#89
カドレの森ではシグがいない為、いつ何が起きても対応できるように皆が一箇所に集まっていた。
シグがボッケロンザを倒してから時間は過ぎ、既に日は沈んでいた。
その間、敵の残りの部隊は動く事なく不気味な程に静かであった。
「夜になっちゃったわね」
「シグ、大丈、夫?」
する事もなくポツリと呟いたディーネの言葉にマナが反応した。
「ええ、大丈夫よ」
森から戦場の様子を伺えるのは精霊であるディーネのみ。シグの安否についてしっかりと答えるディーネにマナも安心した。
「今どうなってるっスか?」
「一人待ちぼうけね。最初の戦闘から敵が向かってこないもの。かといって、森を離れてこちらから敵陣に突っ込むわけにもいかないでしょうし」
ディーネの予想は正しい。シグとしては出来るだけ森から離れない、迎え撃つ形を取っていた。だからたった一人、森と敵との間に立ち続けている。
「声、かけてあげたいですね。ずっと敵を見張ってくれているのでしょう?」
「気持ちは分かるが、無理だ。わざわざ戦場に出て奴を戦い難くしてどうする」
「そうです、ね‥‥‥」
ルナリスの希望はエリシュによって押しとどめられた。ルナリス自身も、そして皆も分かってはいるが、ここでただ待つ事がもどかしいのだ。
「しかし、なぜ来ない? それ程の大軍ならば一気に攻めた方が良いと思うが。何か目的があるのか?」
「さて、ね。不気味ではあるけれど、かと言ってどうしようもないもの。とにかく、皆離れずにここで信じて待ちましょう」
不安を抱えつつも、彼女たちはシグが無事に戻ってくるようここで祈るしかなかった。
そんな思いを受けるシグは、睡眠を必要としない身体にはなっていたが、緊張感を持ったまま夜が明けるまで敵軍に動きがないかを睨み続けていた。
「‥‥‥眩しいな」
結局何の動きも見せなかった敵軍の、背後から登る朝陽に目を細める。
シグと敵軍のちょうど中間辺りの虚空には、ずっと十字の形をした何かがシグを見張るように漂い続けていた。
「アレも動かなかったか。やはり魔装なのか?」
自らの味方を、逃走する多勢を、まとめて潰し屠った強力なナニか。こちらから動くつもりはなかったが、もし敵軍に突っ込もうものならアレが何か攻撃を、それこそ昨日見た光景のように身体を押し潰したかもしれない。
「この《闇の刻印》が目的というのであれば、森に戻るわけにもいかない‥‥‥敵が一気に来ないのなら長期戦だな‥‥‥」
相手が戦闘に時間をかけるのであれば、それにとことん付き合ってやるという気概を持ってシグは己の頬を叩いた。
「‥‥‥朝になりました、グラード様」
軍の長であるグラードが寄宿する一室に入った魔族の女性が、豪奢なベッドに眠るグラードへと話しかけた。
「‥‥‥ああ、ラヴィニアか。朝という事は、敵に動きはなかったのだな」
起き上がるグラードのその問いに、ラヴィニアと呼ばれた女性は軽く頷いた。薄い黒の布地で全身を覆っており、唯一空いている目元しか見えない。
「なるほどな。こちらに攻め込む気はない、と。よっぽど森から離れたくはないと見える。予想通り《不死者》の小娘はそこにいるな」
「‥‥‥では、昨日の予定通り?」
「ああ、俺様の前まで連れてくるのだラヴィニアよ。ゼペクターの軍に仕掛けさせる。数分は保つだろう、その隙に森へ行け」
「かしこまりました」
頭を下げ、部屋を後にするラヴィニア。
一人寝室に佇むグラードは、備え付けの大鏡に写る自分の姿を見て笑った。
「さあ、今日が記念すべき日だ。手に入れるぞ、《闇の刻印》‥‥‥そして、最強の魔王が誕生だ!」
日が頂点に登り切る前にようやく戦場に動きが見えた。残る三つの部隊の内の一つが進軍を開始したのだった。
「昨日とは違うな‥‥‥何だ、あの兵は‥‥‥」
シグの目にもはっきりと詳細が分かる距離まで来た敵軍。その構成員は昨日の部隊に多くいたゴブリンや魔獣とは全く異なっていた。
そもそもの姿形が奇妙奇天烈だ。あらゆる生物を集めその肉体をバラバラにし、適当にくっつけて生き物にしたかのような、醜悪な外見。
四足動物なのに上半身にはゴブリンの身体が乗っていたり、ある個体は魔獣の身体に人間らしき頭が四つ付いていたり、かと思えば股の間に頭が生えているような異形もいる。
全てが全てデタラメな体の作りをしており、同一の個体が一切、類似点もない程に、この軍勢はそういった者達で構成されていた。
「‥‥‥本当に生き物なのか?」
そうシグが呟く。無理もない。唯一共通点があるとすれば、彼らの全てが目に力がなく、口のあるものは全てだらしなくそこからヨダレを垂らし動いているのだから。
思考などしていないと思われる軍勢だったが、シグの目の前、大地に刻まれた境界線の手前までくると全員がピタリと止まった。
「ふひっ、ふひひっ‥‥‥ご機嫌いかがでしょうか‥‥‥《闇の刻印》を持つ者よ‥‥‥」
異形どもが動き道を開くと、そこに現れたのは一体の魔族であった。
「私はグラード様の配下‥‥‥三柱が一人、ゼペクターと申します‥‥‥。と言っても、ボッケロンザは貴方に殺されたので‥‥‥今は二柱ですかねえ‥‥‥ふひっ、ふひひひひっ!」
これでもかという細長い身体と、体長程もあるこれまた細長い指をゼペクターと名乗った魔族は揺らめかせた。
「どうでしょうか‥‥‥私の作品達は‥‥‥? ありとあらゆる種を掛け合わせ生み出す‥‥‥既存の種では到達出来ない‥‥‥次の段階へ踏み込んだ新たな生物、混成種達は‥‥‥?」
「お前が、作った? このおぞましい兵達を?」
「ふひっ、ふひひっ! おぞましいとはまた失礼な。そうです、私の魔装‥‥‥《生命弄びし神の執刀》で作った‥‥‥神の作品ですよ‥‥‥ふひひひひっ!」
長い指先のそれぞれに取り付けられた細い刃物を誇らし気に見せつけるゼペクター。狂気しか感じぬその笑みに、これ以上の意思疎通は不可能だと判断したシグは簡単に通達する。
「まあ、いい。これ以上こちらに近づくな。その線が境界線だ。踏み込むならば命はない」
「おお、怖い怖い‥‥‥私も死ぬのは嫌ですからねえ‥‥‥私はこちらに留まらせていただきますよ‥‥‥私は、ね‥‥‥ふひっ!」
すっ、と片手を挙げるゼペクター。それが合図となり、異形の混成種達が境界線を越えシグへと襲いかかった。
「シッーーー!」
向かいくる混成種達へと、容赦無く顕現した魔装の斧を振るう。同時に発生する獄炎は近づく混成種を炭も残さず燃やし尽くす。
その後ろから羽根の生えた混成種が現れる。こちらは真上からシグへと強襲をかけた。
「飛ぶやつまで‥‥‥何でもありだな!」
シグは空いた左手に《闇・雷迅》を顕現させ、その刀の宿す能力の一つを発動させる。
虚空に現れる魔法陣。宙に描かれたと同時に魔法は成る。
「ギャッ⁈」
魔法陣から放たれた音速を超える雷撃は羽根を持つ混成種を直撃し、その身体を焦がし尽くした。
混成種の悲鳴を搔き消す雷鳴が鳴り止むと、そこには物言わぬ骸が地に転がっていた。
「炎に雷撃まで‥‥‥では、こちらも出し惜しみ無しで‥‥‥ふひひっ」
のそり、と混成種の群れの中から一体、シグの目の前へと現れた。見た目は巨大なトカゲのようだが、付いている足は昆虫のもののようで、数十もある。チロチロと舌を出す頭部の下には鋭利な鎌のような腕が左右に付けられていた。
シャカシャカと、大きさに似合わぬ動きとともにシグへと肉薄する。
「燃えろ!」
振るわれる斧。纏う獄炎は巨大な混成種を燃やすはずであった。
「シャァア!」
「何ッ⁈」
直撃した炎を物ともせず、爆炎の中から割って出た混成種はその鋭利な腕をお返しとばかりに振るった。
「くッーーー」
それを跳びのき回避するとともに、雷撃を混成種へと浴びせる。
「シャシャシャシャァァア!」
だが、雷撃の直撃すらも混成種には効いている様子は無かった。
「ふひひっ! 神獣にも近しい魔獣サラマンダーの肉体をベースに‥‥‥弱点である移動速度、そして近接戦闘への対策を施した‥‥‥まさに、完璧な生物です!」
暴風のように遠慮無しに繰り出され続ける鎌の攻撃。シグはそれを躱しつつ反撃するも、混成種の肉体は硬く、魔法も物理攻撃も通らない。
「さらにぃーーー」
「なッ⁈」
巨大な混成種に気を取られていたシグ。いつの間にか背後に回り込んでいたもう一体に、背中から刺し貫かれてしまった。
胸から飛び出す巨大な腕。シグは痛みとともにその持ち主へと振り向くと、その正体に目を奪われた。
「今回の遠征で‥‥‥新たに生み出した混成種‥‥‥どうですか、速すぎて気づけなかったでしょう? ふひっ、ふひひひっ!」
元々は端正な顔立ちであったのだろう、それは見る影もなく無残な有様であった。
眼孔には様々な目が大量に押し込められ膨れ上がりギョロギョロと動き回っていた。
小さい体躯に似合わない巨人の腕を取り付けられ、下半身は肉食獣の強靭な四肢に取って代わられている。
他の混成種と同じく、意思など感じさせないだらしなく空いた口が、まるで問いかけるようにこちらに大きく開かれていた。
「‥‥‥これ、は‥‥‥この子、は‥‥‥」
知らない、見たことも無い誰か。だが、憐れにもこのような姿にされたこの種族の事はよく知っていた。
頭部に生える大きな獣耳が、記憶を強く揺さぶる。
「今では稀少な‥‥‥獣人族の身体をベースにした‥‥‥超速度特化の混成種、ですよ! 《獣身煌化》という‥‥‥肉体強化の反動による損傷という弱点を‥‥‥強靭な肉体と混ぜ合わせる事で克服し‥‥‥無制限に超速度を出せる素晴らしき個体‥‥‥ 素晴らしい、素晴らしいでしょう? ふひひひひっ!」




