#82
「‥‥‥この場合は、どうすんだァ?」
遠くパンデモスが攻略中の砦を覗き、予期せぬ乱入者が現れた事にホルザレが誰ともなしに呟いた。
「わー! あのイカレ女まだ生きてたんだ! 吊るしてるのって王国の騎士の衣装着てるよね? ははっ、あっち側に着いたんだー!」
「笑い事じゃねェだろ‥‥‥」
さっきまでの不貞腐れた様子が嘘のようにテンションが上がるヴァインドラ。左目の眼帯に付けられた三つの目が忙しなく動き回る。
「真性吸血種がなんで王国の味方をする? 誰彼構わず襲いまくるあの暴血姫が? 有り得ねェ‥‥‥。それに、何だありゃァ? 人型の魔獣を使役してんのかァ? 見たことねェが」
「いいじゃんいいじゃん何でもさぁ! これはあれだよね⁈ パンデモスの援護に行かないとだね⁈ あのイカレと一緒に全員消し飛ばしていいよね⁈」
「ダメです」
怪訝な様子のホルザレとは対照的に今にも走り出しそうなヴァインドラを制したのはオルフェアイだった。
オルフェアイの外部器官である無数の目の一つがふよふよと浮かび二人を見下ろしていた。
「うわぁっ⁈ ビックリした! 何だよ急に今更やって来てさぁ」
「出来れば来たくはなかったのですが、非常時なので」
来たくなかった、と言ったオルフェアイの目は遠くからでも漂うパンデモスの刺激臭に当てられてるのか、真っ赤に充血し涙ぐむように濡れていた。
「援護に行くのは却下。このメンバーでは近距離中距離であのクソ女に対応が出来ないでしょう」
「えーーー!」
こいつも口悪いなァ、と思うも相手が相手なので仕方ないかとホルザレは一人納得した。
「しかし、作戦の変更は必要ですね。あのクソが王国側についているのならば厄介です。ここで叩き潰したい」
「おっ? てことはオルフェアイ?」
期待に満ちた目で宙に浮く目玉を見上げるヴァインドラに、神の啓示の如く厳かにオルフェアイは告げる。
「対象変更。ここでヴァインドラの魔装の発動を許可します」
「やっっったあーーー!」
天へと思い切り振り上げられる両腕。歓喜の声がこだまする。
「ただし、魔装を発動するのは最後の手段。パンデモスがあのクソを倒せればそれで良し。万が一、敗れるような事があれば、です」
「はーいはーい! 了解了解っと!」
本当に分かっているのか疑問を抱かずにはいられないが、浮かれるヴァインドラにそれ以上は言及せずオルフェアイの目がホルザレへと向けられる。
「つきましてはホルザレ。周辺の集落にヴァインドラを運び、魔力補給をさせて下さい。私は本当にもう‥‥‥目が沁みて沁みてキツイので離れます」
「また運び屋さんかァ、ハイハイ分かりましたよ」
指示を伝え終えたオルフェアイの目は素早く何処かへと飛び去った。よっぽどキツかったのだろう。
一人飛び回りはしゃぐヴァインドラとは裏腹に、近頃運び屋としてしか活動していないホルザレは深く溜息をついた。
「さあて、メインディッシュはもちろんウチが頂くぜ?」
砦の中を暴れ回るヘドロ人間と金色の目の巨人。そして泣き叫ぶ人々。被害は収まるどころか拡大してしまっているように思えるが、そんな事は知った事じゃあないとばかりにフェンリは自らの目標へと飛んだ。
「てめえはどうすんだぁ、ジョニーよ。ついてきてもいいが、分かってんよな?」
「ついてくるも何も、無理矢理引き吊られてんですけど。分かってます、分かってますからどっか適当な、被害食らわない所に降ろして下さい」
「おう、分かってりゃぁいいのさ。んじゃ、ほいっと」
「ちょッ⁈ 落とすんじゃないっすよ! 優しく降ろして欲しかったぁぁぁぁぁぁああ!」
飛行途中に解放され落下していくジョニーの叫びを背後に残して、フェンリは近づくご馳走に舌舐めずりをする。
「ケケケッ! マジで臭いがヤベぇな! ドブみてえだ、たまんねーぜおい! 腐界卿さんよぉ!」
先程の砦の防壁と同じ高さくらいの巨大な魔族。近づくフェンリがちっぽけに見えてしまうくらいの巨躯を持つパンデモスは、その強靭な四肢で地面を揺らし、向かいくる敵の姿をその眼でしっかりと捉えていた。
「吸血種、カ。厄介。グ、ガァァァアア!」
長い鼻が天高く持ち上がり、その下にある大きな口から低く重い雄叫びが放たれた。その声量だけで空気は震え、強風のようにフェンリへと圧がかかる。
「だァァァアア! うるっせぇぞコラァァァアア!」
そんな事は御構い無しに突っ込んでいく。接敵までもう少しという所で、雄叫びをあげるパンデモスの身体が大きく震えた。
ぶくり、とその大きな背中が膨らむ。コブのようなそれらは段々と大きくなり、弾けた。
「ギ、ギギ、ギァァァァア!」
鳴き声と共に現れたのは鳥のような形をしたナニカ。パンデモスに比べると小さいが、フェンリと比較すれば十分巨大な、ヘドロで出来た怪鳥。その翼を大きく広げ、空へ羽ばたく。
その数はヘドロ人間に比べ少ないが優に十体を超えていた。ヘドロ怪鳥達は近づくフェンリへと顔を向けると嘴を大きく開け一斉に突撃を始めた。
「ウチを食おうってか? ああん?」
赤き血の翼が威嚇するかのように空に広がる。遂に沈んだ夕日が残した炎のように、赤々とした硬き翼を分離させ、槍のように放つ。
「オラオラオラ! やってみやがれ!」
怒涛の攻撃。怪鳥の何匹かは赤き槍に羽や身体を貫かれ落ちていく。それでも回避に成功した数体がフェンリへと殺到した。
「おおっと」
接近する怪鳥達に対し身体をグルリと回転させると、手に出現させた得物《鮮血の串刺公》を振るった。
遠距離用の槍とは違い、極限まで魔力が圧縮されたその槍は、いとも簡単に近付いた怪鳥をそのなぎ払いだけで引きちぎった。
「マダ、イクゾ」
「げえっ、まだ出せんのかよめんどくせぇ」
全ての怪鳥を打ち払ったが、パンデモスは更に怪鳥を身体から生み出す。同じように向かいくる怪鳥を同じように地に叩き落としながらも、うんざりしたフェンリは砦にいる金色の目の巨人を数体呼び出していた。
「ラチがあかねー。おめえら、この鬱陶しいの叩き潰してやんな!」
「ゴ、グゴゴ、ガギガァァァアア!」
駆けつけた巨人は大きく跳躍すると、空を飛ぶ怪鳥を殴りつけ叩き落としていく。地面に落ちた怪鳥を、その大きな足で踏み潰し息の根を止める。
「ソレ、何ダ? 吸血種」
自らが生み出した怪鳥を殺していく巨人にパンデモスから疑問の声が上がる。それはどうしても問わずにはいられないモノが巨人から放たれていたからだ。
「ナゼ、我ガ同胞ノ、力感ジル? コレ、ハ‥‥‥ソウ《寄植飼》ノーーー」
「ああん? んな事ウチが知るかよ! いくぜ《鮮血の串刺公》!」
空に邪魔するモノはない。地上に鎮座するパンデモスへと、必殺の槍を解放する。
幾重にも折り重なる血の螺旋が槍の表面に浮き上がる。それは禍々しく鮮烈に赤く光り輝き、高速で回転を始めた。
耳をつんざく超高音の悲鳴にも似た音が槍から叫ばれた。
「喰らい尽くせ! 《堪え性皆無の暴食螺紅棘》!」
放たれる《鮮血の串刺公》は宙に赤い軌跡を残し、パンデモスの眉間へと寸分の狂いもなく突き刺さった。
「グ、ォォォオオッ⁈」
「キィィィァァアア!」
堪らず叫び声を上げるパンデモスと、食事にありつけた歓喜の如き《鮮血の串刺公》の甲高い音が混ざり合った。
真性吸血種であるフェンリの特性、魔力吸収は、相手が魔族の中でも筆頭の六輝将であろうが遺憾無く発揮される。故に彼等にとってこれ程天敵となる種族は他にはいないのだ。
《鮮血の串刺公》により魔力を、命を略奪されゆくパンデモスに、抗う術は最早一つ。
「そのまま喰い尽くされな!」
波打つ体表。その中心は《鮮血の串刺公》が刺さる眉間。ドロドロとした身体の全てがそこに吸い寄せられながらも、パンデモスは重くその言葉を発した。
「ーーーマ、魔装、覚、醒」