羽根と羽/スリープ
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「ボス。反逆者は烏のミュータントです。奴はうちのプラントをぶっ壊して逃げ、そしてジャック・Oを殺害しました」
元はジャケットだったぼろ切れを纏った成人男性は、糊のきいたスーツを着たサングラスの男に心からそう叫ぶ。彼の顔には何本かの切り傷が走り、歴戦の強者であったことがうかがえる。
「落ち着け。あのジャック・Oがそんじょそこらのミュータントに負けるわけがないだろう」
ボスと呼ばれた男は右手のグラスをガラステーブルへ置き、人革のソファから立ち上がった。そして表情を崩さずに言う。
「ましてや反乱できないように管理してあるガキの一匹二匹で」その声からは落ち着きと排除が聞こえる。
「いや、でも……」成人男性はそれに気おされ、少しだけ後じさった。
彼の額から汗が一粒零れ落ちる。極度の緊張から出たその液体は、液体と思えぬほどに粘度が高かった―――まるで血液が染み出ているかのように。男は一歩間違えれば死ぬと見える様子で、、目の前の組織の幹部に報告を続ける。そして最上級戦力たるジャック・Oの死亡という事実と状況が彼の口から伝えられるにつれ、余裕のあった男の表情に研ぎ澄まされた不審と疑問、威圧が浮かぶ。それは常人が見れば、意識を失うほどに鋭いものであった。
話を聞き終わった男はスーツの胸ポケットから小さな箱を取り出し、そのボタンを二秒間押し込む。するとどこからか一陣の風が吹き、一瞬遅れて一つの影が立ち上がった―――それはゆっくりと跪き、紳士的な落ち着いた声を出す。
「お呼びでしょうか、マスター」
人の姿をしてはいるが、どことなく獣のような雰囲気を漂わせる男に、幹部は言った。
「残念だが、ジャックが殺されたとこいつは言うんだ……」
男は獣脚の影に言葉を投げる。そのあとに続くのは、こいつを殺せか始末しろ、か。はたまた拷問にでもかけろか。成人男性は恐るべき未来について思案した。
だが彼の思った言葉は、男から出てこなかった。
「裏を取ってこい」その意外な答えに、聞き間違いかと成人男性は思った。
男は出そうになった驚きをこらえる。これは自分の聞き間違いか?ボスは今、自分を消せと言ったのではなかったのか?きっと彼の感情に気づいている幹部は続ける。
「猶予は24時間だ。第三プラントからジャックのDNA粉末を採取してこい」
影が「イエス」と答え、風となって消えた。
「信じてくださるのですか?」成人男性は心からの崇拝と忠誠をもって聞く。
「この見苦しい下郎めの言葉を、信じてくださるのですか?」男は懐から豆本を取り出し、彼に見せた。「烏の男には、このところさんざんな目にあわされているからな……当然だ」そして彼は本を床へ落とし、懐に再度手を入れる。
「だが、お前は礼儀というものを知らんらしいな」銃声。二度目の銃声。人間の倒れる音。「片づけておけ」冷酷なトップの声。
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少年はどこかから巻き上げられたカーテンを体に巻いた。このままじゃ何時組織に見つかるかわからない。鴉男の話はきっとどこかから流れているだろうから、あまり目立つ格好ではいられない。それにこの姿だとエネルギーを大量に消費するのだ―――せめて熱くらいは保てるように、何か羽織りでもしておかなければ。
彼は半日食べていないせいでカラカラな体をおもんぱかる。せめて水の一杯でも………。回らない脳髄を活用して、彼は何も考えずにただ目の前のビルを飛び越えた。足元に三十メートルの空白が広がる。そして彼は、あまりエネルギーを使わないように、強力なビル風を利用して滑空した。
三百メートルほど風に乗り流れていると、丸い両目に黄色い光がひらめいた。しばらく空の旅をしたのちに、少年は空腹に任せ、上から見ていて見つけた小さな店の前へと着地する。
「なにか………水でも………」
彼はふらふらと扉を開け、今にも崩れ落ちそうな体を室内へ運び込む。出来るならば死んでしまいたいが、それでもできるならば生きていたい。彼はそう思いながら室内を見た。美しく整頓された室内には埃一つ残っておらず、よく手入れされていることから少年は管理者の存在を容易に読み取ることができる。これなら―――そう彼が思った時だった。
空腹が思考を書き換え、誰もいないんだから奪えばいいと、彼の望まぬ思考にした。少年はまた自己批判する。体内に潜む無意識という名の同居人が、欲望のままに暴れだそうとするのを、彼は四十時間ずっと抑え込んでいたのだ―――本能がこうなるのも無理はない。
少年は消えそうになる意識をどうにか保ちながら、鼻に香ってくる薄い臭いを追いかける。食料が見つかるのならば、今の彼はごみを漁ることも厭わないし厭えなかっただろう―――というより、実際既に七十二回ほど漁っている。そのときも今回と同じように薄いにおいを追いかけたのだが、どうしてか全く見つからなかった。だがその時と違って、今回は明らかに人のいる場所だ、ならきっと………。
食への暴力的なまでの執着に突き動かされ、彼は砂糖の容器を見つけた。その純白のエネルギー源は彼の生存欲求へと変質し、少年の歪んだ形で残っていた思考能力を奪う。そして彼は何も考えず、中身を口に流し込んだ。強靭な吸収能力によって数秒でブドウ糖がエネルギーとして供給され、彼にほんの少しだけ思考能力を取り戻させる。
そして彼は自らの意識と記憶を取り戻し、自らの行動を顧みて恥じる。
いきなり何も言わずに押し入って砂糖をいただいてしまったが、良かったんだろうか………いや、良くないだろう。彼は無意識の行動を重々恥じながら、居るのかわからない店員を呼ぼうと声をかけた。しかし当然ながら、声は帰ってこない。この喫茶店の主人の座を奪い取った男、ワタリガラスのファリス・アウラは今、壊れたガラスの代わりを探して外を飛び回っているのだから。
少年はカウンターから出て、どこにつながっているかわからない扉を開ける。そして目の前に見えた、ブラウンの板敷で一メートルほどの廊下を恐る恐る進み、チョコレート板のような形した戸を開けて小部屋に入った―――そこは最低限のもののみが置かれた、生活スペースと思しき汚れた部屋である。
それを見て少年は不思議に思った。ここは何人かでの経営なのか?それともここの主は、外では几帳面になるタイプなのか、と。彼がそう思うのも無理はない。部屋の中にはファリスの羽が落ち、ごみ袋や機械のクズでごちゃごちゃとしていたのだから。訳の分からない、彼がどこかから拾ってきたもので埋め尽くされていたのだから。本当に外を掃除している人物と同じなのか?実は誰かがここを奪い取ったのでは……?そんな風に彼は、その様子から考えた。
床には脱いだ服と黒いTシャツが投げ出され、置いてあった書棚の本は順番など無視して並べられ、そしてベッド上の布団は、いったいどうしてか切り刻まれてぼろぼろになっていた。
「それともここは……?」
少年は消えそうになる意識を保ちながら、最低最悪の過去から推測した。
彼は戸を閉め、喫茶店スペースへと戻る。「ここで待ってれば、きっと誰か来てくれる……その時にでも、砂糖のことは謝ろうかな」どこかからの視線に目を背けそう言ったところで、彼の腹がまた鳴った。限界を迎えた空腹によって彼の変化した肉体は省エネな人間のものに変質し、彼の意識をシャットダウンしようと脳髄が勝手に動く。
急いで彼は、身の回りの物をまとめた。そもそもまとめるものはないのだが、この状態で倒れでもすれば、逃げた奴隷と見られてすぐにでも通報されるだろうから―――まあこの状況でも通報されるはずだが、意識があるなら逃げることもできる。だからせめて、意識だけは………。
「駄目だ……まだ倒れるわけには………」少年は床へへたり込む。もう体がついてこない。エネルギーがなくなりかけているのだ。
「今……だけは……………」小さな体を床に折り、彼の意識は闇へ消えた。
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