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猫地球R33GTR〈第二部〉  作者: 北川エイジ
1/1

[ 後継者 ]

◆第二部は女たちが主役の章となりました。予定にはなかったのですが次々とキャラクターが現れ勝手に動く展開です。


◆第三部は推敲中です。





     2


初の番組収録から三ヶ月が経つ。この世界でのあたし、モデル出身のタレントショーコ島崎には幸いにもテレビ出演のオファーがぼちぼち入るようになり、バラエティを中心におよそ月に三、四回のペースであたしはテレビに出るようになった。いわゆる雛壇タレントとして目新しさがウリのポジションにあたしはいる。話を振られてからコメントする、というだけではだめで空気を読みつつ積極性も見せなければならないポジションだ。そんな新たな芸能活動に四苦八苦しているなか、若い世代、若年層というくくりでよく共演するコがいる。ひとつ年上の二十歳のモデルさんで名をジーン森崎。華のある、キラキラしたコだ。加えて彼女には色気があった。バラエティに色気は不要だがバラエティでぎりぎり成立する絶妙の色気。その質の高さは女のあたしでも認めざるをえない。発言の奔放さや媚の無さは計算ではない天然のもので、あたしにとって大変に勉強になる存在でもある。あたしは現場でやるべきことを学び、現場で〈今という現在進行形の時代〉を吸収していっている。その中核に彼女ジーンがいるのだ。発言に「そうくるか…」と。振る舞いの成長っぷりに「そんな成長の仕方を見せるか…」と感心させられっ放しである。またあたしに対しても屈託のない明るさで接してくれるありがたい人物だった。友達というほどには仲良くなくても彼女はあたしの核を見抜いている。目を見ればわかる。収録現場ではショーコちゃんさー、と言い裏では島崎さー、と言い替えるセンスがあたしは好きだ。気が楽になる。いきなり名字で呼ばれたときびっくりした、かつての猫人間ではなかったあたし島崎翔子に戻った気がした。瞬間である。でも心の重荷が外された気分になったのだ。なんでこちらの気持ち、忘れていて自分にもわかっていない気持ちが彼女にはわかるんだろう?

チルドカップのコーヒーを飲みつつあたしはマンション近くの公園のベンチから樹々の緑と空を眺める。雲の少ないいい天気だった。空の向こうのどの辺に元の世界があるのかを考えようとしてその無意味さに悲しくなり他のことを考える。ネットが見れなくなった生活にさして困るわけでもない自分はやはり根本的には時代遅れの古い人間なのかも。とか何とか。ちなみに富裕層権力層は日本のネットを閲覧できると聞いている。そこに昇りつめれば閲覧はできるのか。けどどうやって? ──と、携帯電話が鳴り、アンドロメダくんからだった。めずらしい。

「はい」「ショーコさん今どこです?」「マンション近く」

「事務所まで来ませんか?今、ルーシアが来てるんでちょうどいいかと思いまして。彼女あなたに会いたがってましてね」

「ああ、そう言えばそんな話があったような」

「あんまりない機会なので。休日を邪魔してすみませんけど」

なぜだか理由は知らないが女優はめったに事務所ビルに来ないのだ。タレントやアイドルはちょくちょく顔を出すのでそれなりに顔見知り程度にはなるのだが女優はさっぱりである。

「いいですよ…。行きますよ」

忘れていたわけではない。いつかはこの日が来ると思っていた。ただ彼女のスケジュールは舞台の稽古や映画の撮影や雑誌取材で埋まっていたしあたしはあたしでタレントとしてのターニングポイントを迎え余裕がなかった。会う時機ではなかった。同じ事務所に所属していても分野が違えば、もしかしたらずっと顔を会わせることなく時が過ぎ、そのまま会うことなく芸能人生が終わるものなのかもしれない。そもそもあたしはかりそめの存在である。いつこちらの世界から消えてもおかしくない。いや…というかこちらから消えるためにあたしは頑張っているのだ。何を言っているんだあたし。ジュゴゴ、とカップの底に残ったコーヒーを吸い上げあたしは立ち上がる。もうこの世界に来たばかりの小娘じゃない。今では自分で気づいてる。あたしにはこちらの世界で言う“巫女の能力”が備わっている。これはけして自分のために備わっている力ではない。誰かのための力だ。あたしの身に起こる何もかもが運命であることを忘れるなあたし。何があってもまず受け入れろあたし。


二人きりで会いたいということなのでアンドロメダくんが幹部用の会議室を用意してくれて、ルーシア三田はそこであたしを待っていた。部屋に入ると応接間のような内装と調度品が目に飛び込んできてあたしは驚き、しばし見渡してしまう。がそんな驚きはすぐに吹き飛んだ。

さんざん写真や映像で見てきても、実物はまるきり違い、あたしは彼女の全身を前にはっとして息が止まり、自分の体が宙に浮かんでいるような気がした。これは現実なのか。何という存在だろう、彼女の周りの空気は彼女のものだった。何もしていないのに周りの空間を彼女は支配している──

「こんにちは」

あたしは実に晴れやかな、澄みきった気分で彼女に声をかけた。

「はじめましてショーコさん」

はにかむような微笑に吸い込まれそうになる。あたしはテレビの話題から始めた。彼女はあたしの出演する番組をよく見るそうで録画までしてチェックしてくれているようだった。しかし──あたしは別の意味でも驚きを感じ、正直なところ当惑を禁じえない──ルーシアの話しぶり、所作、仕草、そういったものは…ちょっと愕然とするほどに芸能人らしさというものがなく…あからさまに言ってしまえば一般人のそれだった。容貌の特殊性からは想像できない普通さがそこにはあまりに冷徹に漂っていて、あたしは背中に冷たい汗を流していた。彼女は、明日から普通の学生になれと云われ唐突な変化を強いられたとしてもすんなりと普通の十七歳の学生になり、すんなりと一般人の生活が送れるタイプである。彼女は頭脳で芸能人をやっている──これは衝撃だった。

うちの事務所ラベルダ所属の芸能人は多かれ少なかれ文字通り才能で食っていく、もしくは芸能界でしかまともに生きていけない、というのが大げさに言えばデフォなのだが、こういうタイプは唐突な一般人化を迫られたとしたら適応におそろしく時間がかかるか、場合によっては特殊な才の持ち主は才を発揮できない苦痛にさいなまれ病を患うかもしれない。自分は何をやっているのだ?と。日常生活の合間あいまに〈何これ?〉と感じ、他人が善良な人物なら問題ないが利得や損得を基準に生きている他人に対しては異界の住人のように感じてしまうだろう。しかし日常は後者の方で成り立っているのであってこの感覚では幸福の前提が成り立たない。

ルーシア三田は、そうではないのだ。

そしてまた彼女はあたしの“中身”に直感的に気づいている。あたしに向けた、かもしだす親近感にはそういう意味が含まれている。〈あなたにはわかって貰えるって、私そう信じてるんです〉という、彼女の視線が告げる言葉はあたしの心を打った。あたしのなかの鐘が鳴り響いていた。なんという存在か。──話は核心部へと移行してゆく。彼女はあたしに相談事があったのだ。


「私は俳優業に集中したいのに、どうも周りは違うことをやらせようとしてるんです」

「それを周りが隠してる?」

「私にわからないよう、はぐらかしつつ、事を進めてるような…今は舞台が迫ってるんで頭から払いのけてますけど、嫌な感じです。私は最初から俳優志望って言ってるのに」

「何をさせようとしてるんだろう」

「勘ですけどたぶん…」

彼女の推測を要約すると自分をアイドルフォーマットに乗せる気で事務所が準備をしている。俳優業が一息ついたところで芸能活動をアイドル業へ転換させようと狙っている、ということだった。この推測の根拠は又聞きの又聞きなのだが取材の折に編集者から聞かされた情報なのだと。ビジネスを成立させるべく裏で様々な勢力が準備に動いているらしい、という話を。すごいですねよかったですね、とポジティブな意味合いでこの編集者は語っていたそうである。「チーフは知ってるの?」

「私から見てですけどゴーレムさんがリーダーのような計画と言いますか、策略と言いますか…、サイラスさんはゴーレムさんの部下のような感じだし…不安なんです」

ゴーレム武藤は三十代半ばの男でマネージャー陣の中でナンバーツー的な立場にある。あたしとは一切関わりを持とうとしない、得体の知れぬところがある人物である。一方で会社には欠かせない有能な社員であり幹部候補のひとりなのは誰の目にも明らかだった。チーフであるアンドロメダくんとは睨み合いつつも互いの領域は侵さない、という間柄だ。

厄介だった。これはアンドロメダくんが扱いにくい事案だ。ルーシアの推測が真実であるとしたらボス、ガイナス斎藤の承諾のもとに進められている計画なはず。動ける事案だとは思えない。

「あたしもいちタレントなのよね。できることには限界がある。でも策略を止められるようあたしなりにやってみるわ。結果は何も約束できないけどね」

「ああ…、助かります…。助かります、ありがとうございます」

「いや礼は結果を見てからの方が…。でもなんであたしに?」

「…頼れそうな感じですかね。うまく言えませんがこの人ならわかって貰えるっていうか…理屈を言えば、ボスやアンドロメダさんと友達みたいに接してるってよく聞きますから、何かあるんじゃないかと」

え?そうかな?

「相談事もショーコさんにしてるって」

いやそれは曲解だ。変に話が伝わってる。

「桜田さんとよく話すんですけどいつもショーコさんの話題がたくさん出てくるんです。将棋でいつもボスをこてんぱんにしてるとか」

確かに負けてはいないが大げさだ。

「今、何気にラベルダの中心にいるのはショーコさんなんじゃないかって思ったんです。それで」

かいかぶりである。でもどこか心がくすぐったくなるかいかぶりだ。


彼女が部屋を去ったあとあたしはため息をついた。ゴーレム側の思惑はわからなくもない。ルーシアのルックスは確かにアイドル以上にアイドルなのだ。しかも新世界の扉を開くような。会社からすれば彼女はこのとき直接的なビジネスを可能とする駒であり年齢から言っても千載一隅のチャンスだった。仮に将来アイドルから女優への転身に難が待ち受けているとして、今の十代の時期に代わるビジネスチャンスが他にあるだろうか。…これを止められるか?この世界もまた資本主義なのだ。が、むき出しの資本主義に則った商法に身を捧げる彼女の姿を想像するとき……そんな光景はルーシアを基準にして鑑みるとき、想像するだけでも目を背けたい光景である。もしかしたらあの容貌はそのために天から与えられたのか、と思えなくもないがしかし、彼女の中身にアイドル性は残酷なまでに薄く、アイドルを演じるにはあまりに普通すぎるメンタリティである。彼女は頭脳で対応できるので仮にやるとなったらやれはするだろう〈嫌なことも将来のためには必要なんだ〉と自分に言い聞かせつつ、でも三ヶ月くらいが限界でメンタルをやられる。誰もケアしなければいわゆる闇落ちになってしまうのではないか。──AIがマネジメントする時代になればもしかしたらこの反動まで踏まえた精緻な戦略がとれるのかもしれないが、現状そういう風にはできていない。放ったらかしだ。

彼女は極論すれば一般人か女優かの二択しか天に与えられていない人物のように思えてならない。──ならばこそなのだ、たぶん。

経済の論理はそこを襲うのだ。


帰宅し、考えた末にやはり順序は守るべきだと判断した。間をすっ飛ばしてボスに直談判というのがまず思いつくことだが社の状況的にもあたしの立場的にもその策は避けた方がよいだろう。ルーシアが望む結果を導くには時期尚早の感がある。ボスもまたハードなプレッシャーを受ける立場、グループ本部からの管理を受ける立場にあり、会社全体の運営について考えるのが彼の仕事だ。個別の戦略の話など取り合ってくれるわけがない。

あたしは携帯を手に取りアンドロメダくんの携帯にメールをこう入れておいた。《重要なお話があります。難しい話ができるときに電話をください》と。

電話がかかってきたのは夕方だった。居間でニュースを見ていたあたしはテレビを消し通話に出る。「はいもしもし、ごめんなさいね忙しいのに」しばらく無言の間があり、若干神妙な声色で「何ですか?」と訊いてくる彼を安心させるように「大した話じゃないんだけども」とあたしは言い、それから本題に入った。ルーシアから受けた相談の中身を短く伝え、もし計画がほんとうだとするなら止められないかと問うてみた。彼はゴーレムサイドの計画を知っているようだった。当然と言えば当然か。

「その話ですか…参ったな、私にどうすることもできませんよ」

「決定事項なの?」

「いやまだ企画段階ではありますけど会社として水面下で動いてる事案なんです」

「あなたの本心はどうなの?」

「前提としてですよ、うちの経営がかなり苦しい状態っていうのがあります、手っ取り早い収益こそわが社が求めてるものです」

ラリッサが抜けたことにより元協力企業二社から違約金の請求を受けラベルダはこれを支払っている。経営の内側をあたしが知るよしもないが無理をしたのは明らかだ。

「そりゃあ一個人としては懸念がありはしますが…口出しはしにくい。組織の人間ですから動きづらい。…あ、ボスに言ってませんよね?」

「考えはしたけど」

「言うべきタイミングがくれば私が言いますから」

「早い方がいい気もするけど」

「ショーコさんはどうするつもりでいるんです?」

「ゴーレム武藤の説得。機を見て、だけど」

「これですね…ボスも説得されてどちらかと言えば乗り気の計画なんですよ。ゴーレムとボスのコンボなんです。今言っても何にもならないです」

「ええ?」

「覆すだけの理由、根拠をショーコさん持ってます?ルーシアの希望うんぬん以外に」

「いやあ…今のところないかも」

「うちの商品なんですよ、冷たく言えばね。一個人としての懸念はありますが、相手がわるい。相手と時機が」

「まあ、あなたの言うこともわかるわ。といってあたしの考えに変わりはありません。あなたのタイミングでは遅いかもしれない」

静寂の時が流れ、アンドロメダくんの息づかいがあたしの耳に届く。迷ってる感じの気配。

「私としては裏であなたをサポートするのが精一杯です。でもショーコさん…これタイミングが難しいですよ。あなたが乗り出すなら、あなたに何らかの力がなければ無意味です。組織内の力学に作用するような力です」

「そうなのよ」

「向こうの力が落ちるか、あなたの力が上がるかしないと、事態はいかんともしがたいです」


通話を切ったあと、あたしは冷蔵庫から紙パックのレモンティーを取り出してガラスのコップに注ぎ、それを飲んだ。

充分に想定内の話だったのでとくに思うところは何もない。でもサポートのくだりは期待してなかったので嬉しくはあった。ルーシアを俳優路線、女優路線から外すことのまずさを彼も内心では感じているのだ。あたしにとってこれはモラルではない。では何かと問われても語る言葉はない。自分でもよくわからない。たぶんあたし達は生まれて来るときに誰かと約束しているはずなのだ。そういった意味合いの約束に、あたしの心が引っかかっている。心の視線が固定されている。生まれ来る生命体として与えられた役目──これは天命? そうなの? そうなのか。だからこんなに意味不明な力が体の奥から湧いて出てくるのか。どうなんだ島崎翔子。あんた自身の問題だ。小さな頭痛がし、小さな電光がちりちりと頭の中で瞬くよう。アンドロメダくんの声が響く。《事態はいかんともしがたいです》そうなのだ。

がしかし──あたしにはビジョンが見えていて、それは近い未来と遠い未来がルーシアの姿を通して見えていて。少なくとも手前の未来は光が指す光景だった。錯覚でもいい。それを信じるしか、あたしとしてはそれを信じるしかない。つまりあきらめる理由はなかった。ルーシアがその身に備える彼女にしかない美。あたしはその美に仕える巫女なのだと思う。

仮に奥の未来に、色と欲に浸かる時期があったとして、仮に暗黒期が待ち受けているとして、なんだと言うのだ? それはあたしの手が及ばない領域、あたしが関わってはならない領域にあり、それは彼女自身の問題で他者にはどうにもできない。

あたしがやらなくてはならないこと、あたしに与えられている天命は“今この時の彼女を守ること”だ。事態は変えられる。


今日の収録は俗に政治バラエティと呼ばれている討論番組だった。深夜枠の番組で自由度が高く人気の番組である。あたしに用意された末端の席は恥ずかしながらアイドル席で、討論というよりは視聴者の立場から代わりに質問や意見を述べるポジションであまり多くのことは求められていない。収録のためまずい発言はカットされるか電子音で消されるから放送コードに対する配慮はそこまでしなくていい反面、あんまりつまらないと殆ど画面に映らなくなるのでそこは気をつけたい。画面の花で終わってはならないのだ。こうした面についてうちの事務所はどんどん厳しくなってきている。あたしはまだいい方で、マネージャーから収録後の楽屋で罵詈雑言を浴びせかけられるタレントの例は尽きない状況だった。あたしは番組や番組MCに救われている例である。年長者にどういうわけか助け船を出される不思議な星のもとにあるようで、そこは運としか言い様がない。ありがとうカミサマ。


バラエティ的要素がありつつもシリアスなヒリヒリする空気も漂うこの番組はあたし自身もファンで出演したかった番組でもある。画面から見て逆Uの字型のテーブル中央にMCとアシスタント、画面左にノンフィクション作家と政治評論家、左派ジャーナリスト。画面右に政治家、右派ジャーナリスト、そしてあたし。作家さんは眼鏡をかけた犬族の方でもちろん犬の顔をした犬人間である。

MCの背後には大型のモニターが設置されている。収録が始まり出演者それぞれが持ち込んだテーマにそってモニターにVが流れそのあとに討論が繰り広げられていく。あたしの扱いは実に軽いものだ。簡単な返事が可能な話題のみ話を振られるだけである。


順調に収録は進みとりたて討論の盛り上がりといったようなものもない中でノンフィクション作家のパートに来たとき、場の空気が変わった。これを見ていただきたい、という発言のあと大型モニターに映ったのは猫族の皇帝に対してお辞儀しながら握手をする犬族の大統領の写真だった。大統領は背中しか見えず、皇帝のにこやかな顔は映っている。

「去年、アルバトロス大統領がこちらを訪問した際の写真ですが…この写真は我が国のジャーナリストが自主規制で非公開にしていたものです。先日流出して我が国では大問題になってます」

「これ、映像はふつうに流れてましたよ。ふつうに儀礼的に握手しただけですよ映像で見るかぎりは」と右派ジャーナリスト。

「それは見ました」

「何が問題なの?」と政治家。

「まるで謝罪しているようにも見える、あまりに低姿勢な行為だからですよ。国家元首たる大統領は相手が何者であれ頭を下げるべきではない、と考える人は少なくない」

「瞬間でしょうこれは」と右派。

「ですがどうしても謝罪にしか見えないんです、私達の文化ではね。だから非公開にしたんでしょう」「でどういった主張をなさりたいと?」とMC。

「確かめたく思いましてね。保守系の方々はこれを誇らしく感じたり、何かの報復を果たしたような気がするのか、と」

猫族は犬族から侵略を受けた過去がある。そのことに触れているのだ。

「ばかな」と政治家。「どこをどう見たらそんな発想になるんです?理解不能です」と右派。

「少なくともこの写真に謝罪の要素は一ミリもありません。礼儀ってだけです」と政治家。

ノンフィクション作家の顔には非難とも嘲りとも受け取れるような何とも言えない、不快にさせる表情が浮かんでいる。

「しかしあからさまに言えば我々としてはムカムカするんですな。考えられない行為ですよ」

政治家の声は怒気をはらんだ。

「誤解もはなはだしい!」

「なんですかお辞儀って。相手の顔を見て挨拶しましょうよ」

沈黙の時が流れる。穏やかではない沈黙だ。アシスタントの顔はひきつっている。MCがやぶからぼうにあたしに振った。

「ショーコさんはどう思います?この写真」

え…?あたしに振るか。少し考え、せっかくなので見解を述べた。

「私がその写真から感じるのは…むしろアルバトロスさんに対する“畏怖”ですけどね。こちらに住んでるわけでもないのにこちらのカルチャーの本質を理解してしまっている…そんな深い洞察力を感じますね。私には、こちら側のカルチャーを直感的に理解している態度に見えるんです。アルバトロスさんが礼儀をはらっている相手は、まずアルバトロスさん自身で…次に彼の背後にいる彼の家族や祖先の方々…そして彼が背負う国家、国民です。

…なぜなら、こうした場面でのこの国の皇帝というのは、対面した人間自身の姿を映し出す…鏡なんですよ。アルバトロスさんの背中、後ろ姿はこうしたカルチャーの中身を理解してるように思わせます…そう思わせる後ろ姿です。これは、このアルバトロス大統領は本質的に恐ろしく位の高い方ですよ」

沈黙がつづく、その沈黙は永く感じられた。犬族の作家はただじっとあたしを見つめ、他の出演者たちはきょとんとしてあたしを見ている。あたしはこちらに来て学んだことと自分の経験を織り混ぜて平凡な意見を述べただけである。ここの皇帝は国家宗教の司祭をつとめる立場にあり言わば象徴的な存在だった。そしてその国家宗教には神道と共通する部分が多々ある。あたしが理解しやすいゆえんである。ノンフィクション作家が口をひらいた。

「ああそう…私にはわかりませんがね、それってあなたの個人的な見解じゃないんですか」

みながあたしに視線を集中させている。

「…祖母が言ってた話を混ぜておりますが」

そう言うと、やや場の空気がゆるんだ。

「なあんだ受け売りってことですか」「はい」

祖母の家近くのバス停のそばにお地蔵さんがいて、いつも饅頭とお茶といった何かしらのお供えものが置かれてあったので、あたしは祖母になぜお供え物をするのか尋ねたことがあるのだ。そのとき返ってきた返事はこんな風だったように記憶している。

〈お供え物をする。手を合わせる。そうしたことはやってる人が自分に向けてやってることでもある。お地蔵さんというのはつまり鏡のようなものなんだよ〉と。お地蔵さんは意外に偉いんだよ、とも言っていた気がする。正確には覚えていないがあたしのなかに刻まれている言葉だった。それをアレンジして述べたのだ。


収録は無事に終わり、楽屋に戻るとあたしは初めて感じる達成感に包まれ、なんだろうこの感じ?と不思議な思いでいっぱいだった。暗中模索の先に、まるでこの世界とリンクできたかのような錯覚をあたしは得ている。確かにこれは求めていたもの、欲していたものに違いなかった。強制的な形でとりあえず芸能人という立場になったものの、あたしはその手にかすみのようなものしか得ていないと常々感じていた。そのあたしが何かを手にした──そう思わせてくれる収録だった。


ごく平凡な意見でも、時と場所によっては違うものになるようで、この番組の放送後、よくもわるくもあたしはさまざまなオファーを受けることになった。お堅い新聞や経済誌、中高年向け週刊誌など今までなかった取材のオファーがつづき、それはテレビ出演の幅をも広げることに繋がっていく。〈政治を語れるモデル出身タレント〉がこれまでいなかったからである。単に新鮮なのだ。また専門家ではないゆえに重箱の隅をつつくようなクレームも受けにくくストレス発散が目的の攻撃にもさらされにくい。

あたしは局や時間帯に関係なく情報番組のゲストに招かれるようになり、自分で言うのも恥ずかしいが今はちょっとしたバブルの様相を呈している。ボスをして「お前は自分で芸能界の新しい椅子を作り、自分でそこに座ったな」と言わしめることとなった。いや、ニッチなニーズは元々ありはしたのだ。たまたまあたしがそこにはまっただけで。

これは運はもちろんのこと、あたしを育てたネットを含めた日本のカルチャーのおかげだった。遠い次元の向こうにいる日本のみんなありがとね。


テレビ収録に出発する前に事務所ビルに立ち寄ると、仲のよい事務員から一枚のFAXを渡された。内容はラリッサの引退宣言であたしは今更?と思ったが確かにこれまでは休業ということだったので本人からすれば重要事なのだろう。もしくは移籍がうまくいかなかったのか。──あたしが心配しても意味ないか。そう思っていると携帯が鳴り、ボスからの電話で今すぐ社長室に来いとのこと。あたしはわかりましたと告げ急いでエレベーターに向かう。


久々に社長室に呼ばれ何かと思ったら部屋にはボスの他にアンドロメダくんもいて、もうひとり黒のパンツスーツを纏ったすらっとした体型の綺麗な女性がいた。歳は三十代前半だろうか。高級ブランドとわかるスーツを完璧に着こなしていて、非常に洗練されたたたずまいと眼差しの鋭さに圧倒され近づきにくい。ボスから彼女の紹介があった。

「紹介しておこうと思ってね。新しく秘書になったスカーレット藤堂さん」

やや険のある雰囲気から一転し、涼やかな笑顔を見せあたしに挨拶する藤堂さん。

「あなたに会いたかったんです」

「どうもはじめまして…これからよろしくお願いします」

「こちらこそよろしく」

それからあたしはボスに向いて言った。

「あの、今まで秘書っていませんでしたよね」

ボスに向かって言ったのだが答えはなかった。秘書をつけないことがポリシーなのかと思っていたのだ。

「経費節減でやめていたのですが本社から派遣を打診されてわが社としてはぜひにとお願いしたんです」とにこやかに語るアンドロメダくん。何やらビジネスライクな雰囲気でいつもと違う。ふーんと内心思うあたし。本社から? ボスはボスであたしとは距離をとったまま、どこか寂しげな表情をちらりと見せる。仕事もあるのでそれだけですぐに部屋を出ていくあたしには違和感が残っていた。表面上は穏やかでも何やら含みのある三人であった。撮影スタジオに向かうべくシュトロハイムを廊下で待っていると携帯にメールが来た。アンドロメダくんからで〈あの方はアルフォンスグループ会長の姪ですのでそのつもりでいてください〉とある。わかりましたと返信。ほーん、そうなのか。ああ見えてお偉いさんだ。しばらくしてひとつ疑問が浮かびあたしはアンドロメダくんにメールを送る。〈あの人はあたしの正体を知ってるの?〉と。返信は〈知っています。でも知らないことが前提ですから合わせてください〉と送られてきた。…わが社であたしの出自を知る人物は三人になったというわけだ。まあグループの会長や周辺にとっては既知の事実でありあまり気にするのもよくないか。彼女が優秀な人物なのはわかる。願わくばラベルダにとって幸をもたらす人材であってほしいものである。


雛壇タレントとしてのテレビ出演は準レギュラーとまではいかなくてもあたしの生活のなかでルーティーンに近い感覚になっている。今日は二時間枠の特番の収録で、今年ブレイクしたタレントというくくりでの出演である。特番なので通常よりも豪華な共演者で人数も多い。大御所の司会者ロミオ高見沢による回しで長い収録がつづき、かなりの神経疲労を感じるあたしだった。とくに芸人さんの緊張度が高くそれが周囲にまで伝染してしまう。それがこの番組の魅力でもあって笑いの奥にあるピリピリした空気がスパイスとなり視聴者ですらハラハラする展開がこの番組の妙である。収録にもかかわらずライブ感が強いのだ。司会の仕切りが優れているのでこの緊張感が嫌味にならないのがすごい。あたしは恥ずかしながらキレイどころタレントのポジションにいるのでどちらかと言えば司会の生み出す緩急の流れのなかで緩いパートの担当である。だからといって緩くあってはならず絶えず感覚を研ぎ澄ませ空気を読んでいかなくてはならない。うまくいってるわけではないがそこは新人ということで大目に見て貰えている──でも来年は呼ばれないと思う。

話題が〈男の浮気〉のパートに入りステージの演者はそれぞれに否定、或いは容認の意見を準備する。ある程度は甲斐性として認めるべきという意見が出ると、うんうんと頷く者一名、自分もやり返すと主張する者一名がいた。MCロミオさんがあたしに振ってくれる。「その辺島崎はどう?」

「許しません。叩くか蹴るかします」

「意外にバイオレンスなんだ~。バイオレンス島崎」「はい」

すると豊満な女性コメディアンが間髪入れずにツッコミを入れてくれる。

「はいって何? はいって。そこはやめてくださいとか言わないと。またロミオさんもなんでやたらショーコちゃんばっかりいじるんですか」

「ええ!?そうかな」

「扱いが違うじゃないですか」

そうそうと同調する周りの方々。

「ええ!?お前肉まん持つな!」

「手です、手!」

さすがである。困惑するような怯えたような表情で握りしめた両手をカメラにかざして見せるプロの技である。まるで一篇の映画のごとくドラマと喜劇が織り込まれたこのやり取りには、ここもまた日本の文化圏なのだという嬉しい気持ちと共に、ほんの二十秒ほどの間に芸能界の粋をぎゅっと凝縮してみせるロミオという天才に対する畏怖を感じた──何気にレジェンドな瞬間に立ち会えて幸せなあたしだった。


収録を終え、あたしがくたびれてよろよろとセット裏の通路に来ると、男女二人のタレントがいた。向かい合って話をしている。どこから入ったのかというと失礼だがいわゆるC級タレントである。まったく知らないわけではない。事務所から要注意と教えられているオメガという事事務所に所属している二人だ。オメガは競合グループ傘下の会社だった。関わりたくないなあと思いながら二人のそばを通り抜けようとするとすれ違いざま男に悪口を言われた。

「お、調子こいてるやつじゃん無能のくせに」

あたしは足を止める。もともとリミッターは外してある。そうしないとバラエティという戦場で全力は出せないから。

「何ですかもう一度おっしゃってください」「俺らラリッサのダチなんだよ、お前ラリッサの後がまだろ?うまく乗っ取ったな」「ありがとうございます誉めて戴いて」「ああ?誉めてねえよどういう頭してんの?」こいつカメラの前では礼儀正しいのになあと思いつつもあたしはまだ丁寧な態度を維持する。「実際ラリッサさんのおかげなんですよ」「何かばかにしてねえか?」相方の女も「何この女」と同調する。え?いや普通の会話の流れでしたけど。どこに相手をばかにする文脈があったのか。「なめてるの?」と女。

態度が気にくわないということか。

「おい」男はあたしの左肩をかるく小突いた。あたしは小突かれた勢いのままにいつの間にか右拳を相手のみぞ落ちに叩き込んでいた。自然な成り行きであり、考えた行動ではなかった。自然に体が動いたのだ。うめいたあと男は腹を押さえてうずくまる。

あたしとしては大げさな振る舞いをされていたら次の攻めに移っていたと思うのだが、どうも予想外のことのようで二人ともうろたえて動きを止めている。あたしも様子を見ることにする。向こうのマネージャーがすっ飛んできて、この野郎なんてことしやがるといかつい顔をさらに歪ませて凄んできたのでつい、まだやるの?と言ってしまった。瞬間殺気が満ちる。あたしの核も呼応する。暴力的な衝動をあたしは押さえきれなかった、望んでいたのだ何らかの解放を。周囲がざわつき、人が集まってくる気配。


と、そこへ「待ちない」と声がかかった。大御所の俳優グアルド北見さんであった。向こうのマネージャーを静かに見つめ「先に手え出したのこいつだぜ。どういう教育してんの?」と告げる。そうするといかついマネは引き下がり無言で二人を引き連れ去っていった。


荒れた空気がゆっくりと平穏さを取り戻し、集まっていた人たちがちりぢりに散らばっていくのを視界のすみに置きながらあたしは北見さんに駆け寄っていき頭を下げる。あたしがお礼を言うと、いや斎藤さんとこの子だろ、知ってたからな。と言って北見さんは何事もなかったかのようにこの場を去っていった。シュトロハイムは通路の奥でこちらをうかがっている。まあシュトロくんらしい行動で、あたしはほほえましく思った。


あたしは元の世界に帰還したいけれども結果だけ求めているわけではない。どう生きるかはどこにいようと同じだ。根本的な衝動を圧し殺してまで結果を得ようとは思わない。…まあつまり、さっきのやつはこの辺の探りなんだと思う。根っこの部分の分析だ。テストされたのだあたしは。気分はわるいが売れるとはこういうことだ。


ほほえましいシュトロくんは帰りの車の中で小声であたしに先ほどの件を謝った。べつにあれでいいのよとあたし。実際彼は関係ない。

…のだが後日、この件で何も対応しなかった彼は異動になった。しばらくは雑用係になるらしい。ああ、なんかごめんねシュトロくん。あたしには何のお咎めもなかったのに。あの場で盾となるのはなかなかできないよ、あたしのせいでごめん。皆黙ってるがあれは…あたしにはわかるんだけども、あれはあの二人が誰かから指示を受けて行った言わば作られたいざこざであって、本当は誰もシュトロくんにそこまで難しい案件への対応は求めていない。「出る杭」であるあたしの担当になったばっかりに。ともかくも担当はマイミ桜田さんに代わることになり、あたしの新たな芸能生活が始まった。


「島崎元気~?」

「あいあい、元気ですよ~」

休日、ソファーでごろごろしているところにジーン森崎から携帯に電話がかかってきていた。

「暴力事件起こしたって本当なのー?」

「ほんとー」

事件にはなってないけどね。

「ハハッ、せっかく売れてきたのに暴力事件て。ウケる~。やっぱ面白いわあんた。でももうやめなよ」

この件については上が押さえてくれているのかゴシップ記事は出ないようである。

「あいつら知ってるの?」「言いたかないけどいい噂ないよラリッサの派閥は」「派閥なの?」

それは初めて聞いた。どういうこと?

「やっぱそっちの社員はあんたに教えてないのね。ラリッサ個人のスポンサーが普通じゃない、リンシパンファイナンスなのよ。…ラリッサが言ってる引退ってのは方便で、裏に回るだけ」

ゴシップ誌の記事でよく出てくる会社名である。反政府組織との繋がりが疑われている会社だった。「あの人には元々個人事務所でやってけるくらいのバックがいるのよ。だから気をつけなさい。友達が傷つくのヤなのよね」

「…ありがと」

「ほんじゃ」

そうなのか。知らないことはたくさんあるなあ。でもなるようにしかならないのよね。ありがとジーン。

思うのだがやはりたばこは必要である。有効な精神安定剤であり秩序維持に欠かせない嗜好品だとあたしは世に訴えたい。ストレスが原因なんだから禁煙派はまず世の中のストレスの総量を減らす政策を打ち出そうよ。たばこさえあれば今回の件は最初のところであたしはスルーできていたのだ。早く楽屋帰ってたばこ吸おう、となってそれをすべてに優先させていたはずなのである。


実はマイミ桜田さんとの仕事始め初日にあたしが真っ先に話したのがルーシアの件だった。基本的にはあたしの意見に賛同してくれた一方ではっきりと協力はできないと告げられた。しかしこうも言ったのだ。

「今ならゴーレムもあなたの意見に耳を貸すかもしれない」と。アイドル化企画はあれどもそう簡単に進むものでもないということだ。話は大きくなっていてレコード会社も絡んできており、ここへきてボスが慎重になってきているらしかった。コストの大半をラベルダが負う形になるからである。いくら美麗な新人女優とはいえ歌手としては未知数でありレコード会社が本腰を入れる対象とはならない。

「助言があるとすればチーフの力を借りるってことね。消極的でしょ、彼。でも彼の力なしに、うまくいくものもいかない気がするわ」「サポートはするって言ってくれてはいますがやる気なさげなんですよねえ」「組織の力学は変動があるのよ、そのなかで動くタイミングが難しい。こういうのは言葉で説明できないから確たる発言はできない。やるなら勘と経験とセンスがものを言う。チーフならできそうだけどな。彼を信じてみなさいよ」「はあ…」

今がタイミングなのか?あたしは会社にいるわけではないので社内の実情は知らない。桜田さんは知っててあたしに今だと言っている。──試しにアンドロメダくんに言ってみるか。今、あたしが乗り出してよいのではないか、と。


この日、雑誌取材を終えて帰宅しシャワーを浴びたあとゆっくりしてからあたしはアンドロメダくんに今電話いいかとメールして確認をとったあと電話をかけた。

「そろそろゴーレムと話をしてもいいんじゃないかと思って」

「はい。その話だと思ってました。結論を言えば賛成です。今はボスとゴーレムが分離してますから。ただゴーレム側の規模が増えてますからそこが懸念です。…私にできるのは話の場を設けることだけ、です。参加はできません」

「あたし一人でってことでしょ。それは最初からそのつもりよ。話の場を設けるってだけでもあなたには大変でしょ、借りのようになるんじゃ」

「まあ、その辺は結局同僚なので…ショーコさんが気にすることじゃないです。…ただタイミングがベストかっていうとベストではないんですけどね」

「そうなの?」

「ボスが情緒不安定な感じなので、展開は読めないです」

最近ボスとはまったく会う機会がなく、そう言われて始めて(あっ…)と思うところがあった。社長室であたしが秘書と面会した折りのボスの様子はあたしの知るボスではなかった。

「事務方のシステムが変わってるようだし…私にも掴めない動きが社内であるんですよ。何かある。ボスがゴーレムに丸投げするかもしれません、そういう可能性を否定できない」

「…考えちゃうわね」

しかし最後は彼が背中を押してくれた。

「でもモチベーションが高まったから電話してきたんでしょう?その感覚に賭けましょう」

話は決まった。あたしは心の奥底で彼に対しては相棒のように思っているので…勝手な思い込みである…あたしとしては来るべき時が来た、という感じだった。思いがシンクロするこの感じ。あたしはこの日、こちらの世界に来てよかったと心底思ったのだ。もうあたって砕けてもかまわない。


あたしはゴーレム武藤の説得、しか頭になかったのだが…どういうわけか事態は大ごとになってしまっていた。こんな展開になるなんて。広い会議室には重苦しい空気が流れ、まるで誰か一人を攻撃するために皆が集まったかのようである。それってあたし? あたしである。まごうことなき彼らの対象はいちタレントのあたし。

この場になぜかボスはいなかった。室内には向き合う形でゴーレム武藤サイドの社員十一人対あたし一人。向こうには渉外担当の人物もいる。他には社長秘書のスカーレット藤堂さんが離れた席に鎮座していた。相変わらず綺麗な人だ。何の説明もないがスピーカーフォンが彼女の手元にあるのでボスはこれを通しての間接的な参加だと思われる。

ゴーレムの低い声が響いた。

「さて始めましょう。島崎さん、何かわれわれに意見があるようなので、どうぞ。ああ、いきなり用件から入って。みな時間がない」

あたしは席から立ち上がり、自分の考えを述べた。

「ルーシア三田さんは現状のまま、女優業だけでいくべきです。女優の才能があり、本人も女優希望なら女優業に専念させないとだめです」

ゴーレムのがっしりした体は微動だにせず、威圧感がハンパなかった。敵意は見せなくともにじむ憤りは漂ってくる。彼とはこうして会話をすること自体が初めてのことである。

「アイドル業をやらせてはいけないという意見のようなんだが、オファーがあるのになぜ受けてはいかんのだ?女優業と君は言うが、彼女はその女優業のオーディションを落ちまくっている」

「殆どの俳優さんが最初はそうです」

「受かっているのは会社の力でねじ込んでるケースだ。仕事を選べる立場にない」

「私の目から見て、彼女にアイドル業の適性はありません。この場合、消耗が激しく回復に時間がかかり…彼女にとってはただただ消耗だけが積み重なっていく時期となります。結果としていずれは心身ともにパンクしてしまうでしょう」

「それがどうした?われわれは彼女の育成にかけた投資を回収しなくてはならない。そもそもすべての才能が消耗品だろう」

「長期スパンで見れば会社の損失となるでしょう。仕事ができない時期が発生するわけですから」

「まるでアイドル業を悪と規定しているように聞こえるが」

「いえ。適性があるケース。ナチュラルボーンのケース。意志で乗り切るケース。芸能ポイントになるケース。こういうアイドル業は支持します」

「芸能ポイントというのは?」

「一過性のポイントではなくずっと実績として残るポイントです。これがあれば休養期間があっても…仮にスキャンダルがあり謹慎期間があっても挽回できます。無理があったとしても報われたことになります」

あたしは対面する十一人全体に視線をくべた。ゴーレム以外の人たち十人は口を開くそぶりも見せずどうやら発言をゴーレム一人に任せるようである。

「仮にだ…自滅しようがメンタルやられて入院しようが、われわれにはどうでもいいことなんだよ。ビジネスに…」

あたしはさえぎって吠えた。

「それが会社の評判をいちじるしく傷つける、ということがわかりませんか!」

「アイドル業に良い例もわるい例もない。あるのは結果だけだよ。結果というのが会社の利益だ。なぜわからんかな」

「それはビジネスの話。カルチャーの側面を無視してます。そこが長期スパンでは評価の分かれ目になりますよ」

「無視…はしていない」

初めてゴーレムがトーンダウンした瞬間だった。ここの政府は近年芸能界にはびこるいわゆる奴隷契約を問題視しており、一般社会と相容れない部分については文化事業として取り締まろうと動いているのだ。うちの会社もまた助成金を受け取っている企業でありこの意向を無視するわけにはいかない。とはいえゴーレムサイドの計画を奴隷とまでは言えないしあたしも言いたくない。

「あなた方が推し進めている計画は、所属タレントの意志に反するものではありませんか」

「言いがかりだ。合意を前提に動いている」

「合意も何も…私が聞いている範囲では、アイドル業に関する正式な提案はなされておりませんが」返答はなく、ゴーレムは沈黙した。ルーシア三田はラベルダがスカウトした人材でありその説得の際、しぶる両親に対してラベルダ側は彼女を女優に育て上げると明言している。文書にはしていないもののこの約束を基盤に彼女の芸能人生があるのだ。むろんこの辺をなし崩しにするのが慣例であり特段におかしなことではない。あたしも議論を有利に進めるために取り上げているだけである。

助け船を出すように、それまで肘をついて手の甲にあごを乗せ、ずっと無言で成り行きを見守っていた藤堂さんが声を発した。

「場所を変えましょう」

ゴーレムが藤堂さんを見やる。

「場所を社長室に移して、社長、武藤さん島崎さんの三人で議論した方が凝縮した深い議論ができそうですから。どうでしょうか社長」スピーカーフォンからボスの声が鳴り響いた。「賛成だ」


深い議論?ボスの指示のもと最初からこういう手筈だったのか?込み入った話であたしを追い込むつもりだろうか。望むところである。さてボスがどうくるか。二対一ならそれはそれで結構。そうなってもあたしはどうにかしてゴーレムとのタイマンに持ち込むつもりだ。


あたし達が社長室へ赴くとボスはソファーで待ち受けていた。どっしり深々と腰を沈めるボスから最初に何かあるだろうと思っていると、とくに発言はなく、藤堂さんが切り出した。

「まず私から島崎さんに確認しておきたいことがあります。あなたが語った意見の中でふたつ疑問がある。三田に女優の才能があると冒頭あなたは言いました。…ですがオファーはなくはないけれど小さな仕事ばかりで、彼の言う通りオーディションは落選つづき。彼女が与えられた役をそつなくこなすのは私も知ってます。…でも主役を張れるほどになるかな?そういう意味で才能があると言い切れる?」

「あります。ただ開花するのに時間がかかるタイプです。五年待って貰えれば」

「言い切るわね」

「言い切りますよ。はったりでもね」

「わかりました。…次に“意志で乗り切るケース”というのがわかりにくいので説明を。意志で乗り切れるのなら意志次第ということにならないかしら?」「意志とは強い憧れという意味です。適性のレベルが低くても強い憧れがあれば乗りきれるケースがあります」「たとえば?具体例を教えて」

「そうですね…人気グループXにひとり適性レベルの低いメンバーがいたとします。単体としては成立しないメンバーなのでファンでない人々から見ればだめな芸能人ということになる。

しかし彼女には強い意志があり自己満足には甘んじないわけです。彼女はファンイベントでの対応に自分の存在を賭ける。これがグループ内での揺るぎない人気に結びつきます。

そしてこれが彼女の足場となり環境となり、彼女は芸能人としての自分を成長させていくんです。ルックスに磨きをかけ見せ方に磨きをかける。やがてその蓄積が、端役ですけど全国区のドラマ出演に繋がる。そうすると番宣で全国区のバラエティに出られる──べつに誰も女優業は期待してませんからこれが彼女に望みうる最高の結果なんです。

これがファン以外の人々も認めるしかない、優れた芸能人の姿です。そのときだけの輝きかもしれませんが小さなレジェンドを生み出したわけです。これはずっと残る実績です。

…おわかりでしょうか? この例は何よりアイドル業への強い憧れと継続の意志があったからこそできたことで、これは成功例であり、良いケースと言えます」

「何の話だ?」とゴーレム。気持ちはわかる。実に小さな話である。一方でスカーレット藤堂はかるくあたしにうなずいてみせた。

「なるほど三田はそうではないと。確かに彼女に足場や環境はありませんし、会社としても用意する気はない。…わかりました」


藤堂さんのターンが終わったようなのであたしはゴーレムを向く。あたしは喧嘩腰だった。

「ルーシアはやりたくないと言っている。女優業だけに打ち込みたいという意志に傷をつけることになります。たとえば二年限定でやったとして、あなたは彼女が傷つく二年という時間を取り戻せますか。あるいは小さな影響にすぎず無事に女優になると約束できますか」

「計画は会社の利益になるから進めているだけだ。逆に問いたいね。利益が見込める機会をみすみす手放すのか?」

「彼女は社を背負えるほどの女優になります」「なぜ断言できる」「はったりですが、命を張れるはったりだからです。ま正直に言えばぼろぼろになったとしても紆余曲折を経ていっぱしの女優には結果的になりますよ」「ならいいのでは?」「でも傷つくことは間違いないわけです。見て見ぬ振りはできません。彼女があなたの家族だったら見て見ぬ振りできますか」

「家族ではなくあれは商品だ。なぜわからんかな。お前の言ってることはぜんぶ詭弁だ。自分で言ってて気づかんか。お前の言ってることには何の根拠もない」


それは突然だった。藤堂さんが言った。静かに、しかしこの場にいる者の胸をえぐるような鋭い声で。

「やる気を失いました」

「コストかけるほどかなと」

え…? 藤堂さん?

「決定権は私にありますから計画はなしで。以上」

え? 何を言ってるんです?

藤堂さんは速い足取りで社長室を出ていく。

え? ええ?

残った二人を見るとボスもゴーレム武藤もうなだれていた。

「あの、どうなってるんですか?」

何がどうなっているのだ? あたしはわけがわからなかった。


「どういうことですか?」

そう声をかけても、二人はただ、うなだれるのみであった。


社長室を出ると壁に寄りかかったアンドロメダくんがいた。あたしは携帯を取り出して通話を切る。彼も同じことをしたあとイヤホンを外す。ここまで通話状態にしてあるあたしの携帯から会議の内容を聞いているので彼に経緯の説明は不要だった。あたし達は六階のベランダへ出てから話を始めた。「これは乗っ取りなの?」

「いえ…いやボスの立場からはその渦中にあるんでしょうが、社員からすればトップの入れ替えですよ。社内改革ってことです。ここ四年は赤字経営ですから。本社の支援でどうにか維持できていたところに更なる窮地へと我々は追い込まれている。違約金の支払いは本社が立て替えてくれています。つまり現状の立て直しに藤堂氏が送り込まれてきたというわけです。…まあ窮地だから今のあなたの発言力があるわけですが」「いつわかったの」「会議直前ですね。本社の人間から私個人に通達がありました。実権を藤堂氏に委譲させると」「ボスの立場は?」「…名ばかり社長…ですかね。何かしら重大な局面で首をさしだすポジションです」「会社の中は何か変わるの?」「藤堂氏次第でしょう。あ、ゴーレムは今回の件でしばらくは大人しくなるのではないかと」「ゴーレムさん以外の人はどうなんだろう?」「強い方につくだけですよ。ゴーレムは有能だがワンマン気質なのが難。…実は今回のルーシア計画には本社の意向もあったと私は踏んでるんです」「裏に藤堂さんがいた?」

「いえ本社が試したんじゃないですかね。ゴーレムを。求めるだけの優秀さを見せれば引き上げるし、或いは改革後のラベルダの重要なポストに置く。藤堂氏は私の見解だと改革全体を統括する立場に思えます。今のところそこまで明確ではありませんが。

一方で藤堂氏が裏にいたと見るのも間違いではないかもしれない…ゴーレムは藤堂氏から見ると御しやすく、また自分を脅かすほどの人員じゃない。丁度いい駒だった…だったのですが今回失敗した。よくない策でよくない策をあなたが止めた、というふうに」

「止めるしかないわ」

「そういうわけで藤堂氏はあなたを自分の駒にしたいでしょうね。きついことを言えばあなたは駒になるしかない」

そのようだ。この会社に所属している以上、あたしはがんじがらめである。アンドロメダくんはため息をついた。あたしもため息をつく。そして言った。

「なんでこっちの世界にはたばこがないの…!」

「…子供の頃、モンテルス教の影響でそうなったと聞いたことがありますよ。私の親の世代が子供の頃にはこちらにもたばこはあったんです」「教義みたいなもので?」「教義はありません。基本的に儀式宗教ですから。宮司とか協会の意向で政府に働きかけたんじゃないですかね。私はそう解釈してますよ。だいいち体によくないことははっきりしてるでしょう?」「心に要るのよ。頭にくるわねモン教は」

「略さないでください」

「モンチッチ教は政教分離ってのを知らないのかしら?」

「政教分離というのは国が宗教に命令しちゃだめ、利用しちゃだめってことです」

「いいえ確たる定義はないはず」

「頑固ですね」

「もんた&ブラザーズは~」

「ああ、ギャランドゥはボスの十八番ですよ。ボスなつメロ好きなんですよね」

「そうですか」

「そうなんですよ」


決戦の翌日、ボスが病欠で出勤して来ていないのを教えてくれたのは担当マネージャーの桜田さんだった。移動の車内にはあたしを迎えに来る時に食したのであろうハンバーガーの匂いが立ち込めている。

「ほんとに病欠なのかな」

「やっぱメンタルの病なんじゃないかな。…あとね、藤堂さんの許可があるまでルーシアとの接触は禁止ってことに決まったからよろしくね」

「あらま」それは覚悟の上だ。

「よく思ってない社員もそれなりにいるから…しばらくはじっとしてた方が賢いわよ」

「ああ…そうね」

「タレントだってあんまりいい気はしないものよ。特別扱いは。それに社員に楯突いたタレントって考える人もいる」

「それは事実ですから仕方ありません」

「パウラだって十代にはさんざん嫌なことやってきたのよ」

「知ってます、でもパウラさんはモノが違ったでしょう。判断基準は一人ひとり違うものです」

「あなたそういうことはポンポン次から次へと出てくるのね…そういう感じの受け答えだったの?会議では」

「まあ…」

あれは戦いだったのだ。全存在を賭けた。

「藤堂さんがあなたを右腕にしようと考えてるって社内では噂が流れてるわよ、早いわね」

いちタレントなのになあ…と思いつつ、あたしは久々のモデルの仕事現場へと向かっていった。意外なブレイクを果たしたモデルとしての雑誌取材も兼ねた撮影である。しかし頭の中は今後のこと、藤堂さんへの対応といったことでいっぱいになっていた。あたしには不安しかなかったのだ。


取材を終えてひと息ついているあたしに、さっそく藤堂さんから仕事がすんだら社長室へ来るようにとの連絡があったことが桜田さんから伝えられた。二時間後、事務所ビルへ赴きひとりで社長室へ行くとすっかり貫禄が出てきた藤堂さんが迎えてくれた。もう事実上は藤堂さん自身が自分の秘書をつけてもおかしくない立場にある。

「相談があるのよ。プロジェクトショーコのこと。いまは本社の指示で止めてあるんだけど、何か意見ある?」

あたしは正直に述べた。

「忘れてました」

「まあそうね。あなたアパレル系じゃなくて政治コメントOKタレントだものね」

「はあ」

「本社では評判いいのよ」

「はあ…。あ、本社の事案になったんでしょう?」

「だから私の事案。とりあえずプロジェクトショーコ、PSを頭に入れといて。何かアイデアが浮かんだらまず私に伝えて。実現するかどうかは考えなくていい。そこはこちらの仕事。あなたは感覚だけで私にものを言えばいい。…いいこと?私は上司じゃなく同志。そのつもりで何でも言って。あなたの感覚が頼りなのよ」

そうは言いますが上司ですよ、事実上の。あたしは深い考えもなく言わば反射的に「わかりました。頭に入れておきます。何かあれば連絡いたします」とロボットのような返事をしていた。藤堂さんは納得した顔つきであたしを部屋から送り出す。

社長室を出て無人の廊下を歩いているとそんなにわるい気持ちでない自分に驚く。必要とされている感があたしの全身を包んでいた。もしかして藤堂一族は帝王学のようなものを叩き込まれているのだろうか。ガイナス斎藤にはナチュラルボーンの、まあ大げさに言うと微々たるものであれカリスマ性が漂っていたがスカーレットさんはそうではない。純度の高いビジネスマンである。それでいて人間力がある。どうもあらゆる意味でこの人には勝てない気がした。人の扱い方を知っている人物だった。くやしいが“この人のために働こう”と思わせる人物である。くどいようだけどもこうしたことを受け入れる自分が驚きだった。


自分でも意外なのだがルーシアの件以降あたしはおかしかった。まるでこちらの世界で生まれてこちらの世界の方が自分にとってあるべき世界で、元の世界での生活はこちらへ戻るための旅であったようにすら感じているのだった。これは錯覚もはなはだしく、いまだに自分の容貌を棚にあげて猫族を猫人間と思う感覚とは大きくずれている。つまるところ感情移入してしまっているのだった。こちらの人々に。日常に。社会に。奇妙なシステムに。それは、それはあたしが忘れていた感覚、本来なら現在の日本での暮らしに対して感じるべき感覚だった。泣けてくるのだった、十一辺りからずっと適合できずにいるあたしはもう本来あるべき感情移入をすることができない、そんなあたしに誰かがこちらの世界を与えてくれたのだと。いまあたしが手にしている繋がりは苦しみを伴うが喜びでもあった。あたしはあたしに合う世の中を手に入れている。手の中の感触を確かめることができている。


番組出演を終えたことは覚えている。目を覚ますとあたしはベッドの上にいた。撮影スタジオの駐車場で桜田さんの後ろを歩いていたところあたしはいきなり倒れたのだそうな。その辺の記憶はない。最近体調があまりよくなかったのは確かだがゲストで呼ばれた朝の情報番組の出演時に失神の兆候などはなかった。まったく想定外の出来事である。

ここは病院で検査の結果、体に異常はなく失神はストレス過多によるものだろうと診断された。ほらやっぱりたばこがいるのだ。心の健康、ひいては身体の健康にもたばこは必要なのだ。あたしのような環境に適合しにくい種族は。そもそもどでかい環境変化、身体変化に襲われてきたのだあたしは。何もないわけがない。

携帯が鳴り、藤堂さんからだった。あたしのスケジュールに関して会議があり、会議の結果仕事のペースを下げること、番組出演の数を減らすことが決まったと連絡があった。あたしはこれまで自分にくる仕事に対してスケジュールも含めとくに口をはさんできていなかったので、ああそういう方法もあるのか、と気がついた。仕事量のコントロールなんて考えたこともなかった。自分で気づかない負担がかかっていたということか。自分のことがよくわかっていないのだあたしは。


二日後、病み上がり最初の仕事は深夜番組〈おしゃべり侍〉の収録である。初期のこの番組は時代劇のパロディで武家屋敷を模したセットでのドタバタ劇だった。

ゲストを呼ぶようになりトークコーナーができ、次第にトークコーナーの尺が長くなり、番宣利用の場となり、情報バラエティ的な番組に切り替わっていき、時には全編フリートークのみで番組が終わることもある、言わば何でもありの体裁をとった業界視聴率の高い番組である。現在では映画紹介のコーナーもあってあたしはこれが好きだった。今回の出演は二度目になる。大御所のマルチタレントの方がMCをやっているのだが進行はアシスタントだったり中堅コメディアンだったりでどちらかと言えばこの方自身は聞き役で、この回しが実にうまいのだ、あたしのようなタレント性が低く一般人にかぎりなく近い演者でもすんなりと共演者の輪のなかに入ることができる。場を作り出す能力と言えばいいのかこのMCの方には何をやっても“番組”として成立させる魔法のような力があった。

ある意味、仕事は仕事でも私的な楽しみがあたしにはある…よくはないのだろうあたしはバラエティは戦場だと教わってきたのでその感覚からは遠い仕事ではあった。あたしは手に持った雑誌の表紙を見た。楽屋に置いてあったものだ。偶然なのだと思うがあたしがまだ籍を置いているファッション誌ケイセスで、こうして手に取るのはなんだか久しぶりな気がする…なんだろう?この感じ。かすかなめまいのような、ふらふらする感覚、まるでどこか全然知らない場所にトリップしたかのような感覚に襲われて頭の奥でちらちらと映像が瞬いた。人の影が見えた──それだけだ。すぐに奇妙な感覚は消え、通常のあたしに戻った。あたしは撮影スタジオの楽屋にいて収録が始まるのを待っている──あたしは大丈夫なのか?やはり召喚の衝撃で脳がおかしくなっているのでは? あ、いやおかしいのはもともとか。と、入り口の扉がどんと鳴り、扉の向こうから声がした。

「島崎、入るわよ!」

つづいて扉が勢いよくひらき、ドキッとするほどかわいい女が部屋に飛び込んできた。かわいさが衝撃だった。気高く、荒々しさをにじませる、まるで戦闘力のようなかわいさ。

ラリッサである。会うのはもちろん初めてであたしはもうとにかくそのルックスに驚き、はっきり言って感銘を受けていた。引退したのに。休業宣言後、表舞台から消えてまだ数ヵ月しか経っていないとはいえ現役そのものだ。彼女はあたしを睨みつけていた。…引退したのにどうやってここに入って来れたのだろう?

「ラリッサさん初めまして。お会いしたかったです」

「うるさい。あんたどこから来たの? ガルーダから忠告されたのよ手を出さない方がいいって。はぁっ?て頭にきて確かめに来たの」ガルーダ? フリーエディターの自由人ガルーダ蘭丸か。はいはい。あたしは言った。

「確かめられました?」

「わかるか!見てわかりゃ苦労しないわ!」

「何怒ってるんです?」

「頭にくることだらけだわ!あのコバンザメ野郎私を誰だと思って」

どうも混乱ぎみのようである。

「…聞いてラリッサさん。あたしはあなたを怒らせるようなことは何もしておりません。あなたがどれだけ凄いことをやってきたのか、あたしにはわかってますよ」

「んなキレーごとはどうでもいいから質問に答えて!あんたどっから来たの?なんで突然プッシュされていきなりうまくいってるの?」

ああ、外からはそう見えるのか。わからんではない。

「どこから来たのか…出身を語るのは事務所から禁じられてます。プッシュは事務所の人が戦略を立ててやってくれてるんでしょう。うまくいってるのは…いってるのかな? …あたしはあなたが築いてきたものを受け継いでるだけ。レールに乗ってるだけ。つまりうまくいってるのはスタッフが優秀だから」

「そんなことは聞いてない。裏を訊いてんのよ裏を。誰がバックにいんの」

「知りません」

あたしを選んで召喚したのはモンテルス教です、などとはとても言えない。あたしは戸惑うばかりだ。この場は本心をさらけ出すことにした。

「あたしをいくら睨みつけても意味ないわよ。いちタレントです」「ふん、じゃあ斎藤に言いなさい。私に脅しをかけても無駄だとね」「ボスは最近会社を休んでて、今は本社から出向してきた人が指揮をとってますよ」「休み?」

「病欠と聞いてます。…用がすんだらお引き取りください」

そういう情報は届いていないのか、ラリッサは我に返ったように落ち着きを取り戻した。そして黙り込んだ。

「…ガルーダとはどういう関係なの」打って変わって澄んだ声でそう訊いてくる。

「あたしとは何にもない。一回取材で会っただけ」

返答はこれで充分だろう。関係があるのは事務所の社員である。

ラリッサは冷たい世界の人間のような雰囲気をまとい、きびすを返して部屋から出ていった。

…あたしは今思い出した。ちょっと前にガルーダ蘭丸をテレビ局の通路で見かけた時、彼に声をかけようとしたのだが蘭丸はあたしと目が合うと素早く逃げたのだ。その時は深く考えることはなかったが、彼は自分の人脈を使ってあたしの背後を調べたのではなかろうか。そんな気がした。

チルドカップのコーヒーはぬるくなっていて、残っているのを飲もうとするほどにはおいしくもない商品なのであたしは飲むのをやめる。脳裏にラリッサの残像が残っている。前面のビジュアルほどには美しくない後ろ姿。でも前はとびきり美しくかわいらしい。衣服の残像もくっきりと刻まれたように残っている。水色の地に小さな花々が咲き乱れるブラウスが鮮烈で彼女によく似合う服だった。大人ガーリーというあたしは着ないがあたしの好きなカテゴリーの服。甘さの奥に鋭さや現代の闇を秘めた服。はっと気づいた。そしてなるほどな、と思った。先刻のトリップしたような奇妙なビジョンは警戒警報だったのだ。

何か重要なことがあたしの身に起こる。その前触れだったのだ。


元々はタレントとしての仕事はなく事務所で作業の手伝いをやる予定だった今日、急な仕事が入った。あたしが籍を置いている雑誌ケイセスのイベント参加のオファーである。オファーというかヘルプと言った方がいい、誰かの代理だ。誰かが急に抜けることになったので人数合わせでの呼び出しだろう。桜田さんの説明では読者と直接的な交流の場が用意されているということだ。つまりあれかいよいよあたしにも握手会の機会が訪れるというわけか。感慨深いものがある…しかしそれって読者が好きなモデルの前に並ぶのでは?そう桜田さんに問うと「もちろんよ。だからこういう仕事は断ってきたんだけど、今回は断れなくてね、どうしてもって編集長のご指名で」「代理が?」「代理でもイベントに出すってことは雑誌の顔ってことよ」

複雑な気持ちだ。人気がそのまま並ぶ人数で提示され万人の目にさらされる。審判の時である。胃が痛かった、あたしが病欠したいくらいだった。驕るわけではないがあたしはもうテレビタレントで生きていくステージがテレビの中なのに…。まあ覚悟を決めるしかない。耐えがたきを耐え…である。


イベントというのでてっきりどこかの会場なのかと思っていたら、イベントの場は商業施設入り口の広場であった。確かに奥行きも幅も四○メートルを越える広さがありコンサートがひらけそうな広さだ。本音を言えばできれば屋内であってほしかった。天気がよいことがせめてもの救いだ。予想外に人出は多く広場の三分の一程度はイベント目当ての人でにぎわっていてこうしたことに慣れていないあたしは不安な気持ちにさいなまれていた。大丈夫だろうかあたし。無事に乗り切れるのかあたし。ふつうのお客さんの好奇の目にさらされながらイベントは開始。司会のお姉さんはフリーアナウンサーの方で何だか頼りない。ステージ奥に設置されている雑誌名の羅列で構成されたデザインのつい立てが目にまぶしい。コーラルピンクとゴールドを組み合わせた配色である。そのつい立ての前に置かれた椅子に座りあたしを含めた五人のモデルが質問を受けたり互いにトークを交わしたりの時間が過ぎると、とうとう場所を長いテーブルに移して握手会が始まった。べつに雑誌を購入する必要のないフリーな握手会なのでけっこうな人数がずらずらと列を作った。ラベルダからも人員を送り込んできているので人のさばきはスムーズである。……やはりというか残念ながらあたしの前には六名しか並んでいなかった。うち四名は中高年の男性だった。他のモデルの前には女のコがいっぱい。別世界。アナザーワールドである。でも上出来!だって二名も女のコがいる。おじさん四人との握手を終えるとにこにこした十代のコがあたしに手を差しのべる。「いつもテレビで見てます。録画して見てるんです」

小さな手を握り相手の目を見てあたしは答える。

「ああ、そうか。朝とか深夜の放送が多いもんね。ありがと」

これからも応援してます、と律儀な感じの雰囲気がする女のコはそう言い残し離れてゆく。ありがたいものだ。

──! 次のコを間近で見てあたしは戦慄した。

それは体に電光が走るかわいさだった。むろん一般人としては、というところがあるものの、何というか余韻を残す《かわいいな》である。映画にも終わるとすぐ日常に戻れるものと、観終わっても心に刻まれたものがしばらく日常を侵食するものとあるが、彼女にはこの後者の質を備えたかわいさがある。手足が長くすらっとしているのも魅力。

小遣いを貯めて買った服だろうなあ、と遠目の印象から一転、近くでよくよく見ると生地が予想していたものと違う。その質感の高いコットン生地のライダースジャケットはあくまでガーリーな印象しか与えないもので隙のないデザインと合わさって意外に価格高めの商品であることがわかる。他は安い商品で揃えた一点豪華主義である。場に慣れてきたのか不思議とこのコの前ではあたしもにこやかに振るまうことができた。

「こんにちは~」

「応援してます。ファンなんです」

握手をすると握り返してくるこのコにあたしはわけもなく心地よい気分にさせられ最初の戦慄を不思議に感じる。きちっとした所作が目を引く。ごく自然な礼儀正しさがあった。親の教育がよいのだこれは。

「ありがとう!」

「ちょっと遠いんですけど宣伝の車に名前があって…来ちゃいました」

プロモーションしてたのか。知らなかった。どうりでこの人出なのだ。そこにコストをかけたのか。

「そうなの。すっごくうれしいわ」

あたしは会話の間中、ずっと握手をしていた。二○秒ほど経っただろうか握手を終え彼女は立ち去ってゆく。その後ろ姿を追ったとき、ふとあるビジョンが脳裏に映った。深夜、そして早朝のテレビ番組に出演している先程の女のコらしき──つまり未来の彼女だ──人物である。大人の女となった彼女の姿があり洗練された美麗な容貌があまりにあっさりとテレビ画面に馴染んでいる。

何よりセルフプロデュースの作業にいそしむ光景がフラッシュバックのように瞬きながらあたしの脳内で映された。会議の光景、デザイン案の選別、また会議の光景、繰り返される商品チェック、延々とつづく着替え、更なる商品チェック、シリアスな表情で何かを訴える成長した彼女の姿──あたしの脳には膨大な情報が送り込まれている。あたしは脳を通して見たのだ、日常生活の多くを犠牲にしてプロデュース業に打ち込む彼女の姿を。そこから伝わってくるのは彼女の根っこがクリエイターだということ。クリエイトに身を削るのをごく自然に、ほとんど天命として行えるメンタリティの持ち主だということ。あたしはさながらドキュメンタリーを超高速で見ている。勝手に理解した。あたしはこのためにこの世界に呼ばれたのだ。このコを見つけるために。

あたしは背後にいる桜田さんを呼び「とにかく今のコ、ライダースジャケットのコを確保して」と頼んだ。今は席を離れるわけにはいかない。彼女はどんどん遠ざかってゆく。桜田さんはラベルダの人員を呼び自分の名刺を彼に渡し、ライダースジャケットのコを広場の隅で確保するよう命じた。あたしは桜田さんに言う。

「スカウトして。あたしが全責任を負います」無茶苦茶なことを言っているのは自覚しているがここはそう言うしかなかった。桜田さんはあたしの真剣さに驚いている。「モデル?」「タレント化前提のモデル。セルフプロデュースをやれる人材になる。中身はかなり違うでしょうがラリッサの後継になりうる人材です」

驚いていたがスカウトの権限を持っている桜田さんの対応は早かった。「わかったわ。私が交渉してくるから。安心して」


イベントを終えるとドキドキしているあたしのところへ桜田さんがやって来て、名刺を受け取ってくれたことを告げた。とりあえずわかった情報がいくつかある。彼女の名はリモーナ五十嵐。現在十七歳の高校生で将来希望している職業はOL。とくに芸能界に興味があるわけではないものの早く自由に使えるお金がほしいと桜田さんに述べたという。桜田さんは藤堂さんと連絡を取りつつの交渉を行っていて藤堂さんも早く面談したいと乗り気でいる。桜田さんの感触だと手応えはありのようであとは両親がどう反応するか。あたしの得たビジョンなんて何の保証にもならない妄想でしかなくこうした現実面に対しては無力だ。祈るしかない。どうかよい反応でありますように。

この事案はラリッサの後継なので藤堂さんが面談したあとにOKを出すかどうかも重要だが、あたしはその点には自信があった。


結論が出たのは三週間後で、ラベルダエンタープライズとリモーナ五十嵐の両者は専属契約を結んだ。そのうちプロジェクトショーコはプロジェクトリモーナ(その時には芸名に変わっているかもしれないが)となり、アルフォンスグループの担当部署のすべてが動き出すだろう。タンカーがゆっくりと舵をきるように。

契約が決まった夜に藤堂さんから電話がかかってきた。

「私は正直、確信は持てない」と。「だと思います。時代の歯車が噛み合うのはずいぶん先かもしれません」

「でも本社では、まー、どこもかしこもすぐさまOKなのよ。早くても本格的に動くのは三年後ですよって説明してもね。写真しか見せてないのよ? なぜかしら」

あたしは今思いついたのでそのまま言葉にした。

「ラリッサに欠けてるものを彼女、持ってるんです」

携帯の向こうで「!」と息をのむのがわかった。

あたし自身口に出して驚いたのだ。

「あたしも今びっくりしておりますが」

それはたぶん言葉にしてはいけないことなのかもしれない。あとで、無事にすべてが終わったあとであれはこうだったんだと振り返って語れることなのかもしれない。…さんざん語ってきたではないかというツッコミはやめていただきたい。リモーナの話です。


あたしはその夜、夢を見た。実にリアルな夢であたしはたばこを吸っている。喫煙という行為が吸っている瞬間から始まったので目を覚ましたとき驚いた。どういうことかというと、あたしは夢でよく食べ物の夢を見るのだがいつも店で買う場面ばかりなのだ。食すまでに至らず寸前で終わってしまう、つまり目を覚ましてしまうのだった。悲しい夢である。しかしたばこは違った。しっかりと濃い味、煙が鼻から抜ける感覚まで再現──いや、それはまるで天からの贈り物のように経験として与えられた喫煙だった。お礼を言わなくてはならない。カミサマありがとう。






        つづく



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