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伸びる枝の果実より

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地上から天高くそびえる軌道エレベーターは、かつて描かれた一つの神話に基づいて、ユグドラシルと名付けられていた。地に根を生やしどこまでも伸びる大木。それは世界の情報を吸って天に伸び、白樺のごとき白亜の外装に包まれていた。


かつて人類は、宇宙に行くためだけにロケットを使い捨てていたらしい――――再利用型宇宙船システムの発達した現代においては、あまり考えられないことだ。衛星軌道まではエレベータで運べばすむし、そこから燃料を入れるだけで使える乗り物で外に飛び出す。このシステムが出来上がってから、既に40年は経つだろうか。


軌道エレベーター上でリングが形成され始め、そこで人類が恋愛をしだし、妊娠が発覚したときは一大事だった。何せ個々で生まれた赤ん坊は、いったいどこの国に属せばいいのだ、という問題になったから。


それから1か2カ月ほどしてから、今度は犯罪という問題が出来上がった。こっちも国籍なんてない宇宙で起きた犯罪は、いったいどこの国の法律で裁けばいいのだ、という問題になったから。


そうして仕方なく、宇宙はどこにも属さない空間から、『宇宙国』という国に属する共有空間となったのだ――――もちろんそのために各国は協議し、憲法を作り法律を立ち上げ。そして人民がいなくなった時に備えて、その運営を、機械と強調して行うように作り上げた。


当然のことながら、人間の世界を人外が動かすのか、なんて批判も出た。だけれども、差別など存在しない空間で、差別なく人類をさばけるのは機械だけだとなったために、それは受け入れられることとなった――――そして最初の『宇宙人』が誕生し、宇宙国籍を手に入れてから、38年。そのすべてを見据えてきた私は、初めて宇宙国に旅することに決めたのだ。


「隣、よろしいですか?」


初老の男性が私に問うた。


「ええ、いいですよ。出発まで短いですから」


「ありがとうございます」


きっと彼は、ギリギリのところで席を間違えてしまったのだろう――――なんせエレベーターは、ビルが上り下りしているのと似たようなもの。1フロア間違えたのならば、もう間に合うまい。それに人がいたって、外の景色に勝る美しさはあるものか。


「定期便、間もなく発車します。これより乗客の皆様がお立ちになることはできません」


システム音声がやさしく告げた。私は左手にある、角の丸い強化樹脂窓から外を眺める。アフリカの自然というものは見えず、ただそこにあったのはアンダーシティと変わらない喧騒だった。


「ドア閉鎖確認。発車します」


天井のスピーカーからそう響いた。同時に重力が強くなったような感覚がして、私の足はグレーの床材に押し付けられる。まるで旧世紀の電車のような座席の柔らかさが、私の体をそっと持ち上げた。


軌道エレベーターはしばらくの間、時速200キロになるまでゆっくりと加速する。低速ではあるが、空気抵抗に重力、その他もろもろの乗り心地や安全から、これが最適だと見積もったらしい。確かにビル1棟に匹敵する物体が移動するのだ、これも仕方あるまい。


外壁と同じ材質で包まれたゴンドラは、すぐに都会から大自然を私に見せにかかった。シルクリートで埋められた道路から、安定陸塊に残る多量の山々、アンダーシティの地上構造物、そして砂の広がったサハラの大地といった具合に。まだ10キロも進んではいないはずだろうが、たったこれだけで世界が変わって見えるのかと、私はきっと目を輝かせていた。


隣に座っていた男性も同じようで、彼も初めてなのか、外の景色にくぎ付けになっている。シートベルトサインが解けていないので座っているが、きっとサインが出たならば、緑のシートからすぐに飛び出て窓にかじりつくだろう。


それは私も同じなようで、ほんのわずかな時間横切った支持部材ですら、映画館に飛び込んだ花火のように、この世界にそぐわないと感じられた。けれどそのわずかな時間のいら立ちも、遠ざかっていく地表と、見えなくなっていく世界のディテールだけで十分に打ち消される。


「しい…………」


右手から、精神の奥底で吐き出す息。それとほとんど時を同じくして、


「……美しい、ですね」


と私は、自然にそう彼に語り掛けていた。


互いにハッとして、一刹那顔を見合わせる。どうしてそう言ったのか、私にはわからなかった。


ただこれを、一度言葉にしなければすぐに忘れてしまう。そんな感覚がしたからなのかもしれない。


アームレストにかけた手のひらから幾分汗が染み出す。


そしてきっと彼も同じことをしようとしていたのだろう。男性は額のしわをほんのわずかな時間引き延ばし、そして、『ああ、あなたもそうなのですね』と私に応えた。


「……ええ。言葉もありません」


そして私たちはただ、少しずつ小さくなっていく命の源に浸っていた。



私たちはだんだん、地球のドレスから脱していく。サッカーボールに指を乗せた時の、爪の白い部分くらいの高さしかないその柔らかな防護膜は、どうしてか下の景色を少しずつ青ませ、雲に隠し、そして夜の闇とは対照のまばゆさを放っていた。


その遠くから夜の闇が迫っており、死んだように暗まる世界では、抗いの光が脳の活動のようにして瞬いて、増えていくのだった。


その対極では当然ながら、同じように世界が広がって、小さく小さく上がる火山の噴煙。まるで動く絵画のようになってしまった野に、その下にずっといたのだと考えて、ほんの一瞬目をつぶってみると、なぜか地球の心音が聞こえるような感覚がした。


これほどまでに小さいのか、私の世界は。


換気システムの吐き出す音に紛れて、隣から深く息を吐く音が聞こえてきた。



――――ポーンと電子音。


「これより1時間の間、自由時間となります。良い旅を」


アナウンスはやわらかなクリーム色の空間に告げた。時計を見ると、いつの間にか30分ほどは経過している。それだけの長さを、私は彼と共有していたのか?


ちらりと見ると、男性も想定外だ、という風にして私をちらりと見た。考えることは同じかと、あった目線に私たちは吹き出し、そして小さく握手をすることとした。


私たちは何も言わず、互いの右手を出し合った。そうして互いに皴の多い手を握り、『またいつか、どこかで』と目で語り合う。そして二人とも同じタイミングで手を離すと、隣人は小さく礼をしてから席を立った。


「……ほんのしばらく、ありがとうございました」


きっと彼の指定席に戻るのだろう。私はおそらく、これがどこかの国で言う『イチゴイチエ』なのだろうと考えた。


「お互い、いい旅を」


「貴方も、良い旅を」


そうして私たちは、少なくとも衛星軌道リングまでは出会うことは無かった。高度400キロメートルに作られた発着場で、私は彼の姿が無いかとも探したのだが、あの男性の姿が見つかることは無かった。


けれどそれでよかったと私は思っている。


きっとこれは、胡蝶の夢のようなものだったのだから。人間が夢のフロンティアに行くまでのわずかな間。地球が我々に『行ってこい』と伝えてくれる、ほんのわずかな間。その間であったからこそ、そんな夢が見られたのだから。


そして私は、導かれるようにして市街エリアを抜け、展望エリアに立った。教科書や映像で見慣れた地球は、言葉にできないほどに、赤く、青く、死に満ち、生溢れ、友があり、孤独で――――そして、誰もすべてを知ることはできないのだと語り掛けるように、優しかった。


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