ウインドエッジ/バッドシティスクランブル
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アンダーシティNo.88、ケルス。『地上とほとんど同じ空間を』との依頼で作られたこの都市は、地かでありながら太陽とほとんど同じ光を太陽灯によって受けることができ、日の出日の入りはともかく、月の出沈みまでもが地表と同じように製造されていた。
当然それにかかった建造費用は数兆では済まないが、それは金持ちの道楽じみた安全の確保ゆえ。地上50メートルほどのビルが地下でありながら林立し、中では奴隷制が復活し強制労働が行われているのも、資金とその権力ゆえにすべてを塗り消すことができるからであった。
……当然ながら、この歪んだ街に抗う人間がいる―――労働者集団が人権を求めてストライキを起こした時もあるし、奴隷住居エリアの汚染反対と声を上げた人間もいた。
だがそれらは全て、一人の重役の責任問題という風にして終わらせられた。結果得られたのは、求めていた待遇改善の2%程度。しかしその改善すらも後の業務改革という名の乱雑なチェックポイントの付け外しによっていつの間にか消え去っており、結局この街は絞るだけ絞る側と絞られる側のまるで軌道エレベーターと地球の関係じみた異常なピラミッド構造が出来上がっていた。
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今日もまた、軽犯罪で逮捕される悲しい人物がいる。路上での排尿に酔った勢いでの喧嘩、吐しゃ物を吐いては万引きが、空気のようにこの街を包んでいるのだ。
……まったくもって、取り締まる側としては嬉しくもない。
なぜここまで犯罪というものは減らないのだろうか。小さな詰め所のデスクの前で、クリス・エヴァンスはそう思った。本当になぜなのだろうな。
彼女がまたコーヒーをすすっていると、本日12回目の来客が心から助けを求めてやってきた。
………休憩の一つもままならない。
それを一息に飲み込んで、クリスは来客に落ち着くように促す。しかしその市民は「そんなどころではない」と狂ったように叫び、早く来てくれと彼女の手を取った。
「落ち着いてください!まずは何があったのか聞きますから!」
そして彼女の平穏がすぐに崩れた。
「そんな落ち着いている場合じゃないんd」
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飛んできた弾丸をとっさに伏せて躱し、クリスは腰に下げている制式拳銃を取った。彼女は弾丸の破壊の跡を見てそれがライフル用の弾薬によるものと推定し、手鏡で誰も見ていないことを調べてから奥の装備保管庫へと飛び込んだ。
誰も入らなかったはずだし破壊音もなかったのに、どうしてか保管庫の外壁は破壊されておりライフルはほぼすべて盗まれていた。ほぼ、というのはトラップのものは放置されていたからで、その上入り口側の部外者用トラップを知っているがごとく、ドアあたりは完全に元のままにされていた。
入ればワイヤーが飛び出て感電で麻痺するという罠があるのは公然の秘密であるが、その設置場所、方法、そして奥の手があるとまでは公示されていないはず………。
クリスは考えてはいけないことを考えたが、すぐにそれを振り払ってライフルを取り、トラップユニットを解除して弾薬とマガジンをポーチに収めた。
今はそんな細かいことを考えている暇なんてない。そうだとしたら厄介ごとだが、上のことだ。今自分がすべきなのは、状況の判断と応援の要求。だからすぐにでも外に出るべきなのだろう。
軽量なタイプの防弾装備を着込み、可動域が十分であると確かめて彼女は出入り口の壁に身を隠した。弾丸でガラスが割れる音が響く。叫び声と倒れる人々の声。詰め所に面した大通りの大まかなクリアをしてから、彼女は破壊の音の中心方向へとゆっくり歩み始めた。
「中央署ですか!こちらアーレット詰め所!聞こえていますか!」
明らかに尋常ではない状況。ならば増援を呼ぶべき。普通の対処をしている彼女なのだが、帰ってくるのはホワイトノイズのみ。
「中央署!聞こえていますか!」
しかし返答はない。
「畜生こんな時に!通信部分でも逝ったか!」
効果のない通信をあきらめ、クリスはそのまま現場へと距離を詰める。外から内側へと破片のとんだ窓ガラス、弾痕の残ったコンクリートの柱、倒れて尋常でない量の血をシルクリートに投げ出した人間。ところどころに見えるこの破壊の方向からして、犯人は通りから無差別に市民を虐殺しているという風に見るのが正しいだろう。
そうだとすればこのまま1、2キロすればショッピングモール……被害がこれ以上増える前、今まだ犯人が徒歩で乱射のこの状況のうちに、事態をどうにかするしかない!
その一心でクリスは駆ける。駆ける。駆ける。
「中央署!聞こえていますか!聞こえるかってんだよ!」
効果がないとわかってはいるが、万に一つの可能性を考えて、通信を続けながら。だが当然ながらそれを聞くことのできる通信機は、悲しいことになかった。
現場にたどり着いた彼女は言葉を失う。そこに広がっていたのは、今まで見たこともない文字通りの死体の山と血のカーペットだった。人間の肉体が合体ロボのごとく背中に開いて折れていたり、口を裂けるほどに開かれたりはごく普通と見えるほどに、それらはまともな人間の形をしていない。
人間の尊厳とはなんぞやといわんばかりに、彼ら彼女らは破壊されつくしていた。
「これは………なんとひどい……」
クリスはすこしだけ吐き気を覚える。いったい誰がこんな悲しいことを……。そう彼女が思った時、どこかから砂利の音が響いた。
「誰だ!」
居たのは猫だった。それはこんな状況でも無邪気に目の前の食料をかじっている。クリスはほんの少しだけ気を抜いて、そして気を入れなおしてあたりを警戒した。この状況では声を出せないなと、彼女は音声モードを脳波参照に切り替える。
「システム音声確認」
考えたことが耳にサウンドとして伝わった。
まだ明るい時間帯のケルスに不釣り合いなほど、人のいないアーレット通り。その中でひときわ破壊の著しい建造物の中を、クリスはゆっくりと歩んでいた。
建物の中に入ってから10分だが、それだけの時間でも変化を見るのに充分であった。破壊の跡は次第に乱雑になっていき、余裕が消えているのが見える。しかしそれは一続きでなく乱雑な順序をしており、まるで階層を飛び越えた動きをしているかのように彼女の目には映るのであった。
少しずつ破壊が明らかになっていき、人間の数が少なくなっていくたびに彼女は思う。
これは人間ができる破壊の量なのか?
この量は明らかに人間一人の持てる武器の量を軽く超えているし、現在の武器でもコンクリートの柱一本を折ることは厳しい。
なのにここでは構造に関係しない柱の十数本が砕かれていた。
本当に、ただの人間が………?
クリスにはこれが、人間の所業とは思えない。むしろこれは兵器の所業だとしか、彼女には状況を理解するすべがなかった。
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