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Dark Brides −斯くて魔王は再誕せり−  作者: 入観ねいと
第8章 斯くて魔王は再誕せり
86/100

#86


マイシェという獣人族の少女は薄い眠りから目を覚ました。

開いた視界に覗くのは、薄暗い狭い部屋に同じようにすし詰めされた獣人族の仲間たち。じっと死んだように丸くなっていた。

寝返りを打つスペースもなく、また絶えず揺れる振動に熟睡出来る訳もない。ここは馬車の中。奴隷として使役される彼女達に安息など訪れはしないのだ。


「‥‥‥まだ、着かないのか」


ここに仲間達と詰め込められてどれくらいの時間が経ったのか。窓もないこの荷台に、水も食料も一切与えられないまま放置されている。もちろん扉は施錠されており逃げる事も出来ない。

例え扉が開いたとしても、足首に繋がれた鉄球のせいで満足に動けはしないのだが。


「マイシェ、起きたの」

「キィシェ‥‥‥」


背中からの問いかけ。同郷のキィシェという名の少女だ。自分より少し年上の彼女はこんな状況でも周りの子達に明るく声をかけていた。

だがマイシェにとっては鬱陶しくて仕方なかった。

どうせ、行き着く先は死。奴隷となったこの身に絶望以外何も染み込まない。


「大丈夫だよ。きっと、何処かで逃げるチャンスがあるよ」

「‥‥‥‥‥‥」


周りはまだ皆んな寝ているのか反応は無かった。いや、起きていたとしても返事をしたかどうか。


「あの時も生き残れたんだから。今回もきっと大丈夫、だよ」

「‥‥‥あの時とはもう状況が違う。捕まった。もう逃げられない」

「そんな事はーーー」

「分かってるくせに。魔族相手に私達が出来る事なんてないって。国を滅ぼされたあの時にさ」


三年前、獣人族が住む国に突如としてやってきた災厄。

のちに魔族が行なったと判明した、巨大な彗星の衝突により国はそのほとんどが蒸発した。

運良く生き残れた獣人族の者達は散り散りにその場を去っていった。ある者は旅路の途中で死に絶え、ある者は魔族や人間に捕まり奴隷となった。

その中ででもマイシェ達は運が良かった。この三年間を生き残り続ける事が出来たのだから。

だがその運もここまで。つい先日、遂に彼女達も魔族の手の者により半数は殺され、残りはこうして奴隷となった。


「結局、私達も皆んなと同じ。獣人族は滅びる運命なのよ」

「そんな事、言わないでよ‥‥‥。私達、頑張って生きてきたじゃない」

「ええ、そうね。辛くても、何とか生きてきた。その結果がコレよ。私達も、あの子達のように弄ばれて殺される。こんなことになる為に、私達は頑張ってきたの?」


虚しい。


一言そう呟くとマイシェは喋るのをやめた。水も食料も与えられないこの状況で、体力などとうに失われていた。

キィシェも何も言わず、荷台の中は再び静まり返る。延々と揺らされながら、しかし来たる終着まで浅い眠りを繰り返すしかなかった。




「出ろ」


短くそう告げられ、ヨロヨロと扉の近くの者から立ち上がり久方ぶりの光の下に這い出ていく。

偉そうに命令し、こちらを睨むのは魔族の配下のゴブリンどもだ。その手には鉄でできた棍棒。

力自体は獣人族と大差ないが、体力も奪われ足枷もあるこの状態では逆立ちしても歯が立たない。


「早くしろノロマ!」

「ッ⁈」


後ろから仲間の誰かの悲鳴。おそらく持っていた棍棒で叩かれたのだろう、鈍い音がした。

それを聞いてもマイシェの中に怒りも恐怖も沸かなかった。振り向きませず前方にそびえ立つ城を見上げる。

以前は立派な造りだったのだろうその城は、あちこちが崩れ落ち廃墟のような風貌であった。

いや、実際廃墟なのだろう。足を踏み込んだ先にあった庭園には種族は分からないが骨があちこちに散らばっていた。おそらく今は誰もここには住んでいない。


「あそこの部屋だ。入れ」


まだ形の保っていた一室に再び押し込められる。全員が入ると硬く重い扉が閉められる。室内には照明などなかったが、ここには高い場所に窓があった。

陽の光が先程叩かれた仲間の姿を照らす。右肩に酷い痣。そこを抑えながら大粒の涙を流していた。


「よしよし‥‥‥おいで、こっちに座ろ?」

「うっ‥‥‥うぅ‥‥‥」


傷ついた仲間をキィシェが優しく手招きした。横に座る彼女を優しく抱きしめる。

そんな光景を見ても、マイシェの心には何も響かなかった。




城に閉じ込められて数日。毎日仲間が何人か部屋の外に呼ばれ、そして帰ってこなかった。

選び方はどうやら適当らしく、いつ自分が選ばれてしまうのか分からない。選ばれたくない少女は扉から離れた場所で目立たないように蹲っているが、それでも結局遅い早いかの違いでしかない。

どうせ苦しむのなら、早く終わった方が幸せなのではないだろうか。


「来い。そこのお前だ。早くしろ」

「ヒィッ」


今回選ばれたのは、城に着いたときに殴られた彼女だった。怪我は酷かったらしく、まだ右腕は動かない。

ゴブリンに呼ばれた彼女はブルブルと震え、動こうとしなかった。


「聞こえないのか⁈ 早く来いと言ってるんだ!」

「うぅ‥‥‥」


再度の命令に、それでも動かない彼女にゴブリンは舌打ちし、ドスドスと音を立てて近づく。手にはお馴染みの棍棒。この後どうなるかなど火を見るより明らかだ。


「待ってください! まだこの子、怪我で動けないんです!」

「あぁ⁈ 横入りするんじゃねえ!」


それを遮ったのはキィシェだった。彼女を庇うようにゴブリンの前に立つ。


「わ、私が行きますから! どうか、彼女を休ませてあげてください!」


身体も、声も震わせながらキィシェが懇願する。それを前にゴブリンは少し考え、どう見ても意地の悪い醜い笑みを浮かべた。


「そうか。まあ誰でもいいんだけどな。じゃあ、お前にしようか。喜べ、今日はハザベ様のお呼びだ」


そう言ってキィシェはゴブリンに連れて行かれる。ハザベが誰かも、これから何が行われるのかも分からない。ただ、碌でもないことになるのだけは皆分かっていた。

キィシェも、分かっているはずだ。なのに、彼女は怯える仲間に笑顔を見せた。そして、私にも。


「じゃあ、ちょっと行ってくるね」

「‥‥‥‥‥‥」


国が健在だった頃も、外の世界で必死で生きていた頃も、ずっと一緒だった。それも今日で終わる。

最後に笑顔を見せたキィシェに、私は何も言えなかった。もう二度と会えないという事だけが、はっきりと、はっきりと分かっていた。




キィシェが居なくなってから、部屋の外に呼ばれる事が無くなった。どうやらここに来た魔族やゴブリンの大半が何処かへ移動したらしい。

残っている少数が見張りとして城にいるようだ。だからと言って安心も、ましてや逃げようなんていう気も起きないが。


そこから更に数日が経った。相変わらず扉の外には見張りの気配がある。しかし、今日は何かがおかしかった。

扉越しなので詳しくは分からないが、何やら騒々しい。もしかしたら、何処かへ行っていた魔族やゴブリンどもが帰ってきたのかもしれない。

だとすれば、また部屋の外に呼ばれる日々が始まるのだろう。もう残っている仲間の数も二十を下回った。


ーーー早く、死にたい。


呟きは轟音に掻き消された。


あまりの衝撃に地面を転がる。体力の落ちた身体では受け身も取れない。あちこちに頭をぶつけ、視界が瞬く。


「痛い‥‥‥」


他の仲間もそこらじゅうに転がってしまっていた。その様子がはっきりと見える。いつもなら窓から刺す光しかないのでよく見えないのに。

それもそのはずだ。壁が無くなっているからだ。

そして、太陽の光だけではない。

炎。

赤々と燃え盛る炎が城を包み込んでいた。


「ギャァァァァアア⁈」


包まれているのは城だけではないようだ。何体かの、おそらくはゴブリンどもも燃え、叫び転がっていた。

何が起きているのか理解出来ない。奴隷として体力だけでなく思考力も奪い尽くされた獣人族達は目の前の光景をただぼんやりと眺めていた。

ただマイシェだけはよろよろと立ち上がった。


「‥‥‥‥‥‥」


炎の熱に当てられ、身体が突き動かされたのか。本能的にここから逃げなくてはと感じたのか。崩れた壁から部屋の外へと歩き出た。

庭園には火の粉が散り、元がなんだったのか分からないほどに炭化した者達がそこらかしこに燃え尽きていた。

その向こう側で、まだ動くモノが見える。大きい。奇妙なカタチ。向こうもこちらに気付いたのか、視線がはっきりと向けられているのを感じる。

アレは、何だろうか。

城が炎によって崩れ落ちる音。炎に焼かれた者の叫び声。その隙間を縫うようにアレが何かを発しているのが聞こえた。


「‥‥‥え゛ぇ‥‥‥い゛ぃ‥‥‥」


近寄る何か。本当に奇妙なカタチだ。動いているならば生物なのか。

脚は蜘蛛のように無数に生え、腰からは蛸のような触手を伸ばし、蝙蝠のような翼を背に持つ。全てがぐちゃぐちゃで、色々な生き物を切って貼り付けたような何か。

こんな生き物をマイシェは今まで見た事が無かった。

見た事なんか、無い。


「‥‥‥ま゛ぁ‥‥‥じえ゛ぇ‥‥‥」


ぼんやりと、それが近寄るのをただ眺めていた。燃え盛る炎の熱が肌を焼く。身体の感覚がその熱を感じる事だけに集中している。

けれど、何だろう。頬に生まれたこの感触は。炎で乾いているはずの眼球が、濡らしたように視界をボヤけさせるのは。


「‥‥‥い゛ぃじえ゛ぇ‥‥‥ま゛ぁい゛ぃじえ゛ぇ‥‥‥」


叫ぶ何か。声を上げている頭部のそのカタチを、マイシェは良く知っていた。そうだ、その何かをマイシェは良く知っている。

ずっと一緒に居たのだ。ずっとその笑顔を見てきたのだ。例え眼球が蝿のような複眼になろうとも、甲虫のような角を生やしていようとも、腕が甲殻類のような鋏になろうとも、見間違えるはずなど無いのだ。


「ま゛ぁい゛ぃじえ゛ぇ!」


凶悪な体躯がマイシェに飛びかかる。動けない。動く気も、もはや無い。

両の鋏が身体を突く。大きな衝撃に痛みと、視界がブレた。

だが鋏がマイシェを切る事も、貫く事も無かった。

宙を浮き、弾き飛ばされながら変わり果てた何かを眺め続ける。

面影など無いはずのその顔は、なぜか在りし日の笑顔と重なって見えた。


「ま゛い゛ーーー」


何かが視界から消えた。代わりに巨大な瓦礫がその場にはあった。何が起きたか分からぬまま、マイシェの身体は地面に着き、勢いよく転がった。

痛い。鋏で突かれた胸も、地面にぶつかったいたる箇所も。もう起き上がる元気はない。

それでも、何かが居た場所を目だけを動かして見た。やはり、もういない。そこにあるのは無機質な燃える瓦礫の塊のみ。


「‥‥‥キィ‥‥‥シェ‥‥‥」


いくら眺め続けても、変化はなかった。

パチパチと炎が弾ける音が近い。もうすぐ全てが包まれるだろう。

だが何も感じない。どうでもよかった。


「何もかも‥‥‥消えてしまえば、いい」


仰向けに倒れた身体で空を見上げる。炎が登る空に、影が横切った。地面でもないのに、影が。

そして、そんなマイシェの願いを聞き届けたかのように、視界が消える。

いや、飲まれた。黒に。闇に。世界の全てが。


何も見えず、何も感じない。この感覚に、マイシェは覚えがあった。マイシェだけではない。皆がまだ覚えているはずだ。

全てが飲まれる暗闇を。

半年と少し前、世界を飲み込んだ暗闇が再びここに現れた。

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