わずかの記憶/二つの重なり
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手元の黒のタッグには、まだわけのわからない文字列だけが浮かんでいた。まるで子供がアスキーアートを作ろうとして失敗したかのような、シミュラクラを出せそうで出せない失敗作めいたもの。ところどころは文章として読めるのだが、『バラ売』『清潔な』『ードサラ』程度では。
「ああ…………しかし、ひどく変な文だな……。良く読み取れたもんだ」
アストラはそう口に出した。バイナリなりなんなりででも表示したらしく、最初に手に入れたときよりはまだ復号されているが、それでも全然だ。
「仮想環境で丸5日使ってな、付属品での入出力の結果から暗号化鍵探して出来上がったのがそれさ」
ヨハンが言うと、線経由でまた何かを送られたらしい。マスゲームめいて表示が切り替わり、彼の言っていた通りの文章が表示された。
『AB44:2:A イニトラム』
「どうも薬品の投与結果らしい。心当たりは?」
「あるわけが」
「なら結構。そいつかなりの量をぶち込まれた挙句、耐え切れずにイカれてるからな…………邪魔だから消すという意味でも、データを取ったからという意味でも処分だったんだろうな」
切り替わったものをスワイプしていけば、ところどころに実験データが張り付けられていた。この人はどうやら片腕が異常に成長したため、死をもって止めることとなったらしい。プローブが半壊するとは、一体どんな技術を使っているのか。
補項には薬品反応の調和がとれていないからとある。静脈注射で安全に運用するには、展開しきってから起動するように改良しなければいけないらしい。
「人体改造して何が楽しいんだか。しかもこいつの名前、表では事故死したって放送に乗ってるじゃあないか。どんなところなのか透けるというもの」
ご丁寧にタッグに事故の記事まで貼り付けてくれたので、アストラは疑念を深めてページを進めるのだ。
『4単位を投与。試験は成功。しかし適合せず』『適合。しかし肉体の組成差によって分解。修復処置を施して再テスト』『適合。能力の向上を確認。安定動作に向けて時間記録』
無機質に人間を改造していくのが続く。生々しい破壊の跡、切り開かれた『パーツ』の数々。どこまでも黒くどこまでも小さい、持ち主の明らかな脳下垂体。
まるでロボットを扱うかのような文字の羅列が、彼の何がしかを削る音がしていた。
「……よく、できるものだ」
どす黒いものが噴き出ては染み入って、奥底に戻ってまた噴き出て。繰り返すマグマだ。なぜこんなことをするのだ。なぜここまで。
「……事実だから、仕方ない…………のだろうか」
ヨハンの声のトーンは低かった。ちょうどいい温度になっているはずの病室は、どこか寒い。
「これが行く末だと考えると、アニメか何かだと笑ってしまいそうになるよ…………」
リンクを切って彼は起き上がり、物理接続を外した。パチンと線をまとめ、端末ごとアストラに渡して震える。けれど押し殺して続けるのだ。
「悪いが、ここまでにしてくれ……最期くらいは一人になりたい。センチメンタルじゃないが、覚悟の一つでもしたいんだ」
アストラは頷いて病室を出た。きっとこの時間だから、ナースコールが無ければだれも来ないだろう。けれど彼のすべてだっただろう端末まで受け取って、よかったんだろうか。自分の選んだネットの海に居たくはなかったのだろうか。
とぼとぼと彼が歩いていると、通りがかる看護師。軽く会釈してホールに出て、そこから中庭に向かう。コーヒーの一杯でも飲んで、何かを満たしたい。そんな気分だった。だからあの病室から見えたはずの見知った顔に気づくことなく、彼はドリンクを買ってベンチに座って空を見る。
たばこの煙のように熱を帯びた呼気。考えることは何もなく、厭うことばかりが膨れ上がる。身の安全、あいつらへの怒り、殺すことの無為さ。いろいろが混ざりあうのに、体が勝手にうごいてきたのが復讐だ。この自分を作った裏の世界への復讐だ。
ぐだった挙句にギャングを潰してマフィアを叩いて、違法取引から銃を盗んで。自警団めいた変なことばかり。いろいろな出会いと別れをしたのにこれだ。
終わった復讐と新たに始めた復讐が、熱量の差をもって自分に襲い掛かってくるようだ。オルレを殺されたのに、世間が自分ばかりを責め立てる。起こした罪は死であがなったはずなのに。
「…………アストラ?」
マイナスばかりをリフレインする彼の視界に、人影が割り込んだ。それはどこか聞きなれた声をして、幼いころと同じテンポ、リズムで言葉を続ける。
「いいえ…………あの人は……。ごめんなさい」
はっと立ち上がって彼は、話しかけてきた女性を見た。
「すみません……急に声をかけたりなんかして」
顔立ち、ずっと残る薄い傷跡、花のような手の甲の火傷の跡。別人かと思ったが、やはりそうだ。
「……パルレ」
アストラは、もう出会うことはないだろうと思っていた友人の名をつぶやいた。聞こえないように囁く程度だったのに、しおれていた声が水を得たかのように花咲き、それとともに驚きが張り詰める。
「とても私の友人に似ているものでしたから……でも、人違い、ですよね」
あのとき何も告げずに出て行ってしまったし、そのあとは最悪の形でニュースになってしまって、結末まで一部始終が報道されたのだ、当然だろう。胸中には数え切れない情で満ちているのだと彼は想像し、それに答える。
「……その友人とは、何かあったので?」
なにかそれを拒絶してはまずいのではないかと彼は、直感的に理解した。ベンチの隣を示し、続ける。
「いくらか、話でも聞きますよ」
それをパルレは受け入れる。アストラはコーヒーを喉に送ってまた、心の熱を吐くように呼気を通した。
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