ハーフハート・アイ/闖入者A
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それからしばらくして、新たな目的地の廃ビルにたどり着いた――――本来アンダーシティには存在しているはずのない、捨てられた建物。
外見だけはまっさらの造りたてだけれど、中身は完全にがらんどうで錆も浮き始めているような、あくまで見せかけだけの黒い箱。そんな廃墟に踏み入り、彼女は生きているエレベータで5階に上がった。
強化ガラスの外壁は中から外の光だけを通し、はたからは鏡に見える。だから今、中に光があることも誰にも知られていないだろう。
ピンポンと腑抜けた音響と共に戸が開き、時刻通りにアリアはゴンドラから降りる――――するとそこに、ベージュのトレンチコートと覆面をして、安楽椅子に腰かけた人物が彼女を出迎えた。
「いきなり場所の変更とは、そっちも大きい事をする」
しわがれた声の主はそうふてぶてしくした。それはこっちも同じだと答えてみると、彼は肩をすくめ、『どっちも同じか』と小さく笑った。
「半券を」
そしてこれから本題だと、彼女の持っている特殊ケースを見る。彼は懐から小さなディスクの入れられそうな機械を取り出し、ディスクを一枚取り出して差し込んだ。
「これで」
アリアは先ほど手に入れたものを差し出す。男はそれを同じように機械に入れ、ボタンを押した。すると機械は確認の明かりをともし、彼は電子錠を得る。
「よろしい…………では、そのケースを」
隠し切れない警戒が少し緩んだのを見て、アリアは床にそれを置いた。箱のくぼみに錠を押し込んで男は箱を開き、中にあるものを確かめてわずかに口角を上げた。
「これで受け渡しの依頼は完了……で、よろしいですね?」
探知機を取り出し、中身を隅々まで確認した彼は『ああ、もちろんだ』と答える。
「報酬は全て振り込んでおいた――――確認してほしい」
そう言うので信用の為に、アリアはほんの少しの間視線をタッグの画面に移し、表の銀行の残高を見る――――そして顔を上げると、数秒前にいたはずの男が、影も形もなく消え去っていた。
いきなりの出来事。
それからほんの2秒ほど経つと、アリアの眼前に赤い液体が散布された。
勢いで拡散した臭気から血だと認識し、彼女は床材を砕くほどに飛びのく。一体どこから?見えないほどの速さで?
様々の思考が浮かんでくるが、体はこれをした相手には勝てないと納得していた。だから逃げるために彼女はエレベーターに向かって駆ける。
階段よりかはこっちの方が早いハズ――――登るのなら別だが、下りはどう頑張っても重力加速度を超えられない。天井でも蹴れば別だが、そんなことをするなら一直線のシャフトを飛び降りた方が絶対に早い。
確かエレベータは二機並んでいた。来るときに使っていない方は確か、ゴンドラがこの階になかった。ならば。
アリアは扉をこじ開けてワイヤーをつかみ、足に巻き付けて手を離した。そのまま鎧を作り出して摩擦よけにして、赤い火花を散らして落下を始めた。甲高い音が狭い空間に響く。
自分でも鎧ナシでこの高さなら、骨の一本か二本折れるのだ。ましてや外骨格めいたものの造れない普通のミュータントならば、どこかの内臓機能が確実に壊れてしまうだろう――――そう考えての行動だった。しかし、彼女がいま相手しているものは、そんな普通の相手ではないのだ。
みぞおちに強烈な一撃。それは彼女を厚さ50センチの床をぶち抜いて地下の駐車場にたたきつけるのに十分な威力で、それを引き起こした黒い影が、反動で上に飛んでいくように見えるほどであった。
シャフトをパイプとして、計り知れない破壊音がビル内に撃ち込まれた。停止用のアブソーバーだの鉄骨だのが砕けた建材と共に彼女を埋め、肺の中の空気を全て吐き出させる。肋骨も数本が砕けて突き刺さり、おそらくブレブを作っただろうか。
舞い上がる粉塵の中で引っぺがすように息を吸い、作動する防護装置を眺めながら彼女は『一体何なのだ、アイツは』と力の限りで這い出る。
そしてなんとか立ち上がると同時に防護装置が作動し、各フロアに隔壁が展開してメイン通路以外を塞いだ。煙突になって炎を通すかもしれぬエレベーターシャフトに階段が階層ごとに封鎖され、独立空間となる。最低限の脱出経路のみを残して他がふさがれ、地下道を示す非常灯が赤く灯った。




