#85
「む、む‥‥‥むむ、む? む、う‥‥‥」
大陸の南方にあるカドレの森。その豊かな自然に囲まれ穏やかな日々をシグ達は過ごしていた。
その中の一人である赤き瞳の小さな《不死者》の少女は両手を上げたり下げたり、かと思うと目の前に突き出したりしながら唸っていた。
魔族としての正体をここで隠す必要はないのだが、稀有な二つの角はシグの影によって作られた帽子によって覆われていた。
「どう? 魔法っぽいの出そう?」
それを真横から見ていたシグが声をかける。奇妙な踊りをやめたマナは、いつもの無表情が心なしか崩れながら答えた。
「‥‥‥ダ、メ。やっぱ、り、私、才能、無、い」
「いや、どう考えても俺に教える才能が皆無なだけだよ。ごめんな」
自らも何か役に立ちたいとマナが焦る気持ちを吐露した後、ディーネからの提案で始まったのがこの魔法の特訓であった。
『あなた、魔法使ってるじゃない。私は水魔法が主だからあなたやマナの闇属性についてはさっぱりだし。折角だからあなたが魔法を教えてあげなさい?』
色々と言いたい事はあったが、こうやって何かに励む事でマナの気持ちに整理がつくならばと始めてみたはいいものの、三日経っても成果は全くあがらなかった。
それもそのはず。教師役になったシグ自身が魔法についての知識を持っていないのだから。
「確かに魔法らしきものは使ってはいるけど、ただ単に受けて吸収したモノをそのまま外に出してるみたいな感じなんだよな‥‥‥。俺自身が魔法というモノを使っている感覚がないし」
マナ以上に頭を抱えるそんなシグのレッスン内容は何とも感覚的過ぎてちっとも具体的ではなかった。
何となーく力を溜めて、何となーく飛び出させたり、何となーく広げたり、何となーく何となーく何となーく、で今まで《闇の刻印》による力を使役してきたシグ。
身振り手振りで一生懸命に教えるも、これではマナに魔法が身につくはずもなく。
「本当にごめん。やっぱり今からでもディーネやエリシュに代わったほうが‥‥‥」
属性が違うとは言え、魔法に長けた二人の方がよっぽど適任だと考えるシグがそう提案するが、マナは首を振ってそれを拒否した。
「い、い。シグが、い、い。シグ、は、私に、教え、る、の、嫌?」
「そんな訳はないけど、いいのか?」
「う、ん」
教える事に対する責任から頭をかくシグと、やはり無表情ではあるが、どこか嬉しそうなマナの様子をニヤニヤと見つめる影があった。
「ふふっ、まったく可愛らしいわね」
「ぶー! ぶーぶーぶー!」
少し離れた木陰から様子を伺っていたディーネと、そのディーネに首根っこを掴まれ突撃出来ないようにされ不貞腐れるクナイである。
カドレの森の管理者である姉妹の精霊、その姉であるディーネは見た目年端もいかない少女ではあるが、その実何百年と生きている。
左右に括られた青髪を揺らしながら、我が子を見るかのように慈しみの目を二人に向けていた。
「自分も師匠と一緒にいたいっス〜! ぶーぶーぶー!」
そんなディーネの手元で暴れるのは大陸でも珍しいシノビの里の出身者であるクナイだ。何処にあるのかも本当に存在するのかも不明な部族なのだが、年相応に駄々をこねる彼女の姿を見て彼女がそうであるとは誰もが思うまい。
褐色の肌に映える短い白髪を振り乱しながら、なんとか師匠と慕うマナの元へ行こうとするが、ディーネの拘束は解けなかった。
無論、クナイが本気で逃げようと思えばその馬鹿力を抑える事はディーネにも出来ないのだが。
「はいはい。もうちょっとで特訓、ならぬ二人の時間が終わるから、それまで我慢なさい」
「ぶぅ〜!」
唇を尖らせながらも、師匠であるマナが今とても幸せそうにしているのを邪魔は出来ないとクナイも分かってはいるのだ。
「まったく、しょうがないわね。とっておきの果物でも食べに行きましょうか」
「えっ⁈ 食べ物っスか! 食べたいっス食べたいっス!」
「あんたの食い意地は凄まじいわね‥‥‥。今回だけよ、あんまり教えたくないとっておきの場所なんだから」
「はーい!」
クナイの変わり身の早さに呆れながらも、ディーネは微笑み彼女を連れて行くのだった。
「それにしても、あっちとは真逆と言っていいくらいね」
何処からでも森の様子を知る事が出来るディーネは、こことは離れた場所で同じように特訓を行なっている二人に対してそう独り言ちた。
「集中力! どんな事があっても動じない、如何なる時でも魔法を発動させられる精神力が必要! その為には体力も必要不可欠なのだ! 健全なる精神は健全なる肉体あってのもの! 走れ走れ走れ!」
「ひ、ひぇ〜〜〜!」
「遅いッ! ダメだダメだ! もっと速度を上げろ!」
「ふひぃ〜〜〜!」
自分よりも半分くらい幼いはずの、ハーフエルフであるエリシュに叱咤され、悲鳴をあげながら走らされているのはレストニア王国の第二王女ルナリスである。
温室育ちの彼女にとって肉体を鍛えるような訓練など当然した事はない。こうして走るだけでも彼女にとっては過酷なものだった。
いつもは艶やかで美しい銀の長い髪も汗でべっとりとなり、人形のように美しく精巧な顔立ちも台無しになるくらいの疲弊した様子である。
「まだまだあ! あと十周だ!」
「う、うぇぇぇ⁈」
鬼のような教官ぶりを見せるエリシュ。髪の色と相まってルナリスには小さな赤鬼に見えてしまう事もある。
それでも、幼いエリシュが今よりもっと小さな頃から、周囲に自分を認めさせる為にこのような大変な努力をして、ようやく魔導士になれたのだろうことを思うと文句も言えず。不様に悲鳴をあげ走り続けるしかなかった。
「そうだ! いいぞ! 確実にお前は強くなっているぞ!」
「ふぁい!」
何処と無く満足気なエリシュの激励になんとか返事をして走る。
こうしてルナリスは、城にいては決してする事の無かった地獄の特訓を味わいながら精神も肉体も成長していたのだった。
束の間の平和を謳歌するカドレの森の面々とは別に、大陸の東の果て。ドルヴェンド帝国の王城、その王の間には重々しい空気が流れていた。
玉座の前方に用意された円卓に座るは帝国最高戦力である六輝将と呼ばれる魔族達。とは言っても先の戦闘で負傷したパンデモスはこの場にはいない。負傷していなくてもこの場には入室出来ないが。
「よく集まってくれた。こうして六輝将が揃うのは何年ぶりかね。ああ、《寄植飼》のジェペラントが王国の者に屠られて以来か」
玉座から立ち上がり円卓を見下ろす現魔王バドゥークの挨拶で会議は始まった。魔族でも希少な二つ角を持つ最高齢の魔導士だ。重厚な造りの魔導杖を支えに立つ姿は、皺の多い見た目と相まって弱々しくも見えるが、彼の事を知っている者からすれば微塵もそうは思えない。
「さて、まずは何から話そうか。そうだな、進軍の結果からまとめていこう。オルフェアイ」
「はっ!」
円卓とは少し離れ立つオルフェアイがこうした説明を行うのが定例である。顔にある一つ目が円卓にいるものへと向けられた。
いつものように真面目に今回の進軍の結果についてこの場にいる者へとオルフェアイは報告を行った。
「進軍の成果としては目標を半分程しか達成する事は出来ませんでした。危険対象であるギャングルイ国への進軍は、ヴァインドラの回復を待ってから再開となります」
「くくくっ、だっせーなオイ。あんな吸血種如きに六輝将が三人もいてこのざまかよ」
オルフェアイの説明に嘲笑が飛び、視線がそちらに集まった。どれも好意的なものではない。
だがそれらを一身に受けながらも気にしたそぶりも見せず、それどころか足を円卓に大袈裟に乗せてやらに挑発した。
「何とか言ってみろや。帝国最強の六輝将も落ちたもんだぜ」
「グラード殿、王の前で不敬ですよ。足を下ろしなさい」
オルフェアイの命令をも無視し、ニヤニヤと笑うグラードと呼ばれた男は不遜な態度を正そうとは一切しなかった。
「いいじゃねーか、ジジイも気にしてねえ。だろ?」
「カカカッ、全く誰に似てしもうたか」
「そりゃ爺ちゃんだろ?」
若造からの言葉にもバドゥークは怒るどころか愉快に笑うのみ。
それもそのはず、グラードはバドゥークの血縁、孫にあたる者なのだから。同じく二つ角を持つ、実力だけは誰もが認める問題児である。
「重要なのは結果だ。不敬と言うなら任務もろくにこなせないこいつらの方だろ?」
「‥‥‥‥‥‥」
実質バドゥークからの許しを得た彼に対して何も言えずオルフェアイは黙るしか無かった。
「他の魔族に示しがつかねーから、さっさと引退したらどうだ雑魚ども」
「はあ⁈ ほんとマジ腹立つ〜! こういうの七光りって言うんだよね〜」
ただし黙らない者もいる。この中では最年少のヴァインドラだ。全身青い皮膚で覆われる小さな彼は自分の事をバカにされて黙ってなどいられない性格だ。
ただ先の戦闘での魔装覚醒の反動で身体は全く動かない。口だけは達者に動きまくるが。
「ああ? 役立たずに役立たずと言って何が悪いんだ」
「ぴーちくぱーちく五月蝿いなあ。そんなに自信があるなら一人でサクッと全部片付けてきてよ。出来るもんなら、さ〜」
「いいだろう。ならばまずは貴様からすり潰してやるよ、ヴァインドラァ!」
挑発に対して身を乗り出すグラード。一発触発の雰囲気の中、同じく円卓に座すヴァインドラと同じ青い皮膚のクウォンナが興味無さそうに口だけ動かした。
「帰っていい?」
部屋に大量に置かれた人形のうち、お気に入りである一体を膝に抱えている。それはウサギのようでカエルのような奇妙な生き物をモチーフにしたものだった。
「待ってくださいクウォンナ‥‥‥まだ会議は終わっていません‥‥‥」
オルフェアイの大きな一つ目が罵り合う二人に対するストレスからかピクピクと動く。
我関せずのクウォンナと、言っても言う事など聞かないと分かっているホルザレは止める事などしない。
だが六輝将最後の一人は違った。
「やめーいやめーいやめーい! 双方そこまで! 王の間にてそれ以上はいけませぬぞ! あ、やりあうのであれば! その収まらぬ激情を! 我が全て受け止めてしんぜよう! さあさあさあ!」
椅子から立ち上がる巨躯。でっぷりとした肉体を揺らしながら声高らかに二人へ割って入ったその男に対し、皆の視線は冷めていた。
「‥‥‥イザンムルさあ、ほんと空気読めないしキモいよねー。あと急に動かないでくれる? 汗なのか体液なのか分かんないけど、こっちに飛び散っちゃってるし」
「シラけた。これ以上この阿呆共と関わりたくない。俺様は帰るぞ」
「服に付いた。最悪マジ最悪死ねクソ」
「おいクウォンナ! 俺っちの服になすりつけるんじゃァねェ!」
「あいたー! 皆さんこれまた手厳しいでごさるなあ! 拙者興奮してきたゾー!」
わいのわいの好き勝手に騒ぐ六輝将の面々に頭を抱えるオルフェアイ。バドゥークも特に何も言わず人の良さげな微笑みを浮かべるのみ。
「ああ、もう分かりましたこれ以上会議を続けるのは無理ですね、はい。では最後に簡潔に。ヴァインドラの回復を待つ当面はギャングルイ国への侵攻は中断。他の小国の侵略はこのまま続けて行います。それとは別に、新たに王国から動きがあったのでそれに対する対応を決めたいと思います」
「動き? こちらに攻め込もうとでもしてんのかァ?」
既に席を立ちこの場から去ろうとするグラードを止めずにオルフェアイは話を続けた。
「いえ、どうやらこちらではなくカドレの森へと、例の《闇の刻印》持ちに接触しようとしているようでして。中規模ですが騎士達が移動していますね」
オルフェアイの言葉にグラードの足が止まった。
「なんだァ? こっちじゃァなくそっちと戦争でもしようってかァ?」
「仔細は分かりませんが。それに対して私達はどうするか、です。静観を決め込むのか、それとも介入するのか」
「ほっとけばいんじゃない? 精霊王も退ける力があるんでしょ? 詳しくは〜知らないけど〜? うちの六輝将の誰かさんも、なんか負けたらしいし〜?」
「殺すぞクソ兄貴。あと負けたわけじゃないし」
クウォンナの刺すような殺気を軽く流しながら動けない身体のくせにケラケラと笑うヴァインドラ。そしてその殺気にブルブルと身を震わせなぜか恍惚の表情をイザンムルが浮かべた。
「俺っちも同意見だなァ。下手に介入する必要はねェだろ」
「そうでござるか? 拙者はまだ実際に見た事ないでごさるからなあ。どんな責め苦をしてくるのか少し興味が‥‥‥ハァハァ」
「キモい、死ね」
「アンハァん!」
「‥‥‥はぁ。私も同意見です。先日の精霊王との一件、確かに恐ろしい力ではありましたが、それでも少人数。こちらに対する脅威にはなりえません。《闇の刻印》持ちに《不死者》の元姫君と、カドレの森の精霊。その他は特に気にする必要もないかと。ですのでわざわざ辺境の地まで急ぎ赴く理由もないでしょう」
オルフェアイがそう締めくくり、これにて会議は終わりだと誰もが思っていたがそれを許さない者がいた。
出て行こうとしていたはずのグラードが戻ってくるなり円卓を大きく叩いた。鳴り響く音にイザンムルがビクりと動き体液が少し跳ぶ。
「ダメだ。《闇の刻印》を放置は出来ない。至急向かう」
「向かうって、グラードが? 今日も珍しく会議に来たかと思ったらまた勝手な事言うよね〜」
急に会議内容を無視した発言をするグラードにヴァインドラが噛み付くがそれを睨み返した。
「黙れ。アレは魔王の持つべき力だ。行方不明だったから放置していたが、所在が分かっていれば別だ。どこの馬の骨とも分からぬ奴が所持していいモノじゃあない。だろ? ジジイ」
「ふむ。まあグラードの言う事も正論ではある。私としては無くても困る事はないがね」
「だったら、別に俺様が頂いちまっても構わねえって事だな?」
瞳をギラつかせ試すようにそう尋ねるグラードに、バドゥークは愉快そうに口角を上げた。
「好きにせよ」
「ああ、勝手にやらせてもらうぜ」
許しを得ると用は済んだとばかりにグラードは王の間を慌ただしく去った。嵐が去ったかのように静まった場で、やはりヴァインドラが軽い口を開けた。
「いいの? 《闇の刻印》を持つって事は、実質王位の継承じゃん? ボクやだよアイツの下につくの」
「ヴァ、ヴァインドラ⁈」
あまりに失礼な言葉にオルフェアイの方が狼狽してしまった。だが言われた本人は全く気にせずむしろ大笑いしている。
「カカカッ! 相変わらず歯に絹着せぬのう!」
「いや、笑って誤魔化さないでさ〜。結構現実的な話じゃん。アイツ、やると決めたらすぐやるよ? 多分一月もせずに《闇の刻印》持って帰ってくるよ? そしたらアイツが魔王? 嫌だ〜」
「お前、案外まともな思考できんだなァ」
ヴァインドラの考察に付き合いの長いホルザレから驚きの声が溢れた。
「なあに、《闇の刻印》を手に入れたからといってすぐに私が引退するわけでもないわ。まあ、あやつが私を亡き者にすれば別じゃがのう、カカカッ!」
「ありそ〜。そん時はこの国が分裂するくらいの大事になりそうだね!」
「バドゥーク様まで何を‥‥‥」
和やかに物騒な話をする二人にオルフェアイはただただ頭を抱えるしかなかった。
「まあその話はあやつがきちんと《闇の刻印》を持ち帰れてから、だな」




