#94
ラヴィニアと呼ばれる魔族は、倒れ伏したまま動けない何人かの中から目当ての人物を見つけ安堵した。
「ああ、貴女ですね‥‥‥ご一緒してもらいます、元お姫様」
ゆっくりと伸ばされる手はマナの身体へと。
だがそれを阻むように立ち塞がる者がいた。
「触らせ、ない、っス、よ‥‥‥」
「あら‥‥‥この空間で立ち上がれるなんて‥‥‥どうしましょう‥‥‥」
マナの側にいたクナイが、苦しそうではあるがしっかりとその場に立ち上がり、ラヴィニアを睨みつけた。
「人間‥‥‥かしら‥‥‥。そう、よね‥‥‥特別、魔力も感じない。‥‥‥では、どうしてかしら?」
「クナ、イ‥‥‥だ、め」
「師匠の、敵は、自分が、やっつけるっス!」
奇妙なモノを観察するかのようにジッとクナイを見つめ止まるラヴィニア。その顔面へと、いつもよりは遅いが、クナイの拳が放たれた。
「そうね‥‥‥貴女、危なそう」
「ガハッ⁈」
だが拳は届く事なく止まってしまう。そして吹き出る血飛沫。いつの間に現れたのか、ラヴィニアが出現した時と同じ黒い穴がクナイの背後に。
そしてそこから飛び出た杭のような物がクナイの腹部を穿ち、大きな穴をポッカリと空けていた。
「あっ‥‥‥し、師、匠‥‥‥」
「クナ、イ⁈」
「クナイさんッ⁈」
「お、オイオイオイオイ⁈」
倒れたままの三人から、悲鳴があがる。
「余計なことは‥‥‥したくないけど‥‥‥ここで消しておきましょう‥‥‥ね」
不可思議な圧力のかかる空間で、それでも無理矢理立ち上がれていたクナイだったが、腹部に風穴を開けられては最早力も入らない。
ぐしゃり、と地面に押し倒される。腹部からは大量に血を流しながら。
「あ、ああ、あ、あーーー」
「ちょっと、眠っていて‥‥‥ね」
「ッーーー」
その様子を見て発狂しかけたマナへと、ラヴィニアが十字架で頭を軽く叩き気を失わせた。
「よっこい、しょ。これで終わり、ね‥‥‥疲れたから、早く帰りましょう」
空いている方の手でマナを担ぐと、もう片方の手に持つ十字架を掲げる。すると襲撃した時と同じく黒い穴がラヴィニアの横に現れた。
「マナさん!」
「バカッ! 刺激するな!」
ルナリスの叫びを一切気にせず、ラヴィニアはゆっくりと暗闇の中へと足を向けた。
「‥‥‥あら」
だがその足を止める。首を回し、本当に驚いたという風にそれを見た。
「行かせ、ない、っス‥‥‥」
致命傷を受け、動けるはずのない身体で、それでもクナイは倒れたままラヴィニアの足を掴んでいた。
「‥‥‥やっぱり、危険、ね‥‥‥貴女、ここで消しておかないと」
「し、師匠‥‥‥自分が、助ける、っス‥‥‥」
死に体とは思えないほどの力でこちらを掴むクナイへと、ラヴィニアは十字架を振りかざした。
「"聖龍の大海波"!」
だが十字架は振り下ろされる事なく、クナイの手を無理矢理解いたラヴィニアは大きく宙へと飛び退く。そこに間髪入れず水の龍が勢いよく地面に激突した。
「ああ! なんてこと! 連れて行かせないわよ!」
王国の騎士達との戦闘を終えたディーネがようやく合流したのだった。怒りの表情で空に逃げたラヴィニアを睨む。
「‥‥‥これ以上は、過剰労働、ね。‥‥‥さようなら」
「待ッーーー」
言うが早いかラヴィニアは一瞬で再び生み出した黒い穴へと身を消した。その周囲をディーネが向けた水の龍が彷徨くが、最早敵の反応は無かった。
「ちッ! いいえ、今はそれよりーーー」
「クナイさん!」
「‥‥‥これは、もう」
先程の攻撃の際、クナイの身体はディーネの魔法の水の中へと保護された。そしてすぐに水は回復の魔法をかけ続けているが、それでも腹部の風穴はそのまま。断裂した臓器や骨が覗き、そこからじわりと水に血が滲んでいく。
「回復だと失った臓器は再生出来ない‥‥‥どうしよう、傷が深すぎる‥‥‥ああ、ダメ、なんとか、なんとかしないと‥‥‥マナだけじゃなく、クナイまで失ったなんて知ったら、きっと、あの人耐えられない‥‥‥あ、ああ、どうしたら!」
珍しく狼狽するディーネのその横で、ルナリスが何かを決心した表情で、口を震わせながら開いた。
「わ、私が! 私が、なんとかします!」
「‥‥‥ルナリス?」
「ディーネさんはそのまま、回復魔法をかけ続けてください!」
ルナリスは杖を両手でしっかりと握りしめ、祈るように目を閉じた。その杖は、ただの杖ではない。
精霊王ヴェルトリアから譲り受けた、神樹の生木より作られしモノ。
「いきます! 《真聖杖ヴェルホーリア》よ! 我が祈りをーーーどうか、どうか届けて!」
光が地より舞い上がる。大気の魔力が、この森の生命力が、可視化出来る程に濃密に集められていく。人の身には収められぬ程に膨大な、自然の、生命の大魔力がーーー
「"我、全ての生命に望まん 我、全てをもってして祈らん ここに一つ、全てを束ねて起こさん ただ一つの奇蹟を 我が祈りに、どうか、応えたまえ 聖なる生命よ もう一度輝きをーーー"
ーーー "生命の祝福はここに"!」
ただ一つの祈りに応えて集まり、奇蹟を成す。
「ッ〜〜〜」
杖を、自身を媒介とし、膨大な魔力を奇蹟へと変換させる。無論それはただの人の身には余る術。
苦しげに顔を歪めるルナリスへと、エリシュが静かに声をかける。
「落ち着け、ルナリス。いつも通りだ。焦る必要などない。自然体で、感じたままに、流れをただ導くだけでいい。抑えつける必要などない。ただお前の気持ちを、祈りを捧げるのだ」
「ーーーはい」
ルナリスを覆っていた光が強くなる。そしてそれらは一筋の光へと束なり、杖の先端からゆっくりと流れ出す。水中に漂っているクナイへと、光は照らし包み込んだ。
「そう、それでいい。‥‥‥お前は優しいな、ルナリス。誰を害す魔法ではなく、誰が為に祈る魔法こそがやはりお前の本分だ。私と違って、な」
眩しそうな、そしてどこか寂しげなエリシュの呟きは森に吸い込まれた。
やがて光が消える。クナイの腹部にあった大きな風穴とともに、傷などなかったかのように綺麗に消えていた。
「クナイ! しっかりなさい! クナイ!」
水を解き、目を閉じたままのクナイを抱きかかえながらディーネは呼びかけた。
「‥‥‥ディーネ殿、自分、は?」
「ッ〜〜〜! 良かった! 本当に、良かった!」
「く、苦しいっス!」
目を覚ましたクナイを強く抱きしめるディーネ。その様子を見て微笑んだルナリスがガクッと倒れ込んだ。
「おっと!」
すかさず受け止めたのはエリシュだった。満足げな顔で気を失っているルナリスの頭を優しく撫でる。
「お疲れ様だったな。よく、やった」
「本当、凄かったわルナリス! ‥‥‥あら、ちょっと大丈夫なの?」
「奇蹟を行使したんだ。大丈夫、疲れ果てて眠っただけだ。じき目を覚ます」
「そう‥‥‥ゆっくり休ませてあげましょう」
「‥‥‥あの〜、お姉様〜? 私の心配は〜、無い感じ〜?」
倒れたままいじけた調子でそう呟くシルフィに、ディーネは軽くため息をついた。
「まったく、心配しない訳ないでしょう? 無事なのが分かってたから放置しただけよ」
「そんな〜、私も優しく〜、抱きしめてほしい〜」
「はいはい。ごめんね、シルフィ一人に任せて」
姉の、困ったような申し訳ないような顔にシルフィの顔が曇った。
「‥‥‥いえ、お姉様の頼みも満足に守れなかった私を、どうかお許しください」
「何言ってるのよ、全く。シルフィだけの所為なんかにしないわよ。いつも通り飄々としてなさい。‥‥‥さて、クナイの無事を喜んだ後は連れ去られたマナね」
目が覚めてまだぼんやりとしていたクナイが、その言葉に飛び起きた。
「師匠! 行かないと!」
物凄い勢いで走り出そうとするクナイを必死にディーネが掴み止めた。
「ちょッ⁈ 待ちなさいクナイ! 何の情報も、ましてや対策も立てずに突っ込んでもさっきの二の舞よ! どこに連れて行かれたかも分からないのに!」
「それでも、行くっス!」
決死の覚悟で、クナイが懐から取り出したのは忍の術が記された《秘伝の巻物》。ただ記されているだけではなく、忍法を全く使えないクナイでもその術を行使できる優れものだ。
ただし、一つの術につき使用出来るのは一回。使い捨ての忍法帳である。
「気持ちは分かるわ! でも、勝ち目のない戦いを挑んでどうするの!」
「‥‥‥忍は主君の為。主君の影としていつ如何なる時も側に控え、守る者。その役目を果たすのみ」
「クナイ‥‥‥」
殺意とは違う、それと似通う狂気じみた覚悟。いつもとは違うクナイのどこまでも冷たい態度がディーネの言葉を詰まらせた。
「‥‥‥ごめんなさいっス。でも、勝ち目が無い訳じゃないっス! 信じてくださいっス! 場所も、今から分かるっス!」
巻物が開かれる。忍独特の紋様にも似た字が開帳され、光を放つ。
「まずはーーー《式神羅針探知の術》!」
光が消え、巻物に記されていた一部分の文字も消失した。その代わりに現れたのは紙で出来た小さな人型である。ふわりと浮かび上がると、腕だと思われる部分を持ち上げある方向を指した。
「あっちっスね。自分、行ってくるっス。皆さんはここで待ってて下さいっス」
「一人で行くつもりなの?」
「おいおい、無茶だぞ!」
「はいっス。心配無用! ‥‥‥とはいかないっスけど、これを使うんで大丈夫っスよ‥‥‥」
明るく誤魔化そうとして、でも出来ない。クナイは正直にそれを伝えながらも、先程とは違う緊張感のある面持ちで巻物を最後まで開いた。
長い長いその果てに、その術は記されていた。
忍の文字で、大きく描かれている二つ。
"解"と"封"という、二つの文字。
そのうちの一つ、"解"にクナイは手を置いた。
「クナイ、あんた何をするつもり?」
「別に危ない事じゃないっスよ? これは、本当っス。ただーーーどうか、今まで通りこれからも、自分と、仲良くして欲しいっス」
「どういうーーー」
ディーネの疑問が投げ終わる前に、クナイは術を発動させた。
「《人化封印の術・解》」
術は成った。そしてーーー
彼女は忍として、主君の元へと文字通り空を翔けた。
「馬鹿ね、当たり前じゃない。そんな心配なんかしないで、ちゃんと帰って来なさいよ」
静止は不可能。それは物理的にも。すでに姿が見えないクナイをディーネは苦笑し見送った。
「‥‥‥ルナリスは寝てて良かったな。なるほど、そりゃあいっつも腹ペコになる。驚いた、驚いたよ本当に」
「龍種‥‥‥いえ、半龍種、です、か。神獣クラスに、ここまで完璧な変化を施せるなんて、人間の分際で、なんと恐ろしい‥‥‥」
尻餅をつき呆然とするエリシュと、苦々しげに呟くシルフィ。
「‥‥‥私も、やればできる子‥‥‥でしゅ‥‥‥むにゃ‥‥‥」
そして疲れ果て眠るルナリスの寝言が森に静かに吸い込まれた。




