#84
「‥‥‥死ぬかと思った」
破壊に次ぐ破壊により、大きく抉られた大地を前にジョニーはそう呟くしかなかった。あまりの衝撃に爆心地から離れているはずの背後の砦、その外壁はヒビ割れ、一部が崩れ落ちていた。
フェンリに高所から落とされても、近くでそのような破壊と衝撃があっても、五体無事なジョニーは恐る恐る窪んだ大地へと滑り降りた。
既にここで戦闘を行っていたであろう魔族、その本体らしきものは翼を持つ魔族により回収されている。その魔族の足にはそれ以外にも人影がぶら下げられていたが、遠くから隠れて伺っていたジョニーにそれが何なのか確認する術もする気もなかった。
彼らが去って、またしばらく時間を置いて、完璧に安全であると判断してからの行動である。
「すごいよな、ここら一帯を瞬時に底無し沼にする魔族も、それを飲み込んだ姉さんも、またそれすら全部破壊する魔族の秘蔵っ子も‥‥‥」
自分とは住む世界が違うとばかりに、どこか他人事のように独り言をこぼす。思ったよりも深い穴の底へと落ち着き、暗闇に身体が包まれる。光は頭上に、巨大な穴の縁で丸くくり抜かれた夜空だけ。
そんな暗闇で待つ事数分、足元に動きが見られた。
「おっ、やっときた」
振動とともに、何かが足元から現れた。ジョニーが懐から取り出した魔導具で照らし見れば、腕が地面から生えていた。それは血で染まったかのように全体が真っ赤な腕だった。
ワキワキと、近くのモノを掴もうと指が閉開する。それを掴むのは嫌なのか、ジョニーは腰に下げた短剣を鞘に収めたままその腕に近寄せた。
「ひえッ⁈」
瞬時に掴まれる短剣。物凄い力だ。引っ張り込まれないよう必死に踏ん張ると、地面から這い出てくる上司、フェンリ・ノズゴートがその全貌を現した。
その姿はボロボロで、黒く艶やかなはずの髪も焦げくすみ、真っ赤な肌は泥だらけ。まさに地下から這い出る幽鬼のような姿だった。
「だ、大丈夫、っすか? 姉さーん、もしもーし?」
「‥‥‥‥‥‥」
何の反応もなく静かに、佇むフェンリ。異様な気配を感じたのか短剣を手放し、ジョニーが一歩下がる。その足音にギラリと金色の双眸が向けられた。
「ガァァァァァァア!」
掴んでいた短剣をガラス細工のように粉々に握り潰し、吠えるフェンリは超スピードでジョニーに襲いかかった。その瞳に理性の色は無く、ただ獲物を前にした肉食獣のよう。
「あぁぁぁぁぁあッ⁈」
フェンリの咆哮に負けじと悲鳴をあげるジョニーであったが、逃げる暇も撃退しようと構える暇も無かった。
フェンリの細腕が、そこからは計り知れない力の込められた一撃がジョニーを襲う。ただ力任せに振るわれた、だが躱す事の出来ない圧倒的な一撃になす術などなく。
グチャリ、と肉が潰れる音と共に血飛沫が地面にばら撒かれた。
「ギィィィイッ⁈」
一撃で死んだかと思われた、しかしジョニーではなくフェンリの苦悶の叫びが大穴に木霊した。
「死、死ぬッ! マジで死ぬかと思ったぁぁあッ!」
盛大に尻餅を着き、だが身体の何処も欠損する事なく無事なジョニーが涙目になりながら叫んだ。フェンリの腕が触れたであろう部分の衣服だけが破け散っていた。
ボトリ、と暗闇に何かが落ちた音。攻撃を行ったはずのフェンリの右腕、その肘から先が無くなっていた。
「ギィィィイッ、アァァァアアッ!」
それでも御構い無しに再び襲いかかろうとするフェンリ。腰が抜けたのか立ち上がれないジョニーは右手をかざし待ってのポーズを取るが、勿論通用などしない。
「や、やめッ! 《聖杯清血よ巡れ満たせ》!」
残る左腕が弾きやすい位置にあった頭部へと横薙ぎに振るわれた。だが、それが触れる前にジョニーの身体が緑光の紋様に包まれた。
「ッーーー⁈ ギャァァァァアア!」
触れた腕が、今度は蒸発した。堪らず後退したフェンリへと、素早くジョニーがその手を伸ばす。
「ちょっと落ち着くまで眠っててくださあい! 《主は溢す杯の祝福を》!」
「ガッ、グギィィァァアアッーーー」
指先がフェンリの額に触れた。瞬時にジョニーを覆うものと同じ緑光の紋様がフェンリを包み拘束する。
両腕を失いながらも暴れ狂うフェンリは地面を転がり、しばらくして動かなくなった。赤く染まっていた肌はいつもの透き通るような白へと戻る。
「‥‥‥やった、か?」
静かに動かなくなったフェンリから、かなり距離を取って本当に大丈夫かを恐る恐る確認し、ふぅと一息着きジョニーはその場に座り込んだ。
「だから嫌なんだよ、フェンリの姉さんと一緒の任務‥‥‥生きた心地がしない‥‥‥」
緑光を収め、再び暗闇に包まれた大穴の底でジョニーは胸を撫で下ろす。破けた衣服から覗く胸元には杯を模った模様が刻まれていた。
「コレがあったから助かってるけど、そもそもコレが無ければこんな目に遭わなくて済むっていう、ね。聖遺適合なんてあっても困る事しかないよ全く‥‥‥」
恨めしげに胸元の杯を撫でながら、とりあえず上司が目覚めるのを待つ。目覚めた時には超不機嫌だろうが、それにどう対応しようかを考えながら。
「あ゛、あ゛はははッ! じ、じんだかな⁈ あ゛のイガレボンナ⁈」
「ざ、ざあな゛ァ! じんでくれでないどごまる!」
夜空を飛翔するホルザレと、その足で掴まれるヴァインドラ。帝国最大の攻撃力を誇る魔装覚醒を持つが、その反動で全く動けなくなったヴァインドラをいつものようにホルザレが運んでいるのだが。
「でも゛! まざがパンデモスのほんだいが、ごんなぢびっごだっでね!」
「あ゛あ゛、俺っぢもばじめでじっだ」
もう一方の足に新たにぶら下げられているのは灰色の小さな子供だった。身体の大きさに合った小さな角が頭頂部から生える、魔族の女の子。それこそ《腐界卿》パンデモスの本体。フェンリ・ノズゴートによる魔力吸収によりそのほとんどを奪われた姿である。
「ぢっざぐなっでも、にぼいば、べ、べらないんだね゛ッ!」
「がんべんじでぐれェ! グゾッダレ!」
文句をしこたま言いつつも、仲間をきちんと回収するのがホルザレである。そのような性格だからこそ苦労をしているのだが。
グッタリと意識を失っているパンデモスと、身体に力が入らないくせにおしゃべりなヴァインドラを掴み続け、ホルザレはいつもよりスピードを上げて帝国へと引き上げるのであった。
「南東のベズタチオの砦が陥落したそうだ」
「んー? そっかぁ。それでー?」
ギャングルイ国、その中心の高層建築物。その上階にあるリイフォの居住スペースはとても広さのあるものだが、とっ散らかった様々な物のせいでとてもそうは感じられない。
見る者によってはゴミにしか見えない物に埋もれるように寝っ転がり、レストニア王国からドサクサに紛れて頂戴した本を読みながらリイフォはそう返事をした。
その様子にもはや慣れきっているニックもなんて事の無いように答えた。
「どうやら《魔弾の射手》はそこで魔装を使い切ったらしい」
「へぇ、意外だったねー。何かあったのかなー? まあ何にせよ助かったねー!」
おそらくは大変価値のある本であろうに、ポイっとぞんざいに放り投げるとリイフォはゴミの上に器用に飛び起きた。
「一応解読は終わったけど、ぶっつけ本番はしなくて済んだねー。まあ、それはそれで面白そうだったんだけどねー」
「‥‥‥危ない橋を渡らずに済んだな」
ニックのその感想に、やれやれとリイフォは肩をすくめ、よく分からない、多分本人はカッコいいと思っているのだろう珍妙なポーズを決めた。
「あたしを誰だと思っているのかい? ギャングルイ国の超腕利きギャンブラー! 危ない橋を渡らずして何が人生か⁈」
決まった。そう本人の顔から滲み出ている。そんなリイフォを眺め、しばらくしてニックも口を開いた。
「‥‥‥そうだな、お前はそんな奴だよ。だが、そんなお前だからこそ俺も、お前と一緒にいる事に賭けてるからな」
ふっ、と微笑むニックに珍妙なポーズを固めたままリイフォはジト目になる。
「‥‥‥急に真顔でそんな恥ずかしい事よく言えるよねー」
「オイッ⁈ お前がそれを言うんじゃねーよ!」
叫ぶニックを残し、リイフォは窓辺からとある森の方角へと目を向ける。短い間ではあったが、共に旅した彼らは今何をしているのだろうかと思いを寄せて。
「また楽しませてちょうだいねー、シグっち。ここからは、荒れるよー」




