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羽根と羽/翔ける

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少年は数分の間、体を削る酸の雨を身に受ける。彼の体には、小さな傷が絶えることのない線となってつき、戦闘の跡を物語る。彼はゆっくりと下の世界を眺め、そしてまた、逃げという現実を見る。


何度となく繰り返された戦争の惨禍は三百年たったいまなお衰えることなく、人類が再活動することを妨げていた。深紅に染まった空がもう一度明けたことを見たものは存在せず、重金属粉塵によって作られた雲は延々と日光を反射し温度を下げ続ける。


ほんのわずかだったはずの氷河はその勢いを完全に取り戻し、北極海は完全に姿を消した―――これが人類の暴挙の賜物であるとしたら皮肉だろう。あれだけ環境を環境をとうなり続けた団体の求めた、温暖化は完全にくい止められているのだから。


凍るような風とダストが少年の目に飛び込んだ。彼は瞬膜を用いて三十回目の防御を行うが、ほんの小さな穴から入り込んだ切片が彼の目を傷めつけた。そろそろ飛ぶには限界と感じ始めていた少年は、仕方なく体を近くのビルへと下ろす。敵の少ない方角へ方角へと空から逃げていた彼は、三十分ぶりに見かけた人影を見つけ、また体を屋上の壁に隠した。


彼は目だけを壁に開いていた穴から出して、彼らの姿を確認する。距離は三キロメートル前方。性別は男性で、二人は周りに人のいない路地裏に立っている。そして旧時代の絵のごとくあえて本を持ち、歩きながら会話をしている―――情報伝達手段をアナログにすることで、漏洩しにくくしているのだろうか。


確かにその場限りの符丁を混ぜての口頭伝達ならば、傍受の可能性も低くはなるし、最悪相手を殺せば初期で事変を抑えられる。ミュータントの能力をもってすればそれはただの垂れ流しと同義となるのだが、そんなものを持ち合わせているのはごく一部の強者のみなのだから、合理的であると言えるだろう。


「フリーランスの猫がやられた」


彼の視覚情報から二秒遅れて、筋肉質な男が不機嫌そうに言う。「得意先が消えたのは痛いな……やった野郎の情報はないのか?」反対側のこれまた筋肉質な四角い男は微妙な顔をして答えた。パイプから滴る液体の音が周囲に小さく響く。


「画質は悪いのしかないが、ある。待ってろ………」


それを想定していたと言わんばかりに男はタグレースを取り出して、限定視界情報で四角い男にその姿を見せる。二人にしか見えないワイヤーフレームモデルが粉塵に空間にちらりと断片を見せた。それを確かめて、ゆっくりと傭兵は言う。


「こいつだ。しばらく前から情報が流れてる、あの烏男だ」


男は誰もいないか周囲を見回す。少年は音を立てずにのぞき穴を深く掘って、それを回避しつつより見えるようにした。それに気づけない男は続ける。「死体を残さないようにコアを跡形もなくつぶしてやがる。残るのは凶器らしき羽だけだ」


男の漏らす情報に、少年は何か底知れぬ思い当たりのようなものを感じた。それに合致するような人物を、数日前に目にしたような……。思考労働によってところどころ破壊されている脳髄から、彼の持つ細かな情報が漏れ出す。


「しかもこいつ、EGF分類はなんとDランクなんだと」


少年にまた、人物が誰かの解答を生む言の葉が流れ込む。あからさまに足の少しだけ長い黒の男を指しているそれを聞いた相方は驚いて、「D!?そんな雑魚でか?」と叫んだ―――彼が驚くのも無理はない。


能力発現率最低のDランクでは、見につくのは強化された身体能力とほんの少しの適応能力のみ。種族として持つ肉体変化を除けば、ファリスにあるのは人間より優れた能力のみだからだ。「それであの猫を!?」彼は心底驚いた。


彼の言っている『猫』とは、フリーランスのBランクミュータントのことであり、能力として拡大触覚による半径7メートルの空間認識を所持する歴戦の強者であった。彼はそれと筋力を組み合わせ、建造物内での高速戦闘で敵を葬るという戦法を得意とした―――それが今まで狩ったミュータントの数は優に百を超え、その中には手練れのAランクも存在している。時には一対三以上をも平然とこなし、戦場に現れるだけで戦局が確定するとまで言われるほどにまで称される存在。それが『猫』であった。


「それは本当か?!」


だからこそ、地平線の先で時速300キロの自動車に乗った標的を狙い打てる腕を持つ強者でも、驚かざるを得なかったのだ。


「……残念ながら、本当だ」


男は目を相方から背けて言った。「うちでは仮称コードとして『アハトレーベン』を与えたよ」有用なやつを失ったと言いたげに、彼はそう言葉を吐く。「本当に、これが嘘だったら良かったんだがな」そして懐からレアな紙巻煙草を出して、火をつけ煙を吐いた。


少年の脳内に新たな忌々しさが去来する。風のごとき高速性を持つ馬人に痛めつけられた傷が、もう跡形も残っていないのにうずき、彼は不可思議な焦りを感じた。烏の…………ミュータント?少年の恐れと憧れに似た言い表せない感情が鎌首をもたげ、逃げるように振り捨てたはずの過去がゆっくりと足を引っ張った。男は続ける。


「それだけじゃない。あのキンナムズのプラントを襲って生還したうえ、あっちの『馬』もやったんだ」


男の慟哭と、何かのかけらの音が響く。「ふざけるなよ!?そんなものがどうして今の今まで!?」


角ばった男が声を荒げる。何か彼には思い入れがあったのだろうか、男は強く拳を握りしめて近くの壁を蹴った。手のひらからごくごくわずか青い血が落ちる。「落ち着け相棒。俺だってそうしたいんだ」彼らは大きく息を吸い、そして強く吐き出した。


「馬……」少年は戻り始めた記憶をたどりながらつぶやく。自分を何の抵抗もさせずに気絶させた、あのゆらゆらとした高速の人型。あれはいつの間に消えたのだろう?あれは自分を殺そうとしていたはずなのに、どうしてあの時いなくなったのだろう?


考えもしなかった思考が彼の中に渦となって沸き起こる。「羽………」自分のものかと思っていた、あの散らばった羽。床に残っていた、ほんの少しのつややかな毛の束。壁に張り付いていた丸いしみ。「自分と同じ………鴉………」彼はもらったチョコレートバーのことを思い出す。そして、それを彼に与えた男のことと、彼の力量を。


「あの人も………烏」少年は一つの解をつぶやく。


彼の中の心当たりが爆発した。


同時に古くなっていたガス管が彼の背後で炎を上げる。酸性雨で傷ついていたのだろうそれが、この街で起きる事故の一つの事例となって今ここに実体化したのだ。それは日常ではあるのだが、今の少年にとっては幸か不幸か、喜びか悲しみか。話し合っていた男が襲撃かと思って振り向き、機械化された眼球の能力で少年の目玉に気づく。


「野郎!」


少年は地面を砕けるほどに蹴って飛び立った。


『逃げなければ』とっさにそう思った。


彼の羽根が数枚抜け落ち、肉が少しえぐられる。傭兵たちが、敵組織の一員かと思って口封じしようと仕込みライフルで射撃したのだ。少年はあたりを見回し、何か対抗できそうなものを探した。破片、壊れたチップ、ガラスのかけら。「これだけか!」少年は壁に深く身を隠し、見つけたものをすべて投げた。近くの地面にチップが、二人にガラスのかけらが命中し、傭兵たちは少しの間ひるむ。その間に彼は駆け出し、空に体を浮かべた。


「俺を救ってくれたのは、あの人だったのか!」


少年の体に当たった大気中のダストが、腕の肉を削り取る。目や頬に命中し液体が飛ぶが、修復能力で一瞬で元に戻った。「奴だ!」傭兵たちによって射出された金属の破片で、右足が削れて落ちる。鉛の弾が胴体を貫通する。だがどんな傷であろうと、今の彼にはどうでもよかった。


『逃げなければ』彼は表面的なその一心で、不自然に開いた闇の空白地帯を飛ぶ。さっき三時間後と聞いてから、もう四時間たっていた。彼の本質が『恩の一つでも』と語る。だが、彼の進化による精神と葛藤がそれを抑えた。『今は生きろ。アイツへの恩は、死ななけりゃいつでもできるから』


だから少年の表層は逃げるために彼の身体を動かした。ただ遠くへ、ただ遠くへと。だがそれはどうしてか彼の本質の意図と一致し、少年は体をバラバラになるのを修復能力で強引に戻しながら、ファリスのもとへとただ翼を動かした。


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