まだ眠れる獅子の牙/なら逃げよ
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夕飯の買い出しにスーパーに寄って、袋片手に鍵を開けようとしていたアストラに、来客が二人あった。やはり聞き及んでいたように黒いスーツ。ズートほどではないものの、広い肩幅には筋肉がわかった。
「……あなたが、アストラさんで?」
彼か彼女かはわからないが、その姿は細く問うた。
「ええ。ですがそれが、どうしたので?」
アストラは先に口を開いた片割れに答え、荷物を置きたいからと少し待つように示す。だが彼らはすぐに済むことだからとそれを制した。
生鮮食品もあるからとアストラは語って、護身用の拳銃を取り出して隠す。そして足を入れられないように話の続きを聞くこととした。
「では、単刀直入に言いましょう――――あなた、人間ではありませんよね?」
「は?」
突飛な発言にアストラは、やはり邪魔をするのだろうとドアを閉じる。入れてはまずい人間と察し、とりあえず締め出して逃げる準備をと思ったらしい――――だが、薄い鉄板一枚。隠し切れぬ異常な筋肉に弾き飛ばされて、簡単にそれはこじ開けられた。
「否定しても無駄でしょう。あなたは既に死んだはずなのですから」
細い中性的の方が続ける。
「詳しくは私たちのところで聞かせます。ノーとは…………言いませんよね?」
「言えばどうする?」
サタデーナイトスペシャルはそこまで強くない。6発全部、2メートルほどの今ので当たるかどうか。アストラは苦く思いながらも隙を伺う。
「結論までは一週間待ちます。それまで、どうなるかお考えになればよろしいかと」
だがお見通しだと、それは銃を突きつけた。
「では、ごきげんよう」
そしてホールドアップする彼を置いて消える。ドアのない涼しく寒い空間に取り残されたアストラは力を抜き、逃れられんのかとかつての記憶に舌打ちした。
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こじ開けられた跡の残る扉から、隙間風が寒い。本国に合わせられているアンダーシティは、悲しいことに冬だ。
地上は今夏になっているはずなのに、どうしてシェルターの中でまで寒さに震えなければならないのかわからない。路上生活をしているのでもないのに、どうして。
アストラはとりあえずビニール袋と養生テープで隙間をふさぎ、布団を取り出してブランケット代わりにする。
「だが、これでここともおさらばになるんだろうな」
そしてつぶやき、手元のココアをぐいと飲みほした。
一週間すれば、あいつらがやってくるだろう。そして俺の体だのをなんぞに使って、またあの奴隷みたく戻るんだろう。
工場で鉱石砕きか、使い捨てのヒットマンか。運び屋か、はたまた。どれを請け負うことになっても悲惨で、戻れるわけがない。かつての場所は偶然にも崩壊したからよかったものの、今の自分で考えると恐ろしかった。
時計が動くのをただ眺めて、アストラはトースターにパンを押し込んで豆を出す。けれどちょうどポットは空で、何かを示すよう。どうせならとインスタントのスープにしようと挽くのをやめ、鍋に水を突っ込んだ。
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「少ししたら、やめようと思います」
それなりの期間良くしてもらった相手にそういうのは、つらいものがある。一方的に仕事がなくなるのだと告げられたころはただ憎むだけだったけれど、それを語る方にも辛さがあることはあくまで形式としては知っていた。
誰が好き好んで、長いこと雇っていた人間を消さねばならんのか。確かに憎みもあれば変わるかもしれないが、それでも憎むだけの情はある。そして憎まれることにも、情がある――――それが今は、願って苦しみの上でいなく成らねばならないとは。
心だけの準備に二日かかった。本当に少しの間しか働いていないのに、久方ぶりのやさしさのせいか、まるで十年いたかのように思えた。だから退職願を書き上げるのに一日かかった。
それだけかかったものだったから、それを出すのには同じだけかかった。入ってから仕事の速さが上がって、このまま行っていればというような状態だったから、本当に本当に心苦しくて。でも表面に出さないようにしていたので、同じように「そうか」だけで受け入れられた。
苦虫をかみつぶすような表情を押し殺しているのはわかっていたが、それでも今いなくならなければいけないことだけは知っている。だから内心は地獄だった。
近くのステーションまでエレカに乗り、外れに行こうと予約をし、まとめておいた服と数日の野宿の備えを握って、彼は家を引き払う。
そして行こうとしたところで、ちょうどその扉が開かれ。
「…………お兄さん。どこまで行くつもりで?」
スーツの男に、アストラは弾丸を放つ。
「地獄だ」
そして彼はエレカをマニュアルで走らせた。かつて学んだ裏モード。存分に使うとする。
急激な発進に生まれるスキール音と、ブラックマーク。エンジンはないが馬力のあるモーターの形式を、呼び出すときにわざわざ選んだのだから当然だ。
ABSとトラクションコントロールに任せ、衝突回避を使って彼は走り出す。その後ろで鉛を撃ち込んだはずの男が立ち上がり、黒塗りの車を引き出して走り出すのをアストラは見逃さなかった。
「まあ、まともな人間じゃないか」
防弾チョッキでもあったのだろうと、彼は片手間で装填を終えた。
時速100キロにまで加速して、フリーウェイ経由だなと道を見直す。ナビに押し込んだルートは再計算続きであまり活躍はできないが、それでも土地勘のない自分を補うにはちょうど良かった。
この後はきっとニュース番組送りになりそうだとアストラは、また顔が映るんだなと奥底で苦しみながらハンドルを右に切り、ホイールにロックをかけた。グリップがなくなってタイヤが滑り、直角に道路とタイヤを削って立ち上がった。
ジャンクションまで、カーブは二つか。
街灯の並ぶ高架に、まっすぐなクローバーめいたカーブ。街灯は信号も兼ねられていて、後ろの方は黄色く光っている。この先に注意があるという意味で、それは彼らを追いかけるようにオフホワイトから変色していく。
アールの緩い目の前のを抜ければすぐだ。後ろから銃弾が飛んでくるのに気付きながら、アストラはアクセルを床まで踏み込みミラーをにらむ。装甲が貼られているらしい相手さんはどうも、自分を逃がしてくれるわけなどなさそうだった。
高度に電子化されたエレカの群れは、自動で事故を回避するようにできている。エレカ同士の位置を探知して回避タイミングを決定し、マニュアル2台程度は好きに走らせてくれる――――とはいえど車線変更の連続に銃弾は想定外。
流れ弾でバーストし横転が起きるのを見て彼は、落ち着いてブロックを一回りするアプローチへと切り替える。右に直接ではなく、通り過ぎて左に曲がる方向――――だが相手はそれを許さんと、反対車線に入り込んで先回りする。
逃げようと思うが、どうやらいつの間にか集まっていたらしく、進行方向以外はすべて封鎖に近い。
どうすればいいか。やけくそのIターンをしてみたものの、ブレーキングに失敗してビルの入り口にたたきつけられる。モーターをやられたらしく、衝突からすぐにアクセルを踏んでもうんともすんともしなかった。




