#73 もう二度と
迫る黒炎球に対し、ヴェルトリアは今度は避ける事すらしなかった。ただ槍を薙ぐ、それだけで初めから無かったかのように炎は霧散した。
驚くシグへと、次いで槍を突く。距離は充分に開いていた。それでも槍の先端、その延長線上から身を捩り躱す。
「ぐおぉッ⁈」
空気が捻れ罅割れ破裂する。槍の先に存在するモノ全てを抉り削り滅する。それが破壊の神槍ジエルニクスの力だ。
もちろん突きは一度ではない。それこそ何度でも、シグが躱し続ける限り槍の破壊の力は放たれる。
「くッそッ!」
足を止め、横移動に集中し躱す他ない。直感的にこの攻撃は受ければ即死だと告げている。それこそ《闇の刻印》すら貫き滅するだろう。
「どうしたどうしたどうした! 逃げてばかりとは情けないのう! 変換魔法もじき完了する! 貴様の企みなどこれで終わりじゃ!」
見れば祭壇の上、浮かぶ丸い青い玉を包む魔方陣がグルグルと回転を速めている。それが変換終了間際のサインなのか。
「時間が、ないッ!」
危険を覚悟で突っ込むしかない。斧を持つ手に力を込め、死の突撃を敢行する。一歩、踏み出した。
「なッ⁈」
「死ねッ! 《六槍天星》!」
完全に意表をつかれた。こちらが飛び出そうとした瞬間に、向こうもまたこちらより速く接近し、その手に持つ絶対破壊の槍を突き出した。
魔法による仕業か、六つの同時攻撃。一つでさえ即死のそれが避けようのない数で迫る。
既に二重身体強化は行われている。つまり、躱す術がない。炎と化した身体ですらあの槍は容易く壊すだろう。
「《忍法・変り身》」
「ぬッ⁈」
六つの破壊を受けて粉々に破砕される、シグと同じくらいの大きさの岩。忍法により先程までシグが居た場所に身代わりとして現れたのだ。
その術者は離れた建物の上からこちらの戦局を伺っていたクナイである。
「子猿が! 邪魔をするでない!」
「やべっ」
クナイの姿を確認するや否や、ヴェルトリアは空いた左手を向ける。建物ごと包囲するように魔方陣を展開、発動させようとした。
「誰に手を出そうとしている」
その手をシグが掴んだ。それだけではない。その手を凍りつかせる。
「《絶対凍結》」
「き、貴様ッ!」
それは七王剣ギルバートの魔法。触れたモノを凍てつかせる氷魔法。
だが精霊王は軽く腕を振るうだけで氷を砕き空へと飛び退く。
「《気焔爆雷》」
先程までの猛攻のお返しとばかりに、飛び退いたヴェルトリアを囲むように空間座標爆破魔法を無数に展開。これもまた七王剣キリエの得意とするものだ。
三百六十度、容赦の無い一斉起爆の破壊の波がヴェルトリアを襲う。
「空間爆破の魔法まで⁈ 小賢しい!」
グルリと槍を構えたまま一回転、それだけで《気焔爆雷》の破壊の波を打ち払った。
もうもうと上がる煙の中、真下から打ち上げられるのは《大黒天・灼燼の揺光炎》だ。
「ええい、鬱陶しい! 消えよ!」
焦る事なく槍の一突きで黒い太陽を消滅させる。同時に煙もその勢いによって晴れた。
そしてそこで見えたのは黒い太陽はもう一つ打ち上げられていた事。ヴェルトリアにではなくそれは祭壇に張られた結界に放たれていた。
さしもの精霊王の結界も太陽に飲まれ悲鳴と共に破壊される。それを確認などせず、既にシグは雷身となり祭壇へと飛翔していた。
「間に、合えッ!」
「クソッ! させぬ!」
シグの手の先には祭壇上の精霊核が、それを封じ変換する魔方陣があった。これさえ破壊すればヴェルトリアの企みを崩せる。
あと少し、ほんの一歩。
「《神は堕とす天の雷を》!」
だがそれを、精霊王が許すはずもない。
刹那に投げ放たれた神槍。空間すら捻じ曲げ、間に合わないはずのタイミングであろうにもかかわらず、槍は放たれた瞬間に対象に突き刺さり動きを封じた。
「ッ〜〜〜⁈」
あと、少し。ほんの少しだった。手は届く事なく、身体は神槍の攻撃により瞬時に崩壊を始めていた。泥の人形が崩れるように、パラパラと手足から落ちていく。
「くくく、どうやら終わりのようじゃのう。間に合わなかった、な」
余裕の笑みでシグの真横に降りたち槍に手を添えるヴェルトリア。その視線の先で魔方陣は最後の一仕事とばかりに眩く輝き始めた。
「これで魔法は成る。忌々しい呪いも解ける。随分と手こずらせてくれおったの下等生物よ。さあ、滅されよ!」
「間にーーー」
諦めの悪い事だ、と精霊王は未だ残る右手を必死に伸ばし続けるシグを鼻で笑い、槍に魔力を込めた。それだけで聖気は暴力的なまでに放たれ、残り僅かなシグの身体を消滅させた。
「ーーー合った」
判断は早かった。祭壇の床に刺さった槍を抜き、自らの背後、自らの影から姿を現した本物の、先程の消滅させた身体は魂身分離体だと気づく、目の前の本体であろう敵へとヴェルトリアは槍を渾身の力で振るう。
「《魔装顕現》」
その神速の一撃よりも早く、闇が収束した。
止まる。時が死んだかのように。この誕生に祝福せよと全ての視線を釘付けにする。
捻じ曲がる理。顕現する異質。
世界がその誕生に悲鳴の如く啼いた。
"愛は死へ、されど愚者は為す"
《不変》と《拒絶》という概念魔装はその手に顕現される。
「《漆黒の花嫁》」
圧縮し生まれ変わった常闇はその身を儀礼剣と化して、何物をも破壊する神槍の一撃を阻んだ。
「な、何じゃとッ⁈」
槍の先端はシグはおろか、相対して向けられた漆黒の剣に触れる事すらなく動きを阻まれ、それ以上の侵入が許されなかった。
その押し止められた神槍の暴力の余波に周囲の空間は、いや世界そのものがグニャリと歪み曲がり罅割れていく。
それ程までの力を持ってしても、目の前の何者かを貫く事は出来なかった。
「これは、なんじゃッ⁈ 魔法ではない‥‥‥おぬし何をやっておるのじゃッ!」
それでも精霊王は諦めない。背後に複数展開させる魔法陣、それにより神槍の威力を底上げし更なる力を持ってして異質に挑む。もはや槍のカタチすら分からぬ程に聖気は発光し、世界を染め上げる。
「こんなもの‥‥‥こんなものでェェエエ!」
啼く。どこからか発生する甲高い悲鳴が辺りに響き渡る。それはどちらの崩壊を意味するのか。
漆黒の剣をヴェルトリアに向けるシグの、魂の咆哮があげられる。
「俺のーーー邪魔をするなッ!」
「ぬあッ⁈」
パキリ、と乾いた音が一つ鳴った。
その音をキッカケに、一気に崩壊する。
硝子細工のように簡単に、致命的に、ヴェルトリアの持つ神槍が粉々に砕け散った。
神の名に相応しき一撃は、《拒絶》という覆らぬ概念によって失落される。
「馬ッ、馬鹿なーーー」
それだけではない。その所有者であったヴェルトリアの身体にも異変が起きる。まるで精神と肉体が切り離されたかのように身体が崩れ落ちる。それを拒む事も、また受け身を取る事も出来ない。ドサリとその場に、意思に反し倒れ伏した。
「‥‥‥待たせたなディーネ。いくぞ」
障害は消えた。神槍を無力化した代償か、漆黒の剣に咲く花飾りはその花弁が残り一つとなっていた。
だが、それで充分だ。
「君のいない未来など、俺は《拒絶》する!」
「や、やめろォォォオオ!」
叫ぶヴェルトリアの前で振るわれる剣。何物をも切れぬはずの儀礼剣は、しかしディーネの精霊核を捉え変質させていた魔法陣を問答無用で絶った。そして剣は役目を終え、最後の花弁と共に散りゆく。
霧散する魔法陣。その中心で、青く輝く光の魂が支えを失いゆっくりと落下する。
そして徐々にその姿を、人型へと戻していった。青き髪を持つ、カドレの精霊へと。
落下地点へと移動したシグが、フワリと両腕に落ちてきたディーネを抱き抱える。
「ごめん、待たせてしまった」
パチリと目が開かれる。何度か瞬きした後、口も開かれた。
「‥‥‥遅い」
「ご、ごめんって。これでも急いだんだよ、ギリギリだったけど」
「あっそ」
ツーンとした表情でシグをいつものように見つめてくる。その光景が自然とボヤけた。
「何よ、何泣いてんのよ」
「‥‥‥あれ? ほんとだ、多分安心したから、かな」
流れ落ちる雫を手でそっと拭うと、悪戯っぽくディーネが茶化した。
「なあに? そんなに私がいなくて、寂しくて恋しくて愛しくてたまらなかったの?」
「ああ、寂しかったし恋しかったし、愛しくてたまらなかったよ」
「‥‥‥あなたって、本当に素直というか、からかいがいが無いわね、全くもう」
意図せぬ反撃に顔を赤らめながら、そんな真っ直ぐな答えを返すシグの頬を愛おしそうに撫でる。
「だったら‥‥‥もう私を手放さないよう、しっかり抱き留めておきなさい。そう誓ってくれるなら‥‥‥あと私が今して欲しい事を当てられたら、許してあげてもいいわ」
「ああ、もう離さない。君を、二度と」
誓いはここに結ばれる。
祭壇の上、二人だけの世界で、人間と精霊の固き絆が。
「ディーネ。君を、愛している」
「ええ、私もよ。シグ」
繋がる口付けがもたらすもの。互いが互いを思うこの上ない絆は結晶体となり、二人の左手にその薬指に、艶やかな黒き輪となって顕れた。




