
この気弱さは日常生活に支障来すレベル。
「ごめん、なんて言ったのか全然聞こえん」
義手義足の女性が分かりやすく困り顔をしていると。
一瞬の間すら無くカナが才弄を自分の口の中に突っ込んで引き金を引いた。
バァン!
真上に振りあがる頭部。乱れた髪が宙を舞い。
カナの口内を中心に一瞬でカフェ店内全域に静寂が訪れた。
その時タケルが唐突にカナにひそひそと語り掛けた
"なぁなぁ…初めて役立ったな…"
"でしょ?少しは見直した?"
"でもなぁ…その[静寂]の弾丸さ…カナしぃが銃で自殺する人のモノマネ一発芸やってさ…モノの見事に滑ったみたいな感じしてさ…めちゃ可哀想で…面白いんだよな…くくっ"
"やめて、それ私が一番思ってた"
そんな内緒話すら皆に聞こえるような静寂の中、舞瑠が問う。
「今の話、嘘じゃないですよね…?」
「信じたくないだろうけどね、あの野蛮人は本気でアンタを殺そうとしてるよ、体面だけの虚仮脅しでも口だけ達者の身の程知らずでもない」
「…」
反射的に萎縮する舞瑠。
シグサが無慈悲にも続ける。言うべきだと思ったからだ。
「そのジゴロウ…そしてその父親も症状としては髄蛇・酒蛇のモノと一致している」
そして確認する。
「マイルさん…だったよな…?アンタが一ヵ月前に経験したって言ってた"代々続く伊集院家の儀式"というのは"蟲卸し"と呼ばれる怪異を人の身に卸す儀式と酷似している」
「……」
「憶測の範囲を出ないが、伊集院家が代々この儀式を経てきたのなら、怪異を操って他者から力を奪い、成功を修めてきたのかもしれない…」
その言葉に舞瑠の身体が跳ねる。
「能力が人一倍優れていれば成功するなという方が難しい」
「なるほどね」
嘯が苛立たし気にコツコツと机を指で叩く。
「…」
舞瑠は何も言えないでいた。
青ざめていた、罪悪感に苛まれ、苦しんでいた。
「え、もしかしてなんか喋ってる?」
シグサが変なことを言ってると
「何も言ってないから…おじさんは黙ってて」
カナが辛辣に制した。
「何をしょげ込んでるのよマイルちゃん!アナタは何も悪くないじゃない!」
「何も悪くないことは無くないか?人が死んでんだぜ?それも一族ぐるみで親の次に子供までと、サイコパスも喜ぶ殺り方だ」
その横やりに醒めたように。
「タケル…水を指さないでくんない?…キモいよ?」
「は?うっざ…」
"まぁまぁ"と宥める嘯。
カナが親しげにマイルに肩をくっつけて囁くように
「良い?マイルちゃん、"殺す"とまで言われて悠長にしてる状況じゃ無いわよ」
肩を両手で掴み
「"殺されてなるものか!"そんな気概でも足りないくらい」
大きく息を吸って叫ぶ
「"ぶっ殺してやるッ!"」
マイルが分かりやすく跳ね、怯える。
「それくらいの気持ちでいなきゃ、財布の取り合いや眼球の抉り合いなんかじゃないの、"命"の取り合いなのよ」
しかし当の本人は怯え、震えている。
「アホ、んな言い方があるか」
タケルが後頭部を軽く叩いた。そしてカナを片手で持ち上げ入れ替わるように隣に座る。
「すまんな、怖がらせたかもな」
ひと言前置き
「アンタ、人に軽んじられるだろう」
刺さるようなことを言う。
「え…」
「気の弱さ…か弱さ…見てるこっちがひやひやするような危うさ…あ、見た感じの感想な?」
舞瑠は一言ひと言にかみ砕かれるように感じていた。
「護られたり、見過ごされたりするが同様に軽視されたり、嘗められたりする、まさに女の子って感じだ」
「…私は…」
「不相応だ」
その言葉を遮った。
「アンタそんな性格で収まるような器じゃない」
「え…」
「かなしぃが言わんとすることが分かる」
「アンタ、その気になれば人を殺すくらい簡単だろ」
「…ッ!」
動揺が走る。
「発現した能力に怪異の恩恵が相まって相乗効果ってか、恵まれてやがんな」
「アンタが何より恐れているのは他人ではなく、"ちょっとしたはずみで誰かを壊してしまいかねない自分"じゃないかと思ってる…違う?」
マイルは否定こそしなかった。
「だから言葉を変えて言わせてもらう」
「"今回だけは他人を恐れたほうが良い、贔屓目に見ても相手はアンタの敵足り得る"」
しかし、舞瑠は口答える。
「私は…!そんなつもりじゃ…!」
「…」
タケルは黙っていた。黙って聞こうとした。
しかし、舞瑠は考えあぐね、やがて沈黙してしまった。
その静寂に煮え切らないタケルは
「言わなきゃ伝わらないぜ、残酷なコトかもしれないが」
言っても最早舞瑠は口を開こうとはしなかった。
喋らぬ相手には何も言えない。
その場はお開きになった。
「あの子大丈夫?」
嘯がそうつぶやくのも無理は無かった。
帰路につく舞瑠の姿には相変わらず危うさがあった。
その危うさが見えなくなって一時、シグサが口を開く。
「カナ、タケル、仕事を本格的に手伝って貰っていいか?」
「「うん」」
二人は即答。
「ありがとう助かるよ、それじゃどうしようか?」
「…どうしようか…とは?」
タケルが問う。
「これからだよ、今回の依頼された仕事は"伊集院家の身の潔白の証明"それはもう終わってる、だからって放っておいて帰る訳にはいかないだろう?」
「それは…そうだけど」
「それなら何をすべきか、二人に決めて欲しいんだ」
「「…」」
タケルとカナは沈黙してしまった。思ってもいなかった職務に口ごもらざる負えなかった。
「なんで私達に決めさせるの?」
当然の疑問が溢れてくる。
「俺は人間じゃない」
シグサは淡々と言葉を連ねる。
「怪異が齎した災いだが、元を辿れば人と人の問題だった。そこに一匹の妖怪が自分の思想を押し付けて見事解決ってのはちょっと間違ってると思う」
嘯が続く。
「私達妖怪の思想なんて野生動物と変わらないしね、"俺達にとって害があるなら殺す、俺達が強いなら殺す"小難しい事言いながら結局はこんな思想ばかりよ」
「俺は人間が好きだ、人情深い人間らしさが好きだ、俺は先代のそういうところに惚れた」
「だけど俺は人間じゃないから、その"人間らしさ"が分からない」
「カナやタケルにしか分からないんだよ」
「教えてくれないか?俺はそれに従う」
「私もね」
二匹は何の躊躇いも無くそう断言してくれた。
あまりに重く、あまりに強い言葉だった。
少しだけ萎縮して、少しだけ武者震いした。
「分かった」
速かったのはタケルだった。
「俺は山賊の巣窟に行くよ、会って話してみる、決めるのはそれからだと思う」
「分かった、案内するよ、カナはどうする?」
僅かな沈黙の後。
「私は…」
翌日
一行が報酬を受け取り、お土産を購入後旅立った直後。
まだ早朝の事だった。
伊集院家に山賊の集団が襲撃した。
頭らしき男を筆頭に我先にと数多のゴロツキどもが続いた。
巨大な鋼鉄の門が破壊されていたことも奏した。
道を阻む者を全て切り捨て
怒涛の勢いで瞬く間に王手をかけた。
「来ると思っておったわ山賊」
老境の王が鎧に身を包み、完全武装の末立ちはだかった。
「…お前に会える日をどれだけ待ち詫びたかッ」
慈護浪が怒りに震えるように、しかし冷静さを欠かず吠えた。
二人は察していた。これより殺し合うこと。
統領が背に抱えた巨大な薙刀を手にしたその時
「△△△△」
誰かの名前か、慈護浪が唐突に呟いた。統領の動きが止まった。
「噂に名高い薙刀の名手だった、卑劣にも奪ったその力を頼るつもりか」
慈護浪の言葉に統領が逆上するように薙刀を振りかざす。
刹那、慈護浪の踵が弾けた。
動かぬ左腕を置き去りにするが如く、強烈な加速を以て距離を詰め刀を抜き、自身の首に向かう途中にある薙刀を切断した。
棒と化した薙刀は刃を置き去りにして首元を掠めた。
統領が大勢を崩しこける。
慈護浪はその滑稽な姿をただ見ていた。
刃だけが落ちけたたましい音が響く。
片腕が使い物にならないはずの敵。
ただの棒と化された武具。
統領は僅かに後ずさった。
自分を奮い立たせるように棒を投げ捨て腰に掛けられた鎖鎌を手にする。
すると
「□□□□」
当然のように慈護浪が名を唱えた。
統領は焦るように分銅を振り回した。
あらゆる軌道を目まぐるしく高速で回転する分銅。
慈護浪はただただ見ていた。
「変幻自在と呼ばれた天才の技…」
刹那の間で慈護浪が刀を振った。
最高速に達し、今まさに慈護浪に襲い掛かろうとしていた分銅が文字通り途切れて彼方へと消えていく。
その一瞬の間を置かず投げられた鎌。
高速回転し襲い掛かる鎌を左手で掴んだ慈護浪が
「実につまらん、想像力に乏しい凡人の技だ」
捨てるように吐いた。
「貴様の武装…携えた武具を見ていると腸が煮えくり返るわ」
慈護浪が怒りに声を震わせる。
震えた声のまま武具とソレにちなんだ者の名を連ねていく。
そのどれもが高名な武人の物だった。
「貴様が身に纏っている全てッ貴様が喰らってきた者達の結晶だ」
「一体どこで調べたのやら、そこまで知っているなら最早生かしてはおけん」
対し統領はその言葉とは裏腹に携えていた武具を次々と捨てた。
そして、鎧だけを身に纏った状態で両の拳を前に構えた。
その構えに慈護浪は目を見開いた。
怒りに顔を大きく歪め、握った刀を投げ捨てた。
「●●●●ッ!」
獣の咆哮のように叫んだ。聞き取り難い唸り声だった。
「数多の悪名高い偉業と功績を修めッ!戦いの場に置いては素手素足ッ!徒手だけを用い人をッ獣をッ怪異をッ妖怪をッ!!異物共を等しく叩き伏せたッ!!」
親の仇に相応しい怒号。
「名を涯煉壱ッ!!」
涯煉慈護浪は動かぬ左腕はそのままに右の拳だけ前に出し、統領と同じ構えで吠えた。
「俺の親父だッッ!!!!」
喧しい喧噪に包まれる豪邸。
すぐ隣の部屋からは罵声と争う音がくぐもって聞こえる。
未だ襲撃を免れ、無事にある一室で舞瑠とカナはいた。
いつ来るか分からない、しかし必ず来るであろう賊の襲撃に備え死を身近に感じていた。
僅かに震える舞瑠の手を握るカナ。
「大丈夫よ、落ち着いて深呼吸しましょ?」
優し気に諭す声音。弱弱しい呼吸が一つなり。
「うん、大丈夫そう」
どう見ても大丈夫そうではない表情で応えた。
そしてその時が来た。
意外にも戸は静かに開かれた。
しかし入ってきた者はその静かな所作とは結び付かない程大柄で強面で、眼光は身体を貫かれる感覚を錯覚する程鋭かった。
「よう」
慈護浪がその身体を返り血に染め、刀を手に舞瑠の前に敵として立った。
カナが才弄を片手に舞瑠をかばうように前に出る。
舞瑠は気圧されるように数歩後ずさった。
「大丈夫、アナタはやると決めたコトはやる人よ」
「小娘の盾に別の小娘を使うとはあのロクデナシの入れ知恵か?」
我鳴る涯煉慈護浪の半分にも満たない華奢な舞瑠とカナ。
彼女達が戦う姿を想像することさえ出来ない。
故にその少女に対する油断も隙も無い戦闘態勢に違和感を覚えざる負えなかった。
舞瑠が眼に涙を溜め今にも泣き出しそうになったその時
「左腕を使えッ!」
間を割るように声が鳴った。
酷い怪我を負い、満身創痍で地べたを這いつくばり、しかし未だ途切れていない統領が舞瑠の元へ辿り着いた。
「お前の左腕ならば簡単にカタを付けられるッ!!」
「なにしてやがるッこッちに来いっ」
喚く統領をゴロツキ達が数人がかりで抑えつけ連れていった。
「左腕を使えッ殺されるぞッ!!!」
見えなくなる最後まで喚き続ける統領に一瞥すら寄越さない慈護浪が舞瑠だけを見据えていった。
「あぁ知っていたさ…お前に憑いている蛇…俺から力を奪っているんだ…」
慈護浪が気だるげに刀を持ち上げる。
「右腕のな…力を奪っている…見えなくともお前だって感じちゃいるんだろう?」
慈護浪の目には互いの右腕に憑りついた髄蛇と酒蛇が見えていた。
「あと幾度刀が触れるか知れない、三度か、二度か、もしや一振りすらまともにできぬかもしれぬ」
舞瑠の両腕を射抜くように見た
「加えて…己の両手だ、ソレの手強さは誰より知っている…故に…」
そして鋭い眼光をさらに鋭くして言った。
「確実に殺りにいかせてもらう、邪魔するのなら貴様もだ、覚悟しろ」
その言葉に
姿勢に
油断は無かった。
例え想定していた数倍の力が慈護浪に襲い掛かろうと冷静に対応していただろう。
故に舞瑠がゆっくり両手を上げたその瞬間、慈護浪は動いた。
先手必勝の絶対。
しかし不安の残る踏み込みと同時に
バァン!
カナが自身のこめかみに向けて才弄をぶっ放した。
頭部が激しく揺れ、倒れ始めるカナ。
そんな物に気を逸らされる訳が無い慈護浪
真っすぐ舞瑠目掛けて刀を振り下ろした
その刹那
"静寂"が慈護浪の巨体に追いついた。
「…貴方には…」
聞き取れるかどうかという声が聞こえた。
「…本当に悪いことをした…」
消え入りそうな小さな声が聞こえた。
「…ごめんなさい…」
確かに聞こえた。
舞瑠はそれだけ言うと両手を胸の前で縮こまらせて何もしなかった。
何もしない。
何もしなかった。
慈護浪は動いていなかった。
振り下ろすはずだった刀は宙で停止している。
刀を振り下ろす余力が無かった訳ではなかった。
憎き敵、堂々殺害宣言までした敵は己が刀の前で何もせず立ち竦んでいる。
逃げる素振りも見せない。
あまつさえ目を閉じ、下唇を強く噛んで、その身体を極限まで縮こまらせて震えている。
逃げない。
慈護浪にとって理の遥か外にあるモノだった。
「謝るなァッッ!!!」
無意識に叫んでいた。
「謝って済むかァッ!!!!」
本心からの叫びだった。
「赦されると思ったかァッッ!!!!」
怒りでは無かった。
「……~~っ……!」
舞瑠は突然の蛮声に跳ねるように一歩後ずさり
泣きながら失禁した。
どうしようもない恐怖の証明を足元に晒した。
それでも震えるだけで何もせず立ち竦んでいた。
立ち、何もしなかった。
逃げもしない。
慈護浪は動かなかった。
動けなかったのか。
何を思ったか。
力を持っていながらあまりある気の弱さで何もできない娘を哀れんだか
恐怖に震えながら失禁する姿に誰かを重ねたか
分からない
ただ慈護浪は刀を突き付けているにも関わらず同じように何も出来ず、立ち竦んでいた。
どれだけそうしていたか
突如現れた忍びが吹き矢を放った。
慈護浪は動けないまま矢を受け、意識を手放すように倒れた。
この瞬間を境に山賊の襲撃は終わりを迎えた。
山賊の頭は身柄を捕らえられすぐに裁判に掛けられた。
果たして裁判と呼べるモノであっただろうか、罪状の連呼と被害者でもない輩からの哀訴の罵声。
まるで祭りでもしているかのような一方的な正義執行により慈護浪はその日の昼も回らないうちに死刑宣告を受けた。
「打ち首だ、晒首にしろッ」
「木に吊るして烏の餌にでもしてしまえッ」
品のない正義の声が聞こえる。大衆にとって処刑は最高の娯楽のようだ。
慈護浪は毒も抜けない朧げな意識の中目覚めた。
聞こえてくる喧噪と縛られている己が状況から察した。
死期を覚悟する。
「お、起きたか…おいっ何か言い残すことはあるか」
嫌らしい笑みを浮かべながら問うてくる正義執行者。
辞世の句でも読めば腹を抱えて嗤うだろう事は目に見えていた。
慈護浪は何も言わず静かに座していた。
「聞いてんだぜっ」
縛られ動けないことをいいことに正義の申し子から足蹴にされる。
慈護浪は黙ってその暴力に耐えた。
嘲笑う声。
「つまらねぇ奴」
変わらない状況に空気が変わる。決して良くない空気に変わる。
悪意が殺意に変わった。
朧げな視界の中頭上で何かが動いた気がした。
その時だった
「待ってくださいッッ!!」
静止の声がかかる。
大きくはない声だった。
しかし誰もがその声の主を見た。直前に銃声のようなモノが鳴り、辺りに静寂が訪れたからだ。
輪郭を鮮明にしていく慈護浪の目に誰かが映った。
舞瑠がいた、息を弾ませながら現れた。
「…勝手な真似は…控えて頂きたいっ」
舞瑠が息を整えながら言葉を連ねる。
「此度の件は伊集院家の問題…その者の処分に関する権利は伊集院家にあります…何者であろうと勝手な真似は許しませんッ!」
言い果せた。
かつての彼女を知る者ならば手放しで褒めたたえる程の大口だった。
「駄目ですよ、いくら舞瑠様の意志だろうと」
しかし正義執行者は退かぬ。
敬語こそ使っているモノのどこか侮った調子で続ける。
「犯罪者の味方をするおつもりですか?伊集院家の名を穢す行為ですよ」
忘れてはいけない。
舞瑠は令嬢でありながらも、誰の目から見てもか弱き存在なのだ。
どんな半端者にも侮られる存在なのだ。
そしてその評価に痛ましくも相応しい、気の小さいか弱き少女なのだ。
大勢の人の前で立つことも話すことも初めてだ
「…あ…えっと…」
反論されただけで言葉に詰まる。
涙目になりながらなんとか反論しようと、しかし探しあぐねて何も見つからずどうしようもなくなっていた。
その時
「舞瑠…と言ったか…」
慈護浪が呟いた。
これから死ぬというにはあまりに力強く優しい眼で舞瑠を見据えた。
「罪悪感による行動だろうこと察するに苦は無い、気遣わせたな」
妙にさっぱりした声音に舞瑠は抱いていたはずの恐怖を感じることが出来なかった。
「あの時のお前の行動について考えていた」
今朝の出来事を思い出すように見上げた。
「何もしないという行為があれだけ尊く思えたのは初めてだ」
初めて誰かに認められたような気がした。
「舞瑠よ」
初めて敬意を込めて名を呼ばれた気がした。
「お前の全てを赦す、気負わず生きよ」
慈護浪はそれだけ言った。
言って覚悟を極めたように静かに停止した。
そのまま途絶えるつもりである事がまざまざと理解できた。
途絶える前に言いたかった事が"それだけ"だった事。
名前すら知らない山賊の人柄。
それを前に舞瑠は無意識に涙を流していた。
どんな感情による物なのか
初めての事が多すぎて分からなかった。
気づいたら両腕を高く振り上げていた。
舞瑠は流れる涙を振り切るように
弱い自分を振り切るように
昂ぶる感情に全てを任せ
両腕を振り下ろした。
空を切る音
そんなものは比ではない。
空気が燃える
稲妻が巻き起こる
次元が捻じ曲がり
時空が歪み
光が溶け
少女の拳は"異常"と化した。
"異常"が地に触れる
衝撃と斥力
轟音に次ぐ轟音
天変地異を想起させる地響きと振動
大地が断裂し巨大な亀裂が走る
都市に崩壊の波が押し寄せる
世界が少し変形した。
娘に憑りついた酒蛇が嬉しそうに泳ぐ。
山賊に憑りついた髄蛇も誇らしげに泳いだ。
世界の終わりのような事象を前に誰もが死せずとも死期を実感し動けずにいた。
「…やめてと言ったらやめてくださいっ」
舞瑠の相変わらず小さい声
「ぶっ…ぶっ殺しますよっ!」
震え切った言葉はしゃっくりのように尻あがる。
しかし誰も異を唱える事は出来なかった。
「よくやった、タイミングも完璧、舞瑠の力をほとんど相殺したな、お手柄だぞ」
シグサが感嘆の声で褒めたたえた。
「………」
しかし少年はというと動かない。
両腕を肩まで地面に減り込ませたまま停止している。
おもむろに息を大きく吸い込み
「っはぁ~~~~~!!!」
息を吐いて倒れた。
「緊張したぁ~~~!」
「いやほんと、お前凄いな!器用なもんだ!冷泉家の誇りだよ!地球を…いや世界を救ったに等しい!」
惜しみない称賛で称えながら少年の両腕の土を払う。
「やっべぇぇぇ!!マジでやっべぇぇぇええ!!!」
「よくやった!本当によくやった!!偉いぞ!!!」
崩壊の波の境界線上。
男二人、一仕事やり終えて騒いでいた。
おわり